ご存じ、全米を結ぶインターステート高速道路構想は大昔からあったのですが、今のような近代的な道路網が建設され始めたのは連邦高速道路法が可決した1956年からです。経済発展の一環と、冷戦前夜の事ですから、かなり軍事の匂いが強かった様でした。(東西に走るインターステートは偶数、南北は奇数、大都市の周辺を回り道して突き進むバイパスは3桁の数字になっています)
この全米を跨ぐ道路網、一応連邦政府の基準と言うのはあるし、第一、資金の多くが連邦政府から出るので、他の関係ない法案で州政府と連邦政府が喧嘩する際、いつもワシントンDCは州政府に対して、言うこと聞かないなら高速道路の修理費出さないわよ、などと脅しの対象によく使われます。まあ資金は如何であれ、本来なら標識から道路の構造まで同じと考えるのですが、実際は各州政府が建設・維持していて、州の方針やら財政状態によって、標識が違ったり、照明が少なかったり、舗装状態が良くなかったりと、州境を越えるとそれらが端的に現れるのが興味深い所です。勿論、人口と車両人口の多い北東部と荒野が延々と続く南西部では取り巻く環境が全く違うので、違いがあって当然ですけどね。
学生時代、秋から冬にかけて休みが多くなると、家族の居たイリノイ州まで、ニューヨーク西部から6気筒ダンナ仕様の2扉型フォード・フェアモントで、距離にして920キロ、休憩を含めて大体10時間半で走破するのが恒例でした。
この旅、一旦西ニューヨーク州を過ぎればあとは殆ど平坦で単調な旅路で、クルーズコントロールをセットしてあとはラジオのダイアル回してジャンクフードを食べるだけなのですが、途中通過するオハイオ州、インデイアナ州と目的地のイリノイ州、州独自それぞれの ”味” があるのは前記しましたが、矢張り一番敏感になるのは速度違反の取り締まりで、特にオハイオ州は厳しくて、前が早いから一緒に走りゃ捕まらないわ、と思えば、オハイオ州のハイウェイパトロールは3、4台同時に捕まえるのは朝飯前。昼は空から航空機と連携で速度検査するので油断も隙もあったもんじゃないんですが、流石に夜になると空からの監視はお手上げ。
と言うのが理由でもないんですが、僕がこの帰省旅するのは何時も夜中走る様にしていました。何せ景色は単調だし、夜の方が交通量は少ないしと好都合の点が多かったからです。
オハイオ州、アシュタビューラ。
ニューヨーク州を西に進み、全米東西横断するインターステート高速道路90号線に乗ると、直ぐペンシルヴェニア州に入境しますがそれも束の間、オハイオ州の州境を跨ぎます。
出発して丁度3時間経つと、オハイオ州の境を越えた最初の街がアシュタビューラ。ここで夜食を摂るのが習慣で、高速道路出口にある、24時間営業の給油所やらレストランの中でもポンデローサと言うステーキハウスに良く行きました。ここは当時からサラダバーがあって、何回もお代わりができたので便利だったのですが、その後このチェーン店はそのサラダバーからの食中毒で有名になり、結構な店舗が閉店したんだっけ。。。
アシュタビューラ。ここはエリー湖に面する産業都市で、ペンシルヴェニアで採れる鉱石を船に積む船町でもあります。アシュタビューラと言う名称は地元のインデイアン語で ”皆んなに行き渡る程魚が豊富に採れる街” と言う意味だそうです。
この辺り、自動車産業の中心地デトロイトも含む、工業の盛んな一帯でアシュタビューラも例外では無く、ぼくら自動車屋では、自動車の樹脂製車体の発祥地として知られていました。樹脂製車体とは、所謂、糸の様な細長いガラス繊維で織った生地をドロドロに溶けたポリエスター樹脂で硬め整形し車体のパネルにするもので、これを最初に自動車用として量産開始した、MFG社がここ、アシュタビューラにあるのです。
アシュタビューラが世界に知られる様になった最初の自動車が、あの有名な樹脂製車体を今でも使っている、シェヴォレイ・コーヴェットなのです。
コーヴェットはこのフレームの上に繊維強化樹脂の車体を被せます。
アシュタビューラで作られた繊維強化樹脂部品。実際の組み立ては最初はミズーリ州セイントルイスでしたが、後に競馬で有名なケンタッキー州ボーリングリーンの専門工場へ移動。
1957年は二灯式前照灯。
四灯式前照灯解禁になると他車種と同様、直ぐ四つ目に変わります。
当時、コーヴェットは金属製車体の筈だったのですが、MFG社の社長の熱心な勧誘で彼が深夜にデトロイトから出張で戻って来た後にシェヴォレイから樹脂製車体にする決断が来て、急遽、彼の自宅の地下室が作戦会議所に使われ、後にシェヴォレイの技術者は社長自宅のピンポン・テーブルの上で図面を引いたとか。初期型のコーヴェットはエンジンも小さく、この樹脂製車体の品質が向上するまで随分と時間を要し、ぼくらが憧れるコーヴェットは動力性能が本格化し外観が日系デザイナーのラリー・シノダ氏が手がけた2代目のC2になってからなんですけど、それとは他に余り知られざる樹脂部品を使った自動車をMFG社は作っていました。
今とは全く違い、1950年代のピックアップトラックは、物を運ぶ事の為に世に出された製品で、簡素、ストイック、運搬性能が命よ、とばかりに専科していたのを、GMの有名なデザイナーのチャック・ジョーダンが、この運搬自動車をもっと娯楽や乗用に転向できんかと、考えたんです。
GMデザインのお偉方、チャック・ジョーダン氏。彼は昔GMが製造していた鉄道機関車なんかのデザインもやってたそうです。彼の息子さんは北米マズダのデザイナーで初代ミアータのデザインに関わったマーク・ジョーダンさん。
GMが昔作っていた機関車。
ここで注目していただきたいのが、当時、ピックアップトラックは殆ど、全て、荷台の横に車輪と泥除けの独立して付いた、”ステップサイド” 型しかなかったのです。大体ピックアップトラックと言う軽便貨物車は車輪の付いたフレーム骨格の上に物を運べる四角い ”箱” を置いたのが始まりなので、出しゃばる車輪はただ単に泥除けを被せただけだったので、皆、それが当然だと考えていたんですね第一、(要するにフレームの幅が荷台の幅だったんですわ)荷台の幅を広げたら後輪の分が荷台にはみ出て不便じゃないですか、と思っていたんだと。
1955年式にモデルチェンジした、シェヴォレイの標準的なピックアップトラック、その名もタスク・フォース。名前がいいですね。後輪フェンダーが独立した、いわゆるステップサイド型荷台。どこの会社もピックアップトラックはこの形式しかなかった。
その不恰好?なステップサイドの車輪と泥除け(フェンダー)にアシュタビューラ製の強化繊維樹脂で作った覆いを被せスマートに見せ、光り物や明るい塗装と豪華装備に仕立てたピックアップトラックを作り出したらと、チャック・ジョーダン氏が提案します。丁度その頃、コーヴェットの樹脂車体の量産が軌道に乗っていた頃、んじゃ、これもMFG社にお願いできんかのうとして部品を作ってもらい、完成したのが、シェヴォレイのピックアップトラック3124型、名称はカメオ。亀男。甲羅を被ってるから?いやいや、カメオは有名俳優がこっそり脇役で出演する事を意味します。
1955年に登場したシェヴォレイのタスク・フォース系の派生として登場したのが、モデル番号3124、俗名カメオ Cameo。おしゃれでせう。強化繊維樹脂の荷台外装。よって軽量。錆びない。
スペアタイヤはアオリの下のアクセス扉を開けて出し入れします。
これは普通のステップサイド。
カメオの最大の特徴はフェンダーの独立していない、スマートな荷台。強化樹脂繊維の覆いを外側に被せただけなので、荷台その物は車輪の出っ張りの無い、ステップサイドと同じ。
これはステップサイド型の荷台。カメオと同じ。
チャック・ジョーダン氏の構想とは裏腹に、今振り返れば時代を先取りしすぎたのか、この娯楽・乗用に仕立てたトラックはさっぱり売れず。その代わり、この独立した車輪・泥除けを隠し、スマートになった荷台の外観はGMだけでなく、他社からも注目をあび、GMもフリートサイドと称してスマートな外観と幅を広げた荷台のピックアップトラックを売り出し、コチラは大人気。(荷台の幅を広げたので車輪の分だけ突起が生じ幅広い荷物を載せるとつっかえますが)。現在に至ります。
その元祖ピックアップトラックの荷台形状だったステップサイドも、もはや意味を無くし、荷台の狭さから結局生涯の役目を果たしたのか、2009年でしたっけ、を最後に消滅。
もおここいら辺まで来ればステップサイドはオシャレ意外に全く意味がなかった。。
ツンドラにもちょっと怖い形状のステップサイドがありました。ツンドラが積んどら。笑って下さい親父ギャグ。
結局人気が出なかったカメオは1958年が最後に。その代わりこの、スマートな側面の荷台に本物の幅広荷台にしたのを、同年から ”フリートサイド” の名称で売り始めます。悔しい事に、この新型でスマートな形状の荷台はフォードとダッジはその前に登場されちゃいました。ここで各社、一斉に幅広荷台が揃ったわけであります。
フリートサイドはカメオに外観は似てますが、荷台が幅広になったので車輪の出っ張りが現れました。
如何に荷台が狭くとも、ぼくの一番好きなピックアップトラックはGMT400系、ステップサイドの短胴なんですよね。。。。かっこええ。
今日のオマケ。先日カハラ・モールで見かけた1966年型クライスラー・ニューポートのコンヴァーチブル。売り物で250万円で売りに出ていました。可笑しかったのは買いたい人の質問欄に、はて、パワーウインドーのスイッチがあるのに窓を上下するクランクが付いているのは何故?と。あはは、若い人は知らないんですね。あのクランクは換気窓を動かすんです。余計なお世話かもしれませんが、1970年代前半のクライスラー・インペリアルの前扉換気窓は電動で開閉するんですが、その機構はGM製でした。。。
でも我々の年代でこのクライスラーを見ると真っ先に頭に浮かぶのが、楽団
The B-52's の大ヒット、”Love Shack"
”ぼくが鯨の様に大きなクライスラー借りてくるから、12人くらい乗せて、今から愛の宿へ直行!”
皆んなで踊ったの懐かしい。。。連中まだ歌って踊って人気ですけど、中心人物のフレッド・シュナイダーさんももうお爺さんに。電気ギターがキマったキース・ストリックランドくんは半正式に脱退、今は応援団だそうです。
"B-52" とは長距離爆撃機のことではなく、ケイト・ピヤソンが結うこの特徴ある髪型の事。なんかガラス繊維で出来ているみたいですね。。。。。アハハ。
最後の図、アシュタビューラ製の強化樹脂車体パネルを使ってまっせ、と表示されていた昔のコーヴェットの広告。