んなわけない\(^o^)/
東都観光バス 最高の運転士さんとガイドさんでした\(^o^)/
眠いので崎陽軒横浜工場-横浜星のなる木-横浜スタジアム見学は明日アップします。
晴天の4月22日(金)、
この1月になにしたなにがついに実施されました。
一行40名を乗せたバスは予定通り9時15分に東京駅鍛冶橋駐車場を出ました。
小1時間で第一の目的地、崎陽軒横浜工場へ無事に到着完了\(^o^)/
歓迎レセプションの後、おねえさんの口演と動画で崎陽軒のシウマイ誕生の経緯、製造工程の説明が無駄なくされました。
関東では知らない人のいない崎陽軒のシウマイが誕生したのは、横浜市も崎陽軒も壊滅した関東大震災がきっかけでした。
震災で多くを失った野並茂吉社長は、「何か名物はないか。なければ名物を作らなくては」 との信念の下、当時南京町(現中華街)の多くの店で付き出しに焼売が出されていたことに着目、試行錯誤の末ついに冷めても味の落ちない現在のシウマイの原型を完成しました。
時すでに関東大震災から5年が過ぎていました。
発売当時は1日に20数個売れるのがやっとで、茂吉社長は 「宣伝が必要」 と考え、テレビのない当時、飛行機からシウマイ交換券付きのビラを撒いたり、横浜駅で女性に派手な衣装を着せてシウマイ娘として販売に力を入れたり、さまざまな販売努力をしました。ちなみに当時シウマイ娘は人気のある職業で採用基準も厳しく、当時では長身の158cm以上の女性しかなれませんでした。
崎陽軒のシウマイのうまさの秘密は豚肉、ホタテ貝柱ベースの他には調味料が砂糖、塩、胡椒、それにつなぎの役目の澱粉だけしか使われないところにあります。
工場内は撮影禁止のため
展示室のしょう油差しひょうちゃんや過去のノベルティなど
工場見学は無料なので、売店ではついつい財布のひもがゆるみがちに。
崎陽軒を後にした一行は次の目的地、横浜スカイビル28階の
3月にオープンしたばかりの日本料理店 星のなる木 へ。
過去、横浜では中華街の聘珍樓でランチだったので今回はあえて和食としました。
気を遣わなくていいからと言ったのにお祝いまで届けてくれて 「奴も気が利くようになったねえ」
って、よく聞いたら我々にではなくお店へのお祝いでした。
ランチタイムとは言えこの場所、この内容で税別3,800円はとてもよろしいんじゃないでしょうか。\(^o^)/
そこへ
『私も小諸そばでエビ天丼食べましたあ』
ゆっくりランチを食べ込んだ一行の次なる目的地は、
「右に見えますのは神奈川の海でございま~す」
「左に見えますのは同じく神奈川の山でございま~~す」
横浜DeNAベイスターズの本拠地
横浜スタジアム略してヨコスタじゃなくてハマスタ
ピッチャーズマウンドや選手のロッカー室やお風呂や記者席やブルペン、年間1,000万円のVIPルームなどは
こちらフォトアルバムで
ここではリリーフカーMR‐Sと
カバーのかかったスーパーバズーカーと
ラミちゃん監督が記者会見とかするところ
無事に東京へ戻れたことを祝って、新丸ビルフランツクラブで、ホワイトアスパラのなんとかかんとかと
アイスバインをつまみに軽く乾杯。
話しながら、2次会行って酔っぱらってくしゃくしゃになった生もののシウマイ関係のおみやげを家に帰って監視員に渡したらどうだろと一瞬想像してしまいました \(^o^)/
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Posted at
2016/04/22 23:55:08