最後のお別れをしてから、もうすぐ1ヶ月。
先月8月9日、veryさんが亡くなられた。
このblogはFWとそれにまつわる日記として書いているので、当然その事も書こうと思って当日の夜から書き始めたというのに、結局こんなに時間がかかってしまった。
理由は書き綴るスタンスがいつまでも定まらなかったから、だ。
これまで何度書き直したことかわからない。
全ての生物は生まれ落ちた瞬間から死ぬ定めにある。
それは避けて通ることが出来ない致し方のないことだが、ことさら人の死はいつ、どこで、どうしてかが問われる。
veryさんは44歳という若さで志半ば、病に倒れた。
運命という言葉で片付けるには、あまりにも若かった。
スマホと共にLINEの普及は人と人の距離感を変えた。
veryさんはヨシムラレプリカのオーナーとして有名だが、実のところ400FWのオーナーでもあり、4人で構成される親父旅部というグループLINEのメンバーでもあった。
亡くなる半月ほど前までは普通にやり取りがあったので、青天の霹靂とは正にこの事だ。
悲しいかな、人の運命なんて一寸先すらわからない。
veryさん、最初に会った時のこと、覚えてる?
小雨の降る中だった。
こうしてBlog書こうと思ってふりかえったら、まだたったの5年しか経ってないんだよ。
もっと前かと思ってた。
その時に話したこと、覚えてる?
このバイクをこれから改造していくんだって。そう話すveryさんの嬉しそうな顔が忘れられない。
それから連絡を取る様になって2ヶ月後には一緒に箱根とBright Logicさんに行ったんだった。
あの時、『後ろから走ってるとFWがギラギラしてカッコイイ』って言ってくれた。
そんな一言を今でも覚えてるよ。
後からWattreさんも来て、結構遅くまでソファーに座ってのんびりした。
その年末には大勢で辻本さんの所へも行った。風神さんのインパルスを見た辻本さんが『何コレ?』って言ってみんなで大笑いして・・・楽しかった。
サイン、もらったよね。
改造したら純正は使わないから壁に掛けて永久保存版にするって言ってた。
一昨年の秋にveryさんの所へ行ったら本当に壁に掛かってたね。
その数日後、走り納めの帰りに横浜の保土ヶ谷のNAPSに寄ってメールしたら、大晦日の夕方なのに今から直ぐ行くって駆けつけてくれたんだった。
陽が暮れかけてて寒くてさ。
去年は来れなかったから、一昨年が最後の大晦日の走り納めになっちゃったね。
そうとわかっていたなら風神さんと一緒にそっちへ行ってたよ・・・
バイクの改造を本格的に始めるっていうから、2月に風神さん家で集まった新年会で色合わせ用にヨシムラの本物のカウリングを渡して、veryさんの夢をちょっとだけ手伝えたことがうれしかった。
大観山ミーティングには間に合わなかったけど、前夜祭から社用車のトラックで来てくれたね。
念願のバイク、夏に完成したね。そりゃカッコ良かったよ。
大型は竹中社長が何台も作ったけど400ccでここまでやるヤツ、他に誰もいなかったじゃん。最高の出来栄えだった。
愛知県民の森、一緒に行ったね・・・
往きの道中、ELVISさんが走行写真を撮ってくれた。
この年はWatterさんのバイクも完成して2台揃って本当に何も言うことがない最高の年だったよ。
夜の宴会がまた楽しいんだよね。いつも日本酒の差し入れを持参してくれた。
みんな気心が知れた仲、ああでもないこうでもないって。
veryさんが出したじゃんけん大会の景品は仲間内の邦ちゃんが大当たり。その場で取り付けてあげたね。
帰りも車に載せる時はみんな寄ってたかって。
帰り道も途中まではみんな一緒。
バイクが完成した記念に走行写真撮ろうって、箱根に行ったね。
辻本さんのところで買ったジャケットを着てきたんだけど、インナーを外してきたのはちょっと失敗って言ってた。晩秋の箱根の早朝は予想以上に寒かった。
途中、2台で走ってるところも撮ろうって一緒に走った。
季節は秋から冬に向かおうとしているところで、箱根は朝霞が出ていた。
走り終わった後っていつも最高に気持ちいいんだよね!
よく見たら、いつものピースサインじゃない貴重な1枚だ(笑)
その後は昼食を食べに沼津港へ。食べきれないほど頼んじゃって・・・。
年末にはakiさん家で忘年会やった。
寒かったね~。バイクを停めると、直ぐにシートに霜が降りて。
風神さん家で新年会。
ヨシムラ本社で開催されたツーリングブレイクタイムに行った。
この時の音量検査は大丈夫だったんだっけ?(笑)
大観山はもうこの光景が当たり前だったから、何の疑いもなくこういうことが暫くはずっと続くと思ってた。
もちろん愛知県民の森も。この年は風神さんがサプライズで400FSを車載で持ってきて、一緒に降ろしたね。
veryさん滝汗!
この年は斎藤 仁さんが来てくれて、Watterさんがjin PRIZEのTURBO車両を車載して来て盛り上がった。
毎度のことながら夜も盛り上がった。
やっぱり、この笑顔だよ!これがなきゃ・・・
大晦日の走り納めは箱根に行ったけど、路面が湿っていたので引き返して江ノ島へ行った。
さすがにこのバイクは国府津PAでも目立つよ。
途中、お互いのバイクを交換した。
息継ぎもなく下から上まで回るエンジンは流石だったよ。キャブレターのセッティングもばっちりだった。
大観山の前夜祭ではみんなに食べてもらいたくて頑張って作った。
この時はもうFWを持ってたんだっけ?
湘南FW号に跨って・・・
バイクの改造した部分でわからない所があるからって、ヨシムラツーリングブレイクタイムに行った時にお願いして特別に本物を見せてもらったでしょ。
違う箇所を見つけて、『あ、ここ間違えちゃった!』って言ったら、ヨシムラの方にウケてたね!その流れで普通は入れない本社の2階にも入れてくれた。
その後はBright Logicさんに行って記念撮影。
当たり前過ぎる構図だけど・・・やっぱりこれが一番だ。
この年の愛知県民の森はプロカメラマンの写真撮影があったんだった。#55のゼッケンナンバーはこの時からだったんだね。
愛知県民の森の帰り道にFWの右フロントフォークのエアーバルブが外れて無くしてしまい、11月終わりの雑誌取材の予定が入って困っていたら部品を譲ってくれたveryさん。
お陰様で無事に取材を終えることが出来た。
FWが保存展示されたら返そうと思ってたんだよ。
しばらくの間・・・あと10年ちょっと位は春の大観山と秋の愛知県民の森、新年会や健康ランドで泊まりの飲み会。こんな感じが続くのかな、と思っていた。
それが今年5月、GW明けの大観山と前夜祭が最後になってしまった。
亡くなってから通夜までの数日間、最後のお別れはどうしたらveryさんが喜んでくれるだろうと、仕事中も考えてた。
ヨシムラの応援フラッグは棺に入れてあげよう、とは直ぐに思い付いた。向こうに行ったら、veryさんのことだからきっとPOPに会いに行くに違いないと思って。
ただし色が赤と白なので、喪主である奥さんにお渡しして判断してもらおう。
他には・・・思い付いたものの、ちょっと自分一人じゃどうにもならない。
夏季休暇中でお店も休みだったけど失礼は承知の上で、竹中社長に直電。
いきさつをお話ししてヨシムラジャパンの不二雄社長と辻本さんからは弔電、竹中社長と辻本さんからはヨシムラメカニックとヨシムラライダーの肩書きで供花を頂けることに・・・。
そして。
veryさん、良かったね!お店を終えてから辻本さんが駆けつけてくれたよ!
日テレのmotoGP解説やら月刊オートバイ誌の連載記事の取材で福島に行ったり用事が立て込んでたのに・・・しかもわざわざGSX-750Rで。
後日お礼に伺った時には車じゃ間に合わないと思ったからバイクで行っただけだって言ってたよ。通夜って直ぐに終わる訳じゃないのにね。
まぁこれ以上言うのは野暮ってもんだ。辻本さん、バイク乗りとしての筋をきっちり通してくれた。
さて、これどうしよう。
前夜祭の時にわざわざ持って来てくれて一緒に飲んだけど、さすがに二人じゃ1本は空けられなかったね。
veryさんが来たら続きを飲もうと思ったし、veryさんのボトルキープみたいな感じがしたから、一人で飲む時には絶体に手をつけなかったんだけどさぁ。
これからも手をつけられそうにないよ。この酒を一人で飲むなんてやりきれないじゃないか・・・
今日は愛知県民の森で80’sミーティングだよ。
いつもなら東名のどこかPAで待ち合わせて行くんだけど、朝早めに出て下道でのんびり行って来るよ。
53年生きていて、はっきりと幽霊を見たことがないから天国があるのかどうかわからない。
でも世間じゃ49日まではこの世にいるっていう。もし、まだこっちにいるならveryさん当然来るよね。見えないかもしれないけど。
#55に乗って来れない?そんなの全然関係ないから。俺も乗って行くバイクがないから車だし(笑)
みんな待ってる。