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2026年05月12日 イイね!

感動ポルノになっていないか

感動ポルノになっていないか自動車に乗っていなかった時期が4ヶ月くらいあった。
高齢者のリハビリと同じく、若い時の感覚は遠い。
しかし年を重ねていくと、若い頃には思いもしなかったことが身についたり判ってきたりする。
老獪というのは嫌な意味も多いが、ベテランの趣味人の域に入ったということでもあるのだろう。



最近の世の中を見ていくと進んでいる部分は考え方の解釈なども大きく進化した。

無理やり、作為的、上から目線などは、昔は多数存在していたが、気にする暇もなかった。
そういった不自然な感情に目がいき、指摘が行くようになったのは、最近のことではないだろうか。

最近、いじめに対する時差攻撃的なリベンジが、時限爆弾のように後で炸裂している。
ちょっと他人が参加しにくい分野であった。
だが現役の中学高校生だと、スマホ等で、動画を記録して、後での公開や公の場に上げられたら、切り取り画像でも動かぬ証拠になる。

それで”加害”側がやっつけられる事例が今年になって随分出てきた。
数年前の女性のme tooに似ていると思う。

それからお笑い芸人の「昔この先輩に散々いじめられた」という告白が、今ではいじめられた下の方に同情と、上の方のエスタブリッシュ成し遂げた先輩に思わぬ逆風が吹いたり、前は番組で取り上げるレベルにならなかったことが芸能マスコミの認識の変化で「このくらいは良いのでは」「これはネタになる」に変化してきていると思う。




この木造の電車の廃車体は新潟県の村松を拠点にしていた蒲原鉄道の開業時の電車である。
いっぱしの地方私鉄であったこの会社も1999年に設備更新できない古い電車線を廃止して、バス転換後の今は、路線バスも持たないレンタカーのバス版くらいの小さな会社になり、今回の事故が起きた。貧すればの諺である。



蒲鉄が鉄道廃止の1999年は私がフィアットのツーリングイベントを5年続けた最後の年、路線バス事業をその後10年続けてそれを辞めた2010年は、私が新聞社を退職してフリーになった年である。

個人的に早かったのじゃないかと言われる私の新聞社卒業は、16年後の今、いろんな角度から見られる。その頃の就職氷河期、リーマンショックの時代に、日本は地方の衰退が進んで、生き残れない路線は次々と廃止になっていった。

北海道の松山千春の故郷の足寄を走る池北線。北海道ちほく高原鉄道ふるさと銀河線が消えたのが2006年である。

3セクがポエムネーム、メルヘンネームに再スタート時に社名を変えるのは、それだけ前途が厳しいことの裏返し。
そういった優しいネーミングの裏側には、都会の人には想像の付かない厳しい現実が横たわっている。

こういったドラマツルギーに持ち上げていく社会の話題消費に、日々の私たちはすっかり慣れて、感動はお金を出して、劇団四季や歌舞伎の顔見世興行から、いろんな消費に毎日を麻痺させられている。



自動車ってどんな存在だったのだろう。
私はこの連休中に、四天王寺の古書市で、創刊間もない頃の「平凡パンチ」と「プレイコミック」を買ってきた。

「プレイコミック」のカットは、はっぴいえんどの「風街ろまん」に挿入画を描いている宮谷一彦である。

平凡パンチ初期の1960年代後期というのは、団塊世代の青春期で、高度経済成長の達成時代であった。
モータースポーツは時代の寵児で、鈴鹿サーキットができて、日本は欧米と肩を並べたと言われた。
平凡パンチはのちのマガジンハウスなので洒脱な雑誌だが、当時の雑誌の読者の好奇は、ファッション、カー、セックスの3大関心なのがよく判る。



今で見てしまうと、身も蓋もないが、若いというのは元気な時代であった。

それから60年も経つと、社会は動いているが、自動車は「夢」を持ってきてくれる
機械の箱から随分と遠い現実になった。

そんな冷めた現実の中で、車が好きという一部の人種は、昔の鉄道趣味より特異になった周囲との関心と感覚の差に、うまく同調、シンクロできていない。

クルマ社会で、今でも元気?なのは、もう社会の路上から見られなくなった旧い車たちが集まる、クラシックカーイベントとか、少数派がわっと集まった時くらいだ。
そこで何が起きてるかは参加すれば判る。私もどちらかといえばそちらに属するというか、旧い車を新しく買ってきた方でない、ただ乗り続けている絶滅型の危惧種である。



感動ポルノという表現は、昔はテレビのドラマとドキュメントの混じった、お涙頂戴が、時代の変化とテレビの立ち位置の変化で、もうお涙頂戴ではないだろう。
もうちょっと肯定的、上向きな取り上げ方ができないかというあたりからの試行錯誤があった。

そこで頑張ってる人たちというドラマツルギーが 何をテーマにするのかで、感動の物語が探されるようになった。後は余計なことを言えば炎上する社会になったので、言わないが、オーダーとアウトオブオーダー、ノーマルと非ノーマル。
何がノーマルかの議論もある。ノーマライゼーションに対する批判の議論も長い。



それからポルノの語源はギリシャ時代にまで遡る。
でも現代の用法の今回のそれは何かというとズバリ露悪である。
露悪というのは行為側と見せられた側の感情の電位差に、くそー、やられたかがある。
飯テロというネット用語があって、深夜の腹の空いた時間帯に、美味しそうなフードの写真を、今日の幸せふうに投稿されて偶然に見た側が、反対に叫ぶ悲鳴だと思う。


最近の時代は、また別に、承認欲求というややこしいテーマが横たわり、自分勝手や自由に、「見て見て!」が少女のように言えない。

自動車趣味の以前に、近年は、自動車を持てない層や、運転免許を取らなかったコアも居て、自動車って楽しいよ、と能天気に言いにくい。

まだ景気の良かった1990年代、新車を買う層が圧倒的な時代に、一部の捻くれ者たちが、旧い車に興味を持ち、そこから苦労が始まる。
にわかエンスーたちの勃興である。

彼らは今でいうネットミームの走りで、「壊れ自慢」という真逆の用語を最初に作った。

そこから25年から30年後の自動車の社会が今である。
日曜日のイベントに行って感じた違和感は既視感ではない。

僕はとにかく古い。
1960年代、70年代の車好きの生き残りという部分は、自分のスタート時の少年時代の憧れは今も隠しているがある。
それを最前面に出しているのは、ちょっと下の「サーキットの狼同好会」くらいであろう。
「サーキットの送り狼」同好会だったら資格はあるか。笑

これだけ長く生きてしまい、2026年にまだ平凡パンチに出てきた850スパイダーの僚車に乗り続けてる私は、ただただ古い生き残り。こんなに文章が長くなって申し訳ない。
だが、先日のように430より後に生まれた若い人とも、感性は通じ合えるから、ちょっとした疑問点について、つい考えてしまう癖は、未だに抜けられないのである。
Posted at 2026/05/12 07:49:10 | コメント(0) | トラックバック(0) | オンザカー | クルマ
2026年04月22日 イイね!

社会復帰と老後の人生

社会復帰と老後の人生850クーペの修理が終わり、4月後半から久しぶりに乗れるようになった。
月末にイタリア車のイベントに申し込みもした。
その前に近場のオフ会に気負わずに行けるのに行って見ることにした。



僕はもうすぐ70の壁が見える歳になってきた。



この記事を4月22日に書きかけて、翌23日に仕事中に雨の日に階段を踏み外して
負傷。それから長い中断があった。一応怪我は治った。


この堺浜オフの時は430グロリアに乗る若い下の世代の人と、音楽趣味談義で
大変盛り上がったことを覚えている。

日本の初期の音楽シーン。はっぴいえんどから後の時代に、YMOとか作った
細野晴臣さんが出たことは知られる。一方で弟分的なギターの鈴木茂という
アレンジャーと音源的に優れたミュージシャンが、長くソロ活動をした1975年
から79年頃の話題で、大変盛り上がった。



最近私のような年代、もう老人の入り口が、うんと下の世代と話していて
共通の話題で、意思の疎通がうまくいくケースが結構ある。
その時は、大抵趣味の内容に付いて、ツボが判っている同士だ。

これは近年の発見の中で一番面白い。



帰り道の写真
少し上機嫌であった。





それから4月の最終の日曜日は、修理の治った850クーペで羽曳野市まで行く。
大阪イタリアンカーフェスタである。









変な中断記事の事後アップだが、4月の記事はここまで。
Posted at 2026/05/11 05:18:24 | コメント(0) | トラックバック(0) | オンザカー | クルマ
2026年04月13日 イイね!

ウォーカブルシティとモータリゼーションの時代

ウォーカブルシティとモータリゼーションの時代若い日本の人が熱海に来るようになり、熱海が息を吹き返しているという。

なぜそうなったのか。自動車でレジャーをするのが若者だった時代が遠く去り、
今では電車で休日を楽しめる近郊が見直されているかららしい。

熱海ほど遠距離でないが、大阪の中崎町という古い街並みが残る地区も
年々若い人が押し寄せて、何かあるのかと、理由が不明なくらい今は賑わう。



ここは阪急のターミナル梅田駅から歩いて10分程度の距離である。
渋谷の松濤くらいの場所に、空襲を受けなかったり戦後の木造住宅が多数残って
奇跡的に昭和を感じさせるムラである。

私は10代の頃からいろんなものを見聞きして50年以上になる。
自動車社会について、様々な切り口で記事を書いてきた。

私が覚えている1960年代終わり頃が、日本のモータリゼーションの勃興期で、
若い人が年収範囲で自動車を買えるようになると、瞬く間に社会の話題の中心の
一つに、新型車の登場が、社会現象になって行った。

1970年の訪れる直前、69年秋のモーターショーは、セリカ、ギャランGTO
(ショウ時は「GTX」)、フェアレディZが並んでその時代は万博の開催と
重なり、まさに新時代の到来を象徴する出来事であった。



このモータリゼーションという言葉が躍り出た頃は、60年代の日本が退場して
1970年代という新時代が訪れるタイミングで、新しいものは良い、正しい、
それを受け入れれば、国民は豊かになれて、楽しい未来に向かって行ける。
そんな気持ちを1億の国民が共有していた。

今から見ると随分荒っぽい論法で社会の上書きや、新陳代謝が進められた。
惜しいものを出していくと、東京、大阪、横浜、神戸といった大都市の路面電車
が市営の所はほぼこの時期に無くなった。
廃止されたのである。




路面電車は、都市に住む市民の公共交通インフラで、地下鉄を作れば良いという
考えや、時代遅れ、バスで代わりになるという思想が吹き荒れた。

ところで、広島や長崎のような市営でない民間は50年後も残って、とても役に
立っている。
今考えるとどこかおかしい。
その頃は学生運動のデモ行進が市民運動に飛び火して、大都市の場合は公務員の
労働組合がとても先鋭化していた時代である。
市電の廃止にはやむを得ないという理由を前面に出して今日までそれが通説で
通っているが、実の所は左翼の進歩主義で、特に市電の運転士らの待遇改善という
名目や、進歩は正義の原理運動みたいな側面もあったのではないか。

大阪は万博の前年、1969年3月末で、65年間の歴史に終止符を打った。




それに代わったのが自動車社会の急激な普及と進化である。
今考えると、公共交通の市電をなくす。バスや地下鉄も建設されたが、
公共が主役から脇に下り、マイカー、つまり個人所有の耐久消費財が、社会や
交通の主役に代わったのである。

これは産業財の公共的性格が薄れるように、反対に個人主義の交通が、日本では
奇跡のように取り変わって結果的にうまく行った20世紀の怪事件だと思う。

何でも一度疑って見ると見えてなかったことが見えてくる。
日本はその時の社会の大変換に成功して、以来半世紀以上、自動車の個人所有が
社会のスタンダードになった。

過去にそれを成し遂げた国はアメリカである。
アメリカは国土が広大なので、モータリゼーションの母国である。
ここは強引に鉄道網を衰退させて成功?した暗黒史がある。

フォードやGMが国家の存在に近かった歴史もあり、日本はトヨタ、日産がその
栄光にあずかった。

そして21世紀も中葉になり中国がそれを今、電気自動車ラインまで猛烈に追い
進めている。
だがちょっと考えると変だ。
中国は建前は社会主義国なので、80年代末までの東欧のような面白くない
鋳型に嵌ったような規格型の国民車で良いのではないか。

自由主義や資本主義圏を中国が追いかけて25年。すっかり当たり前の顔して
新幹線網やモーターショーを毎年開催しているが、なんか変じゃないかと思う。




日本のモータリゼーションの時代は1990年代か2000年代でほぼ終わり、新車の
スポーツカーに若い人がのぼせる時代が終わり、消費は必要なものだけの冷めた、
よく言うと賢い購買時代に変わり、本当に今の若い世代は車に乗らなくなった。

長期デフレと、就職氷河期時代も、それを烙印を押したと思う。
その結果、車に乗るのは必要な手段としての田舎の軽自動車と、あとは
年寄りが乗り続ける旧型プリウスは危なっかしくて見ていられない時代になった。

万一の大事故を起こすと「人生詰んだ」になる事を知ってる若い世代はますます
自動車を買わない。たまに必要ならシェアカーで良いと言った、個人所有の夢は
本当に遠くなったと思う。クーペとセダンに需要が無くなったことも含めて。

これって日本は社会主義国家になり、自動車は共有財に変わり、お隣の中国は
とち狂ったモータリゼーションが起きている。

ぶつかったら中身が入れ替わった転生物語である。



そんな日本では購買力とか、為替の円の強さが1970年代水準に下り、歩いて
楽しめるレジャーや観光と食べ歩きのできるウォーカブルシティに脚光が当たり
はじめ、熱海が復活しているという。

この後の時代はどのようになるのだろうか。


Posted at 2026/04/13 16:50:37 | コメント(0) | トラックバック(0) | オンザカー | クルマ
2026年03月22日 イイね!

80年代有名人の消息から考える

80年代有名人の消息から考えるあまり話題にならなかったが、一人の人物の訃報に気が付いて、以来ずっとあの時代について考えている。

それは1980年代に人気コラムニストとして活躍して、その後2010年代に突然大きな病気で全身が不自由になり、闘病中も話題を撒いていた神足裕司氏の死である。

神足氏は2歳上の世代だから、私とほぼ同世代である。

氏は80年代に一世を風靡した「金魂巻」で世に出て、その類まれな観察力で社会の現象をサラリと毒とウイットのある分析で、「こんな人たちはこんな理由でこんな行動をする」をマルキンvsマルビで色分け。それが面白くて瞬く間に大人気の本から社会現象になった。



この本が出た時は表紙に神足氏の名前は出ずに、イラストレータの渡辺和博さんの名前が大きく載っている。
先に時の人となったのは渡辺氏で、80年代の「ヘタウマイラストブーム」の張本人として人気を博し、「ナベゾ画伯」と呼ばれた。しかしこれを超える作品ブームは起こせず、割と若い年代で亡くなっている。

今だから理解するが、この前に田中康夫の「なんとなく、クリスタル」という、1980年代の消費文化の到来を予兆する社会現象的な本が賞をとり、皆んなが呆気に取られた。礼賛よりも否定というか、今でいうディスりも多かった。

神足氏に戻ると、この後は本や流行の仕掛け人、分析で水面上に顔を出して、その後は80年代軽チャーのトップバッターとして、西原理恵子と組んだ恨ミシュランなどで多面に活躍した。

みんカラ的な話題だと二玄社の雑誌「NAVI」御用達文化人の一人として、縦横無尽に筆を奮い、編集長が鈴木さんに変わると、田中康夫や神足裕司、それと徳大寺有恒といった人気書き手がずらりと並び、自動車は文化だという時代の到来を感じさせて、日本はすごい国に成長したなと、私も一瞬認めざるを得ない時代が90年代に来た。



このハゲは、失礼間違った先生は、NAVI時代の絶頂に、ジャガーXJSコンバチブルについに乗るようになり、得意そうにそれが誌の記事になったことを覚えている。

もう一人のハゲ、失礼鈴木編集長は、MG-R V8に乗るように同時期なった。
ハゲとハゲが髪の毛がまくれるオープンに乗る時代が、あの堅実で自動車版「暮しの手帖」を出す二玄社の雑誌で、到来したのである。

ファディッシュ考現学の田中康夫もランチアテーマ832に少し前に乗るようになり、作家の北方謙三はマセラッティビトゥルボ、まあ日本の一番良かった時代だろう。

しかし今や泉下の大編集長、小林彰太郎はどんな顔して、この辺りを眺めていたのだろう。本人もちょっと自動車文化人の神輿に担がれていたけど。





ところで今年の年明けに、ある選挙で破竹の高市首相のあと押しする現職候補が落ちた。
石川県知事の馳浩レスラーである。
まあシュワちゃんみたいな自治体の長である。

落ちた理由が不人気だけでそれも2年前の元日に起きた能登半島地震の対応を間違えたからと、朝日新聞記事有識者コメントを読んでみた。
当日朝は東京の私宅で、1日夜には石川県に入っている。私は朝日の記事を読んだが釈然としない。

東京に居たのはスイートホームに居たからで、そこには奥さんがいたと思う。
えーと誰だっけと思い出そうとして、ああそうだったと思い当たった。
80年代に人気のあった高見恭子である。
女性誌モデル的なスリムなお姉さんで、当時は何かの雑誌で見たが、MGーBのオープンの多分中古に乗っていた。





この2枚目の赤いMG Bは友人でこのはしゃぎに当時の高見嬢を思い出す。
私もほぼ同時代からフィアット850クーペに乗ってるから、当時の空気が思い出せるのである。

後半は本当にどうでも良い話だが、
今の高見恭子はどうしてるんだろう。貞淑な知事の奥様に落ち着かれたのかなと、ググってびっくりした。
あの今井美樹調ナチュラルで歳を重ねられたかと思いきや、目がバッチリになっているのである。
歳は私と同じか。実は半年お姉さんである。
これは内心ちょっとイタいなと思った。

(左が最近右が昔)

実は知事夫人も北陸に縁があり、お父さんの高見順も、さらに祖父となる人物は昔の福井県知事である。申し分の無い北陸との縁だが、いわゆる本筋でなく私妾の系譜である。
それは関係なく知事公邸に住み、慎ましやかな暮らしと、ちょっとこのインスタ系は無縁に思えてもしようがない。多選は当たり前の県知事で異変が起きた理由は、高市の神通力も効果なくの理由は、その辺の微妙な空気。石川の人間の気持ちならである。





さて私も80年代を生きていた人間なので、あの時代の総括ができていない。

バブル退治は、金融の引き締め等で、すごいリバウンドになり、30年くらい不景気が続いて、うちの子供らは今のような時代が当然、当たり前、デフォルトである。


神足氏が2010年代の東北の震災の頃に、大病で倒れて、その後一生懸命、生きて同様の状態の人の励ましになり、執筆活動を近年まで続けたことは、評価に値する。

しかし倒れた理由はまだ若いのに、転身、転身に無理があったり、ストレスだったのではないか。

同世代人の私も、生きるのはしんどいが、生活を縮小し、昔の夢は諦め、現実を直視しないと、下の世代に何を言われるか判らない。

そして2020年代後半を生きていかないといけない。
時代が大きく変わったのは、60歳代という年齢でも昔と大違い。
ジジ臭く、ババ臭く生きたくはない。
しかもアンチエイジングという言葉もある。だが無理はしたくない。

うまく言葉に言い表せないのだが、1950年代後半から60年代前半生まれの生き方は、手本とならなくてはいけなかったのではないだろうか。
今はたとい老境の入り口としても。

Posted at 2026/03/22 05:52:29 | コメント(1) | トラックバック(0) | つれづれ日記 | クルマ
2026年02月19日 イイね!

メイドインジャパンの頃

メイドインジャパンの頃火曜日に梅田に出て中古カメラ屋で一冊のアメリカ雑誌の古書を買ってきた。

モダンフォトグラフィという1949年に創刊されたカメラ雑誌で、今も続いてるのかと思ったら、1989年に廃刊されている。

日本みたいにネットの台頭以前になぜ。

買ってきたのは1980年5月号。とにかく向こうの雑誌は広告だらだが、それが今では面白い。当時は日本製カメラのオートフォーカス機登場前だが、広告の7割は日本の会社である。


目を引いたのはオリンパスの広告。
このカメラはマイタニの作品です。とサラリーマン1技術者を登場させて、企業広告ストーリに仕立ててある。



米谷美久氏という若き技術者は、学生時代から特許も取る発明家で、オリンパスに入社するとペンシリーズからOM1を先頭にするOMシリーズまで独創的な、他社と世界を唸らすカメラを次々と独力で生み出した、一種の天才であった。



昭和8年生まれの米谷さんは、この頃46、7歳。OM1を私が使い出したのは、発売の翌年の1974年頃。とにかく最初の華奢なカメラで大丈夫?という疑いを払拭した後のOM1はぐんぐん売れ出して、日本のオリンパスここにありと言われる名機となった。



もう物故されて17年、今思うと米谷さんは日本のスティーブ・ジョブズだったのかと思う。

そしてこの頃の日本のカメラメーカーを雑誌内から列挙すれば、
ニコン、キヤノン、ミノルタ、アサヒペンタックス、オリンパス、フジフィルム、
コニカ、ヤシカ+コンタックス、リコー、チノン、ビビターといった錚々たる陣容である。

交換レンズメーカーも、ソリゴール、タムロン、サンキョー、コムラー、
あとストロボもカメラ用品もずらり。外国勢は数えるくらい。

こういった日本製品が世界一の市場を持つアメリカで、コダック等のアメリカの
カメラ会社に製造を諦めさせるほどの勢いが1980年代にあった。
80年代半ばにはミノルタがオートフォーカス1眼レフでロケット飛躍する。

ほぼ同時代の1979年にソニーが携帯型テーププレーヤーの「ウオークマン」を発売する。

83年がニンテンドーのファミコン元年。

世界中のシロモノ家電製品は日本製であった。


当時の日本製品が強かったのは、今の世界の工場、中国が夜明け前だったことは大きいが、それにしても、日本人技術者の切磋琢磨が凄かったからである。


自動車メーカーの方では、本田宗一郎という人物がいた。
ソニーには井深大と盛田昭夫という技術者コンビが世界的企業を一代で作り上げた。

盛田は経団連の副会長も務め、米国で最も知られる日本人で「ジャパンアズナンバー1」の象徴的な存在であった。

日本の経済力は、日本の工業生産力に匹敵して、支える技術者は優秀な、カリスマや伝説的な人物が多数いた。

だからというか、その前にジョブズが10人から20人はいたのではないだろうか。

それだけ強かった日本はその位置から滑り落ち、この雑誌から45年くらいで、平凡な、アメリカに怖がられる存在ではなくなった。


米谷美久氏の存在も、当時の日本では殆ど話題になっていなかった。
日経新聞にオリンパスが出す広告に1サラリーマン技術者を出すことは社長の顔を潰すことと言われる時代である。

輸出先の雑誌広告だからこそ、クリエーターと社内意見のまとめ役が合致して、我が社の凄いところは、米谷さんが居ること。それを前面に出そうでこの広告をアメリカの数億の国民に訴えることにしたと想像する。

メイドインジャパンのロゴが入った製品が、世界のどこにもあった頃。
今のメイドインチャイナと違う意味で、最初は安かろう、品質はもう一つだったが、1960年代が終わる頃から世界に通用するクオリティーに変わっていった。

今の中国製品も20年前に比べると質が向上している。
そろそろ話を終わらせるが、日本人は日本メーカーは、良かった時代から30年経ち、その頃の何が良かったのかを知る人がいない。会社のサイクルは存続していても30年で社員は入れ替わり退職する。

日本が弱くなったのは、レジェンドを知る世代を早期退職に追い込んだのも大きい。
私は200円で買ってきたボロボロのカメラ雑誌を眺めながら、ふと、既視感に包まれていた。

Posted at 2026/02/19 06:50:37 | コメント(1) | トラックバック(0) | 振り返る80年代 | クルマ

プロフィール

「感動ポルノになっていないか http://cvw.jp/b/176891/49085592/
何シテル?   05/12 07:49
車は殆ど処分して、1971年登録のフィアット850クーペに 1987年以来、乗り続けています。 住居は昭和4年築の、古い日本家屋に、現状で住んでいます。
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