先頭車両へ。
前面展望が開けていて、前部の座席は良い眺望なのですが埋まっているので、少し後ろの座席に腰を下ろします。
丹波橋駅を出発した特急電車はこれまでの電車とは段違いのスピード感。石清水八幡宮駅を通過すると、桂川、宇治川、木津川の三川が淀川となる合流地点沿いを快走します。
枚方市駅からは立ち客も多くなり、これまで遠めながら見えていた前面展望も見えなくなりました。
大阪市内に近づくにつれてマンションや住宅が密集し、小さな駅でもちょっとした商店街が並ぶ大都市近郊らしい風景に。
12時少し前に、淀屋橋駅地下ホームに到着しました。
時刻はちょうど昼食時。すでに行くお店は決めています。
淀屋橋駅近くの地下商業施設にある「インデアンカレー 淀屋橋店」へ。
実は、先日の年末遠征で東京駅、丸の内口近くでいただいたカレーがこの「インデアンカレー」(「インディアン」ではないです)でした。本場は大阪とのことで、市内に数店舗展開されています。
個人的にこちらのカレーライスがかなりツボにはまり、今回は京阪電車で行くことを幸い、淀屋橋のお店でいただけるように行程を組んだ次第。
オフィス街ということでお店はサラリーマンでほぼ満員。先にレジで注文と会計を済ませ、カウンター席に着くとほんの10秒ほどでカレーと付け合わせのキャベツのピクルスが運ばれてきました。
最初の一口は「甘い?」と感じるもその後に強い辛味が一気にやってきます。しかし、この辛味が非常に「魅力的な辛味」とでも言ったらいいのか…かなり辛いはずなのに、口の中に広がる刺激がとても心地よいという不思議な辛さなのです。おかげでどんどんとスプーンが進んでいきます。
美味しいカレーライスに大満足してお店を出ると、回転が早いはずなのに、すでに長蛇の列ができていました。
ここからは地下鉄御堂筋線で北上。
千里中央駅で大阪モノレールに乗り換え。万博記念公園駅で下車。
歩いて10分弱で万博記念公園の入口に着きます。
「太陽の塔」(トップ写真)が象徴的な万博記念公園。いわずと知れた1970年の大阪万博の会場跡地です。
万博の記念館として、当時のパビリオンであった「鉄鋼館」に、昨年「別館」が増設され、開催時の太陽の塔「黄金の顔」や、開催当時の会場の雰囲気を体感できるギャラリーなどが新たに展示されるようになった、と聞き、前から訪れてみたかった施設です。
平日にも関わらず、園内は散策する人や遠足にきた生徒たちなどで賑わっています。
その中に「EXPO70パビリオン」はありました。開催当時の写真そのままの外観がほぼ残されています。
館内は一部を除いて写真撮影はできますが、ここでは多くは載せません。
ごく一部のみ紹介します。
入場すると、まずは当時の映像とともに万博の開催決定から、開会式、開催中の映像が流れます。
当時の資料や各パビリオンの紹介などを興味深く見ているうちに、パビリオン鉄鋼館のメインである「スペースシアター」に。
円形のステージで、当時の最新鋭の音響と照明技術を駆使した音楽ショーが開かれていました。
宙に浮かぶいくつもの球体のスピーカーなど、今見ても非常に斬新な空間です。
いよいよ別館へ。
別館のメイン展示「黄金の顔」が強烈な存在感を放っていました。
直径10mにも渡る大きな円形の顔がまさに黄金に輝いています。
「未来を象徴する」というその表情はどこかユーモラスで、明るい未来がやってくることを願っているようにも見えます。
まさにそれから50余年後の「未来」である今は、果たして「黄金の顔」が象徴していた未来と較べてどうだったのでしょう・・・。
ちなみに、今の「太陽の塔」にある黄金の顔は2代目で、こちらにあるのが万博開催時の黄金の顔だそうです。
その通り黄金に輝く「顔」を近くで見るのは大迫力ですが、見る角度によっていろいろな表情があり、ずっと見上げていても退屈しませんでした。
別館には外部に面した中庭もあります。
現在の「黄金の顔」の横顔とEXPO70モニュメント。
他にも館内には、当時の会場のジオラマ模型や、会場で使われていた電気自動車や電動の自転車などの備品展示もあって、当時の雰囲気に引き込まれてしまいます。また、こちらのエントランスロビーなども開催当時の面影が色濃く残っているそう。
開催当時、私は2歳。アルバムに写真はありますので大阪万博に連れて行ってもらったことは確かなのですが、記憶はまったくありません。50年以上の時を経た今、新しい記憶として刻み込まれていきます。
鉄鋼館を辞し、公園内を散策します。
太陽の塔のまわりをぐるっと一周。塔の中も公開されていますが、あいにくと前日までの要予約、とのこと。
外から様子を窺っていると、見学者が次から次へと中に入っているのが見えました。
公園内は「梅まつり」が始まっていました。雲が多く、少し肌寒いのですが季節は着実に春に近づいています。
紅白の梅と太陽の塔。前述の通り、今の塔にあるのは2代目「黄金の顔」。
万博開催当時の遺構はまだほかにも残っています。こちらは太陽の塔を囲っていた大屋根の一部。
昭和史の1ページを華々しく彩った大阪万博の開催当時を、新鮮な気持ちで巡ることができました。
来年開催の関西万博はどんな催しになるのでしょう。
公園を辞し、大阪モノレールで千里中央に戻ります。こちらでも、昭和時代の名残を見ることにします。
「日本で一番最初のニュータウン」と言われた千里ニュータウン。
万博開催の直前に完成し、万博閉幕後も発展していった大規模ニュータウンの、その名の通り中央に、商業施設などが集中しています。
色々な街の形態が好きな私にとって、千里中央駅周辺は興味があるエリア。
その昔、街歩きを自分の趣味として認識し始めたばかりのころに訪れ、以来何回か訪れていたのですが、今回は少し久しぶりの訪問になりました。
せんちゅうパル。オープンは1973年。4階までのフロアに飲食店やファッション雑貨をはじめ、塾や教室、不動産仲介のお店などが集まっています。
老朽化で2年前に閉店したもうひとつの商業施設「セルシー」の跡もそのまま残っています。
今でこそ、大規模なショッピングモールは当たり前のようにありますが、当時は時代の最先端を走る施設として、人々に多くの驚きやワクワク感を与えてくれたことでしょう。そんな、かつて華やかなりし時代に思いを馳せながらの散策でした。
地下鉄で「なんば」まで戻ります。
なんば駅周辺や心斎橋筋商店街を少し歩きます。
気が付くと万博記念公園ではほとんど見かけなかったインバウンド客が、また多くなっていました。
少し小腹が空いていたので、こういう時にちょうどいいグルメを・・・と探し周った結果、大阪発祥の「かすうどん」をいただくことに。
店内は、多言語が並ぶメニューがカウンターに立てかけられています。
関西風の薄口しょうゆ出汁に、揚げた牛ホルモンが載っています。
香ばしさと旨味が凝縮された揚げホルモンともっちりとしたうどん、それに薄口出汁がよく合います。
身体も温まり、大阪グルメに満足です。
折角ですのでもう少しゆっくりと滞在したいところですが、あいにくとこの日は夜に名古屋で飲み会の予定が入っていましたので、ここで帰路につきます。
どうせ名古屋に行くのなら、ということで久しぶりに近鉄特急を利用。
大阪難波と名古屋を結ぶ特急として4年前にデビューした「ひのとり」。前から一度乗ってみたかったのですが、今回ようやくその機会を得ることができました。
チケットはこの日の朝、行きの車内でスマホから予約しています。 従って、この日は「ひのとり」の発車時刻から逆算しての行程となっていました。(写真は名古屋駅到着時に撮影)
発車時刻数分前、大阪難波駅の地下ホームに「ひのとり」が滑り込みます。
乗り込むと、ホームの喧騒は完全に遮断されます。シートはゆったり、窓も大きくて見やすく、高さ調節が可能なフットレストもあり、自宅のソファのようにくつろぐことができます。乗り心地も非常に良く、レギュラーシートでこれですから、プレミアムシートですとどんな感じでしょう?
定刻、静かに発車。かつては大阪上本町、鶴橋に停車した後は名古屋までノンストップでしたが、今は大和八木と津にも停まります。乗車率は当初3割ほど、鶴橋駅を発車することには5割ほどででしょうか。
しばらくは大阪近郊の家並みや商店街の街の風景が流れ、生駒山地を抜けると奈良飛鳥路を疾走。
三重県に入り名張駅を通過。大阪難波を発車して50分あまり。このあたりはまだ関西の通勤圏内です。
伊勢中川の短絡線を通過し、やがて津駅に到着。
乗客の入れ替わりがあるものの津からはより多くの乗客が乗り込んできて、車内の乗車率も少し上昇します。
少しずつ日が傾いてきました。コンビナートの灯りが見え始めて、再びビルや商店が多く立ち並び始めたかと思うと四日市駅を通過。ちょうど帰宅ラッシュが始まり、ホームには多くの乗客の姿を見ることができます。
桑名駅を通過し、木曽三川を渡るころにはすっかり日が暮れていました。
やがて、名古屋の街並みがみえてきます。少し見慣れた風景になってきたところで地下に入り、大阪難波を発車して2時間7分後、近鉄名古屋駅に到着。
ホームに降りると、帰宅ラッシュ時の喧騒に包まれています。
静かな車内とは別世界でした。
名古屋駅にて。ここまで乗ってきたひのとり 新幹線よりは時間がかかりますが、運賃は安くそしてゆったりとした車内は魅力です。久しぶりの近鉄特急でしたが、快適な鉄旅でした。
日帰りで駆け足気味でしたが、充実した街歩きとなりました。