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2012年05月27日 イイね!

2012年 春の連休ドライブ(後篇)



連休最終日の昼下がり、國道276号線を下り北湯沢へと向かいます。
山の天気は変り易いと言う通り、晴天だった空が急に曇り始めました。

山奥に進むにつれ次第に天候は悪化、やがて雨が降り出しました。

対向作動式ワイパーで雨粒を拭いながら、カーブとアップダウンの連続する山中を駆け抜けます。



グロリアのウィンド・シールドはAピラーの角度が立っており、なおかつ両端が湾曲しているので
ワイパーを使わずとも雨粒が流れ、一定の視界を確保し続けることが可能です。

ガラスが寝ている現代の車では、ガラコなどを塗らなければノンワイパー走行は
難しいですが、グロリアならば余程雨脚が強くならない限り問題ありません。

また、フロント以上に湾曲したリヤ・ウィンドウも走行風によって
自然と雨粒が流れるので、リヤ・ワイパーは必要ありません。

リヤ・ウィンドウには、強弱切替可能なデフロスターが備わっているので
湿度の高い日でも曇ることなく視界が確保され、安全かつ安楽な運転に貢献します。

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一時は激しい雨に降られましたが、やがて天候は回復し始めました。
北湯沢温泉郷・湯元名水亭に到着、えらく立派な建物にちょいと気後れするくらいでした。



先日、みん友の92hiroさんにお会いした際に無料入浴券を戴いていたので
日帰り入浴に来たのです。

92hiroさん、ありがとうございます♪

連休明けの真昼間とあって大浴場には1組しかおらず、その方も先に上がられたので
完全な貸し切り状態となりました。
150坪もある露天風呂に1人で入るのはなかなか贅沢なもんです。

タイミング良く一時的に雨は止み、雲間から太陽の光が射し込んできました。
雨が降っていたらせっかくの露天風呂も台無しですから、ここでも天佑に恵まれたのでした。

館の眼前を流れる長流川は「白絹の床」と呼ばれ、白い川底が美しいです。



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ゆっくりと温泉を満喫した後、来た道を戻り洞爺湖廻りで苫小牧へと向かいます。
一時の晴れ間はすぐに過ぎ去り、再び強い雨が降りしきる中を走ります。

洞爺湖を望む湖岸の道を走りながら、つい最近レックスでここを訪れたことを思い出しました。
その時は素晴らしい晴天に恵まれましたが、今は雨がパラパラと降る生憎の天気です。

しかし山を抜けると遥か遠くに青空が見えてきました。
2時には苫小牧に到着、山中の曇天が嘘のような快晴でした。

雲一つない空に描かれた飛行機雲を仰ぎながら、日高自動車道へ進みます。
今までは日高富川ICまでしか繋がっていませんでしたが、3月に日高門別ICまで開通しました。

高速を降りて、広大な太平洋を右手に臨む國道235号をゆったりとクルージングします。
空と海の美しい碧さに思わず見蕩れてしまいます。

3時半過ぎに静内に到着、二十間道路桜並木へと向かいました。
残念ながらほとんど葉桜になっており、写真を撮ったもののイマイチな出来でした。

そこで!2011年5月12日に桜並木を訪れた時の写真を代りに掲載いたします。
その時は桜もちょうど満開で、雲一つない快晴にも恵まれたのでした。

今回の旅行の写真ではありませんが、お蔵入りさせたままなのも
勿体ないので、ちょっとイレギュラーですがお楽しみください。

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淡く色付いた満開の桜と、暖かな五月晴れの空のコントラストがまことに美しいです。



静内の桜並木は幅が二十間(約36m)で、7kmにも及ぶ直線道路が続きます。
ゆっくりと徐行しながら、桜のトンネルを通ります。



桜並木は磨き上げられたボンネットにも映り込み、漆黒のグロリアを仄かな薄紅色に染めます。



ひらひらと舞い落ちる桜の花びらは、雪のように静かに降り積もり
一瞬の光芒の如き散り際の美しさを残します。



美しく咲き誇り、儚く、潔く散りゆくその姿はいつの時代も日本人の心に強く訴えかけてきました。

この二十間桜並木はもともと、皇族方が宮内省(現:宮内庁)の新冠御料牧場を
御視察なされる際の行啓道路として造成されたのがはじまりです。
大正5年(1916)から3年の月日をかけて、周囲の山々から山桜が移植されました。

厳しい自然と対峙した先人達の努力の結果、現在はエゾヤマザクラを中心に
3千本の桜が咲き誇る日本屈指の桜の名所となりました。

新冠牧馬場は明治5年(1872)に創設、北海道開拓使長官黒田清隆が日高地方の
野生馬の群れを見て、馬の育成に適した土地であると判断したことで選ばれました。

明治17年には宮内省の管轄に移行し、明治21年には「新冠御料牧場」と改名されました。
日露戰爭前年の明治36年には二十間道路が整備され、明治42年には龍雲閣が築造されました。

大正5年には山櫻1600本が植樹され、現在の桜並木へと繋がります。

二十間道路の終わりに位置するのが、この龍雲閣です。



龍雲閣は、宮内御料馬や軍馬の生産を行う御料牧場を御視察される
皇族方や高位高官の貴賓舎として築造されたものです。
現在は、静内桜まつりの期間中のみ一般公開されています。

龍雲閣内には、皇族方がお使いになられた明治・大正・昭和の歴史ある調度品の数々や
伊藤博文直筆の七言絶句の掛軸などが展示されています。

大東亞戰爭時の軍馬供出を表彰する、星が描かれた盃などをはじめとした
馬に纏わるものも多数ありました。

照明にも菊の御紋が彫り込まれており、御稜威の如き荘厳な光を放っていました。



御料車として皇族方をお乗せしたプリンス・グロリアと、貴賓舎としてお迎えした龍雲閣。

時代は違えど、いづれも皇族方にお仕えした皇室御用達であり
揺るぎなき万世一系の悠久の歴史の偉大さを前にし、感慨無量です。



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二十間桜並木を後にし途中で給油、帰路に就きます。
雲間から射す斜光を残し、太陽が海面を輝かせながら西に沈みゆきます。



帰路の途中、「3千本の桜並木」という看板が見えました。

優駿さくらロード(西舎桜並木)という桜の名所で、そこには
3千本のエゾヤマザクラが3kmに渡って道路の両側に立ち並ぶという、美しい風景がありました。

時計の針はもう少しで18:00を指そうとする夕暮れの中、薄紅色の花びらは
沈みゆく太陽の光を透過させ、澄んだ表情を見せていました。













光と影のコントラスト、浮かび上がったシルエットが静謐な夕刻の中に映えていました。

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18:12分。

薄暮の下、天馬街道を進む。



すっかり日が長くなり、6時40分頃ならまだ空に明るさが残るようになりました。
7時前までは微かに明るさが残りますが、それを過ぎると急速に夜の帳が下ります。

この時期は朝の4時頃にはかなり明るくなるので、その分活動時間が長くなり有難いです。

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闇夜を切り裂く前照灯の照射を頼りに家路を急ぐ。



丸型シールドビーム・ヘッドライトは、一般的に暗いものと思われがちです。
もちろん、ハロゲン・ライトやHID、LEDと云った後継の照明灯と比較すれば暗いのは
当然ですが、「行燈」や「蝋燭」などといった例えは大袈裟に過ぎます。

この写真は、走行ビーム(ハイ・ビーム)の状態を撮影したものです(フラッシュ無し)。
進行方向、側面方向共に充分な照度があるのがおわかりいただけるでしょうか?

夜間の事故の原因が、ライトの暗さに起因するものとは思えません。

結局のところ、100万カンデラの照明彈の如き明るさを持つライトであっても
全周に対する間断なき注意と適切な運転操作がなければ、無用の長物に過ぎません。

どれほど自動車の装備が発展し充実せども、人間が運転する限り運転者自らの「注意力」は
欠かせず、これが欠如したならば如何なる安全装備も限定的な効果しか発揮し得ません。

帰路の途中、2箇所で警察によるネズミ捕りを目撃。
幸い現在はゴールド免許ですが、いつ金メッキが剥がれるかわかりません。

警察に喰われないこと、事故を起こさないこと・・・即ち車を疵付けないことという
観点からも、昼夜を問わない警戒が求められます。

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9時半、家に帰投。

3日間、1564キロの行程をノン・トラブル(パンクの如きはトラブルと云えず)で大過なく
走破し切った頼れる愛車に感謝しながら、格納庫に収容する。

イグニッション・キーを切ると、如何なる負荷も問題としない強心臓”G7”は静かに眠りに就いた。



さて、愈々道内も行き尽くした感があります。

この4年間グロリアと共に、北へ、南へ、あるいは東へ、翻っては西へ。
5万キロに渡る道を走ってきました。

春夏秋冬季節を問わず、東奔西走縦横無尽に駆け抜けてきましたが
如何なる地形・天候をも容易く克服するグランド・ツーリングカーにとっては
この北海道の大地も既に手狭となってしまったようです。

ここに至りて、本土上陸も視野に入れなければならない重大局面を迎える。

さぁ、次は海を渡ろうか?

「ヒノデハヤマガタトス」

小樽-舞鶴(新日本海フェリー)A期間、乗客9300円+乗用車30500円(2輪車11900円)
苫小牧-名古屋(太平洋フェリー)A期間、2等9500円+乗用車33000円(2輪車17000円)
Posted at 2012/05/27 23:56:32 | コメント(5) | トラックバック(0) | 旅行 | クルマ
2012年05月26日 イイね!

2012年 春の連休ドライブ(中篇)

朝4時半、起床。
周囲の方に迷惑が掛からないように、駐車場の隅に移動してから暖気運転。

5月に入ってだいぶ暖かくなってきたので、暖気が完了するまでの時間も短くて助かります。
水温計が動き、アイドリングが安定した頃合いを見計らって車から降りると・・・。



あれっ・・・パンクしてる・・・。

右前輪はクタッとしており、ホワイトリボンが歪んでしまっています。
ただし空気は完全には抜けきっておらず、辛うじて踏ん張っています。

就寝前の点検時には異常が無かったので、おそらくは駐車場内で何かを踏んで
パンクし、移動した際に空気が抜けたのでしょう。

いずれにしろ、走行中にパンクしなかったのは幸いでした。
今までパンクって数回しか経験したことないんですよね。

こんなこともあろうかと!パンク修理剤「タイヤウェルド」を携行していたので注入。

まず携帯空気圧計で残っている空気を抜き切ります。
後は修理剤を入れるだけです。

このパンク修理剤は、孔を埋める液体と空気を同時に注入し
タイヤの修理を簡単に行えるという優れモノです。



・・・えーと、少ししか空気が出てきません。
なんで??
コレ高かったんだぞ!

暫く繋ぎっぱなしにしておくも反応なし。
ん~??

しょうがないのでスペア・タイヤに交換することに。

・・・別にタイヤ交換は面倒ではないんです。

でも、トランク底面に眠るスペア・タイヤは新車時の当時モノなんですよ。
果たして使用に耐えうるのか、それが何より心配なだけなんです。
しかも自分はトバしますし・・・。

トランク内の荷物をいったん降ろし、フロアマットの下にあるスペア・タイヤを取り出します。
床下収納式スペア・タイヤはトランク容積を広く確保出来るので、スペース効率に優れますが
取り出しの際に面倒なのがやや難点です(実際のトコロ、滅多に使わないので良いんですが)。

パンク修理剤を外し、ジャッキをかけてクリップナットを緩めていると
突然パンク修理剤が泡を吹きだしました!
慌ててタイヤのエアバルブに繋ぎましたが、勢いよく噴き出してしまい間に合いませんでした・・・。

なんだよコレ・・・勘弁してよもう~。

※後日、ホルツさんから代替品を戴きました!

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そんなこんなしながら、タイヤ交換が終了。
これが、新車時の純正指定タイヤ「ブリヂストン・スカイウェイH」です。



現代のテンパー・タイヤと違い、当時はスペアを含む5本のタイヤをローテーションしながら
履くように指示されており、このタイヤも使用された形跡があります。
ただし溝は深くサイドのヒビ割れもなく、少なくとも外観的には問題なく使用できるように思えます。

ブリヂストンはプリンス自動車の最大の株主にして経営母体であり、純正指定タイヤも
当然ながらブリヂストン製品を採用していました。

スカイウェイとは「航空路」を意味する英語ですが、スカイラインの派生商用車にも
その名は冠されており、プリンスとブリヂストンの血縁関係の深さを感じさせます。
また、ブリヂストンはプリンスを手放したのちに自社製の自転車にも同じ名を与えています。

サイズは7.00-13-6PLYで、それらの表記が意味するものはそれぞれ
7.00(タイヤの幅7インチ)-(バイアスを意味する記号)13(タイヤの内径)6PLY(層数6枚)で
「H」は耐えうる最高速度の表示で、210km/hの走行負荷に耐えられることを意味しています。

当然ながらバイアスで、内側寄りの細身のホワイトリボンに特徴があります。
サイド・ウォールのリブがたまらなくカッコいいです。

バイアス・タイヤ特有の”ギザギザ”のトレッド・パターン、やや膨らんだサイド・ウォールと
キュッと段の付いたリブのコントラストが美しいです。



やはり当時の車には当時のタイヤがマッチするので、佇まいも”らしく”見えてきます。

ブリヂストンは、1960年代に既に
「世界のタイヤメーカー・ベスト10に名を並べる唯一の日本メーカー」
としてその名を轟かせており、優秀な製品を送り出していました。

ヨコハマやオーツ、日本ダンロップといった國産他社よりも高めの価格設定でしたが
ブリヂストンは「耐久性が高く、寿命が長いので結果的には有利」であると宣伝していました。

1960年代前半には早くもチューブレス・タイヤを開発、未舗装路が多く
パンクが日常茶飯事であった当時としては画期的な商品でした。

正直なトコロ、高速走行の高負荷に耐えうるか不安でしたが
この旅行の直前に空気を充填したあったので、おそらく大丈夫だろうと自分に言い聞かせました。

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森町のスタンドで給油した後、昨日進んできた道を戻ります。

正規ディーラーである、カローラ八雲店のショールーム内には
初代カローラ・2ドアセダン・デラックス(KE10)がありました。



以前から情報は得ていましたが、実際に見るのは今回が初めてです。
2ドアの後期型で、白と並ぶイメージ・カラーである赤でした。

まだ朝早く開店前でしたので、ガラス越しに眺めただけで内装は見えませんでした。
トヨグライドのエンブレムは無いので、おそらくはMT車と思われます。

個人的には、KE15/17型のカローラ・スプリンターが好みです。

店舗の裏側には、ダイハツ・デルタワイドがありました。
海岸線沿いだけあって、見事に崩壊しています。

デルタワイドにはバンとワゴンがありますが、ボディの後半部が崩壊していたので
どちらかは判断できませんでした。



独特のデザインのヘッドライト・ベゼルと、「D」マークのエンブレムで辛うじてデルタとわかりました。
ボディは大きな孔だらけで、カットモデル並みに内部構造が剥き出しになっています。
ひん曲がったカリフォルニア・ミラーが哀愁を感じさせます。

手前にはエンジン(2T?3K?)や、ウィール・トリムリングが半ば土に還っています。

倒壊した物置?の中に見えたのは・・・

おぉっ!スズキ・バンバンRV50だ!



鮮やかなオレンジの塗色が、ファニーなルックスとマッチしています。
フロント・フォークから、当時モノのコーナー・ポールが生えています。

バンバンは1971年に90ccモデルが登場、72年に125ccと50cc、73年に75ccが相次いで
発売され、レジャーバイク・ブームを代表する車種として高い人気を誇りました。

「バルーン・タイヤ」と称されるファットなタイヤが特長で、砂浜などを走行する際に
空気圧を調整出来るように、空気入れも純正で装着されていました。

アップマフラーなど、その外観はオフロード車的なものがありましたが
開発陣の回顧録では、飽く迄も雰囲気重視のバイクであったとあります。

キャッチコピーは「地球に乗るならバンバン」でした。
我が家にも青いバンバン50があり、とにかく遅いですが楽しいバイクです。
キャンプの際に車に積んで、出先で乗って遊ぶのに適したバイクだと思います。

と言うか、交通量が多く流れも速い主要國道では合流するのも大変だったりします。

ふと、視線を感じると・・・



あらかわいい!

番犬ならぬ番猫?

毛並みも綺麗で、人慣れしているようだったので飼い猫でしょうか。
自由気ままにお散歩かしら?

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朝靄が薄れると、雲ひとつない碧空が広がりました。



最終日にして、ようやく天気に恵まれました。
運転席の窓を全開にし三角窓を少し開き、爽やかな初夏の風を受けて海岸線を走ります。

懸念であった46年前の熟成されたBSスカイウェイHは、全く問題なく高速走行をこなしました。



長万部から内陸に入り、黒松内~ニセコ町を経て倶知安へと向かいます。

途中、見事な一本桜に出会いました。



済み切った青い空と、満開の桜の対比が織り成す美しさに思わず感動します。
桜という花は、日本人の心を揺さぶる特別な力を秘めています。

桜をバックに1葉。



澄み渡った碧空は、遥かに望むニセコ連峰の美しい雪化粧をより引き立てます。



蝦夷富士とも称される羊蹄山は、荘重なシルエットを湛えています。



羊蹄山をバックに1葉。



・・・写真を撮るのがヘタクソなせいで、平板なホリゾント背景みたいになってしまいました。

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目的地の倶知安風土館に到着。
すると風土館の向かい側に、ホンダ ライフ・バン(VA型)がありました。



この角度からはわかりにくいですが、1971年9月6日に登場したバンです。

豪雪地帯ゆえか、屋根が完全に潰れています。
ただし、今まで見てきたホンダ車の廃車の多くは接合式のルーフ・パネルが脆いように思えます。

このライフ・バンの中には、CB50JX-I(1976.2~)のものと思われる
赤と青のストライプが刻まれた燃料タンクが置いてありました。

足元にはバイクが埋もれていました。



露出したターンシグナル・レンズやクランクケース・カバーがわかりますでしょうか?
車種はわかりませんが、レンズの形状から見るに1970年代のホンダ車でしょう。

この他にも、ホンダZ・GSS(SA型)1972.11~1974年のHTボディ、
三菱ランタボが2台、TE37カローラ・レビンがありました。
おそらくはマニアのヤードなのでしょう。

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風土館の駐車場に並ぶ桜の木は、まだ満開ではありませんでしたが
若櫻の持つ凛とした佇まいもまた、この胸を打たずにはいられません。



櫻の花は、儚く散るからこそに美しきかな




俱知安風土館に入場すると、エントランスに寄贈されたスバル360が展示されていました。



初年度登録は昭和43年(1968)で、中期型(中期の後期)の11本スリットのモデルです。
スリット付フロント・フードと、サイドターンレンズの両方が備わるの唯一の年式です。

自作と思しき、パイプを加工して作られたバンパー・オーバーライダーがユニークです。
紫色のサイド・バイザーや、純正OPの差込式ヘッドレストが備わっていました。

タイヤはブリヂストン・スノーマスターで、寄贈したオーナーが
冬も普通に乗られていたことが想像されます。

リヤトレーには、当時モノのカー・ノンスメルが置いてありました。
ノンスメルに自動車用があったとは、初めて知りました。

車の前に、データや簡単な解説文が書かれたボードがあるのですが
データがヤングSSのものになっていました。
こういう風に重箱の隅をつつくのが、ひねくれたマニアの悪い癖ですね。

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今回、俱知安風土館を訪れた1番の目的は零戰の主翼を見る為です。
木枠で作られた展示ケースの中に、零戰の右主翼が収められています。



当時、冬季の雲中飛行時に原因不明の墜落事故が多発した為
海軍は機体への着氷が関係しているのではないかと推測し、原因の究明と対策を
帝國大學理學博士号を持つ低温科学研究の第一人者、中谷宇吉郎教授に依頼しました。

中谷宇吉郎氏は、「雪は天から送られた手紙である」との言葉で有名な研究者で
世界で初めて人工雪の製作に成功、気象条件と雪の結晶が形成される
過程の関係を解明するなど、大きな業績を残された方です。

実験場となったのは標高1308mを誇るニセコアンヌプリで、現在も世界的なスキー場の
ひとつとしてその名を知られています。

冬の間、深い雪に覆われるニセコアンヌプリの頂。



航空機着氷実験は昭和16年に始まり、まずは雪洞やテントを用いた基礎研究が行われました。
大東亞戰爭の真っ只中である翌17年には、山の中腹に中間観測所を設営し
世界で初めて着氷のメカニズムを解明する偉業を成し遂げました。

この成果に対し、軍部は更なる技術開発の必要性を認め山頂により大規模な観測所を建設。
これがニセコ高山観測所(正式名称:ニセコ山頂海軍着氷防止技術研究所)です。

北部第百四十九部隊の麾下に置かれた観測所には、中谷教授をはじめ
横須賀海軍航空技術廠の技術将校といった陸海軍の軍人、北海道帝國大學の
低温科学研究所スタッフ、撮影班、身の回りの世話係の女性などが勤務していました。

昭和18年~19年には、当時第一線を退いていた
海軍の96式艦上戰鬪機が実験機として設置されていました。
その後、風土館に展示されている零戰に交換されました。

実機を用いた実験では、大型風洞をはじめとした実験装置によって主翼や機体、
風防(キャノピー:操縦席のガラス)、プロペラへの着氷のメカニズムの解析が行われました。

過酷な状況下で行なわれた実験は大きな成果を得ましたが、終戰に伴い研究も中止され
飛べないとは云え、兵器である実験機は武装解除の命により
山頂から投げ捨てるように廃棄されました。

廃棄された零戰の機体は、地元の住民によって回収され鍋や釜に姿を変えました。
そんな中、辛うじて残った右主翼が北大探検部によって1990年に発見された後
2004年に回収され、風土館に展示されることになりました。

実験機は零戰21型をベースとした改良試作機であり、随所に零戰32型への改造が見られます。

主翼に輝く誇り高き日の丸は、今も鮮やかに残っていました。



零戰(ぜろせん、れいせん)は云わずと知れた大東亞戰爭時の帝國海軍を代表する
戰鬪機で、その勇名は世界に轟きました。

零戰は先ず十二試艦上戰鬪機として開発が進められ、性能優秀として正式採用され
皇紀の下二桁から「零戰」と命名されました(採用年次は皇紀2600年、昭和15年/1940年)。

量産最初期型である11型は少数のみが生産され、すぐに小改良型の21型に移行しました。
航空母艦での運用を容易にするべく、主翼の両端を折り畳めるようにしたのが特長です。

21型は圧倒的な空戰能力で連合軍戰鬪機を圧倒しましたが、激戰の中で
続々と投入される敵新鋭機に対抗する為、弛まぬ改良が施されました。

改良型の32型はより高出力な発動機へと換装し、主翼の折畳機構部分をカットし
空気抵抗を低減させ最高速度を上昇したと共に、運動性も向上しました。

米軍をして「ZEEK(連合軍側の零戰のコードネーム)との格鬪戰は避けよ」とまで言わしめた
21型を凌ぐ高い運動性を得た32型は、1943年6月付けの米海軍日本軍機識別帳に於いて
「南太平洋戰域において最も重要な戰鬪機のひとつ」と名指しされるまでに至りました。

「大空のサムライ」として知られる台南(台湾南)航空隊所属の坂井三郎氏の乗機「V-103」號機。
楕円に成型された翼端に注目してください。



飴色塗装の零戰32型、21型に比べ翼端が角張っているのがわかるでしょうか。



32型は発動機を栄12型から、改良型の栄21型に換装し出力を向上。
遠心式過給機(スーパーチャージャー)は1段1速式から1段2速式に強化され
最高出力は950馬力から1100馬力に上昇しました。
(ただし航空機用エンジンは高度によって出力が変化する点に留意)

零戰の機体は三菱重工業の開発でしたが、搭載された栄エンジンは
プリンス自動車/富士重工のルーツである、中島飛行機が開発したものでした。

栄エンジンには、運動性を向上させ宙返りなどの機敏な空中機動を可能とするべく
気化器に多重の逆流防止用弁が採用されました。

この逆流防止弁は後に、中島飛行機のエンジニアを多数擁していたプリンス自動車に
於いて、R380の開発の際に採用されることとなります。

富士スピードウェイの30度バンクでは燃料が片寄ってしまい、エンジンがストールしてしまう
問題がありましたが、この逆流防止弁(スカベンジング・ポンプ)によって解決し
第3回日本グランプリでの優勝に繋がったのでした。

駐車場のプリンス・グロリア、エントランスのスバル360、そして展示されている零戰と
奇しくも中島飛行機に纏わるものが一堂に会したことになり、感慨深いものがありました。

---

館内には、当時の雑誌なども並べられていました。



皇太子殿下(今上天皇陛下)の北海道御巡幸と、御成婚の特別誌が置かれていました。

本道御巡幸に際しては、1955年型ビュイック・スペシャル・コンヴァーティブルにお乗りになられ
札幌・美幌峠・阿寒湖・釧路・夕張・室蘭・小樽・富良野・苫小牧・登別温泉・洞爺湖・函館などの
主要都市・景勝地をお巡りになられました。

本来はセダン型乗用車にお乗りになられる予定でしたが、故障の為に
急遽コンヴァーティブルに変更されました。

警備上の問題もあり、オープンカーの使用はあまり例のないことでしたが
歓待する道民達との距離感は縮まりプリンス人気は愈々高まった、と記事にありました。

皇太子殿下御成婚の特集誌からは、「世紀のご成婚」として日本中が奉祝ムードに
盛り上がった様子が誌面から良く伝わってきました。

広告欄も奉祝一色となっており、富士銀行は「皇太子殿下御成婚記念 慶祝定期預金」を開設。
味の素、第一小型ハイヤー、札幌駅地下ステーションデパート、日本長期信用銀行、
武田薬品らが広告に於いて御成婚をお祝いしています。

我がプリンス自動車も、この佳き日をお祝い申し上げております。



・・・

「国産初の大型高級乗用車 プリンスグロリア 1.900cc」

国産初のこのプリンス大型乗用車は、皇太子殿下の御婚儀を記念して
プリンスグロリア(栄光)と命名致しました。

旭川プリンス自動車株式会社

・・・

御成婚をお祝いし「皇太子の栄光」と命名されたグロリアは、皇室に献上され
皇太子殿下自らハンドルをお握りになられ、ドライブを愉しまれました。

---

「諸官公庁御推奨 眞空式防火彈 人畜無害」



防火彈(消化彈)とは、現在の消火器が普及する前に一般的であった消火用具です。
ガラス瓶の中に、塩化アンモニウムや炭酸ナトリウムなどを充填したもので炎に投げ込むと
容器が割れ、中身の薬剤が発生させる消火性ガスによって鎮火するというものです。

この他にも、1986年に廃線となった國鉄胆振線の駅の看板類や
昭和30年代の冷蔵庫、洗濯機、アイスクリーマー、ジューサー、製氷皿、
スチームアイロン、ミシンなどが展示されていました。

ホンダC200も展示されていました。



C200は1963年に登場したビジネス・バイクです。
排気量は90ccなのに「200」という車名でややこしい?です。

サドル・タイプのソロ・シートに、ヘヴィ・デューティなリヤ・ラックの組合せが
質実剛健な感じでGOODです。

レストアどころか、現役当時のまま一切磨かれていないような雰囲気が味です。

昭和30年代の自転車もありました。



美しい曲線を描くフレーム、フロント・フェンダーに備わる白いマッド・フラップ、
キャラメル色の味わい深い色合いの革製サドル・・・。

軽快なシルエットと重厚なディティールを兼ね備えています。
自転車が立派な「財産」であった時代の証です。
自転車と云うより、寧ろ「銀輪」と呼ぶべきものでしょう。

お狸様も居られました。



---

倶知安風土館を見学した後、伊達の北湯沢へ向かいます。

その途中、俱知安-京極町-喜茂別町と進み國道276号に乗らなければいけないのに
交差点で道を間違って、230号線に乗ってしまいました。

標識を見て「間違ったかな?」と思い、地図を確認してすぐに反転。
するとハイソカー軍団が。



マニアの所有車輌なのでしょう。

正規のルートに戻り、次なる目的地の北湯沢へと山中を駆けます。
またもや続く!
Posted at 2012/05/26 00:32:32 | コメント(5) | トラックバック(0) | 旅行 | クルマ
2012年05月21日 イイね!

2012年 春の連休ドライブ(前篇)

今年もGW明けに3日間の連休を頂いたので、道南まで走ってきました。
といっても遅筆の為、もう1週間以上経ってしまいましたが・・・。

今回は全日程を通して、安定しない天候に泣かされました。



●今回の走行距離/出費等・・・

総走行距離:1564キロ(前回:1578キロ)
総給油量:155.99リットル(前回:169.27リットル)

燃料代(レギュラーガソリン):22474円(前回:19498円)
高速道路料金:8150円(前回:11450円)
食事代、施設入場料等:6835円

出費トータル:37459円(前回:46175円)

今回は正確な燃費の計測を行いませんでしたが、下道/高速トータルで
概ねリッターあたり10km/h前後と、前回とほぼ同じ数値でした。

ただしガソリン価格の高騰の為に、燃料代は22474円と前回よりも
少ない給油量にも関わらず、金額的には上回ってしまいました。

前回よりもトータルの出費が抑えられていますが、残念ながらお土産を買ってまわる
時間を作ることが出来なかったのが理由です。

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帰ってから気付いたのですが、自分の元での走行距離が5万キロを超えていました。



グロリアと共に走った距離は5万2423キロに達しましたが、特に深い感慨などはなく
いつも通りに走らせているうちに大台に乗った、という感覚です。

乗り始めてから4年以上が経ち、あちこちでサビが発生し塗装は浮き上がり
どこもかしこもガタが来ていますが、ボロなりに良く走ってくれていることに感謝です。

自分のグロリアは綺麗なフルレストア車ではありませんし、希少な未再生原型車でもありません。
さらに、S4系の中では価値が劣るとされる2型(後期型)です。

そんな自分のグロリアですが、猛暑の真夏も極寒の真冬も、猛烈な吹雪も土砂降りも、
渋滞する都市部も、高速道路の100キロ巡航も、アップダウンとカーブの連続する険しい峠道も

寒風酷暑ものかわと 艱難辛苦打ちたえて

1日で1000キロの距離を、高速を発揮しつつノントラブルで走破しうる自信と実証があり
その点では、他の如何なる車輛にも引けを取らないものであると強く確信しております。

特に改造が施されているわけでもなく、パッと見はヤレた普通の車です。
ですが、オイル交換やグリスアップなど「見えない部分」にこそ手を入れてあります。

世の中には「良いクルマ」が沢山あります。

チューニングやエンジン換装によって、現行車に伍する「速い」旧車・・・
新車のような美しさを湛え、指を触れることさえためらわせる極上車・・・
エアコンやナビなどの快適装備によって、現行車並にアップデートを果たした旧車・・・

自分はそういったクルマよりも”オリジナルを尊重する状態で”トラブルなく
長距離を走り切り、万難を排し無事に家に辿り着けるクルマにこそ価値を感じます。

おそらく、自分が所有している間には10万キロを超えることはないでしょうが
5万キロという距離を大過なく走り切れたことに対し、支えてくれた主治医やメカニックの方々、
理解ある家族や出先で助けてくれた方、この車を通して出会えた方々に感謝するばかりです。

何よりも、不甲斐ないオーナーを愚痴ひとつ零さず支えてくれる愛車に感謝です。


G7の音 轟々と グロリアは征く 道の果て
グリルに輝く マスコット フェンダに描きし エンブレム
印は我らが プリンス車
(加藤隼戰鬪隊 戰隊歌の旋律に載せて)

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当初は桜見物を予定していたのですが、曇天下では満開の桜も色褪せて見えることを鑑みて
天気予報を睨みつつ、少しでも天候の安定した地域へと臨機応変に転進することにしました。

今年のGWは天気が良かったのは前半だけで、後半は雨ばかりでした。
特に日曜日(5月6日)は酷いものでした。

3時半頃から降りだした雨は次第に強くなり、更に間断なき猛烈な落雷に見舞われました。
自分の住んでいる地域でも一時的に停電、道東全体では翌朝まで停電が続いた地域もあり
釧路市内でも少なくとも2ヵ所に直撃雷が落ち、街灯や信号が消えてしまったそうです。

横殴りの雨は一時的に雹になり、屋根や車にぶつかって鳴り響く榴霰彈の如き
炸裂音は耳を劈く絶え間なき雷鳴と相俟って、空恐ろしいものでした。

夜9時頃には小康状態となりましたが、その後も雨は降ったり止んだりでした。

仕事が終わり次第「6日未明ヲ期シ決戰ニ突入」すべく暗夜を衝いて抜錨し
道南方面まで躍進するのが理想でしたが、この天候では容易ならざるものと判断し
翌朝まで出発を遅延しました。

悪天候によって当初の予定が狂い、目的地を決めかねていたことも
影響して、起床したのは朝6時とかなり遅くでした。

釧路地方は晴れていたものの、天気予報を見る限り全道的には曇りないし雨という
状況には変わりなく、現状に於いては天候の好転は望めないようでした。

とは云え愚図っていても処置なし、予報は予報と割り切って天候の好転を祈る他に手立てなく。
身支度をしてグロリアに荷物を積載、朝8時に抜錨しました。

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昨夜の嵐が嘘のような澄み切った台風一過の碧空の元、南へと駒を進める。



出発の時間が遅くなってしまったので、朝食は家でとらずに
インデアン(帯広の地場カレー店)で済ませました。
お店の方がクルマ好きで「珍しいクルマに乗ってますね」と声を掛けられ、少しお話しました。

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帯広市内の大手バイク販売店に、CB750F(FC)が並んでいたので信号待ちの間に撮影。
赤男爵ではあまり古い年式のバイクは取り扱わないのですが、たまにこういったモノも出てきます。



ミラーやチェーン・カバーなど、社外品が多数取り付けられています。
個人的には社外の集合管は好みではなく、純正の2本出しがベストで
カスタムするなら、むしろCB750fourの4本出しの方が良いなぁと思います(重くなるけど)。

去年、富良野のイベントで見た6本マフラーのCBX1000はRC166のイメージを
よく投影した素晴らしい雰囲気でした(皿みたいなスーパートラップの”蓋”以外は・・・)。

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帯広のスタンドで給油中、みん友のm13pさんとスライド!

自分は地図を見ていた為、気付けませんでしたが
(クラクションも大型同士の挨拶だと思ってました)電話が掛かってきたので
スライドしたことがわかりました。

m13pさんとは以前にも高速でスライドしたりしています。
電話中にコロナ(RT40)が走ってくると聞き、しばらくするとモスグリーンのバリカンが見えました。
その後の旅行中も「何シテル」でちょこちょこお話ししてました。

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給油後も行き先を決めかねたまま、道北方面(富良野経由)と道央/道南方面(日高経由)の
分岐点である清水まで進むことにしました。

清水に向かったのは分岐点というのもありますが、以前からお話を伺っていたショップに
お邪魔してみたかったからでした。

そのショップは特にトヨタ・スポーツ800のレストアで有名で、車台番号「1」のヨタハチの
ボディ・レストアを、内地のオーナーから依頼された程の腕利きです。

御挨拶もそこそこに、社長さんの素晴らしいコレクションを拝見させて戴きました。

車庫の中には、綺麗にレストアされたベレットGT-Rやヨタハチが並び
たくさんの2U型エンジンがストックされていました。
その他にも、ベース状態のS30Zやハコスカもありました。

ちょうどヨタハチのレストア中で、完全なドンガラ状態のボディを総剥離し
腐った部分をオリジナルに忠実なプレス型で再生するという、素晴らしい仕事を見せて戴きました。

ん~・・・自分のクルマもここまで徹底的にやってもらいたいもんだなぁ(先立つものがないですが)

※コレクションの写真の掲載は控えさせていただきます。

コーヒーを御馳走になりながら暫くお話をしたあと、社長さんにお礼を申しあげて出発します。

天気を確認すると、新ひだか町は晴れているとのこと。
ちょうど静内の二十間道路桜並木が満開だったので、そちらに行ってみることにしました。
清水ICから占冠ICまで高速で進みます。

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時間に余裕があったので、高速を降りてしばらくの所にある
以前から気になっていた車輛をチェックしに行きました。

三菱ふそう・キャンター(2代目・T90後期・1970.7~1973.5)



いわゆる”Vキャン”ですが、殆どは3代目T200系で2代目T90系後期は滅多に見掛けません。



・・・ハズなのですが、なぜか最近T90後期を立て続けに3台(この個体を含む)発見しました。
しかもその中の1台は完全な現役の実働車(農家)です、なんだか感覚が狂います。

荷台には農作業中の休憩室と思しき、斜め屋根付きのコンテナが設置されており
4本の木枠で車体もろとも地面に据え付けられています。

役目を終えた車輛の殆どがスクラップにされる中で、不動になってなお
役目があるというのは幸せなことではないでしょうか。



中央に愛称の基となった「V」を刻んだ、彫りの深い3分割フロント・グリル。
立体的なヘッドライト・ベゼル。
バンパーに組み込まれたイエロー・バルブのフォグ・ランプ。

精悍な表情を演出するグリルと、のっぺりとした広い面積の「おでこ」の対比がユーモラスです。

グリルの脇に配置されたターンシグナル・レンズは本来は橙色ですが、退色して濁っています。

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そこから少し進んだ場所にある、農家の前に並んで置かれていた
トヨタ・ハイエースとダットサン・キャブスターです。



ハイエースは2代目H20~40系(1977.2~)で、通称「新幹線ハイエース」と呼ばれています。
フロントのデザインが新幹線0系電車と似ている、というのがその理由でした。
この個体は前期型で、ロング・ボディのバンです。

柔らかい色調のイエローのボディ・カラーと、茶色い錆のコントラストが
まるで程良く焼けたフレンチトーストみたいで素晴らしいです。

その後方には、ダットサン・キャブスター1300のダブル・キャブがあります。

キャブスターはキャブライトの後継車種(事実上のFMC)で、1968年3月に登場しました。
この個体は1970年にマイナーチェンジの際に排気量を1300ccに拡大、車名に「1300」を
付け足したA321系です。



初代キャブスターは意外と珍しく、ダブル・キャブとなるとなかなか
お目に掛かれないものと思われます。

以前からあるのはわかっていましたが、近づいてよく見たのは今回が初めてでした。
いままでずっとサニーキャブ(もしくはチェリーキャブ)だと思っていましたが、キャブスターでした。

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日産シビリアン(GC240/340系)

1971年9月、欠陥車問題を惹き起こしたエコーのイメージ刷新を狙って
車名を変更したのが日産・シビリアンで、型式に変更はありません。



元々は会社の送迎車だったようで、ボディには屋号が記されていました。
車内にはコンパネで作られた簡易テーブル等があり、農作業中の休憩室となっているようでした。

この近辺には、初代コロナ(S/PT10)の廃車体があるとの情報を得ていたので
捜索しましたが、残念ながら発見できませんでした。
見つけ得たのは1台の初代ハイエース(H10系)だけに留まりました。

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占冠ICからR237日高國道、アイヌの里である二風谷、平取を抜けて富川に到着。
ふたたび天気をチェックすると、新ひだか方面はまたも曇天とのこと。
ここでも悪天候に泣かされ、桜並木は断念しました。

日高富川ICから日高自動車道に乗り道央自動車道に接続、一路室蘭へと早駆けします。
高速から望む海岸線では、ところどころ晴天を見るも路面は雨に濡れた跡が見えました。

途中、樽前SAでみん友の92hiroさんに連絡しました。



4時に室蘭に到着、道の駅で92hiroさんが待っていてくれました。

前回はレックスでの訪問でしたので、グロリアのお披露目は初となります。
御自身もY30に乗っておられたり、子供の頃から國産大型セダンが身近に
あったということで、楽しんでいただけたようです。

駐車場で眺めていると、通りすがりのおじさんに「懐かしいね」と話しかけられたりもしました。
軽くドライブした後、92hiroさんのお仕事が終る8時まで一旦別れることになりました。

空き時間のうちに苫小牧の先輩を訪ねようと思い、5時に室蘭を出発。
登別室蘭ICから高速に乗って、一気に70km程度を走破しました。

苫小牧に着き、ファミリア800バンとminiが並ぶ先輩宅を訪問。
ファミリア800の広告などの資料をプレゼントし、旧車談義に花を咲かせました。

庭にある小さなガレージは、貴重なパーツや当時モノのヘルメットが並べられ
スズキ・セルペットが飾られており、趣味人らしいディープさと
お洒落な先輩らしいセンスに溢れていました。

帰り際に先輩が以前乗っていたスバル360や、ヤードで寝かせている
キャロル360の為に集めた部品を戴きました。
中には、スバル360用のサイド・ターンシグナル・レンズ(袋入り新品)もありました!

あっという間に7時になり、すぐに室蘭へ引き返します。

復路は下道を走行、片道2車線の区間が多くアベレージが高いので
十分間に合うと踏んでいたのですが、時間帯的に交通量が多かった為に混雑していました。
右車線をノロノロと走る車に閉口しながら、ジリジリしつつ進みます。

高速の出口が、待ち合わせの場所からすぐの白鳥大橋の入り口なので
混雑する市街地を避ける意味もあり、登別室蘭ICから高速に乗りました。

待ち合わせの時間に7分程度遅刻してしまいましたが、なんとか到着。
白鳥大橋から美しい工場群の夜景を眺めつつ、軽くドライブしました。



ファミレスでちょっと遅めの夕食をとって、コーヒーを飲みながらクルマ談義です。
駐車場では、ライトを付けた状態のグロリアを眺めながら写真撮影したりもしました。

気付けば2時間以上も経っており、道の駅に戻ってプチオフ?は解散となりました。
92hiroさん、お忙しい中ありがとうございました!

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そのまま道の駅で就寝。
時折、切れた雲間から顔を覗かせる満月に明日の好天を祈りながら眠りにつきました。

翌日3時半に起床。
黎明遥か南の空を仰ぐ。

函館方面の空は晴れているように見えます。



軽く洗車をしていると、向かい側に停められていたハイエースのキャンパーに
乗ったおじさんに話しかけられました。

そのおじさんは、当時プリンス・スカイライン1500デラックス(S50D)に乗っていられたとのこと。
「本当はこれ(グロリア)が欲しかったけど、買えなかったもんなぁ~」と仰っていました。

当時を知る方はグロリアについて、異口同音に
「お医者さんの車」「社長さんの車」「天皇陛下の車」と仰います。

しばらくすると、まだ朝も早いというのに数台の車が入ってきて
一眼や三脚を抱えた男性たちが現れました。

何かなと思うと、朝靄の中に一隻の大型客船が入港してきます。



北海道開発局のサイトに掲載されている、大型客船入港情報によると
この客船は、イギリスの船舶会社が所有・運行する
外航クルーズ客船「ダイヤモンド・プリンセス」で、2004年に三菱重工業長崎造船所で
建造された総トン数115,875t、全長290.00mの大型豪華客船でした。

三菱重工業長崎造船所は、大和型戰艦の2番艦「武蔵」(全長263m・満載排水量7万2千トン)
を建造したことでも知られている、世界屈指の大型造船所です。

朝靄に覆われておりわかりずらいですが、右舷側船首寄りにダグボートが接舷しています。
ダイヤモンド・プリンセスが、如何に大きな船体であるかが良くわかると思います。

大型船舶は取り廻しが悪い為、狭い港内での移動はダグボートによる誘導が一般的です。
現代の大型船の多くはサイド・スラスターを備えてはいますが、狭く浅く、大小多くの船舶が
行き交う港湾内では、やはりダグボートによる誘導がもっとも確実です。

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さて、高速に乗るので出発の前に給油をしようと思っても
早朝5時とあって市街地のスタンドはまだ開いていません。
なので一旦國道36号に出て、24時間営業のセルフ・スタンドまで向かい給油を実施しました。

國道36号線沿いにて、旧いホンダの看板を掲げた販売店を発見。



ホンダはもともと自転車用補助エンジンからスタート、続いて2輪車、そして4輪車へと
段階的に進出しました。

販売ネットワークで、トヨタ・日産といった大メーカーに劣る後発のホンダは
自転車や2輪車を取り扱う個人経営のお店を協力店としてネットワークを構築しました。

看板を飾るマークは4輪部門の「 H 」では無く、2輪部門の象徴”ホンダ・ウィング”のマークです。

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その先では昨夜、走行中に発見したプレジデントをチェック。



日産・プレジデント(H250型)、1982年11月~1990年10月までの角目4灯・後期型です。

國道を走行中、遠方に独特のシルエットを確認。
距離は離れていたものの、大型セダンだったので車種の判定は比較的容易でした。

遠方から見る限り、希少なレザー・トップ仕様だと思われましたが
どうやら純正ではなく、キャンバスを張り付けたファントム・トップ風カスタムでした。

グレードはソブリンV8E・VIPで、内装はグレーのコラムAT/セパレート・シートの組み合わせ。
ウィールはローライダー系のワイヤーでした。

「室蘭 300」のライセンス・プレートが備わっていたり、冬用ワイパーが装着されていたりと
以前は稼働していた面影はあるものの、タイヤはパンクしFバンパーは歪み
長期間不動のような印象を受けました。

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高速入り口の手前のセイコーマートに寄って朝食のパンを購入。
商品の搬入に来ていたトラック運転手に話しかけられました。

雲はかなり高空にあり、時折陽が射すなど天候の回復の予兆はありましたが
雲と晴れ間の割合は一進一退の微妙な状況が続きます。



室蘭ICから高速に乗って、当初の予定通り函館に向かいます。
高速では、奇しくも地元ナンバーのタンクローリーと車列を組みました。

暫くは青空が広がっていましたが、函館方面へ進むに連れ次第に天候は悪化。

途中、雲量10となり現在の函館の天気を確認すると曇りとあり、ここに至りて遂に進行を断念。
落部・森の二つのICを残す八雲ICまで進出したものの、そこで高速を降りて反転。

高速代金とガソリンを浪費するような結果を齎す決断に迷いはありましたが
道南方面の天候不良なる時は、潔く道北方面へと転進すべしとの
予定の通り、敢然と反転を決した次第でした。

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下道に降りて室蘭方面へと進むと、左手側に3rdカマロが見えてきました。



前日、92hiroさんとお話中に話題に挙がったカマロでした。
すぐ近くの工場にタテグロが入庫しているとの話も伺っていたので、見張りを密にして進むと・・・

整備工場の中に独特のシルエットを見つけました。



グロリア・スーパーデラックス(PA30-QM)2型、1968年10月~1969年10月生産分です。

純正オプションのレザー・トップが、しっかりしたコンディションで残っているのが素晴らしいです。
内装色は赤で、純正エャー・コンディショナーが装着されています。

八雲ICで降りたのは天候を鑑みてであり、タテグロのことは意識していませんでしたが
偶然か必然か、プリンス車はプリンス車に惹かれるのか、ここに辿り着いたのでした。

工場の方に聞くと、このタテグロは板金塗装中でオーナーは他にも旧車を持っているとのこと。
工場の方が、仕事中のオーナーに「古いグロリアが来ている」と電話すると「見たい」と即答。

仕事が終わるのは2時で(現在9時)、かなり時間があったので
どうするか迷いましたが、急ぐ理由もないので時間を潰して待つことにしました。

工場の方に聞くと、今金町にクアプラザ・ピリカという温泉施設があるので
そこで入浴して昼食を済ませれば丁度いい時間になるだろうと考え、少し離れた今金町へ。

以前、今金町に実働のプリンス・クリッパーがあるという情報を得ていたので
それの索敵も兼ねて行ってきました。
小さい町なのでウロウロと徘徊したものの、残念ながら見つけることは出来ませんでした。

その後温泉へ。
連休明けの平日の昼間とあって、他に誰もいません。
貸し切り状態でゆったりと露天風呂に浸かり、長風呂を愉しみました。

風呂からあがると工場の方から電話があり、オーナーが仕事を抜けて来て下さったとのこと。
すぐに工場に戻ると、初対面にも関わらず一瞬で打ち解けて旧車談義がはじまります。

お話を伺うと、オーナーは函館の有名なカークラブ「R・O・T・H(RIDE・ON・THE・HOT)」に
所属している方でした。
札幌の有名なホッドロッダー「高速機関工業」さんとも古くからの仲間だそうで
そちらとの繋がりが持てたことは、今回の旅の大きな収穫でした。

自分は仕事柄、旧車イベントへの参加が難しいのでこういったドブ板活動的な方法でしか
ネットワークを構築できませんが、一期一会なだけに不意の出会いは嬉しいものです。

自分の持っている整備書やカタログを読んだり、2台を並べてエンジンの音を聞き比べたり
(S4とS6の原動機型式は同じG7ですが、各部が変更されています)と4人でずっと喋っていました。

金色の塗色はオーナー自ら板金塗装したそうですが、塗料は在庫のダブついていたものを
安価で手に入れて塗った所、「ありがたい色になっちゃった」というのが面白かったです。
確かに、仏壇や観音様を彷彿とさせる煌びやかな色です。

そして、オーナーのもう1台の愛車を見せて頂けることになり、ガレージへ・・・。

そこにあったのは、1950年型マーキュリー!



「・・・Better Than Ever・・・」

マーキュリー・ディヴィジョンの1950年型ラインナップは、4ドア・スポーツセダン、
2ドア・クーペ、2ドア・ステーションワゴン、2ドア・コンバーティブルの4つのバリエーションがあり
セダン、クーペ、コンバーティブルは前後ベンチシートの6人乗り、
ワゴンは8人乗りで、リアル・ウッドを用いたウッディ・ワゴンに仕立て上げらていました。

この個体は4ドア・スポーツセダンで、ドアはコーチ・ドア(観音開き)となっています。
平面ガラスを2枚組み合わせたフロント・ウィンドウ、大きく膨れ上がったフロント・フェンダーが
レイト40s~アーリー50sらしい特徴的なシルエットを形作っています。

エンジンはハイ・コンプレッション仕様のV8・110psで、当時から既に
「タッチ・オー・マティック」と呼ばれる、スイッチ式のオーバー・ドライブを備えていました。

この個体はエンジンをクリーブランド351(5.7リッター)に換装、グリルを外し
モールディングやドアノブをシェイブするなどした上に、マットブラックでペイントするという
マイルド・カスタムが施されており、白人的な「ワル」の雰囲気を醸し出していました。

アメリカン・グラフィティに登場するファラオスのマーキュリー(あれは1951年型ですが)を
彷彿とさせるもので、1940~1950s特有の「シュー・ボックス」スタイルはやはり
隔絶した時代の重みを感じさせる迫力があります。

その後、オーナーのリクエストでグロリアでグルっとドライブした後お別れしました。
楽しい時間は早いもので、いつの間にか3時半を過ぎていました。

予定が二転三転することになりましたが、最終的に函館へ向かうことに。

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天佑神助か、森町から函館へ向かう中、空を覆っていた厚い雲が少しずつ切れ始め
蒼空が顔を覘かせ始めました。



雲間から射す幾条もの斜光が、函館の街に降り注ぐ。

その幻想的な光景は、映画「トラ・トラ・トラ!」で真珠湾空襲部隊を指揮する
淵田美津雄中佐が、97式艦攻の機上から「軍艦旗や!」と言うシーンを思い起こさせます。

暖かな陽射しを受けて、函館新道を矢のように突き進みます。



新道を降りてそのまま五稜郭へ。
連休明けとはいえ、さすがは北海道を代表する観光地のひとつ。
たくさんの観光客で賑わっており、時節柄、花見やバーベキューをする人たちも多くいました。

まずはタワーに昇って、90メートルの高さから五稜郭を一望します。
満開の桜の木々はこの高さから眺めるととても小さく、まるで雪の結晶のようにも映ります。



五稜郭は國の特別史跡であり、1866年に完成した稜堡式の城郭です。
ですが城として機能したのは僅か4年余で、1869年には廃城となりました。

その後は陸軍の練兵場として使われていましたが、1914年に公園として一般に開放されました。
1922年には國の史跡に指定され、戰後の1952年には特別史跡に昇格しました。

1964年には五稜郭タワー(旧)が建設され、観光地として機能が強化されました。
日本式の平城(織豊系城郭)が”見上げる”構図に適しているのに対し、洋式の五稜郭は
上から眺めるのに適しています。

特徴ある星形の城郭と、高低差の付けられた立体的な構成によって
ソメイヨシノを中心とした約1600本の桜は素晴らしく見映えするものでした。

お堀の水面には桜や石垣、木橋の一の橋・二の橋が美しく映り込んでいました。









箱館櫻ソフトも美味しゅうございました。



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夕食は、五稜郭のすぐ前にあるラッキーピエロでチャイニーズチキンオムライスをば。



前回はじめて食べたのですが、すっかりハマってしまいました。
次来るときには、他のメニューも挑戦してみたいトコロです。

朝食はコンビニのパンを2つだけで、昼食は抜いていたので余裕だと
思っていましたが、ボリュームがあるので食べきるのにちょっと苦労しました。
おいしいし、量のわりに値段も安いです。

夕食後、森町の道の駅「YOU・遊・もり」まで引き返しました。
桜の名所たる松前まで目と鼻の先まで来ていながら、天候に恵まれず諦めざるを
得なかったのは残念至極ですが、また来年があるさと前向きに考えることにします。

道の駅の駐車場には連休明けとはいえ、多くのキャンピング・カーや「わ」ナンバーの
レンタカー、内地ナンバーの旅行客などの車が並んでいました。

多くの人が就寝している中、残念なS14シルビアが駐車場でグルグル回って
騒音とタイヤの焼けるニオイをプレゼントしてくれやがりました。

こうして2日目の夜は更けていき、リヤシートに寝転がって就寝したのでした。
翌朝の悲劇を夢想だにせず・・・

中篇に続く!
Posted at 2012/05/21 22:18:55 | コメント(12) | トラックバック(0) | 旅行 | クルマ
2012年05月03日 イイね!

近況いろいろ

世間はGWだそうですが、自分は平常勤務です。

連休明けに3日間の休みがあるのですが、どうも天気が悪いようです。
ちょうど桜が満開なので、道南方面へ行こうかと予定していますが微妙なトコロです。
前にも、せっかく桜が満開なのに曇天で台無しだったことがあるので・・・・。

それと、車種解説ブログを書いているのですがどうにも停滞気味です。
文章を簡潔に纏めること、物事をわかりやすく伝えることの出来なさに泣けてきます。

備忘録的な意味も込めて、ブログ更新をこまめにしようと思っているのですが
なんだかんだで全然出来ておりません。


※グロリアの近況

昨年末にレックスが復活して以来、グロリアの稼働率は極端に低下しました。

もちろん、久しぶりにレックスに乗りたかったというのもありますが
FRのグロリアに対し、RRのレックスの方が冬道では有利というのもあります。

燃費の於いても、リッター20~25を確実にマークするレックスは極めて経済的です。
グロリアもリッター10と、排気量・車重・サイズ的には決して悪くはないのですが。

12月21日の札幌行軍以降、グロリアで長距離を走ったのは3月28日の旭川のみです。

メンテナンス関係では、電気系統に異常が発生。

グロリアには、レックスに備わっていた当時モノのスピーカーを装着していたのですが
レックスにオーディオを装着する為に取り外すこととなり、代替のスピーカーが必要となりました。

スピーカーは主治医から譲って戴いたものを装着したのですが、そこでトラブルが発生。
音が出ることを確認し、軽く走ろうかと思った時に突如オーディオが死亡。
「??」と思い、配線を誤ったかと確認するも間違ってはいない。

その後さらにオイル/チャージ・ランプが点かなくなり、テールランプも点かなくなる。
これは電気系統に重大な問題が発生したのでは??と焦りました。
インパネ照明も点かなくなり、ヒューズを確認するも1本も切れてはいない。

あーだこーだと足掻くこと3日目、突如としてテールランプが点灯。
最終的にはアース不良が原因と発覚、接点をワイヤーブラシとペーパーで磨いて対策しました。

それとはまた別に、通電するとスイッチから煙があがるトラブルも発生。

4月25日に部品到着、納車後すぐに新品に交換したエアクリーナー・エレメントを新品にしました。
4年間の使用で見事に黒ずんでいます。



インナーカートリッジ交換式オイル・エレメントを購入し、主治医のところでオイル交換。
コンタクト・ポイント、ローターヘッド、ディストリビューター・コンデンサー、デスビキャップを新品交換。
ベテランメカニックの方に、部品交換とエンジン調整をしてもらいました。

3番シリンダーのバルブがやや劣化しており、バキュームが弱い為
アイドリングで振動が出てしまっているとのこと。
ただし今すぐエンジンO/Hとかいうレベルではないので問題ないそうです。

昨年、マイラーの廃車体からギンバイしてきたフューエル・フィルターを
そこそこ綺麗にして新品のエレメントを組み付け。



にしても、灯油ホームタンクについているのみたい。

ただ、ウィンドウ・ウォッシャーを後付けしている関係上(純正品は壊れていたので)正規の位置に
フューエル・フィルターが取り付けられないので要対策。
純正ウィンドウ・ウォッシャータンクを修理しようかしら。

長距離走行に備えての準備も進めていました(天気次第では徒労に終わりそうですが・・・)。

まずは下廻り洗車、続いて摺動部へのCRC挿し、内装掃除(クレポリメイトもしくはアーマオール)。
リフトを借りて下廻りのグリスアップ、そしてワックス掛け。
タイヤもホワイトリボンの夏タイヤに換装しました。

今日は北見~帯広と480kmほど軽くドライブしました。

※レックスの近況



昨年末に車検取得、初日の出を見るための初の長距離走行以来東奔西走しております。
当初問題のあったアイドリング不良(連続高速走行後、ニュートラルにするとエンストする)も
次第に収まり、現在はまったく発生していません。

友人の経営する整備工場にてオーディオを装着。
タイヤも夏用のインパルのアルミに換装。

復活してからの一番大きなトラブルは、苫小牧の市街地で遭遇したものです。
走行中に突然オーディオが死亡、壊れたかと思ったらエンストしており惰性で走行し赤信号で停止。

交通量の多い幹線道路、それも混雑している夕方に片側2車線の内側で停止。

焦ってセルを廻すもまったくの無反応。
というかキーをオンにしたら点くはずのエンジン・チェックランプさえ点いていない!
(当初はそのせいでエンストと思わなかった)

信号が青になったので後ろに並ぶ車に先に行ってもらい、道路が空いた隙に歩道まで押しました。
ヘッドライトやウィンカーが点くことを確認、バッテリー端子がしっかり締まっていることも確認。

点かないのはチェックランプとヒーターファン、シガーライターという3点で
いずれも同じヒューズが担当。
しかしながら断線はしていない。

試しに、ヒューズボックスに備わっている予備の新品ヒューズに交換するも無反応。
付けたり外したりやっているうちに一瞬チェックランプが点灯!
とりあえずは安堵。

結局、メインのヒューズに噛ませている金属の端子の接触が悪かったようで
カッチリと付けなおすと問題は解決しました。

燃費は下道・夜間で25、下道・昼間で22、高速85km巡航で20との数字でした。
高速の方が悪いのはクルマの性格上なのでしょうね。


・・・さてさて、とりとめもない備忘録でした。
もう少ししたらちゃんとしたブログをお届けできると思います。

来週、どうか天気が良いように!
Posted at 2012/05/03 00:06:12 | コメント(12) | トラックバック(0) | S4系グロリア(2代目) | クルマ

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