• 車種別
  • パーツ
  • 整備手帳
  • ブログ
  • みんカラ+
イイね!
2013年02月21日

父の遺徳

父の遺徳











火曜日の夜に、白く凍える六甲を見ながら
神戸まで用事で出かけて来た。

時間があるということは、ヒマであり、最初の頃は焦りもあった。
しかし今のうちに、しておこうということは、結構あるのだと思う。

無料のボランティアめいたことは、ピンからキリまで、予定を入れてみている。

自分の役目とは、人に助言したり、適切なアドバイスを考えて、様々な年齢層の
相談相手になることだと、この頃やっと、役割を見出して来たこともある。

その夜に会ったのは、80代の男性である。この日の相談者は、私の方かも
しれないが、何十年ぶりであろう。
半世紀の昔に、父の部下であり同僚であった人である。



なぜ会おうと思ったのか。

私の父が亡くなったのは、もう20年近く前のことになる。
特に苦労も無く育てられた私は、社会人になり、5年後くらいには結婚し、
翌年一児の父となった。

妻のお腹が臨月になった頃、父が難病で入院し、やがて此れは不治の病だなと
覚悟をするようになった。
お金の面では私が支えることも、支えられることもなかったが、3年の闘病
虚しく他界した。

その後一人暮らしを始めた母の強気が脆いものと分り、精神的に変調を
きたすまでには、5年かからなかった。
初期の認知症からいろんな苦しみや悩みを、子供たちは抱えて来た。
私も姉も、この10年以上少し人生を棒に振ってしまったかも、しれない。

主の無くなった九州の家は、私が保全管理し、母が出てから人に貸せる
までに5年間の九州往復を、くりかえした。
その家を明け渡せるまでに掃除をして、4人のそこに居た家族の思い出や
放置された物たちの、行き場を探すことに、たくさん時間が掛かったのである。



その中の紙切れの中に、懐かしい方の、名前と、九州の住所が書かれた
メモが在った。この人は、昔私が、大学受験で神戸に行った時に、
泊めていただいた人であった。
子供の頃は、我家に遊びに来られる時はいつも、私に鉄道の玩具や、模型など
高価なものを下さった、懐かしい思い出が甦って来た。

と言っても、私が幼稚園までで、贈り主は、まだ独身であったと思われる。
そういう懐かしい甘い思い出というのは、決して悪いものでないし、
ゴミの山を必死になって片付けている最中に、このメモは一瞬置いておこうと
言う気になった。

いつの間にか、そんなものをとっておいたことも、忘れているし
連絡がいつか取れるか。父の様に早世しておれば、何の意味も無いことである。
でも今回、失職してからの閑な時間は、私の孤独感を磨く時間を与えてくれた
ようだ。
九州の家を捨てなかったことは、家賃だけでなく、いくつかの幸福を私にくれた。

秋の終わりに、そのメモが引き出しから、再び出て来て、福岡県豊前市××と
書かれた住所に、「間違っていても、いいか。もしも遺族の方から、手紙が
くれば、丁重に応対する精神的な余裕もあるだろう」と、一筆思い出めいた手紙を、
差し出してみた。

出したことも忘れていた今年の正月に、2通の葉書が返って来た。
1枚は賀状で神戸市須磨区の住所がある。存命であられたのである。
もう1枚は文面に、福岡県の住所は先祖の土地で、私は間違えていたらしい。
宛名はその方の父親の名前であり、阪神大震災の年に亡くなられていたようである。
そして、正月明けから2月半ばまで、九州に戻っておりますと書いてあった。

返信は九州に出さねばならないが、もう用が無いと思った、メモが見つからず
建国記念日の連休明けを待ち、私は遅い返信を書いた。私の方から、電話しますと。

月曜日に連絡がとれ、たまたま予定が開いていたのが火曜日であったので、
「神戸三宮まで出て来てもらえますか」の申し出に、喜んで私は承諾した。


再会した恩人は、81歳になられておられたが、いまも仕事をされているという。
新神戸オリエンタル改め、ANAクラウンズホテルにタクシーを走らせて
談話コーナーでティーとコーヒーを頼む。昭和の終わりに、父の勤めた会社を
退職されてから、新たに会社を作り、いまも3社を経営されていると言う。

「さあ、上に上がりましょう」と急な展開に。私は食事のことまでは
予想をしたので、カステラのお土産を持って行って良かったと思った。



34階まで、シースルーで上がり、席が用意してあった食事場所は
なだ万」である。一瞬我が目を疑う。
(この私が来て良いのか!)

しかし、社長でもある男性氏は、ことの他に上機嫌で、「お会いしたかった」
「あなたのお父さんには本当に世話になった。私は上司に恵まれた」という。

九州の、今は他人が借りている家にも、何度か電話をしたともいう。
母と姉の近況を話し、私の今の状況をいうと、お母さんのことは気にし過ぎ
無い方が良いでしょうと諭された。

それよりも、サラリーマン時代に父が「広島に出張を命ず」と言い
行った先は母の実家で、「1日に4回見合いをさせられました」と笑う。
古き良き時代のサラリーマン社会。
宴会部長を自認する男性氏からは、京都や各地の夜の面白い話が飛び出した。

品の良い上級のサラリーマン風景であり、不快な話は飛び出さない。
私も覚悟を決めてお酒を飲む。
窓の下には夕刻の神戸が、暮れ行く時間と共に宝石のように、瞬き出す。

下に見える風景に、見覚えがあるのもあれば、見知らぬものもある。
「あれはなんでしょう」ふたりともわからないので、仲居さんスタッフの
女性にきくと(これがほんとに綺麗なんだよね)、北野クラブの結婚披露宴会場で
「元は浄水場だった」という。ああそうだ、思い出した。

私は携帯電話に入っている愛車の写真を、取り出して、「この車で、
以前ラリー競技に出て、北野を走り抜けたこともあるのですよ」と数年前の
北野外国人倶楽部のシーンを回想する。



あっという間に時は過ぎて、私はこの男性から、忘れかけていた自分自身の
ルーツや、男の誇りのようなものの、記憶のピースを思い出した。

父は自動車の運転免許証を、生涯持たなかった。

この男性も、免許を取りたいと、さらに上司に相談すると、
「この会社は、運転する方でなく、後ろに乗る人のための会社だ」と反対に
止められて、私も、車は乗らないのですよと笑う。

そう言えば、一番羽振りの良かった頃は、毎朝重役でもない父の送迎に
銀色のデボネアが、我家に横付けされていたことを思い出した。



昔のサラリーマンが、いかに良かったかという、物語なんだろう。
今では想像もできないことだ。しかしこのくらいの気持ちも持たないと、
我らは何のために働き、国家に税金を納め続けているのか。

こんなことも思い出した。私が中学の頃に、連れて行かれた奇妙な会。
壇上に上がった羽織袴や、学ランきたお爺さんたちが気勢を上げる
「寮歌祭」なる不思議な光景に、潔癖感の強かった少年は、軍国主義みたいで
いやだ、と家に帰ってから母に文句をこぼした。

博多まで出かけたその日は、旧制高校を出た者たちだけの、青春を謳歌する
一日だけのシュプレヒコールなのだろう。
疾風怒濤(シュトルム ウント ドランク)、放水シャワーのストーム、
同じ学校の寮を出た同志の、漢たちの奇妙な友情…

本日お会いした方は6期下の、最後の旧制高校卒業であり、同じ鴻南寮出身で
あることが分った。写真のCDジャケットに写っているのが、卒業生たちだ。



時間は星降る夜の様に過ぎて行き、辞去する時間になった。

この日、私が灯したものは、何であったのだろう。

古き良きアカデミズムなんて言っても、今の世の中ではドン・キホーテである。
再び三宮の横断歩道で、車から降りた私は、上気しているのか、よくわからず。
自分の働き方や、生き方が、これで良かったのか、もう一度考え直す、振り出しの
三角点に戻ったような気がした。

早くに父を亡くしてしまうと、男は一番大事な時期に相談する相手が、妻だけになる。
うちの家内はかなりの女丈夫であるから、私がこんなに気ままに生きているので
あるが、教養主義とは、また別の世界である。

この社長氏のような資産は、出来なかったが、私には、いろんなものが知らずに
受け継がれていたのだなあと、思った。
模型好きや、機械ものに対する好奇心が強いのは、このお会いした人からの
幼い日のプレゼントがあったからに他ならない。

「坊ちゃんが本当に好きだったから」。
この男性も、今は遠くに住まれている40代の息子さんたちも、みんな模型が
好きだそうである。理系も悪くないなあ。

デボネアの後ろに座らさせられて、同級生たちのからかいの中を
下校したこともあった。
酔いが少し冷めて来たら、この日のことは良い思い出として、また次の目標を
考えてみよう。

何と言っても人生、あと30年くらいは、楽しまないと、ソンなのであるから。


ブログ一覧 | 思うこと | 日記
Posted at 2013/02/21 14:54:11

イイね!0件



タグ

今、あなたにおすすめ

ブログ人気記事

秋の味覚を求めて県内散歩
fuku104さん

【モニター当選】ミシュランクロスク ...
チャ太郎☆さん

愛車と出会って8年!
カムたくさん

目黒 とんかつ こがね
morrisgreen55さん

昨日の晩御飯です
アンバーシャダイさん

2025年10月16日(木)
ハチナナさん

この記事へのコメント

2013年2月21日 19:11
デボネアと言うと、キャルルックに改造して、
キャンディーカラーに塗装して、
ムーンアイズのアンテナマスコットを刺して
若い子が乗ってると言うのが最近ですが、
本来の風景をリアルタイムでご経験されているのですね。


コメントへの返答
2013年2月22日 6:06
どうやって、この日記を、クルマの話に、持って行こうか(苦笑)。

デボネアの思い出は、実話です。社用車なんて、昭和40年代いっぱいで消えたと思います。

80歳代は、可愛いくらいチャーミングですし、議論や喧嘩になりません。

だって親子くらい差がありますからね。

2013年2月21日 20:37
こんばんは
素敵なエッセイありがとうございました
コメントへの返答
2013年2月22日 6:12
あまり、ボクの話は、読むだけで、楽しんでいただく程度の方が、良いのでは。

書いて無責任ですが、別の世界に、酔った数時間(まるでディズニーアトラクション)でした。
2013年2月21日 23:25
高度成長期のサラリーマンは良い事の方が多く、仕事に対する意欲がありましたね。

最近では、解雇解雇と繊維産業じぁ有るまいし、どこかの国に魂も売り渡す状況ですらあるようで・・・・
単一民族の日本人、みんなでワーキングシェアの様な制度で行く様な方向に成らないのかと思います。
皆さん、自分だけ良ければ良いのでしょうか?少しは人の為に犠牲に成る事も必要だと思うのですが・・・・

デボネアと言えば、三菱関連企業専用車でしたので、お父上の会社はその筋と思いますけれど?
売れていない割には、息の長い生産年数だったと思います。
もしかして受注生産?
コメントへの返答
2013年2月22日 6:32
ご感想有り難うございます。

(父の会社は)この間被害を受けた、日揮などと一緒に仕事をすることの多い、プラントという分野です。

受発注が、億単位以上なら、当たり前の男の世界だったのでしょう。

こういう富貴なおじいちゃんと、縁があったというのも、僕の不思議な人脈ですし、今の金のかからぬ準隠居生活も、長屋の金さんみたいで、楽しいです。

社会派の仕事は、批判に終始しがちですが、なるほど、ビジネスのツボは、こんなところにあるのかと、勉強にもなりました。

50代は、実は面白いものだと、社会が大分見えてきました。
社長を目指す生き方があれば、違う生き方は、何があるか?。

僕は高貴性とか、特殊性の道に、特技を発揮したいと思います。
2013年2月23日 14:49
遅れコメントすみません。

隠れデボネアファンの私としては
とてもお羨ましいw

次期セダン候補として夢見たことがあります。
コメントへの返答
2013年2月23日 16:18
わざわざ有り難うございます。

次の記事も用意していますので、後ほど宜しくお願い致します。

デボネアは、初期の6気筒の2リッターモデルで、クーラー付きであったのが、高級車らしかったです。

性能とか、古い車でしたけどねぇ(苦笑)。
2013年3月7日 16:26
昭和のサラリーマン・・・素敵ですよね。
本当の部下と上司。
男意気・・・俺について来い!
お迎えのデボネア!乗ってみたいです!
私はまだ生まれたか生まれないかの頃ですが、
国の将来に希望を持ち生活すると言う姿を想像します。
コメントへの返答
2013年3月8日 8:38
確かに、古き良き時代でした。

その代わり朝から晩まで外にいて、父の顔を子どもの頃に見るのは、休みの日だけでした。

早く亡くなった父の部下の方が存命で、会えた幸福を今、噛み締めています。

こう言う出会いは、アクションする年齢に成らないと、なかなか出来ないものかと、思いました。

プロフィール

「やっぱり。言わんこっちゃない。「トヨタ、センチュリーを独立ブランドに クーペ開発でラグジュアリー市場拡大」https://x.com/i/trending/1977788758218219921
何シテル?   10/14 09:32
車は殆ど処分して、1971年登録のフィアット850クーペに 1987年以来、乗り続けています。 住居は昭和4年築の、古い日本家屋に、現状で住んでいます。
みんカラ新規会員登録

ユーザー内検索

<< 2025/10 >>

   1234
5678 91011
12 131415161718
19202122232425
262728293031 

リンク・クリップ

趣味とかその対象はどうなっていくのか 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2020/04/01 18:15:22
タイ製L70ミラ・ピックアップのすべて 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2015/02/22 10:52:34
春の1200kmツーリング・中国山地の尾根を抜けて 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2014/05/11 05:49:46

愛車一覧

ホンダ スーパーカブ50 プロ ホンダ スーパーカブ50 プロ
中古のスーパーカブを買いました。 原付に乗るのは40年ぶりです。
フィアット 850 車の色は空のいろ。 (フィアット 850)
2016年10月、三年半かかった車体レストアが完了し戦列復帰、その後半年、また以前のよう ...
プジョー その他 26インチのスポルティーフ (プジョー その他)
高校の時から乗っているプジョーです。1975年購入。改造歴多数。数年前に自力でレストアし ...
シトロエン ベルランゴ ゴールデン林檎 (シトロエン ベルランゴ)
還暦過ぎて、最後の増車?!。 見たこともなかった人生初のRV車を、九州生活のレジャーのお ...
ヘルプ利用規約サイトマップ

あなたの愛車、今いくら?

複数社の査定額を比較して愛車の最高額を調べよう!

あなたの愛車、今いくら?
メーカー
モデル
年式
走行距離(km)
© LY Corporation