不定期で、自分の持っているミニカーの紹介兼、名車紹介をしたいと思います!(^^ゞ
コロナウイルスによる自粛中により
オフ会なども中止になりネタも無い事から・・・(#^.^#)
何分、不定期更新ですから・・・・・^_^;
サーキットの狼のストーリーに準えて紹介してますが・・・
さて前回より・・・・
レーサーとしてはまだまだ駆け出しの新人・・・
谷田部の親父さんの勧めでフレッシュマンレースTSクラスに出場の風吹・・・
新しいライバル椿とのバトルも椿のTSサニーのエンジンブローによりあっけなく勝敗が決してしまいます。
そんな折、カウンタックLP500と512BBのコンビが、一般車に事故を誘発させる事件が勃発・・・
街道レーサーを集めたHAWK'S(ホークス)が結成され風吹がそのリーダーに・・・
本来なら此処で、新たな登場人物・京極サクラのポルシェ928といきたい所ですが、生憎ミニカーを持ち合わせてないので・・・
椿のシルエットも無し・・・
なので、話を飛ばします・・・(^^ゞ
富士へF1レースを観戦に訪れた風吹と飛鳥・・・
場内放送でル・マンINジャパンの開催を知ります!
今回はそのル・マンINジャパン『日光街道レース』に参戦するストラトス改
Gr5のストラトスターボです!
京商1/43 サーキットの狼シリーズより
正面
後方
右斜め前方
左斜め前方
運転席側
助手席側
上方
このシリーズは開閉などのギミックは無いので、概観のディテールのみになります!(^^ゞ
『Wikipedia参照』
ストラトスはモンツァなどでの地元サーキットレースやルマンなどの24時間耐久カテゴリにも参戦した。参戦にあたり、クーゲルフィッシャー製インジェクタとKKK製ターボチャージャーを装備し、ドライサンプ化、ホイールベースを140mm延長した、耐久レース仕様のグループ5車両が製作された。また、タルガ・フローリオと言ったスポーツカー世界選手権外となった公道クラシックイベントにもWRC参戦前の1973年に、リア後端に6つのアウトレットが開いているマールボロカラーのプロトタイプを投入し、サンドロ・ムナーリ、ジャン・クロード・アンドリュー組でバケットシートトラブルでピットインしつつも2位の成績を収めると、ツール・ド・レズナでも優勝を果たし、その後9月のツール・ド・フランスでリアスポイラーを小型化し、現在の形状とは違うルーフスポイラーを取り付けた仕様で優勝。1974年3月のシチリアでフロントスポイラーがワイドスムージング化されたロングホイールベース仕様の登場となり、その年のタルガにはアミルカーレ・バレッストリエーリ、ジェラール・ラルース組で優勝している。その後のツール・ド・フランスではアンドリューのNA仕様とムナーリのターボ仕様の二台体制で出場。アンドリューのストラトスは2台のリジェ・JS2に次ぐ3位へ食い込む[36]。更に熟成が進みボディワークがよりシルエット化されると、ムナーリの手による活躍がみられた。
1977年のジロ・デ・イタリアをムナーリの手で走り、エンジントラブルでリタイアした「#539」は直後日本へ空輸され、同年富士スピードウェイで開催されたフォーミュラーチャンピオンレースのアトラクション「スーパーカーVSレーシングカーショー」で当時星野一義がエキシビジョンとしてエンジン不調のままドライブし、一時話題となった[37]。同時に展示車両としてもGr.4ラリー仕様とストラダーレを展示。このこともあって1977年仕様のワークス(アリタリア航空)カラーが当時日本でストラトスとして一番連想させるカラーリングとして根付くようになる。この車両は1980年代より長らく日本のスポーツカー博物館であった「ギャラリーアバルト自動車美術館」にて展示されていたが、現在は欧州のコレクターに渡り、エンジンを含め走行可能な状態に復元されている。
1979年のグループ5仕様では先のインジェクション化やターボ化によるリファインに加え、3バルブヘッド化。出力も耐久性を無視すれば560PSに到達するものの、スプリントレース仕様では530PSとしている。ボディワークの軽量化も手伝って、850kgまで軽量化された。[38]以降、ワークス活動をベータ・モンテカルロ・ターボ Gr.5へとリカルド・パトレーゼ、ジル・ヴィルニューヴ等の手により移していくと、多くのストラトスはプライベーターの手に委ねられた。
以前、市販車のストラトスのミニカーを紹介した時もそうでしたが、ストラトスには設計・デザイン・生産・ホモロゲーション・そしてラリーと全てにおいて逸話やヒストリーが紹介されており、全てを書き切れるものでも紹介出来るものでもないので、興味のある方は是非ご自分で調べてみて下さい!
Posted at 2020/05/06 23:00:04 | |
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ミニカー名車シリーズ | 日記