9月が終わると思い込んでいたら、アイ、もう11月。ホントに月日が経つのが速いです。
ハワイ州ホノルル郡も買い物の際、樹脂製の使い捨て買い物袋を配らなくなり久しくなり、景品で貰ってくる軽量の持参袋が我が家には数個散らばっていて、その中でも本土系の有名超級市場チェーン、近所にもあるセイフウェイのが一番丈夫で重宝していて、寸法がドンピシャで余裕があるし中に物を詰め込んでもガンジョーで頼りになります。
ズブらな自分はこの便利な袋を何から何まで使う癖があり、以前、用事(仕事ではなく)でヒコーキの操縦せなきゃならない際、航空図やら水筒やら持参する物を運ぶのにこのセーフウェイ袋がピッタリで、狭い機内でも重宝していたんですが、それを見た、横に乗って貰う若い雇いの副操縦士くんが、信じられない、と言う形相で呆れ顔されたのには笑っちゃいました。彼はと言いますと、人気の専門業販屋で売っているそれ専用の ”操縦士用” の高価な鞄を使っていて、やれ計算機だ、やれ定規だとありとあらゆるポケットが付いており凄い仕様。彼の腕時計もよく宣伝で戦闘機のパイロットが愛用していると言わんばかりの大型で何やら色々な装備が付いたゴッツイもの。はあ、自分はかれこれ20年以上、給料稼ぐ為に毎月ボーイングの大型機を動かすのに、家に帰ると買い物バッグで借り飛行機に乗り込み、21歳の若い操縦士は音速記録でも作りに行くような格好で2人一緒にセスナ機に乗り込み、あーだこーだと空撮に出掛けるのは何か、滑稽でした。
その彼の腕時計には目盛りの刻まれた縁が回転して色々な計算が出来る様になっていましたが、 ぼくも昔、似たような物、使ったことがありました、腕時計じゃなかったですけど。 これは丸い円形の計算尺でして、尺種を換算したり、時間と距離の計算などをするのに便利でして、この円形計算尺に風向・風速を加算できる機構を取り入れたのがE6Bと言って、その使用法を、確か今でもヒコーキの運転免許取る際、筆記試験の問題に出ていると思います。近代は電子卓上計算機でも代用出来るなった筈ですが、この回転計算尺は慣れると非常に便利で、何せ片手一本で回せるので、一人で飛ぶ際、乱気流に揺れながらの際など重宝します。電池も切れないし。航空学校では今でもこの旧式E6Bを使って速さと精度を競う競争もあるそうです。
僕ら中年は一応、ハイスクールで計算尺の使い方、教わりました。スライドルール Slide Rule と言います。目盛りと互い違いにすれ違う動く縮尺を左右に動かすと計算などができます。昔の宇宙船とかロケットは皆、これで計算していたんですから、凄いもんです。
これが航空用円形計算尺のCR3と言われる物。歴史は知りませんが多分戦争時代からあったんじゃないかしら。。。。昔の教科書なんかでも見たことあるから。。時速・距離・時間の計算、温度の換算など片手で容易に操作できます。
CR3を進化させたのがEB6。回転計算尺の裏側に上下スライドする目盛りがあって風速風向を配慮に入れた対地速度などが計算出来ます。これが多分現在でも連邦航空局の筆記試験に出題されると思います。。。
とは言っても今じゃ電卓が余りにも安く普及した上、何から何までアプリとGPSでどこでも行けちゃうんですから、凄いんですけど、じゃ、GPSと電卓が壊れてもちゃんと目的地まで行ける?となるとこれは別問題で、その昔、距離、風向、地上の目印、時間と針路計算の訓練をみっちりやらされた自分は今こそこう言う訓練が大切だと思うんですがね。。。ただの中年の独り言なんですけど。
昔の計算機。
赤く光る電光管に、一桁ずつびっしり並んだ回路版にトランジスタ(でしょうね)がぎっしり。
それが集積回路が普及になるとあっという間に値段が安くなり。。それでも当時でも$345って凄く高価だったんでしょうね。
キャシオ・ミニ。このお陰で一般人でも暗算せずに済む様になった。でもこの頃、学校では電子卓上計算機など使用は禁止されてました。頭がバカになると。ぼくは母親が算術を教えていたくせに、アルジェブラを2回とジオメトリーの学科を計3回、落ちました。んで大學校で統計學習ったとは皮肉な話です。
宇宙に行ったのはヒューレット・パッカード ”HP” の計算機。これは有名なRPN計算方式、リヴァース・ポーリッシュ・ノーテーション方式と言って、例えば足し算に、5+5=と操作するのではなく、5ENTER5と押して(スタックに入れると言っていた)その後に+を押す感じで、科学者、研究者やら長大な計算をする御人には重宝がられていました。
日本では横河電気とHPの、YOKOGAWA-HEWLETT-PACKARDと言う、初期はソニーも絡んだ合弁会社で売られ、主に学術研究所なんかに売られたそうです。
軍需やら研究科学に長けていたHP社が1977年に開発した、当時は007に出てくる様な夢の道具、腕時計計算機。ボタンは一つひとつ窪んでいてそれをペンの反対側の尖ったスタイラスで押す仕掛け。当時の価格で$400くらいでしたかね、今の価格で25万円ってところか。。。
連邦航空局の筆記試験での問題、EB6の回し方も問われる筈ですが、普通の計算はこう言った航空用電子計算機の持ち込みも可能になりました。
その計算機、ぼくが子供の頃はまだトランジスタ最盛期、集積回路など夢の話。電子計算機と言えばトースター程の大きさの箱で、一般が ”買う” ものではなく、事務所などが ”リース” で借りるものでした。その上一部署に一台と言う感じで、お偉方の机にデーンと乗っていてそれを恐る恐る ”借りに” 行くんですね。大きく重く、AC電源でコードが伸びていて、表示は電光管式のオレンジ色の数字。複雑な計算になると矢張り計算尺がものを言った頃です。日本だとソロバン、アバカスですね。
流石、日本はそう言った技術の普及は素早く、電卓が自動車の装備品になったのは確か、日産ブルーバード910でしたっけ。それからレパード、ガゼル、ローレルも。何も自動車に乗ってで家計簿つけたり税金計算するのが目的でとは思いませんが、販売の際最新技術性を誇示するインパクトはそれなりにあったと思います。我が国の自動車に電卓が装備されるのはもっと後になっての事で、1985年、GMのフルサイズCボデーが2回目のダウンサイズをした際、オールズモビルに注文装備で選べられるようになったのが最初だと思います。
日産車の計算機。残念な事に我が国へは装備されませんでした。。
計算機を装備出来た、日産レパード、その名もTR-Xアメリカ。でもアメリカ大陸には輸出され無かった不思議な車種。
1977年のフルサイズ車のダウンサイズは兎も角重量と寸法。1985年のダウンサイズは其れを上回る小型化と前輪駆動と高技術化でした。
其れを象徴する様に、デジタル表示の速度計、燃費やらを計算出来る電卓。オールズモビルは一番上級車のNINETY-EITHT リージェンシーとか、中型のカトラス・カレイに注文装備で用意され、NINETY-EIGHT は横長計器盤の隅に、カトラスは床のコンソールと計器盤中央前方に備えられ、掛ける割るなどの計算の他、トリップコンピュータの機能も備えていて残存燃料での航続距離やら平均速度などが演算出来ました。
まあ電子式トリップコンピュータが装備された初めての米車は初代キャデラック・セヴィルの1978年かで、でも機械的に到着時間を表示する機構はなんか1960年辺りのリンカンかクライスラーにもあったような気がしますが、兎に角、電脳化に移行する事自体が前面に宣伝されたのはこの頃でした。
キャデラック・セヴィルに装備された初の電子式トリップ・コンピュータ。
その1985年(厳密に言うとその前年)オールズモビルに登場した計算機、その名も”オート・キャリキュレータ”、1987年からは単に ”ドライヴ・コンピュータ” に進化?して、数字計算は出来なくなり、ただ単に目的地到着時間やら平均燃費などを告げる機能になり、家計簿やら税金計算は家に帰って電卓を使わなければならないと言う羽目にはなったのですが、この注文装備、殆ど誰も興味を示さなかったらしく、ぼくもついぞ実車に装備されているのを見たことはありませんでした。
これがオールズモビルに初搭載されたトリップ・コンピュータの付いた計算機。いや、計算機の付いたトリップ・コンピュータ?
第二弾、ダウンサイズされたオールズモビル、フルサイズのNINETY-EIGHT は計器盤の隅に。これは後期型1990年式。
それが装備できる様になったのは、このダウンサイズされたCボデー、NINETY-EIGHT、初期型はオールズモビル有名なジーゼルエンジン、横置きV6のもあった。前輪駆動にダウンサイズされたCボデー、でもV8を載せられるのは、矢張り、最高峰のキャデラックだけでした。
おかしな話で長胴のフルサイズ、Cボデーは1985年にダウンサイズされ前輪駆動に移行したのに、通常のフルサイズ、Bボデーの前輪駆動化は一年遅れて1986年からだったので(ステーションワゴンは遂に前輪駆動化されず続行)1985年は長胴車のNINETY-EIGHT が短胴の筈のデルタ88より短く、貧相に見えるという異常な年でした。
後輪駆動、威風堂々の貫禄のBボデー、デルタ88。同じショールームで小型化されたCボデーを比べられたらさぞかし売り子は難しい立場に立たされたんでしょうね。。。
1984年のNINETY-EIGHTの2扉車。凄い大きさと貫禄。
それが翌年にはこんな無様な様相になっちゃったんですから。。。因みにこの前輪駆動化されたフルサイズCボデー2扉型は特に苦労した様で、売られたのはたったの2年間だけでした。
この窓が大きすぎた。。。
1986年は遂にBボデーも前輪駆動化され名称もHボデーに進化。でも我ら古狸にHボデーと言うと頭に浮かぶのは、GMのコムパクト車、シェヴォレイ・ヴェーガやらモンザを直ぐ彷彿させるのでややこしい(Hボデーの名称は2回別車種に使われた)これはデルタ88の2扉。矢張りフェラーリ400等のピニン・ファリーナの匂いを感じますね。
デルタ88の計算機はNINETY-EIGHTと同じ位置に装備。この横長の速度計が保守派には受けたんですよね。。。(実際は縮尺が、常に使う中央位置で細かくなるので結構使いずらい)
4扉のデルタ88。限りなくNINETY-EIGHT に似てきた。。。ショールーム再度悪戦苦闘。
話はそれて計算機、中型のカトラス・シエラにも中央コンソール上部に装備できました。
カトラス・シエラより小ぶりのカトラス・カレイ(Nボデーね)にも装備可能。
カトラス・シエラ。それもホリデイ・クープと昔のサブネーム出す所が憎いです。雰囲気もそれなりにジョートー。此奴にヴェロアの赤内装、スプリット・ベンチシートにオプション満載にしたら、雰囲気はNINETY-EIGHTの2扉車にも負けなかった。
でも1988年型から計算機機能は省かれたタダのドライヴ・コンピュータに退化?今日に続きます。じゃなかった、オールズモビルのブランドは2004年に廃止。ああ、神よ。。。
このカトラス・シエラ、所謂前輪駆動化されたカトラスですね、そのシエラ、他にもシエラの言葉は、Sierra, Siera, それとカトラスのCieraと綴りが微妙に異なるのがあるんですが意味は全て同じで、本源はスペイン語のSierraから来た様で、女性の名称に使われますが、意味は山脈を指すそうです。加州東部、ネヴァーダ州に跨るシエラ・ネヴァーダ山脈がズバリ、それを意味してますね。GMでは以前にもGMCのピックアップトラック、1973年にモデルチェンジした際のグレード名でシエラを使ってました。
そのグレード名が昇格してモデル名になって現在のGMCシエラに至ります。シェヴォレイもグレード名の最高級版、”シルヴァラード” が一人歩きをして今じゃ、車名になったのと同じ。
Sierraの綴りの自動車は何車種かあったみたいで、有名なのは空力車、フォード・シエラが頭に浮かびます。。。此奴はXR4Tiとして米国で大失敗やらかしたのは以前書きました。
ゾロアスター教で知られる、インドのタタ社も多目的車がSierraでした。
よく広告なんかでいかにも操縦士は皆、こんな時計をはめている、ななんて写真を見ますが、実際、こんな時計を使っている操縦士は18歳の免許取り立ての可愛い人か、それに憧れる人達で、現実は皆、香港で格安で買ってくるキャシオなんて言うのが殆どじゃないかな、とは個人の感想。第一こんな時計で対地速度やら温度換算なんかしていたら不便でしょ? ロートルのぼくら、老眼でこんな小さな目盛り、見える訳ないし、アハハ。
昨日のワイマナーロ。波やや強し、せど水温心地よく。何故か人影閑散。
なんか似てるう。。。
冒頭画像は1978年型オールズモビルNINETY-EIGHT リージェンシー。興味深いのは、1977年同時にダウンサイズされたCボデーのキャデラックのフリートウッドはBピラーが下細りの特別形状だったのに、同車体のビュイック・エレクトラとオールズのNINETY-EIGHTは通常Bピラーだった事。ちゃんとキャデラックは差別されてましたね。