
毎年、清里ミーティングを開催するにあったって、一番頭を悩ますコトが、マツダからお招きするゲストです。ある程度はコチラからもマツダ側へ、早めに要望を打診しているのですが、そこはお仕事のご都合などもあり、直前までナカナカ調整がうまくいきません。
実際過去にも開催1週間前になってもゲストが決まらない!? なんて大ピンチなこともあったくらいで、毎年秋になると渉外担当としてはヤキモキして過ごしております。
幸い今年は比較的早くからマツダからのゲストが決まり、
プログラム開発推進本部 第2プログラム開発推進室
プロジェクトマネージャーの山口宗則さん
ボデー開発部 ドアリッド開発グループの松延知昭さん
をお招きすることができました。
山口さんは、NA8CからNCまでの開発に携わっており、
ロードスター、そしてスポーツカー開発のスペシャリスト。
世界中のイベントや出張など多忙を極める主査の貴島さんが不在中などにも、
開発進行など開発全体のサポート役を勤め、いわば女房役とでも言っていい存在です。
松延さんは、マツダきっての屋根のエンジニア。
発売後の予想以上の!? 高い支持を得ているNCの電動ルーフ「RHT」の開発者であり、
これまでにもボンゴフレンディのオートフリートップや、
NB3から追加されたクロス調ソフトトップなどを手がけるなど、
「マツダの屋根屋」なる異名!? をもつスペシャリストです。
今年の話題の中心はやはりRHTに集中しました。
ロードスター乗り、あるいはそのファンの間でも物議を醸したRHT、
フタを開けてみれば、全世界中からのオーダーが集中して、
生産キャパをはるかに超えるオーダーが入っているのはご存知の通りです。
しかし、その開発は決して平坦なモノではなかったようで、
まさにプロジェクトX並み!? の苦労話しを語っていだきました。
RHTの企画がスタートしたのは
NCのプロジェクトがスタートするよりもずっと以前の2002年のこと。
NB2をベースにした、まるでヘルメット!?
のような試作車のマル秘画像などを交えつつ、
マツダ社内でも開発トップからの企画自体の否定からはじまり、
逆境の中での地道な成果を積み重ねた上で、RHTをまとめあげたコトなど、
たいへん興味深いお話をされていました。
何をかくそう、この場にいた山口さんご自身も開発当初は否定派だったお一人。
しかし松延さんのひたむきな開発姿勢は
「マツダきってのエンジニア」と言わしめるほどであり、
同時開発でなければRHTの誕生はなかったと振りかえっていました。
さて、話しは少し外れますが、山口さんは知る人ぞ知るアスリートであり、
全国で開催されるトライアスロンにも出場されるほどのお方。
「せっかく清里へ行くなら高地トレーニングが出来そうだから走るところはありますか?」
なんてコト話しも事前に確認があったとか、なかったとか!?
実際イベント前日に清里入りした夜と当日の朝には、
キチンと1時間程度のマラソンをこなすほど。
不健康かつ不摂生な生活を繰り返しているスタッフも
少しは見習わなければと思う出来事でありました。
さて、そんなアスリート経験を経た山口さんの
「ロードスター(スポーツカー)とトライアスロンの関係」は、
2時間という短い講演ではとても伝えきれなかったため、
このお話の続きは、機会が許されればまた来年へのお楽しみ…
としてとっておこうかと思います。
来年の清里ミーティングも是非とも楽しみにしてください。
Posted at 2006/12/03 20:33:24 | |
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