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2023年02月05日 イイね!

米国トヨータ。北米のクラウン。

米国トヨータ。北米のクラウン。













ジョンFケネデイーさんが現役大統領時代に生まれたぼくら、ウチの整備の若い衆と会話すると、直ぐ昔はこうだったんだゼイと話の方向を向けてしまう自分をなるべく咎めようとはするのですが、つい口に出てしまうんですよね。連中が生まれた頃には既にレコード盤もカセットテープも無くなり、コムパクトデイスクの出回ってる時代ですからね。時代は進み変化に追いて行かねばならないのは仕方がないですけど、古い人、柔軟性に欠けるのは政府の閣僚だけではないみたいです。我々、最近のメルセデスやシトロエンを見て、ああ何と言う事ぞ、昔はこうじゃなかったと騒いでも、結局、時代の流れで昔と同じ物作って売れる時代じゃないんですから。会社や作っている自動車の車名は同じでも、製品は全く違うものだ、と理解しなければと自分に言い聞かせればならない今日時分です。

トヨータの最上級車だったアヴァロンが去年生産終了となりました。人気車種だと最後の一台が出荷する際、結構話題になるのですが、アヴァロンは殆ど人気の出なかった模様でひっそりとケンタッキー州のジョージタウンで生産が終わりました。

去年定期点検時にデーラーで待ってた際見た、最終型のアヴァロン。以前は最善のビュイックと言われ、広い室内、寛大な乗り心地、最高の信頼性と、中高年代の支持を得て、ピーク時の2000年には104,078台も売り捌いたのに、近頃のスポーテイー路線に舵を切ってからは販売台数の低下に歯止めがかからず、ここ数年は年間20,000台って言う所でした。因みに中京では続行生産販売され、あちらでは年間で軽く100,000台を超えてます。


なんでこの大型車に軍事秘密特攻隊みたいな形相を与えるのか理解に苦しいのですが、このレジエータグリル、実際の空気取り入れ口はエンブレムの周りとチンスポイラ上のわずかな部分で、(エンブレムの下部は左右に隠れたバンパ部が入っているのでグリルの穴を開けられない事は分かりますが)大部分は飾り。最近のホンダもそうですが、何故こんな事するのか、不思議に思います。。。ガキっぽい?



トヨータの最上級車はアヴァロンの前はクレシーダが1970年代後半から受け持っており、寸法としては日本のマークIIですから一番でっかいのではありませんでしたが、値段的にはそれ相応で、小型、かつ豪華装備、抜群の信頼性、トヨータ店で見守ってくれる安心感ゆえに、台数は大して出ませんでしたが、1980年代から販売が結構力を入れて宣伝はよく見たもんでした。そのクレシーダ以前の米国トヨータの最高級車は6気筒のマークII。1972年から1977年まででしたが、此方も別に宣伝を盛んいする訳でもなし、ただ単にお店に来た顧客に、これよりいい奴無いの?と聞かれた際、ハイ、マークIIってーのがありますぜ、と勧められる為に置いていたような感じで、マークIIを見かけた事は殆どありませんでした。同時期にダットサンも最高級車種は同じような状態だった頃、810ブルーバードに6気筒を詰め込んで3年間だけ売りましたが、実際巷で見た記憶は一回も無し。

前期型は前照灯が円形4灯。280Zの心臓を持った豪華車、と言うのが謳い文句。


角目の後期型。同色ハブキャップやツートン塗装、ゴテゴテしてますね。


そのクレシーダ、及びマークIIが守っていた、トヨータの最上級車種、1971年まではお馴染み、クラウンが導入されていました。クラウンは1958年にトヨータが合衆国に導入した最初の車種の一つで(もう一つはランドクルーザー)ステーションワゴン、ピックアップトラックなどの種類も持ち込んだ様子ですが、ご存知の通り、諸所の問題が次々に明るみになり、1960年の12月でクラウンの輸入を中止。考えてみると、1959年とか1960年と言えば、デトロイトでは天をも突くテイルフィンの聳え立つ大型車が売れまくった年です。

前照灯が無いのは、当時未だ日本ではSAE規格の前照灯が無かったので、現地調達だったせいらしいです。


この方、女優さんですかね?名前を知りたいです。これが東京ローズさんだったら。。


トヨータさん、1957年に起こした最初の事務所はロスアンジェリースのハリウッド大通り6032番。ランブラーのお店を買い取ったそうです。


面白い事に、66年経った現在も、同じ番地はトヨータのデーラーです。(本社とは関係なし)


広報写真とは言いながら、祭りのハッピ姿やら天井から下がる提灯でオリエンタルの雰囲気満々、果たしてこれらの演出が良い方に向かったか。。オリエンタルって昔の人がアジアの事を指す時に使われますが、近代は単に、エイジャンで表現される場合が多いです。そう言えば昔、名古屋にオリエンタル中村って言う百貨店があったっけ。これは全米最初のトヨータ販売店、ホルト・トヨータ。ロスアンジェリース郊外のヴァン・ナイスにある店舗。今はアキュラのお店。



”トヨペット” クラウンは2種類のステーションワゴンと確かピックアップトラックも用意されていた様子。観音開きのステーションワゴン。これで中柱の無い構造だったら面白い事になっていたかも。。




当時の広報動画から。ここ、ロスアンジェリースのウィルシャー大通り。


今にもマリポサ街からクラウンが左折して来る図。背後に取り壊された有名なアンバサドー・ホテルが見えます。


現在の様子。アンバサドー・ホテルも街路樹の椰子の木も無くなっちゃいましたが、背後に見える、IBMビルヂングは今でも健在です。


クラウンの輸入が途絶えた後、今度は準備万端で持ってきたのがクラウンよりさらに小さい、独オペルそっくりの、トヨータ・テイアラ、日本のコローナですね。1962年と思います。それでなくてもクラウンはちっちゃかったのに、この広い大陸で何故、一層小型の車種を持ってきたのか。。。。まあ、その後さらに小型のカローラを導入して爆発的な人気になるので一概には言えないかもしれませんが。


沖縄でもテイアーラは自家用より、主に的士として抜群のシェアを誇っていたみたいです。営業小型車に分類されますね。この広告のリヴリーは我が家で乗っていたのと同色、同車種。


軽便トラックのスタウトも数年間、同時期に来てました。この個体はロスアンジェリースからラスヴェイガスまで行く道中の村、加州ベイカー村に佇む放置車両。流石砂漠のど真ん中、もう20年程大して程度変わらず置いてある。。。


クラウンが戻ってきたのは、1965年。”トヨペット” の名称も捨てています(余り良い響きでは無かった)この頃はモデルチェンジが結構頻繁で、この型のクラウンは3年後の1968年にまた新型に変わります。


いくら車両が優れていても、矢張り販売台数はデーラーの数と比例します。特に広大な国土の我が国ではそれが1番の問題になります。なのでアジアから来た輸入車勢は、事実上の普及がデーラーが契約した、西海岸に集中していました。1963年に125店舗しか無かったトヨータも、1972年には850店舗までほぼ7倍に増えます。当時のデーラー・リストを見ていて驚くのは、全米ネットを謳う中、西部の荒野、本当に小さな町に、トヨータ契約店の名前があったりする事です。当時の営業の方達は何日もかけて、こう言った小さな村まで出かけて行って、東洋から来た聞いた事もないちっちゃな自動車の販売店になってくれと、大苦労された事が容易に察しできます。
ちなみに現在の合衆国のトヨータの店舗数はレクサスを含めて、1,270店舗。1987年にAMCが買収された時、AMCのデーラー数が約1,200店舗でした。。。(ジープ、AMC・ルノー含む)

米トヨータは税金優遇などの特典を狙い、2014年に発祥地のキャリフォーニアから出て行き、 現在はテキサス州ダラス郊外に大世帯を構えています。


トヨータ本社の技術部の駐車場にはいつも興味深い車両が隠れている。。。


1966年に、テイアーラに変わって出てきた新型コローナが大ヒットします。その後、1968年にクラウンも新型に。これは1970年型のキャタログ。












この頃のクラウンは冷房のエヴァポレータがトランクにあって小さな冷蔵庫が付いていたり、イグニッションの鍵を一番手前に回すとトランクが開いたり、前照灯の上下切り替えは勿論床のスイッチでしたが、床のスイッチがもう一つあって此方を踏むとラジオの自動選曲がジージーと動いたり、エンブレムは七宝焼だったり。。ステーションワゴンにも初めて補助椅子が設置されました。この補助椅子、フォード系と同じで横向きに座るんですが、片方にしか付いておらず、対面膝を擦りながら座らなくても済む仕様。テールゲートは蝶番が左側に。日本仕様は右側でしたね。





前席シートベルトの外側取り付け部に注意。いかにも後から考えたって言う形相。さぞかし後席の乗員は足元に手こずったでしょう。。。



1969年型はサイドマーカーが申し訳程度の小さな奴。マイナーチェンジ後の1970年からは大型に。


後部反射鏡が追加されサイドマーカが大型になった1970年型。このサイドマーカ、例の連邦車両安全基準法の一環なんですが、発効された1969年は反射鏡でけで済み、翌1970年からは反射鏡および電球で発光する事が義務付けられてました。ややこしい事に製造元によっては1968年から既にサイドマーカを装着する車種があったので、まんちゃー・ひんちゃー状態。


そして排気ガス規制、本格的になる安全基準が始まる前夜、1971年の、経ったの1年間だけ持って来てた、いわゆる ”クジラ・クラウン”。 こいつだけは多分宣伝はゼロ。キャタログにも申し訳程度に小さな写真が出ているだけで、なぜわざわざこれだけの莫大な費用を費やしてたったの一年だけしか持ってこなかったのか。残っている資料が極端に少ない車種の一つです。結構キャナダの方が売り物でてくる感じです。






これはボリヴィアで見かけたクラウン。両車、手動変速機仕様でした。




矢張りクラウンはこうでなくちゃね。この電動後席、一度でも見たかった。。。


パワーステアリングも自動変速機も、エヤコンも付かない簡素な仕様、いいなああ。


アヴァロンの生産が終了し、それに変わる車種として今年から、52年ぶりにクラウンの名称が付く車種が登場します。ぼくとしては、あのクラウンが戻ってくるのではなく、ただ単に 旗艦車種の名前にクラウンを用いた車種と理解しています。まあ、我が国は、52年前にあった、クラウンなんてクルマを知っている人は殆どいませんから、今更名称でドタバタ騒ぐ事は無いのですが、時代の変化に付いていくのに数歩遅れる自分の事ですから、余り意見は述べない方が無難なのかもしれません。。。

先日見たトヨータのピックアップトラック。素晴らしい状態。おまけにどこも改造してない点に、所有者のセンスの良さが痛いほど伝わります。加州から来た個体ですね。今、この類の車両、恐ろしい価格で取引されてます。






アラ・モアーナ大通りを走る、今は無きブランド、サイオンのの後窓にはカタカナで大きく、トースター・マフィアの文字が。このトースター・マフィア、以前にも近所で別のサイオンに表示されていましたが、全く意味不明。調べてみると、このサイオンやら、ホンダの以前あったエレメントの支持者達が作るグループらしく、言葉の発端は、それらの車両の形状が長方形でトースターに似ているから見たいです。日本でも同じ様な団体、あるのかしら。。。。


スバルと仲良く電気貰ってます。
Posted at 2023/02/06 11:35:25 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記

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