坂本龍馬・中岡慎太郎遭難之地(近江屋跡)

この地は慶応3年(1867年)11月15日、坂本龍馬が盟友中岡慎太郎と共に刺客に暗殺された近江屋(醤油商)があった所です。
2人は大政奉還後の政務について論じていたところ、夜になり十津川郷士と称する男たちによる襲撃を受けました。
龍馬はその場で絶命し、中岡も二日後この世を去りました。
龍馬33歳、中岡30歳、大政奉還(10月14日)が行われた1ヵ月後、王政復古の大号令(12月9日)が出る1ヶ月前の出来事でした。
犯人は、元見廻組隊士今井信郎(1841-1918)の証言から、龍馬暗殺は見廻組の仕業であり、刺客団は、佐々木只三郎、今井信郎、渡辺吉太郎(一郎、のち篤に改名)、高橋安太郎、桂隼之助、土肥仲蔵、桜井大三郎の計7名と供述しました。
直接龍馬を暗殺したのは渡辺、高橋、桂の3人、今井は下にいて家人が騒ぐのを取り静めていたと証言しました。
しかし、後に今井は明治30年代に入って、「近畿評論」という雑誌で「坂本龍馬を殺したのは私である」と前言を翻す形で証言しています。
もう一人、元見廻組隊士渡辺篤(1844-1915)が、大正4年、臨終の際に、「坂本氏を暗殺したのは自分である。生涯隠し続けようと思っていたが、これを打ち明けてこの世を去りたい」と遺言を残しました。
渡辺篤は維新前には渡辺吉太郎とも名乗っており一刀流の名人でした。
この2人の見廻組隊士の証言は細部に食い違いが見られるものの、具体的な証言が多く、かなり有力な証言であると思われます。
以前見たNHKの番組で、実際の暗殺現場を再現したものを見たことがあります。
刺客らは、まず近江屋の出入口を見張っていた山田藤吉を一刀両断し、次いで二階にいた2人には十津川郷士という偽の名刺を差し出しています。
龍馬が名刺を見ようと目線を一瞬落とした瞬間、刺客の素早い太刀を受けました。
龍馬は額を斬られ、致命傷を負います。
そのとき、部屋の床の間に架かっていた掛け軸に龍馬の血しぶきがかかりました。
そのときの掛け軸をスタジオに持ち込み、番組で紹介していました。
今井信郎は坂本龍馬暗殺に関わったと自供したことによって、裁判により禁固刑となりましたが、明治5年(1872年)、特赦により釈放されました。
この今井の釈放には西郷隆盛の口添えがあったとも言われていますが、西郷と今井の関わりを確認出来る史料は見つかっていません。
渡辺篤は慶応4年(1868年)、鳥羽伏見の戦いに旧幕府軍側として参戦しましたが、新政府(薩摩藩出身者が後押ししたと言う)による計らいにより奈良県警の監察官(のち本部長)として奉職しました。
住所: 京都市中京区河原町通り蛸薬師下ル塩屋町330
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