湘南FW号を見送ったのは、まだ今年がスタートして間もない1/13。庭の梅がいくつか咲き始めた頃でした。
先ずはどこからお話しすればいいのか・・・。
大切にしていたFWをどうして手放したのか、ということからになりますでしょうか。
FWは譲渡致しました。
明記しておきますと初っ端から下世話な話しで申し訳ありませんが、FWは下取りでも売却でもなく無償譲渡です。
その譲渡先より一通の封書が届き、行って参りました。
今まで諸事情により詳細を書く事が出来ませんでしたが、ようやく解禁です。
譲渡先はここ、浜松のスズキ本社前にあるスズキ歴史館さん。
自分自身の中でGSX400FWを後世に残したいと思いついたのはいつだったのか・・・。
今となっては詳しい月日を忘れてしまいましたが、おそらく6~7年前のことだと思います。走り終えた後、真夜中に拭き掃除をしていた時のことでした。
それは学生の頃に数学の解き方を閃いた瞬間の『あっ、そっか!』という、あの感じにとても良く似ていました。
近しい周囲にはその考えを打ち明けました。
しかし理解を示して頂ける一方で、計画の実現性を疑問視される意見が多かった事も事実です。確かにその時点では私の単なる中二病的な妄想に過ぎませんでした。
自己分析をするのであれば、そうした考えに至った経緯には様々な要因が考えられます。
Bright Logicさんにお世話になる様になった事もその一つかもしれません。
こちらは普段Bright Logicさんに置いてある、1986年の鈴鹿8時間耐久レースを実際に走ったGSX―R750。ライダーはケビン・シュワンツ選手と辻本 聡選手のペア。
プラモデルも販売されていますので、数あるヨシムラレーサーの中で最も有名なマシンかもしれません。
トップチームのマシンはライバルに勝つ為に存在しています。優勝でもしない限り役目を終えれば廃棄されていく運命ですが、優勝した訳でもないのに何故か現存し、イベントがあると今でもデモンストレーションランを行います。
運命は人だけに宿るものではないと思いました。
また、ミーティングや箱根、ブログを通して知り合った沢山のバイク乗りの方々と接する中で、バイクに対する思いや考え、そして楽しみ方は皆さんそれぞれ異なるということを改めて感じました。100人のバイク乗りがいれば100通りの楽しみ方があり、他人に迷惑をかけたり不愉快な思いをさせない限り、100通りの正解があるのです。
そうした様々な経験を経て自分自身の未来を考えた時に、果たしてこのまま乗り続けたとして最後はどうなるのか?という疑問に至りました。
50歳前後になると、漠然と自分の行く末について考えたりするものではないでしょうか。
仮に大病を患わず元気に乗っていられたとして、ストックしてある部品に交換すれば10年位は綺麗な状態を維持する事が出来るでしょう。
しかしやがて訪れる体力的な限界、つまりFWに乗る事が出来なくなったその先は・・・?
現在でさえ程度の良い部品はほとんど手に入らず、おそらくその頃にはFWの状態も経年劣化が進んでいるに違いありません。
そうなってからでは盆栽(走りもせずに磨いて眺めるだけの状態)にしかならない・・・それでは何もかも遅すぎる。
バイクは人が乗る為に世に生み出された『モノ』です。メーカーからすれば商品であり、工場で大量生産され、店頭で販売され、消費されて役目を終える。それは正しい事であって、バイクにとっては走っている事が一番の幸せなのかもしれません。
人も物も、必ず『終わり』が訪れます。
他人が乗るにしても、そのオーナーが元気で情熱を注いでいられる時にはあの手この手で状態を維持する事が出来るかもしれません。しかしそれは未来永劫続くものではなく、結局やがてはスクラップに。
このFWが辿る道として、スクラップ以外の何かもっと良い方法が他にはないものなのか・・・おそらくそうした事柄から、脳が導き出した答えが永久保存だったのだと思います。
FWが自分の手を離れていくのはこの上なく寂しい事ですが、FWというバイクが西暦1983年に誕生し、短い期間ですがこの世に存在したという事実を2次元ではなく、実際の車体で証明し、これから生まれてくる未来のバイク乗り(その頃にはきっと電気バイクかな)に、昔はこんなバイクがあったんだと思ってもらえる、こんなに素晴らしい事はない!
計画を実現する為に、スズキ歴史館さんに最初に足を運んだのは2014の秋。
実際に展示されている車両を見て、自分のFWには何が足りないのか、何を補えば計画を実現する事が出来るのかを自分の目で確認したかったのです。
こちらのGSX-R400は2013年の鈴鹿サーキットに展示されていました。普段は歴史館さんに展示されています。
スズキ歴史館さんを最初に訪問した翌月、長年の念願であったFWの生みの親でもある横内本部長(当時役職)とお会い出来た事により、FWを一個人の所有物としてではなく、公の場所で後世のライダー諸氏に観て頂きたいという思いは一層強くなりました。
それからは通常の走行やミーティングへの参加は慎重になりました。
凍結防止剤が散布されている冬季の箱根や、路面が濡れている時は雨が降っていなくても運転は極力控え、塩害から車体を守る為に一頃は毎週末毎に通っていた西湘バイパスの国府津PAにもほとんど行かなくなりました。
箱根に走りに行く時も西湘バイパスは使わず、少し時間はかかりますが出来るだけ内陸の道を選びました。
走り終えた後はどんなに暑かろうが寒かろうが、何時になろうが拭き掃除を欠かさず行い、日頃の維持管理や部品の調達など全ては計画を実行する為に行う様になりました。
バイクの清掃に関しては学生時代に知り合った、今は1100刀に乗る彼の影響は計り知れません。
彼と知り合う前は外装部品にはワックスを掛けていましたが、エンジンやマフラーに関しては『汚れても仕方ないもの』として一切掃除などしませんでした。
当時彼はGSX250Eカタナに乗っていましたが、上はミラーの先から下はタイヤに至るまで常に手入れが行き届いていて衝撃を受けました。
以来、自分なりにFWを清掃する様になりました。
計画を思いついてからというもの、不思議なもので半分諦めていたメーカー欠品部品が少しずつ手に入り始めたのです。
手に入った部品を全て撮影してブログにアップしていたのは自分が忘れない為という事もありましたが、ブログを読んで下さっている71会以外で同じFWに乗られている方々が、この思いを察してくれてネットオークションの入札を控えてくれてらなぁ・・・という勝手な願いもありました。
正直に申し上げれば、恥ずかしながらいつだって経済的には余裕など全く無いのです(笑)。
実際にネットオークションに出品する前に連絡を頂いた事もありましたし、71会内の400FW乗りで構成される『親父旅部』のメンバーからはネットオークションの出品情報を頂いたり、事前の入札打ち合わせ、手持ちの部品を譲って頂く等、本当に様々な形で支えて頂きました。
そして具体的な行動を起こしたのは昨年1月末。定時に仕事を終え、急いで会社の敷地内からスズキ歴史館さんに電話をかけました。その時に見えていた冬の夕暮れ時の情景や緊張感は、今も脳裏に焼き付いています。
『私、小田原に住んでおります○○と申しまして、御社の二輪に乗っております。展示車両についてお伺いしたいのですが、御担当者の方はいらっしゃいますでしょうか?』
とても不安でした。何故なら断られるという可能性も十分に考えられたからです。
その理由としての考えられるのは2点。1点目はGSX400FWが保存されてはいるものの展示には値しない車両であるという判断、そして2点目は販売実績で苦戦したマイナー車両である、ということです。
限られたスペースで多くの車両を展示されている事は、何度か訪問させて頂いた中で十分理解していました。その中に『敢えて400FW を展示して頂く為には』というテーマを、営業職だった頃の経験を基にずっと考えてきました。
ポイントはメリットと客観性。
ちょうど400FWの前後に販売された車両が展示されていた事は大きなポイントでした。
お伺いしたところ幸いにもGSX400FWは保存さていませんでした。そして自分なりに考えた400FWを展示する『意義』について簡単に説明させて頂いたところ、結果的には快諾して頂きました。
出発点は私の妄想でしたが、日頃から気持ち良く乗れる様に整備してくださったBright Logicさん、素晴らしいコンディションを維持して下さった前オーナーの方、部品収集に協力して頂いた全ての方々の気持ちと、そして広報部をはじめとする現スズキ二輪カンパニー(旧自動二輪事業本部)さんの400FWに対する理解の集合体である、と思っています。
400FWが最初に向かったのは歴史館さんではなく、研究開発部門。
先ずはエンジン音の収録(ヨシムラサイクロンと純正マフラーの双方)の後、歴史館さんに搬入されて修復作業が行われました。
歴史館では静態保存ですので消防法の関係上、燃料や油脂類、バッテリー等の可燃性のあるものは車体から全て抜き取らなければなりません。その前に録音をしてから展示に向けた作業、という順番です。
それでは晴れて展示となりましたGSX400FWをご覧下さい。
同じ並びには空冷エンジンの車両が並んでいます。その中にはFWの直前のモデルであるGSX400FSの姿も。隣はXN85というTURBOエンジン搭載の車両です。
何故この順番に陳列される事になったかというと、4ストロークエンジンではFWが最初の水冷エンジン搭載の車両であるからです。
因みにGSX400FWの車名の意味は、当時のスズキでは4ストロークエンジン車にはGSという車名を付けていました。1気筒当たりのバルブ数が吸気1つと排気1つの2バルブエンジンはそのままGS、吸気2つと排気2つの4バルブエンジンにはXを付けてGSXとしました。
400は排気量。FWのFは4気筒を意味するFourの頭文字、Wは水冷を意味するWaterの頭文字です。
FWが発売された1980年代初頭は当時の運輸省が車体前部に装着するカウリング(風防)を認可し始めた時代で、スズキ社内ではカウリングを装備したモデルには車名の最後にSを付ける流れがありました。
ですから正式には私の乗っていた車両はGSX400FWSという事になり、4ストロークエンジンの1気筒当たり4バルブ、排気量が400ccで4気筒の水冷、カウリング付きモデルという事が車名からわかります。
普段拭き掃除をしていると、錆びや跳ね石で傷み易い部分が解ります。逆に言うと、どの部分が綺麗だと車体全体が綺麗に見えるのかが自ずとわかります。
イヤらしい事ですが、その点を踏まえて効率的に部品を収集していました。
一番先に目に飛び込んでくるのは、どうしても外装の色と艶。
この車両は赤と白の2色ですが、この赤が曲者です。一見メタリックレッドですが、実は銀色の下地の上にクリアーレッドを乗せた所謂キャンディーレッドという手間のかかった色。
通常のメタリックレッドと比べると深みのある色合いに仕上がりますが、褪色し易いという難点もあります(現在の塗料は顔料が当時とは違い、褪色は改良されているとの事です)。
しかし当時の色は当時の部品が一番だと思い、再塗装は最初から考えませんでした。
出来る限り目に触れる部分は当時物新品を使い、どうしても新品が手に入らない部品は状態の良さそうな中古を使用しています。
今までお会いしたバイク乗りの方々の中には新車の様なコンディションを維持されている方や、綺麗に改造されている方も大勢いらっしゃいます。
そうした方々からすれば、その程度かと思われるかもしれませんが、これが私個人の限界でした。
メーター、ハンドルスイッチ、レバー、ブレーキマスター、ミラー等の黒い部分がしっかり黒いと全体が引き締まって見えます。
走行距離もゼロに。『永遠の0』です(笑)
黒塗装されたFWのエンジンの中で、アルミの輝きを放つポイント及びジェネレーター(銀色の部品)、クラッチカバーも良いアクセントです。
マフラーはエンジンが掛かっている時は常に熱に晒されているので、どうしても錆びが出易い部品。
乗っていた時には純正と同様のブラッククロームという表面処理が施されたヨシムラサイクロンを装着していました。
展示に際し、純正マフラーの新品に交換。当然錆びはありませんが、残念なのはエンジン下の部分がマフラーカバーという小さな部品が最後まで手に入りませんでした。
ステップ周辺は車体左側に関してはステップ、ブラケット、ブレーキペダルは新品。後部乗車用のステップは新品は手に入らず、当時のまま。アルミ特有の錆びはそれほど酷くありませんでしたが、ネジは錆びてしまっていました。
サイドスタンドも新品に交換。通常の使用では足で払うので色が剥げてしまいますが、こういう部分の色が結構演出してくれるものです。
車体後部。新品テールランプは風神さん寄贈。
テールカウルは400FWの外装の中では最も褪色してしまう部分。私が乗っていた時に付いていたテールカウルなんて最後の方は白っぽくなっちゃってました(笑)。
リアフェンダー(泥避け)は樹脂製ですので、紫外線で白く焼けてしまいます。
この部品は当時のままですが、この状態を保つのがやっとでした。
ナンバーが付いていたところにはSUZUKIのライセンスプレート。これ、いいなぁ(笑)。
女性のお洒落は足元からと言いますが、バイクも同じだと思います。
いくらタンクやその他の外装が綺麗でも、脚周りやエンジンが汚れたままだと綺麗とは感じません。
フロントフォーク一のアウターチューブは、前の部分が跳ね石や汚れで傷み易い部分。こちらは新品ですので付属のANDFの微妙な色合いも綺麗。ただしブレーキキャリパーやホース類は当時のまま。さすがに疲れてます。
一番嬉しいのがホイールを綺麗にして頂けた事。バイクのホイールは油分やブレーキダストで汚れ易く、掃除に手間がかかる部分でもあります。しかも汚れが一度こびり付くと、なかなか元通りに戻りません。研磨剤を使うとリム部分は一時的に綺麗になりますが、何度も磨いているうちに表面のアルマイトの被膜まで落としてしまうので、ちょっと掃除を怠ると直ぐに白く濁ってしまいます。
それが嫌で、乗っていた頃は常に拭き掃除のみにしていました。
ホイールクリーナーとか今では多くの種類のケミカル類がある事は知っていますが、どうやってこの状態に出来たんだろう・・・。
部品を集めていると、他愛もない部品でつまづいたりします。その一つがホーン。
車体の前部に、しかも前向きに付いているのでかなり錆びてしまいます。
一度FWと同じ型と思われるホーンが沖縄から出品されているのを見かけましたが、うっかり落札するのを忘れてしまったら、二度と出品されませんでした。
錆びの少ないホーンを手に入れ、頑張って家で手入れしました。周囲の部分はグリーンクロメートという処理がされているのですが、その被膜が薄いのなんの!
何度も擦ると直ぐに地金が出てきてしまうので要注意です。
大雑把ではありますが、展示車両の状態はこんな感じです。
展示車両の担当者の方とお話しした祭に、この前行われた株主総会にFWの展示を間に合せたかったとの事でした。
総会の後で歴史館さんの見学が催された様で、年齢的にFWを御存知の方も多く、中にはFWにセンタースタンドが無い事を指摘される株主さんもいらっしゃったそうです(笑)。
・・・というところで親父旅部のWatterさんに相談を持ち掛けたところ、現在使用中にもかかわらず譲って頂ける事になり、早速送って下さいました。
変更してあったバーエンドとトルクロッドの純正部品も先日歴史館さんにお届けしたので、これでスタビライザーを取り外せば周りの展示車両のコンディションに少し近付くかな・・・。
来年、スズキ株式会社さんは100周年ということです。妄想第二段発動か(笑)
最後に・・・
考えを思いついてから行動に移すまでの間、ずっと頭の中にあったのはこの言葉でした。
If it were said of me
that I’me almost romantics,
that I am incorrigible idealists,
that I think the impossible:
then a thousand and one times I have to answer ‘yes I am’