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2021年11月30日 イイね!

四輪駆動

四輪駆動










触媒を盗難に遭ったお隣の四輪駆動車を見ていてつくづく思うのは、車高をお神輿の様に嵩上げしてグラウンド・クリアランスは4歳児が車体の下を立ってくぐれるくらいの余裕があるんですが、あの大口径のタイヤじゃ威勢はいいとしても、悪路に一旦入れば、ウインチで引っ張らないと多分出て来れないんじゃないかと思いました。一体何の為に全輪を駆動させているのか、多分彼らは全然理解できてないんですね。。。




まあ其れはさておき、我が国で四輪駆動が普及し出したのは意外にも結構遅かったんです。四輪駆動の技術と汎用性に気づいたのは、第二次世界大戦で大活躍した元祖、ジープ車が発端です。

戦時中の軍用全輪駆動トラックの民生版、ダッジ・パワーワゴン。


戦時中の四輪駆動軍事トラックを民生化した、ダッジのパワーワゴンは伝説的な破走力で有名ですが、個人使用にしてはデカすぎる、ジープの様な小型で抜群の機動性と走破性。戦後出てきた軽便ピックアップトラックにも同じような仕組みを取り入れられないかのう、と言う要望に応えたのは自動車製造社ではなく、ミネソタ州・ミネアポリスに本社がある、NAPCO、ナプコと言う部品会社でした。

泣く子も黙る、ナプコの四輪駆動。


それまで各製造元は四輪駆動は未だ開発しておらず、ナプコは顧客の要望に応え、各会社のピックアップトラックを四輪駆動に改造出来るキットを開発、売り出したのでした。その名もナプコ・パワーパック。これは木箱に入って送られ、溶接不要、ドリルで穴を数箇所あけるだけ、デーラーで1日もあれば簡単に取り付けられ、外した部品を取っておけば、車両を売る際、元の二輪駆動に戻せる事も簡単。自動車製造各社、しまいには車両製造時の純正オプションにまで指定され工場で最初から装備出来る様になり、耐久性なども保証されてました。

フォードやらスチュードベーカーにも装備できたこのナプコのパワーパックの一番の顧客はGM系で、1955年から登場したシェヴォレイの新型、タスクフォース・ピックアップやらそのステーションワゴン版のサバーバンによく装備されたのですが、外注部品で儲けを取られてるGM側も黙ってはいません、1960年にピックアップトラックが新型にモデルチェンジした際、自製の四輪駆動を開発し、ナプコとの契約が終わります。ナプコ社はこのGMとの大口契約を失い、四輪駆動部門をスパイサーUジョイントやら駆動系の専門集団、デイナ・コーポレーション(DANA Corporation) に売却。ナプコ社はその後も技術開発、特に軍需用の特殊車両やら通信技術を開発する会社として現存しています。因みにNAPCO、ナプコは、Northwestern Auto Parts Company, 北西自動車部品会社、同じミネアポリスに本社があった航空会社も、Northwest Airlines, でしたね。


これが1955年に出たシェヴォレイのピックアップトラック、その名もタスクフォース。格好いい名前ね。対策部隊って意味かしら。。。


この頃のトラックは未だ梯子状の直線シャーシ・フレームを使っていました。頑丈で安く作れるんですが、車体の背が高くなるのが難点。。前後板バネ。この時分の6気筒エンジンの点火デストリビュータが面白くて、遠心進角の錘やらは普通に内蔵されてましたが、吸気負荷で点火時期を進角させる装置、今ならブレーカーポイントが載っているプレートをヴァキューム膜で外部から動かすんですが、此奴はその負荷進角、ヴァキューム・モジュレータは固定されていて、其れから伸びる駆動棒でデストリビュータ本体を回転させちゃうんです。だからフッド開けてスロットルをブリッピングするとデストリビュータが左右に回転首振りします。知らないとぶったげます。



直線フレームの上に運転台が載っかっているので、乗降の際の足掛けにかなりの段差があります。まあ高いところに座るので見晴らしはいいですが。。。

前車軸は原始的な、I ビームの両端にキングピンを備えた、大型トラックと同じ。因みにシトロエン2CVもキングピンがあり、グリースガンで定期的にグリス入れないと摩耗します。この単純な I ビーム だったからこそ、四輪駆動への改装が比較的容易に出来た。。


今も昔もトラックは職業車両、真剣に作られています。これは疲労を低減する空気枕の入った座面。ポムプで空気を送り込み硬さを調整できる仕組み。エヤマチック・シートと言う名称。


そしてこれがナプコのパワーパックのキット。前車軸、駆動軸とトランスファーボックスが大きな木箱に入って来た。






ナプコ方式四輪駆動の強靭さは伝説的で、本家、シェヴォレイがコロラド州のパイクスピーク山頂まで一般道路を使わず頂上まで走破するデモをやり、今でもユーチューブで見られます。



コロラドスプリングス市に以前働いていた会社の本拠があったので、あそこには随分居たんですが、遂に行かなかったのは、パイクスピークに行く途中のマニトウ・スプリングスと言う街に以前、GMの高地実験場施設がありました。昔ミネラル水のボトリング会社があった敷地を1954年GMが買い取り整備車庫、事務所などを設立。主に高高度の性能、特に排気ガス試験関係に使われていた模様、2002年に撤退、現在は普通の商業施設になっちゃったみたいです。

そして、タスクフォースは1960年にフルモデルチェンジ、その際、GMは自家製の四輪駆動に移行して、ナプコは四輪駆動事業から撤退する羽目に。

これが1960年に出た新型C/Kシリーズ。Cは2輪駆動、Kは4輪駆動を示します。






このヘッドライトの上のおでこに方向指示器をつけたりするのはスタウトも似てますね。。。。スタウト、ごく数年間だけ、USAにも輸入されてました。


新しいC/Kシリーズ、最大の特徴はドロップ・フレームと言い、運転台が載る場所だけ、フレームが低くなっている事です。これで乗降時の段差が殆ど無くなり、外観も低くスマートに。それとトーションバーねじり棒バネの前輪独立懸架になった事でせう(2輪駆動)


この時代のGMC版の古い奴、それもガタガタで運転扉をピラーと紐で括って締めていたのを子供の頃、近所のハットン家のお父さんが愛用していて、それが普通の変速機じゃない、2速パワーグライドで、自動変速機のハズなのに荷物乗せたりすると自分でローからハイへシフトレヴァー動かさにゃならん、流石に子供心にこの家族は普通じゃない、と感じていました。。。。。



独立懸架になると四輪駆動化も容易ではなくなりますな。


んで自家製の新開発四輪駆動は依然として旧式の固定軸、板バネの前輪です。


話は前後しますが、タスクフォース型のピックアップはクリント-イーストウッドとルース・ゴードン女史共演の影視、Anywhichway But Loose に主役として出てきます。



おめかしをして検査官を惑わせるも、永遠に自動車運転試験に合格しないルース・ゴードン。。。。後々にVWビートルを引っ掛けたままの牽引車で暴走します。


我が国でのシェヴォレイとフォードのピックアップトラックの敵相手ぶりは1960年代から火花を散らして大合戦。1985年にフォードがシェヴォレイ担いで瓦礫の山を登ったと思えば。。。。(これ、多分エンジンもトランスミッションも外してある?)


GMT400系が登場すると、こちらはフォードを背負って瓦礫の山を。。。


コーヴェアの永遠の敵相手、ファルコンはロッキード・エレクトラ機を引っ張れない、駆動軸に重さが掛からなく、後輪は空転して煙を上げるばかり。。エレクトラの重量、空っぽで27,000キロくらい。。。


コーヴェアは駆動軸に重さが掛かるので、エレクトラも静々と引っ張れます。空冷だからエンジンの回転数上げて冷却空気沢山動かさないとオーヴァーヒートしそう。。それにこれだけの重量牽引したら、曲がるとか、止まるとかは別問題。。


古い747の空重量は154,000キロ。シェヴォレイは頼もしい。。。


本格的乗用の四輪駆動車は1980年に登場したAMCのイーグルと言われてます。カイザー社からAMCにジープ社が売られた時、フォードから引っこ抜かれてきた技術者のロイ・ルン氏が、1972年に初めてスバルの四輪駆動を見て、コレダ!と閃き、その後、英国のマシー・ファーガソン・トラクタのファーガソン研究所の四輪駆動技術を取り入れて出来たのが、AMCイーグル。ルン氏はその後も初代ジープ・チェロキーの開発にも活躍します。

あの古い、AMCのホーネットにファーガソン式四輪駆動を掛け合わせてと。。AMCイーグルはステーションワゴンが有名ですが、4扉セダーン、2扉クープやらターガまでありました。

AMCイーグルの四輪駆動は英国のファーガソン研究所との共同開発。ファーガソンは常時四輪駆動を1960年代から開発していた。そのプロトタイプのR5。水平対向エンジンにABSと常時四輪駆動。斬新的です。



ファーガソンの本業は産業トラクタ。今でも健在です。


確かファーガソンの常時四輪駆動技術を最初に持ち行ったのは(本業の産業トラクタを除いて)クライスラーのV8エンジンとトークフライトの自動変速機で走る、ジェンセンFFでしたね。FFはファーガソン・フォーミュラの略。ジェンセンは後にグリフィスに買収されますが、このグリフィスとAMCが絡むお話、またその内に。


AMCイーグルは多分世界で初めての4扉セダーン四輪駆動車?


ターガ式屋根のサンチェイサー、これも面白い裏話があります。。。。


スバルは四輪駆動のステーションワゴンを1976年から輸入していましたが、初めて四輪駆動の2扉ハードトップと4扉セダーンを持って来たのが1984年。


同じ頃登場したのがアウデイ4000のクワトロ。あれも1984年だった感。。。
でもこちらはスバルと違って常時四輪駆動。


おまけ画像その一。水上機は浮きと地上脚の互換性があって、特にアラスカなどでは夏は浮きを付けて水上機に、冬は車輪かソリを履かせて地上機にするのをよく見ます。でも浮きを付けて水上機にした場合、近くに水がない場所だとどうやって飛ばせるかと言いますと。。。アハハ。トレーラに乗せてトラックもヒコーキもエンジン全開。失速速度以上まで速度を上げればアラマ、ちゃんと飛び立てます。。笑。


おまけ画像そのニ。パイパー機の引き込み脚の上げ下げはレヴァーを操作すると電動油圧ポムプが作動し、油圧シリンダで脚を上げ下げします。格納しても脚を上げたまま保持するロックなどは無く、残った油圧で上げた状態を保持するので、長く飛んでいて油圧が下がると突然油圧モータが動き脚を上げたままにしようとします。その上、パイパー機は脚上げ着陸防止のため、一定の速度以下になると自動的にダラーンと脚が勝手に下ります。この図、何かの理由で主脚の片方が半分しか降りず途方に暮れていた所、整備会社のオッサンが大柄な整備士をアウデイ5000のターボに乗せサンルーフから身を出して脚を下げようとしている所。結局成功して脚は無事降りたとか。。。この5000のターボ、過給器はKKK製で、オイルフィルターが2個付いていて、足回りは恐ろしく強固に造られていてまるで戦車みたいでした。。。

Posted at 2021/12/01 19:18:26 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記
2021年11月27日 イイね!

ねじ曲げる力。ポンテイアック・テンペスト

ねじ曲げる力。ポンテイアック・テンペスト















一年で最大の祝日行事、収穫感謝祭も無事終わり、昨日からクリスマス商戦の火蓋が切られた所、あれ、もう11月もあと僅か?

集合住宅、ウチの界隈は一軒につき屋根のあるカーポートに一台、無蓋の場所に一台ずつ駐車場が用意されているんですが、その無蓋、ウチの指定場所の2台隣のアンちゃんのトラックの触媒が盗まれて大騒ぎでした。今、触媒の盗難が非常に流行っていて実は自分も被害に遭ったんですが、お隣さんのトラックは若い人が皆やる、大きな車輪を付けて車高をずんと上げてまるで小山の感じで、床下がスカスカだったので、ジャッキアップしなくても下に潜れば簡単に排気管切って触媒外せるのでやられてみたいです。

この車高を高く上げた改造車、威勢が良く、まあ、自分を強く見せる表現に手っ取り早いのか、職場でも若い人が高価な部品を取り付けて上へ上へとするのをみますが、コレ、部品屋さんもこう言った類の物、売って生計立てているので余り言いたくないんですが、こう言った改造、実際は車両の信頼性を著しく落とすだけでなく、単純に危険なんですよね。何せコレだけ想定外の巨大車輪なんかだと、重量も半端じゃありません(その重たい車輪がビュンビュン回転するんです、遠心力も凄いです)。コレだけ直径を大きくすれば回転時にテコの原理で車軸に掛かるねじれる負担が半端じゃありません。当然エンジンマウント、駆動軸の継ぎ手などの部品まで変えている人見ませんから、各部品の負担、摩耗、疲労エライ事になるのは明らかでして、当然駆動系の設計された伝達力に基づいてプログラムされたエンジン統括プログラムも全く用を足さなくなりますので、燃費はもちろん、悪路を走ろうとしても足回りから来る抵抗とエンジンの出力・トークの関係があじゃぱ〜になります。面白いのはチョッと古いピックアップですかね、巨大エンジン、巨大車輪やらに ”アップグレード” して、んじゃ、キャブレターも大口径のおっきな奴!をよく見るんですが、いざ悪路に入り込んで低速でギャスペダルを踏み込み、ここぞ!と言う所で大きなスロットル板を全開にすると吸気管内の負荷が一挙に落ち加速ポンプから噴射された燃料が尽きれば、あっと言う間にエンジンの出力低下で牛歩も出来なくなると言う。。。グリップの良さそうな太いタイヤを履かせたり車体の補強を部分的にしたりすると、あっという間にタイロッドのガタが来たり、車体鋼板に掛かるストレスが部分化し他の車体部分が急激に応力腐食割れを起こしたりと。。だから流通個体、いじった車体は極力避けるのが無難と囁かれるこの業界、ちゃんと意味があるのですわ。





昔、急激に普及しだした輸入小型車のVWビートル(まだ日本からの輸入車が普及するずっと前の話です)に焦り出したGMが苦労して小型車を開発していた頃、ポンテイアック(覚えている?)からテンペストと言うコムパクト車を売り出しました。


コムパクトと言ってもビュイック・スペシアルやら後に中型カトラスになるオールズモビルのF85と同じクラスです。車格的には兄弟車とは言いますが、技術的に全く違う自動車でして、考え出したのは丁度スチュードベイカーから移ってきた若手優秀技術者、あのバック・トウー・ザ・フューチャーのジョン・ザカリー・デローリアン氏でした。

若きデローリアン氏。彼の家系はルーマニア。ルーマニアは昔から結構自動車やらヒコーキ、共産時代から高度工業産業に強い国ですね。ジョン・デローリアン氏はデトロイト生まれ。



当時、まだ消費者運動の槍玉に挙げられていなかったシェヴォレイの小型車、コーヴェアをポンテイアック化しようと企みますが却下され、その代わりにコーヴェアの部品、主に後輪駆動のトランスアクスル、サスペンション、床板などを流用。

テンペスト、前部がチョッとコーヴェアに似ているでせう?



このテンペストに使われたエンジンが奇抜で、トロフィー8と呼ばれた、389キュービックインチ(6.4リッター)のV8を半分ぶった切って四気筒3.2リッターにしてトロフィー4として搭載。面白いのはこのエンジン、本当にV8の左バンク半分を切り取っただけなので、残ったバンクは右に45度傾いたまま載せられてます。コレだけ巨大な四気筒です、一次二次振動の処理尋常じゃありません。バランスシャフトなんて出てくるずっと前です、どうやっていたか。そして、その動力伝達がおったまげます。

トロフィー4。V8の半分をぶった切ってある。


エンジン、左半分が消えているのが異様。。


外から見ても本当にV8の半分をぶった切ってある。奇抜。



この巨大で重くブルブル震える四気筒、経済的な理由でコーヴェアからの部品の流用され、後ろにコーヴェアのトランスアクスル持ってきて少しでも重量物を後ろに持って行き重量配分を均一化し、スイング・アクスルの独立懸架で操縦性向上を狙い、床板もコーヴェアの物を改造。ここで問題です。コーヴェアはリヤエンジン後輪駆動なので床下に伸びる駆動軸の凸起がありません。それを最低限にする為に開発されたのが、驚愕、なんと撓む、反り曲がる駆動軸、ドライヴシャフトだったんです。

エンジン、クラッチは前、変速機は後、コーヴェアの後輪独立懸架。


反り返った駆動軸。トークチューブ内数個のベアリングで曲げ状態を保たれている。



鋼鉄の棒を曲げたり捻ったりする代表例はトーションバーのねじり棒ですね。この駆動軸も同じ様な物で、ニッケル・モリブデン鋼合金を削り、ショットピーニングで硬化加工した後、磁粉探傷検査をした後腐食防止塗装をして、エラく金がかかっています。それを前にあるエンジンと後ろにあるトランスミッションを僅かに反ったトークチューブで繋ぎ(その中にこの特殊駆動軸を数個のベアリングで宙に浮かせてある)手動変速版はクラッチはエンジンの直ぐ後で、パワーグライドの自動変速はトークコンヴァータが後の変速箱の前にあり、特質するのはその、駆動軸の太さで、手動変速版は直径がたったの1.9センテイメーター。どうしてこんなに細くて役に立つのかと言いますと、エンジンからトランスミッションまで伝達するねじる力はエンジンの出力分だけなので細くても事が足り、車体を動かす増幅された後の強いねじる力はトランスミッションから駆動輪までは逆に、太くて強固でないといけないのです。因みに自動変速機版の駆動軸はさらに細く直径が1.7センテイメーター、流体継ぎ手のトークコンヴァータで更にトークを増幅出来るからです。

肝心の駆動軸の画像が見つからなくて。。でも細いのが解るかしら。。。



この異様な駆動系の保持はエンジン側に柔らかく大容量のエンジンマウントとリヤのトランスアクスルのマウントだけ。これで大排気量4気筒特有の振動をねじ込めようと考えたそうで、結果として不思議な程、振動、騒音、耐久性に問題点はなかったと聞きました。

でも多分経費の問題だったんでしょうね、この凝った駆動系のテンペストは3年間だけで、モデルチェンジした際、普通の機構に退化しちゃいました。

開発された特殊鋼の駆動軸が後の四輪駆動車に用いられる様になるトーションバー捻り棒の耐久性に関与したのは明らかですね。。。

テンペストは4扉セダーン、2扉コンヴァーチブル、2扉クープと4扉ステーションワゴンがありました。反り返る駆動軸のお陰で床の突起物が減ったのが自慢でしたが、後ろにトランスミッションを抱えているので嵩張り、特にステーションワゴンは車体後部が嵩張って上屋が薄いのが何となく分かります。


コーヴェアも荷台下にエンジンを納めているので後が薄い。コーヴェアのステーションワゴン版はレイクウッドと言う名称、2世代目の精悍な形に改良された奴にはステーションワゴン版なかったのが残念です。


VW初めての4扉車、タイプ4、通称411か412と言われていました。ビートルなんかの水平対向4気筒エンジンの背を抑えたパンケーキ・エンジンと呼ばれるエンジン、ステーションワゴン版は矢張り荷台は薄く荷運びには使い物にならず。411も412も売ってたのが3年間くらいですか、合衆国では全く人気ありませんでした。


後ろには脚を支えるバネも無く、すっからかんのくせして後ろすぼまりのお陰か、カーゴ容量が非常に小さく、巷で考えてられるよりずっと狭い荷台はシトローエンのDS。テールゲート上部扉、後側窓下部が錆びると面倒臭い事になる。。。経験者は語る。


標準装備のルーフラック、荷室が狭いので重宝しますが、このルーフラックの一番前の横渡し棒にはゴムのホース状のカヴァーが被さっており、ご丁寧にそのカヴァーには溝が切ってあるだけでなく、それを捻った状態で、溝が螺旋状態に付けます。これは風切り音を低減するための工夫。 


矢張りステーションワゴンでダントツに使いでのあるはプジョー504でせう。延長してある車軸間、後ろに行くにつれて高くなる屋根。後車軸片方2個のコイルバネ。半トン以上のペイロードの癖に載せても空車でもゴムを混ぜたスポンジケーキの様な乗り心地。テールゲートが傾いていますが、収容出来る荷物の量と重さがもう、ハンパじゃなかった。。。何を求めても必ず応えてくれる、いい自動車だったなあ。。。。


全く関係のない画像。ぼくはこのフォードの古いBバスと言われるバスを16歳の頃 ”借りて” 退学させられそうになる。


その後に来たのがインターナショナルのロードスター。これも ”借りた” のがバレて退学させられそうになる。。。。。。


昨日、カリーヒで起きた薮火事。たったの4年間でしたが消防に従事した身にとっては矢張り見に行きたくなります。ヘリポクター2機で近所の水泳プールから水を救ってピストン輸送。幸い消防署、警察署が目の前。火の手の先には建造物無し。この水汲む袋をバンビ・バケツと言い操縦士の操作で底が開き液体投下できます。コレは容量1,200リッターくらいの奴かな。正午過ぎから日没までずっと飛んでた模様、お疲れ様でした。今日は鎮火してるかしら。。。。








今日のオマケ画像。先週末のクアロア。


冒頭画像はウィスコンシン州ケノーシャ製、ルノー・アライアンス、別名ルノー9。後車軸が凝っていて、車体左右一杯に走る中空の太いパイプの端をスプラインで切って中にパイプをもう一本入れて車幅の二倍近い長さのねじり棒トーションバーにしてマシュマロー感覚の乗り心地を味わえました(但しそれを支える柔金属のブッシングがヘタリ異音の元になったけど)。軽量小型車で軽量時でも満載時でも、柔らかくてもへこたれない乗り心地を作り出すのは非常に難しいのです。
Posted at 2021/11/28 07:17:23 | コメント(1) | トラックバック(0) | 日記
2021年11月14日 イイね!

アシュタビューラと繊維樹脂車体












ご存じ、全米を結ぶインターステート高速道路構想は大昔からあったのですが、今のような近代的な道路網が建設され始めたのは連邦高速道路法が可決した1956年からです。経済発展の一環と、冷戦前夜の事ですから、かなり軍事の匂いが強かった様でした。(東西に走るインターステートは偶数、南北は奇数、大都市の周辺を回り道して突き進むバイパスは3桁の数字になっています)

この全米を跨ぐ道路網、一応連邦政府の基準と言うのはあるし、第一、資金の多くが連邦政府から出るので、他の関係ない法案で州政府と連邦政府が喧嘩する際、いつもワシントンDCは州政府に対して、言うこと聞かないなら高速道路の修理費出さないわよ、などと脅しの対象によく使われます。まあ資金は如何であれ、本来なら標識から道路の構造まで同じと考えるのですが、実際は各州政府が建設・維持していて、州の方針やら財政状態によって、標識が違ったり、照明が少なかったり、舗装状態が良くなかったりと、州境を越えるとそれらが端的に現れるのが興味深い所です。勿論、人口と車両人口の多い北東部と荒野が延々と続く南西部では取り巻く環境が全く違うので、違いがあって当然ですけどね。

学生時代、秋から冬にかけて休みが多くなると、家族の居たイリノイ州まで、ニューヨーク西部から6気筒ダンナ仕様の2扉型フォード・フェアモントで、距離にして920キロ、休憩を含めて大体10時間半で走破するのが恒例でした。

この旅、一旦西ニューヨーク州を過ぎればあとは殆ど平坦で単調な旅路で、クルーズコントロールをセットしてあとはラジオのダイアル回してジャンクフードを食べるだけなのですが、途中通過するオハイオ州、インデイアナ州と目的地のイリノイ州、州独自それぞれの ”味” があるのは前記しましたが、矢張り一番敏感になるのは速度違反の取り締まりで、特にオハイオ州は厳しくて、前が早いから一緒に走りゃ捕まらないわ、と思えば、オハイオ州のハイウェイパトロールは3、4台同時に捕まえるのは朝飯前。昼は空から航空機と連携で速度検査するので油断も隙もあったもんじゃないんですが、流石に夜になると空からの監視はお手上げ。

と言うのが理由でもないんですが、僕がこの帰省旅するのは何時も夜中走る様にしていました。何せ景色は単調だし、夜の方が交通量は少ないしと好都合の点が多かったからです。

オハイオ州、アシュタビューラ。

ニューヨーク州を西に進み、全米東西横断するインターステート高速道路90号線に乗ると、直ぐペンシルヴェニア州に入境しますがそれも束の間、オハイオ州の州境を跨ぎます。

出発して丁度3時間経つと、オハイオ州の境を越えた最初の街がアシュタビューラ。ここで夜食を摂るのが習慣で、高速道路出口にある、24時間営業の給油所やらレストランの中でもポンデローサと言うステーキハウスに良く行きました。ここは当時からサラダバーがあって、何回もお代わりができたので便利だったのですが、その後このチェーン店はそのサラダバーからの食中毒で有名になり、結構な店舗が閉店したんだっけ。。。

アシュタビューラ。ここはエリー湖に面する産業都市で、ペンシルヴェニアで採れる鉱石を船に積む船町でもあります。アシュタビューラと言う名称は地元のインデイアン語で ”皆んなに行き渡る程魚が豊富に採れる街” と言う意味だそうです。

この辺り、自動車産業の中心地デトロイトも含む、工業の盛んな一帯でアシュタビューラも例外では無く、ぼくら自動車屋では、自動車の樹脂製車体の発祥地として知られていました。樹脂製車体とは、所謂、糸の様な細長いガラス繊維で織った生地をドロドロに溶けたポリエスター樹脂で硬め整形し車体のパネルにするもので、これを最初に自動車用として量産開始した、MFG社がここ、アシュタビューラにあるのです。

アシュタビューラが世界に知られる様になった最初の自動車が、あの有名な樹脂製車体を今でも使っている、シェヴォレイ・コーヴェットなのです。

コーヴェットはこのフレームの上に繊維強化樹脂の車体を被せます。


アシュタビューラで作られた繊維強化樹脂部品。実際の組み立ては最初はミズーリ州セイントルイスでしたが、後に競馬で有名なケンタッキー州ボーリングリーンの専門工場へ移動。


1957年は二灯式前照灯。


四灯式前照灯解禁になると他車種と同様、直ぐ四つ目に変わります。


当時、コーヴェットは金属製車体の筈だったのですが、MFG社の社長の熱心な勧誘で彼が深夜にデトロイトから出張で戻って来た後にシェヴォレイから樹脂製車体にする決断が来て、急遽、彼の自宅の地下室が作戦会議所に使われ、後にシェヴォレイの技術者は社長自宅のピンポン・テーブルの上で図面を引いたとか。初期型のコーヴェットはエンジンも小さく、この樹脂製車体の品質が向上するまで随分と時間を要し、ぼくらが憧れるコーヴェットは動力性能が本格化し外観が日系デザイナーのラリー・シノダ氏が手がけた2代目のC2になってからなんですけど、それとは他に余り知られざる樹脂部品を使った自動車をMFG社は作っていました。

今とは全く違い、1950年代のピックアップトラックは、物を運ぶ事の為に世に出された製品で、簡素、ストイック、運搬性能が命よ、とばかりに専科していたのを、GMの有名なデザイナーのチャック・ジョーダンが、この運搬自動車をもっと娯楽や乗用に転向できんかと、考えたんです。

GMデザインのお偉方、チャック・ジョーダン氏。彼は昔GMが製造していた鉄道機関車なんかのデザインもやってたそうです。彼の息子さんは北米マズダのデザイナーで初代ミアータのデザインに関わったマーク・ジョーダンさん。


GMが昔作っていた機関車。



ここで注目していただきたいのが、当時、ピックアップトラックは殆ど、全て、荷台の横に車輪と泥除けの独立して付いた、”ステップサイド” 型しかなかったのです。大体ピックアップトラックと言う軽便貨物車は車輪の付いたフレーム骨格の上に物を運べる四角い ”箱” を置いたのが始まりなので、出しゃばる車輪はただ単に泥除けを被せただけだったので、皆、それが当然だと考えていたんですね第一、(要するにフレームの幅が荷台の幅だったんですわ)荷台の幅を広げたら後輪の分が荷台にはみ出て不便じゃないですか、と思っていたんだと。

1955年式にモデルチェンジした、シェヴォレイの標準的なピックアップトラック、その名もタスク・フォース。名前がいいですね。後輪フェンダーが独立した、いわゆるステップサイド型荷台。どこの会社もピックアップトラックはこの形式しかなかった。




その不恰好?なステップサイドの車輪と泥除け(フェンダー)にアシュタビューラ製の強化繊維樹脂で作った覆いを被せスマートに見せ、光り物や明るい塗装と豪華装備に仕立てたピックアップトラックを作り出したらと、チャック・ジョーダン氏が提案します。丁度その頃、コーヴェットの樹脂車体の量産が軌道に乗っていた頃、んじゃ、これもMFG社にお願いできんかのうとして部品を作ってもらい、完成したのが、シェヴォレイのピックアップトラック3124型、名称はカメオ。亀男。甲羅を被ってるから?いやいや、カメオは有名俳優がこっそり脇役で出演する事を意味します。

1955年に登場したシェヴォレイのタスク・フォース系の派生として登場したのが、モデル番号3124、俗名カメオ Cameo。おしゃれでせう。強化繊維樹脂の荷台外装。よって軽量。錆びない。


スペアタイヤはアオリの下のアクセス扉を開けて出し入れします。


これは普通のステップサイド。


カメオの最大の特徴はフェンダーの独立していない、スマートな荷台。強化樹脂繊維の覆いを外側に被せただけなので、荷台その物は車輪の出っ張りの無い、ステップサイドと同じ。


これはステップサイド型の荷台。カメオと同じ。


チャック・ジョーダン氏の構想とは裏腹に、今振り返れば時代を先取りしすぎたのか、この娯楽・乗用に仕立てたトラックはさっぱり売れず。その代わり、この独立した車輪・泥除けを隠し、スマートになった荷台の外観はGMだけでなく、他社からも注目をあび、GMもフリートサイドと称してスマートな外観と幅を広げた荷台のピックアップトラックを売り出し、コチラは大人気。(荷台の幅を広げたので車輪の分だけ突起が生じ幅広い荷物を載せるとつっかえますが)。現在に至ります。

その元祖ピックアップトラックの荷台形状だったステップサイドも、もはや意味を無くし、荷台の狭さから結局生涯の役目を果たしたのか、2009年でしたっけ、を最後に消滅。

もおここいら辺まで来ればステップサイドはオシャレ意外に全く意味がなかった。。


ツンドラにもちょっと怖い形状のステップサイドがありました。ツンドラが積んどら。笑って下さい親父ギャグ。


結局人気が出なかったカメオは1958年が最後に。その代わりこの、スマートな側面の荷台に本物の幅広荷台にしたのを、同年から ”フリートサイド” の名称で売り始めます。悔しい事に、この新型でスマートな形状の荷台はフォードとダッジはその前に登場されちゃいました。ここで各社、一斉に幅広荷台が揃ったわけであります。




フリートサイドはカメオに外観は似てますが、荷台が幅広になったので車輪の出っ張りが現れました。



如何に荷台が狭くとも、ぼくの一番好きなピックアップトラックはGMT400系、ステップサイドの短胴なんですよね。。。。かっこええ。


今日のオマケ。先日カハラ・モールで見かけた1966年型クライスラー・ニューポートのコンヴァーチブル。売り物で250万円で売りに出ていました。可笑しかったのは買いたい人の質問欄に、はて、パワーウインドーのスイッチがあるのに窓を上下するクランクが付いているのは何故?と。あはは、若い人は知らないんですね。あのクランクは換気窓を動かすんです。余計なお世話かもしれませんが、1970年代前半のクライスラー・インペリアルの前扉換気窓は電動で開閉するんですが、その機構はGM製でした。。。






でも我々の年代でこのクライスラーを見ると真っ先に頭に浮かぶのが、楽団 
The B-52's の大ヒット、”Love Shack"

”ぼくが鯨の様に大きなクライスラー借りてくるから、12人くらい乗せて、今から愛の宿へ直行!” 

皆んなで踊ったの懐かしい。。。連中まだ歌って踊って人気ですけど、中心人物のフレッド・シュナイダーさんももうお爺さんに。電気ギターがキマったキース・ストリックランドくんは半正式に脱退、今は応援団だそうです。

"B-52" とは長距離爆撃機のことではなく、ケイト・ピヤソンが結うこの特徴ある髪型の事。なんかガラス繊維で出来ているみたいですね。。。。。アハハ。







最後の図、アシュタビューラ製の強化樹脂車体パネルを使ってまっせ、と表示されていた昔のコーヴェットの広告。
Posted at 2021/11/15 07:41:50 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記
2021年11月07日 イイね!

計算通りのダウンサイズ。

計算通りのダウンサイズ。















9月が終わると思い込んでいたら、アイ、もう11月。ホントに月日が経つのが速いです。

ハワイ州ホノルル郡も買い物の際、樹脂製の使い捨て買い物袋を配らなくなり久しくなり、景品で貰ってくる軽量の持参袋が我が家には数個散らばっていて、その中でも本土系の有名超級市場チェーン、近所にもあるセイフウェイのが一番丈夫で重宝していて、寸法がドンピシャで余裕があるし中に物を詰め込んでもガンジョーで頼りになります。



ズブらな自分はこの便利な袋を何から何まで使う癖があり、以前、用事(仕事ではなく)でヒコーキの操縦せなきゃならない際、航空図やら水筒やら持参する物を運ぶのにこのセーフウェイ袋がピッタリで、狭い機内でも重宝していたんですが、それを見た、横に乗って貰う若い雇いの副操縦士くんが、信じられない、と言う形相で呆れ顔されたのには笑っちゃいました。彼はと言いますと、人気の専門業販屋で売っているそれ専用の ”操縦士用” の高価な鞄を使っていて、やれ計算機だ、やれ定規だとありとあらゆるポケットが付いており凄い仕様。彼の腕時計もよく宣伝で戦闘機のパイロットが愛用していると言わんばかりの大型で何やら色々な装備が付いたゴッツイもの。はあ、自分はかれこれ20年以上、給料稼ぐ為に毎月ボーイングの大型機を動かすのに、家に帰ると買い物バッグで借り飛行機に乗り込み、21歳の若い操縦士は音速記録でも作りに行くような格好で2人一緒にセスナ機に乗り込み、あーだこーだと空撮に出掛けるのは何か、滑稽でした。

その彼の腕時計には目盛りの刻まれた縁が回転して色々な計算が出来る様になっていましたが、 ぼくも昔、似たような物、使ったことがありました、腕時計じゃなかったですけど。 これは丸い円形の計算尺でして、尺種を換算したり、時間と距離の計算などをするのに便利でして、この円形計算尺に風向・風速を加算できる機構を取り入れたのがE6Bと言って、その使用法を、確か今でもヒコーキの運転免許取る際、筆記試験の問題に出ていると思います。近代は電子卓上計算機でも代用出来るなった筈ですが、この回転計算尺は慣れると非常に便利で、何せ片手一本で回せるので、一人で飛ぶ際、乱気流に揺れながらの際など重宝します。電池も切れないし。航空学校では今でもこの旧式E6Bを使って速さと精度を競う競争もあるそうです。

僕ら中年は一応、ハイスクールで計算尺の使い方、教わりました。スライドルール Slide Rule と言います。目盛りと互い違いにすれ違う動く縮尺を左右に動かすと計算などができます。昔の宇宙船とかロケットは皆、これで計算していたんですから、凄いもんです。





これが航空用円形計算尺のCR3と言われる物。歴史は知りませんが多分戦争時代からあったんじゃないかしら。。。。昔の教科書なんかでも見たことあるから。。時速・距離・時間の計算、温度の換算など片手で容易に操作できます。





CR3を進化させたのがEB6。回転計算尺の裏側に上下スライドする目盛りがあって風速風向を配慮に入れた対地速度などが計算出来ます。これが多分現在でも連邦航空局の筆記試験に出題されると思います。。。



とは言っても今じゃ電卓が余りにも安く普及した上、何から何までアプリとGPSでどこでも行けちゃうんですから、凄いんですけど、じゃ、GPSと電卓が壊れてもちゃんと目的地まで行ける?となるとこれは別問題で、その昔、距離、風向、地上の目印、時間と針路計算の訓練をみっちりやらされた自分は今こそこう言う訓練が大切だと思うんですがね。。。ただの中年の独り言なんですけど。

昔の計算機。


赤く光る電光管に、一桁ずつびっしり並んだ回路版にトランジスタ(でしょうね)がぎっしり。


それが集積回路が普及になるとあっという間に値段が安くなり。。それでも当時でも$345って凄く高価だったんでしょうね。


キャシオ・ミニ。このお陰で一般人でも暗算せずに済む様になった。でもこの頃、学校では電子卓上計算機など使用は禁止されてました。頭がバカになると。ぼくは母親が算術を教えていたくせに、アルジェブラを2回とジオメトリーの学科を計3回、落ちました。んで大學校で統計學習ったとは皮肉な話です。


宇宙に行ったのはヒューレット・パッカード ”HP” の計算機。これは有名なRPN計算方式、リヴァース・ポーリッシュ・ノーテーション方式と言って、例えば足し算に、5+5=と操作するのではなく、5ENTER5と押して(スタックに入れると言っていた)その後に+を押す感じで、科学者、研究者やら長大な計算をする御人には重宝がられていました。


日本では横河電気とHPの、YOKOGAWA-HEWLETT-PACKARDと言う、初期はソニーも絡んだ合弁会社で売られ、主に学術研究所なんかに売られたそうです。


軍需やら研究科学に長けていたHP社が1977年に開発した、当時は007に出てくる様な夢の道具、腕時計計算機。ボタンは一つひとつ窪んでいてそれをペンの反対側の尖ったスタイラスで押す仕掛け。当時の価格で$400くらいでしたかね、今の価格で25万円ってところか。。。



連邦航空局の筆記試験での問題、EB6の回し方も問われる筈ですが、普通の計算はこう言った航空用電子計算機の持ち込みも可能になりました。



その計算機、ぼくが子供の頃はまだトランジスタ最盛期、集積回路など夢の話。電子計算機と言えばトースター程の大きさの箱で、一般が ”買う” ものではなく、事務所などが ”リース” で借りるものでした。その上一部署に一台と言う感じで、お偉方の机にデーンと乗っていてそれを恐る恐る ”借りに” 行くんですね。大きく重く、AC電源でコードが伸びていて、表示は電光管式のオレンジ色の数字。複雑な計算になると矢張り計算尺がものを言った頃です。日本だとソロバン、アバカスですね。

流石、日本はそう言った技術の普及は素早く、電卓が自動車の装備品になったのは確か、日産ブルーバード910でしたっけ。それからレパード、ガゼル、ローレルも。何も自動車に乗ってで家計簿つけたり税金計算するのが目的でとは思いませんが、販売の際最新技術性を誇示するインパクトはそれなりにあったと思います。我が国の自動車に電卓が装備されるのはもっと後になっての事で、1985年、GMのフルサイズCボデーが2回目のダウンサイズをした際、オールズモビルに注文装備で選べられるようになったのが最初だと思います。

日産車の計算機。残念な事に我が国へは装備されませんでした。。


計算機を装備出来た、日産レパード、その名もTR-Xアメリカ。でもアメリカ大陸には輸出され無かった不思議な車種。


1977年のフルサイズ車のダウンサイズは兎も角重量と寸法。1985年のダウンサイズは其れを上回る小型化と前輪駆動と高技術化でした。

其れを象徴する様に、デジタル表示の速度計、燃費やらを計算出来る電卓。オールズモビルは一番上級車のNINETY-EITHT リージェンシーとか、中型のカトラス・カレイに注文装備で用意され、NINETY-EIGHT は横長計器盤の隅に、カトラスは床のコンソールと計器盤中央前方に備えられ、掛ける割るなどの計算の他、トリップコンピュータの機能も備えていて残存燃料での航続距離やら平均速度などが演算出来ました。

まあ電子式トリップコンピュータが装備された初めての米車は初代キャデラック・セヴィルの1978年かで、でも機械的に到着時間を表示する機構はなんか1960年辺りのリンカンかクライスラーにもあったような気がしますが、兎に角、電脳化に移行する事自体が前面に宣伝されたのはこの頃でした。

キャデラック・セヴィルに装備された初の電子式トリップ・コンピュータ。


その1985年(厳密に言うとその前年)オールズモビルに登場した計算機、その名も”オート・キャリキュレータ”、1987年からは単に ”ドライヴ・コンピュータ” に進化?して、数字計算は出来なくなり、ただ単に目的地到着時間やら平均燃費などを告げる機能になり、家計簿やら税金計算は家に帰って電卓を使わなければならないと言う羽目にはなったのですが、この注文装備、殆ど誰も興味を示さなかったらしく、ぼくもついぞ実車に装備されているのを見たことはありませんでした。

これがオールズモビルに初搭載されたトリップ・コンピュータの付いた計算機。いや、計算機の付いたトリップ・コンピュータ?


第二弾、ダウンサイズされたオールズモビル、フルサイズのNINETY-EIGHT は計器盤の隅に。これは後期型1990年式。


それが装備できる様になったのは、このダウンサイズされたCボデー、NINETY-EIGHT、初期型はオールズモビル有名なジーゼルエンジン、横置きV6のもあった。前輪駆動にダウンサイズされたCボデー、でもV8を載せられるのは、矢張り、最高峰のキャデラックだけでした。


おかしな話で長胴のフルサイズ、Cボデーは1985年にダウンサイズされ前輪駆動に移行したのに、通常のフルサイズ、Bボデーの前輪駆動化は一年遅れて1986年からだったので(ステーションワゴンは遂に前輪駆動化されず続行)1985年は長胴車のNINETY-EIGHT が短胴の筈のデルタ88より短く、貧相に見えるという異常な年でした。

後輪駆動、威風堂々の貫禄のBボデー、デルタ88。同じショールームで小型化されたCボデーを比べられたらさぞかし売り子は難しい立場に立たされたんでしょうね。。。


1984年のNINETY-EIGHTの2扉車。凄い大きさと貫禄。


それが翌年にはこんな無様な様相になっちゃったんですから。。。因みにこの前輪駆動化されたフルサイズCボデー2扉型は特に苦労した様で、売られたのはたったの2年間だけでした。




この窓が大きすぎた。。。


1986年は遂にBボデーも前輪駆動化され名称もHボデーに進化。でも我ら古狸にHボデーと言うと頭に浮かぶのは、GMのコムパクト車、シェヴォレイ・ヴェーガやらモンザを直ぐ彷彿させるのでややこしい(Hボデーの名称は2回別車種に使われた)これはデルタ88の2扉。矢張りフェラーリ400等のピニン・ファリーナの匂いを感じますね。


デルタ88の計算機はNINETY-EIGHTと同じ位置に装備。この横長の速度計が保守派には受けたんですよね。。。(実際は縮尺が、常に使う中央位置で細かくなるので結構使いずらい)


4扉のデルタ88。限りなくNINETY-EIGHT に似てきた。。。ショールーム再度悪戦苦闘。


話はそれて計算機、中型のカトラス・シエラにも中央コンソール上部に装備できました。


カトラス・シエラより小ぶりのカトラス・カレイ(Nボデーね)にも装備可能。


カトラス・シエラ。それもホリデイ・クープと昔のサブネーム出す所が憎いです。雰囲気もそれなりにジョートー。此奴にヴェロアの赤内装、スプリット・ベンチシートにオプション満載にしたら、雰囲気はNINETY-EIGHTの2扉車にも負けなかった。




でも1988年型から計算機機能は省かれたタダのドライヴ・コンピュータに退化?今日に続きます。じゃなかった、オールズモビルのブランドは2004年に廃止。ああ、神よ。。。


このカトラス・シエラ、所謂前輪駆動化されたカトラスですね、そのシエラ、他にもシエラの言葉は、Sierra, Siera, それとカトラスのCieraと綴りが微妙に異なるのがあるんですが意味は全て同じで、本源はスペイン語のSierraから来た様で、女性の名称に使われますが、意味は山脈を指すそうです。加州東部、ネヴァーダ州に跨るシエラ・ネヴァーダ山脈がズバリ、それを意味してますね。GMでは以前にもGMCのピックアップトラック、1973年にモデルチェンジした際のグレード名でシエラを使ってました。




そのグレード名が昇格してモデル名になって現在のGMCシエラに至ります。シェヴォレイもグレード名の最高級版、”シルヴァラード” が一人歩きをして今じゃ、車名になったのと同じ。


Sierraの綴りの自動車は何車種かあったみたいで、有名なのは空力車、フォード・シエラが頭に浮かびます。。。此奴はXR4Tiとして米国で大失敗やらかしたのは以前書きました。


ゾロアスター教で知られる、インドのタタ社も多目的車がSierraでした。


よく広告なんかでいかにも操縦士は皆、こんな時計をはめている、ななんて写真を見ますが、実際、こんな時計を使っている操縦士は18歳の免許取り立ての可愛い人か、それに憧れる人達で、現実は皆、香港で格安で買ってくるキャシオなんて言うのが殆どじゃないかな、とは個人の感想。第一こんな時計で対地速度やら温度換算なんかしていたら不便でしょ? ロートルのぼくら、老眼でこんな小さな目盛り、見える訳ないし、アハハ。


昨日のワイマナーロ。波やや強し、せど水温心地よく。何故か人影閑散。


なんか似てるう。。。




冒頭画像は1978年型オールズモビルNINETY-EIGHT リージェンシー。興味深いのは、1977年同時にダウンサイズされたCボデーのキャデラックのフリートウッドはBピラーが下細りの特別形状だったのに、同車体のビュイック・エレクトラとオールズのNINETY-EIGHTは通常Bピラーだった事。ちゃんとキャデラックは差別されてましたね。
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