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2026年04月13日 イイね!

ウォーカブルシティとモータリゼーションの時代

ウォーカブルシティとモータリゼーションの時代若い日本の人が熱海に来るようになり、熱海が息を吹き返しているという。

なぜそうなったのか。自動車でレジャーをするのが若者だった時代が遠く去り、
今では電車で休日を楽しめる近郊が見直されているかららしい。

熱海ほど遠距離でないが、大阪の中崎町という古い街並みが残る地区も
年々若い人が押し寄せて、何かあるのかと、理由が不明なくらい今は賑わう。



ここは阪急のターミナル梅田駅から歩いて10分程度の距離である。
渋谷の松濤くらいの場所に、空襲を受けなかったり戦後の木造住宅が多数残って
奇跡的に昭和を感じさせるムラである。

私は10代の頃からいろんなものを見聞きして50年以上になる。
自動車社会について、様々な切り口で記事を書いてきた。

私が覚えている1960年代終わり頃が、日本のモータリゼーションの勃興期で、
若い人が年収範囲で自動車を買えるようになると、瞬く間に社会の話題の中心の
一つに、新型車の登場が、社会現象になって行った。

1970年の訪れる直前、69年秋のモーターショーは、セリカ、ギャランGTO
(ショウ時は「GTX」)、フェアレディZが並んでその時代は万博の開催と
重なり、まさに新時代の到来を象徴する出来事であった。



このモータリゼーションという言葉が躍り出た頃は、60年代の日本が退場して
1970年代という新時代が訪れるタイミングで、新しいものは良い、正しい、
それを受け入れれば、国民は豊かになれて、楽しい未来に向かって行ける。
そんな気持ちを1億の国民が共有していた。

今から見ると随分荒っぽい論法で社会の上書きや、新陳代謝が進められた。
惜しいものを出していくと、東京、大阪、横浜、神戸といった大都市の路面電車
が市営の所はほぼこの時期に無くなった。
廃止されたのである。




路面電車は、都市に住む市民の公共交通インフラで、地下鉄を作れば良いという
考えや、時代遅れ、バスで代わりになるという思想が吹き荒れた。

ところで、広島や長崎のような市営でない民間は50年後も残って、とても役に
立っている。
今考えるとどこかおかしい。
その頃は学生運動のデモ行進が市民運動に飛び火して、大都市の場合は公務員の
労働組合がとても先鋭化していた時代である。
市電の廃止にはやむを得ないという理由を前面に出して今日までそれが通説で
通っているが、実の所は左翼の進歩主義で、特に市電の運転士らの待遇改善という
名目や、進歩は正義の原理運動みたいな側面もあったのではないか。

大阪は万博の前年、1969年3月末で、65年間の歴史に終止符を打った。




それに代わったのが自動車社会の急激な普及と進化である。
今考えると、公共交通の市電をなくす。バスや地下鉄も建設されたが、
公共が主役から脇に下り、マイカー、つまり個人所有の耐久消費財が、社会や
交通の主役に代わったのである。

これは産業財の公共的性格が薄れるように、反対に個人主義の交通が、日本では
奇跡のように取り変わって結果的にうまく行った20世紀の怪事件だと思う。

何でも一度疑って見ると見えてなかったことが見えてくる。
日本はその時の社会の大変換に成功して、以来半世紀以上、自動車の個人所有が
社会のスタンダードになった。

過去にそれを成し遂げた国はアメリカである。
アメリカは国土が広大なので、モータリゼーションの母国である。
ここは強引に鉄道網を衰退させて成功?した暗黒史がある。

フォードやGMが国家の存在に近かった歴史もあり、日本はトヨタ、日産がその
栄光にあずかった。

そして21世紀も中葉になり中国がそれを今、電気自動車ラインまで猛烈に追い
進めている。
だがちょっと考えると変だ。
中国は建前は社会主義国なので、80年代末までの東欧のような面白くない
鋳型に嵌ったような規格型の国民車で良いのではないか。

自由主義や資本主義圏を中国が追いかけて25年。すっかり当たり前の顔して
新幹線網やモーターショーを毎年開催しているが、なんか変じゃないかと思う。




日本のモータリゼーションの時代は1990年代か2000年代でほぼ終わり、新車の
スポーツカーに若い人がのぼせる時代が終わり、消費は必要なものだけの冷めた、
よく言うと賢い購買時代に変わり、本当に今の若い世代は車に乗らなくなった。

長期デフレと、就職氷河期時代も、それを烙印を押したと思う。
その結果、車に乗るのは必要な手段としての田舎の軽自動車と、あとは
年寄りが乗り続ける旧型プリウスは危なっかしくて見ていられない時代になった。

万一の大事故を起こすと「人生詰んだ」になる事を知ってる若い世代はますます
自動車を買わない。たまに必要ならシェアカーで良いと言った、個人所有の夢は
本当に遠くなったと思う。クーペとセダンに需要が無くなったことも含めて。

これって日本は社会主義国家になり、自動車は共有財に変わり、お隣の中国は
とち狂ったモータリゼーションが起きている。

ぶつかったら中身が入れ替わった転生物語である。



そんな日本では購買力とか、為替の円の強さが1970年代水準に下り、歩いて
楽しめるレジャーや観光と食べ歩きのできるウォーカブルシティに脚光が当たり
はじめ、熱海が復活しているという。

この後の時代はどのようになるのだろうか。


Posted at 2026/04/13 16:50:37 | コメント(0) | トラックバック(0) | オンザカー | クルマ
2026年03月22日 イイね!

80年代有名人の消息から考える

80年代有名人の消息から考えるあまり話題にならなかったが、一人の人物の訃報に気が付いて、以来ずっとあの時代について考えている。

それは1980年代に人気コラムニストとして活躍して、その後2010年代に突然大きな病気で全身が不自由になり、闘病中も話題を撒いていた神足裕司氏の死である。

神足氏は2歳上の世代だから、私とほぼ同世代である。

氏は80年代に一世を風靡した「金魂巻」で世に出て、その類まれな観察力で社会の現象をサラリと毒とウイットのある分析で、「こんな人たちはこんな理由でこんな行動をする」をマルキンvsマルビで色分け。それが面白くて瞬く間に大人気の本から社会現象になった。



この本が出た時は表紙に神足氏の名前は出ずに、イラストレータの渡辺和博さんの名前が大きく載っている。
先に時の人となったのは渡辺氏で、80年代の「ヘタウマイラストブーム」の張本人として人気を博し、「ナベゾ画伯」と呼ばれた。しかしこれを超える作品ブームは起こせず、割と若い年代で亡くなっている。

今だから理解するが、この前に田中康夫の「なんとなく、クリスタル」という、1980年代の消費文化の到来を予兆する社会現象的な本が賞をとり、皆んなが呆気に取られた。礼賛よりも否定というか、今でいうディスりも多かった。

神足氏に戻ると、この後は本や流行の仕掛け人、分析で水面上に顔を出して、その後は80年代軽チャーのトップバッターとして、西原理恵子と組んだ恨ミシュランなどで多面に活躍した。

みんカラ的な話題だと二玄社の雑誌「NAVI」御用達文化人の一人として、縦横無尽に筆を奮い、編集長が鈴木さんに変わると、田中康夫や神足裕司、それと徳大寺有恒といった人気書き手がずらりと並び、自動車は文化だという時代の到来を感じさせて、日本はすごい国に成長したなと、私も一瞬認めざるを得ない時代が90年代に来た。



このハゲは、失礼間違った先生は、NAVI時代の絶頂に、ジャガーXJSコンバチブルについに乗るようになり、得意そうにそれが誌の記事になったことを覚えている。

もう一人のハゲ、失礼鈴木編集長は、MG-R V8に乗るように同時期なった。
ハゲとハゲが髪の毛がまくれるオープンに乗る時代が、あの堅実で自動車版「暮しの手帖」を出す二玄社の雑誌で、到来したのである。

ファディッシュ考現学の田中康夫もランチアテーマ832に少し前に乗るようになり、作家の北方謙三はマセラッティビトゥルボ、まあ日本の一番良かった時代だろう。

しかし今や泉下の大編集長、小林彰太郎はどんな顔して、この辺りを眺めていたのだろう。本人もちょっと自動車文化人の神輿に担がれていたけど。





ところで今年の年明けに、ある選挙で破竹の高市首相のあと押しする現職候補が落ちた。
石川県知事の馳浩レスラーである。
まあシュワちゃんみたいな自治体の長である。

落ちた理由が不人気だけでそれも2年前の元日に起きた能登半島地震の対応を間違えたからと、朝日新聞記事有識者コメントを読んでみた。
当日朝は東京の私宅で、1日夜には石川県に入っている。私は朝日の記事を読んだが釈然としない。

東京に居たのはスイートホームに居たからで、そこには奥さんがいたと思う。
えーと誰だっけと思い出そうとして、ああそうだったと思い当たった。
80年代に人気のあった高見恭子である。
女性誌モデル的なスリムなお姉さんで、当時は何かの雑誌で見たが、MGーBのオープンの多分中古に乗っていた。





この2枚目の赤いMG Bは友人でこのはしゃぎに当時の高見嬢を思い出す。
私もほぼ同時代からフィアット850クーペに乗ってるから、当時の空気が思い出せるのである。

後半は本当にどうでも良い話だが、
今の高見恭子はどうしてるんだろう。貞淑な知事の奥様に落ち着かれたのかなと、ググってびっくりした。
あの今井美樹調ナチュラルで歳を重ねられたかと思いきや、目がバッチリになっているのである。
歳は私と同じか。実は半年お姉さんである。
これは内心ちょっとイタいなと思った。

(左が最近右が昔)

実は知事夫人も北陸に縁があり、お父さんの高見順も、さらに祖父となる人物は昔の福井県知事である。申し分の無い北陸との縁だが、いわゆる本筋でなく私妾の系譜である。
それは関係なく知事公邸に住み、慎ましやかな暮らしと、ちょっとこのインスタ系は無縁に思えてもしようがない。多選は当たり前の県知事で異変が起きた理由は、高市の神通力も効果なくの理由は、その辺の微妙な空気。石川の人間の気持ちならである。





さて私も80年代を生きていた人間なので、あの時代の総括ができていない。

バブル退治は、金融の引き締め等で、すごいリバウンドになり、30年くらい不景気が続いて、うちの子供らは今のような時代が当然、当たり前、デフォルトである。


神足氏が2010年代の東北の震災の頃に、大病で倒れて、その後一生懸命、生きて同様の状態の人の励ましになり、執筆活動を近年まで続けたことは、評価に値する。

しかし倒れた理由はまだ若いのに、転身、転身に無理があったり、ストレスだったのではないか。

同世代人の私も、生きるのはしんどいが、生活を縮小し、昔の夢は諦め、現実を直視しないと、下の世代に何を言われるか判らない。

そして2020年代後半を生きていかないといけない。
時代が大きく変わったのは、60歳代という年齢でも昔と大違い。
ジジ臭く、ババ臭く生きたくはない。
しかもアンチエイジングという言葉もある。だが無理はしたくない。

うまく言葉に言い表せないのだが、1950年代後半から60年代前半生まれの生き方は、手本とならなくてはいけなかったのではないだろうか。
今はたとい老境の入り口としても。

Posted at 2026/03/22 05:52:29 | コメント(1) | トラックバック(0) | つれづれ日記 | クルマ
2026年02月19日 イイね!

メイドインジャパンの頃

メイドインジャパンの頃火曜日に梅田に出て中古カメラ屋で一冊のアメリカ雑誌の古書を買ってきた。

モダンフォトグラフィという1949年に創刊されたカメラ雑誌で、今も続いてるのかと思ったら、1989年に廃刊されている。

日本みたいにネットの台頭以前になぜ。

買ってきたのは1980年5月号。とにかく向こうの雑誌は広告だらだが、それが今では面白い。当時は日本製カメラのオートフォーカス機登場前だが、広告の7割は日本の会社である。


目を引いたのはオリンパスの広告。
このカメラはマイタニの作品です。とサラリーマン1技術者を登場させて、企業広告ストーリに仕立ててある。



米谷美久氏という若き技術者は、学生時代から特許も取る発明家で、オリンパスに入社するとペンシリーズからOM1を先頭にするOMシリーズまで独創的な、他社と世界を唸らすカメラを次々と独力で生み出した、一種の天才であった。



昭和8年生まれの米谷さんは、この頃46、7歳。OM1を私が使い出したのは、発売の翌年の1974年頃。とにかく最初の華奢なカメラで大丈夫?という疑いを払拭した後のOM1はぐんぐん売れ出して、日本のオリンパスここにありと言われる名機となった。



もう物故されて17年、今思うと米谷さんは日本のスティーブ・ジョブズだったのかと思う。

そしてこの頃の日本のカメラメーカーを雑誌内から列挙すれば、
ニコン、キヤノン、ミノルタ、アサヒペンタックス、オリンパス、フジフィルム、
コニカ、ヤシカ+コンタックス、リコー、チノン、ビビターといった錚々たる陣容である。

交換レンズメーカーも、ソリゴール、タムロン、サンキョー、コムラー、
あとストロボもカメラ用品もずらり。外国勢は数えるくらい。

こういった日本製品が世界一の市場を持つアメリカで、コダック等のアメリカの
カメラ会社に製造を諦めさせるほどの勢いが1980年代にあった。
80年代半ばにはミノルタがオートフォーカス1眼レフでロケット飛躍する。

ほぼ同時代の1979年にソニーが携帯型テーププレーヤーの「ウオークマン」を発売する。

83年がニンテンドーのファミコン元年。

世界中のシロモノ家電製品は日本製であった。


当時の日本製品が強かったのは、今の世界の工場、中国が夜明け前だったことは大きいが、それにしても、日本人技術者の切磋琢磨が凄かったからである。


自動車メーカーの方では、本田宗一郎という人物がいた。
ソニーには井深大と盛田昭夫という技術者コンビが世界的企業を一代で作り上げた。

盛田は経団連の副会長も務め、米国で最も知られる日本人で「ジャパンアズナンバー1」の象徴的な存在であった。

日本の経済力は、日本の工業生産力に匹敵して、支える技術者は優秀な、カリスマや伝説的な人物が多数いた。

だからというか、その前にジョブズが10人から20人はいたのではないだろうか。

それだけ強かった日本はその位置から滑り落ち、この雑誌から45年くらいで、平凡な、アメリカに怖がられる存在ではなくなった。


米谷美久氏の存在も、当時の日本では殆ど話題になっていなかった。
日経新聞にオリンパスが出す広告に1サラリーマン技術者を出すことは社長の顔を潰すことと言われる時代である。

輸出先の雑誌広告だからこそ、クリエーターと社内意見のまとめ役が合致して、我が社の凄いところは、米谷さんが居ること。それを前面に出そうでこの広告をアメリカの数億の国民に訴えることにしたと想像する。

メイドインジャパンのロゴが入った製品が、世界のどこにもあった頃。
今のメイドインチャイナと違う意味で、最初は安かろう、品質はもう一つだったが、1960年代が終わる頃から世界に通用するクオリティーに変わっていった。

今の中国製品も20年前に比べると質が向上している。
そろそろ話を終わらせるが、日本人は日本メーカーは、良かった時代から30年経ち、その頃の何が良かったのかを知る人がいない。会社のサイクルは存続していても30年で社員は入れ替わり退職する。

日本が弱くなったのは、レジェンドを知る世代を早期退職に追い込んだのも大きい。
私は200円で買ってきたボロボロのカメラ雑誌を眺めながら、ふと、既視感に包まれていた。

Posted at 2026/02/19 06:50:37 | コメント(1) | トラックバック(0) | 振り返る80年代 | クルマ
2026年02月02日 イイね!

悪と自動車

悪と自動車






タイトルに違和感と語弊を覚えたらごめんなさい。

最近雪道でノーマルで走行したら、高速はまず入れない。途中から外に追い出される時代になった。

https://www.facebook.com/watch?v=944712785400823

路上でスタックして大迷惑な過去の”立ち往生”事件が数度あり、ネクスコが厳重に
追い出しをするようになった。

最初の4枚の画像はいずれも10年以上前に1月末のニューイヤーミーティングに
向かう際の伊吹山麓を越える関ヶ原道中のものである。
撮影の30分後には通行止めになったと、養老あたりのSAで知った。

今回の話のテーマは雪ではない。

自動車って考えたら、無茶と冒険は厳禁の時代にいつの間にかなってしまった。

50年はオーバーだが45年乗っている私は、遠い昔のことをよく思い出す。
自動車があるから、とんでもない山越や、悪路も越えて遠い旅をしてきた。





これは阿蘇の外輪山から高森椎葉を抜けて宮崎の小林に出る酷道265未舗装時代で
この時に下の雑誌の企画で走った品川ナンバーの初代XXと山中で遭遇してたまげた
ことをまだ覚えている。



46年前の1980年頃の自動車をめぐる環境は、若者雑誌にこういったロングツーリングや、チャレンジドライブに、時には読者も参加して、夢とロマンを誘った。

その頃は自動車に事故は付き物で、年間の死者数も今の4倍以上あった。
しかし今ではプリウスミサイル、老人プリウスがネットスラングになる時代である。
事故は今も昔も変わらぬが「あってはならない」最悪の事態になった。

こういった冒険心や若者の無鉄砲を誘うような記事は一切見なくなった。
自動車雑誌ですら存在価値が薄い。

自動車からある種の成分をどんどん抜いていったのが日本。
日本の自動車は外観から、いやエンジンのチューンアップも今時の言葉で言えば
反社行為というようないじる要素を抜いていったので、外国のモーター環境、
モータースポーツに比べると、ポピュラー性がなく、サーキットで眺めるだけの
”ラスベガス興行”みたいな特殊なゾーンの娯楽の一種に半世紀で堕ちた。

私はこの表現でいいと思う。

45年前は矢沢の永ちゃん矢沢永吉のロック?が売れまくり、リーゼントヘアは
ワルの主張の一つで、けっこうやるヤツはいた。

この時代、私はワルそうが嫌いだったんだよなあ。
でも自動車の改造は、節度と本質を理解したものは好きだった。
オートメカニックは皿のように読んだし、発刊したての「カーボーイ」には
自分の思ってた雑誌の登場に純粋に喜んだ。






矢沢永吉は最近では国営放送の紅白にも登場する「あの頃」歌手の一人になった。
最盛期の人気はないが音楽のロックだと、ワルを売りにして売れた人は昔から多い。

自動車はなぜ、モータースポーツとエンジンのチューンアップは禁じられ、そしてロードサイドのカーショップの繁栄は、オートバックスとイエローハットだけになった。

個性豊かな”改造”パーツを売る店は、なぜ消えていったのだろう。

ここには今でも旧車イベントを開くと集まってくる暴走族の問題から切り離せないと思う。

1980年代は私は20代になっていたが、まだ舐め猫「なめんなよ」とか
暴走族と本質は分離したいが、ツッパリ文化の全盛期であった。

今国会議員になった三原じゅん子議員も、聖子ちゃん好きなゴボウ男と路線を画して
ツッパリ系の人に人気があったが、80年代後半は毎年登場する可愛いアイドルの
「これでもか」に押されて消えて行ったが、しっかり根性焼きして自民安倍シンゾーの配下に入りまさかの議員センセーになられた。

この辺は巧妙に「矢沢永吉」を演じ続けた中身の人間と同じような気がする。

私は自動車に欲しい部分は無くしてしまったワルの部分だが、まあジョロラモの
ちょいワルでもなんでもいい。

まさか60になってもボーソー族って訳にはいかないが、ここまで「水清くして
魚棲まず」になってしまった日本の自動車文化って「どうよ」

つまり成功者と金持ちはトヨタの章男を崇拝して「GR」だろうけれど、
その辺の道草のようなプライベーターにも復活の道は残して欲しかったなあと思う。





Posted at 2026/02/02 07:12:53 | コメント(1) | トラックバック(0) | オンザカー | クルマ
2026年01月27日 イイね!

自動車と遊べた時代

自動車と遊べた時代ふと覚える淋しさや哀しみは年齢と共に増えていく。
私の代で自動車と遊んだ時代は遠くなっていくんだろうなあ
と、このところよく思う。

環境や時代の進化と共に生活の様式は変わって行く。
だから「昔のクルマは良かった」と言ってもしようがない
ことは判っている。

それでもだ、が。





いま一番気になっていること
それは社会から遊びがなくなって行く傾向が強く、早くなっていることだ。


巷にはパチンコや競馬レースだののギャンブルが溢れて、大阪には今度
カジノが出来そうな勢いだし、

また公営のレースなんてネットで買えるようになり、地方の草競馬も
信じられないが数倍の売り上げで復活、そんな現象も知っているし
横目で見るが、

私のいう「遊び」とは無目的な行為を通じての発見である。


最初から投資して結果がお金の麻痺状態をアソビに加えるのは、私の考えから
除く。


車に乗ることは、運送のトラックやバスで乗客を運ぶ「仕事」の車がある一方

マイカーは究極の贅沢な遊びだから持ってるものだった筈だ。




遊びのための車を持つ贅沢が許されたのは、
贅沢は敵でなく贅沢は素敵だからだ。

ちょっと最近の若い人と話すと、考え方の基本がすごくコスパ、タイパ
といった、費用対効果とかの呪縛が蔓延以前に染み付いてしまっている。

そ、そらあ世の中の流れでしょと言われたら、返す言葉が無い。

しかしで、それでも、私は逆の見方で生きてるので、
ホンマにそれでええんか?といつも思う。

それで楽しいんか
>適度に楽しい
自分を思いっきり自由にさせてみたくないんか
>周囲の目や場の空気から”浮きたく”ない

たぶん、こんな感じで世の中の流れが、40年くらいで変わってしまった。

顕著な国の日本は、長い不況やデフレ、就職困難とかで、
「やっぱりやめとこう」という行動の規範がすっかりジジイくさい方へ変わった。





難しい話だが無目的が良いとか悪いの話ではない。

遊びの基本は自分を解放しての発見だと思う。
車に遊び性を求めたから、クーペだとかハードトップとか、
オープンカーに憧れた時代があった。
ちょっとくらい遊んでもいいかの、上まで留めていたボタンを二つ外せば
違う自分になった気がする。ってユニクロやワークマンの時代には判らんか。

最近の目につく言葉でデュージエリエンスという言葉がある。

これは経済用語の投資判断とか、思い切った行為をする時の目的性の裏付け
を考える時に用いる。

それ、何のためにやってんの? で即断即答の「コスパ」じゃない
長期回収するための基本を考える考え方でもある。

つまり人間は遊びを通じて学んだり、成長することは実は多い。

遊びには流儀もある。

どうも最近、世間や社会が薄っぺらで、笑いの世界も面白く無いなあ
と貴方が思っているなら、その理由は遊びが足りない、遊び要素が
費用や手間をかけたものでないことに気づいているからである。



私は個人的にはこういった傾向に棹を差して生きているが、世界を敵に回す
つもりはない。

ただ、もう社会の向かってる方向がこうであるなら、逆らえない理由も判ってる。

遊びや中間を飛ばす、省略するということは、利益が最大の目的なら
カットすることが優先になることも仕方がない。

しかし省略とカットを繰り返し過ぎたら、顔とお尻だけの奇形児になる。

普通の人間はそこまでやるわけがないが、AIだのテクノロジーだのって
信じ過ぎたら「もう人間は要らない」「あいつらは遊んでばかりだ」
機械にやっつけられそうだから、僕は反対なのである。



Posted at 2026/01/27 08:05:30 | コメント(1) | トラックバック(0) | オンザカー | クルマ

プロフィール

「ウォーカブルシティとモータリゼーションの時代 http://cvw.jp/b/176891/49034198/
何シテル?   04/13 16:50
車は殆ど処分して、1971年登録のフィアット850クーペに 1987年以来、乗り続けています。 住居は昭和4年築の、古い日本家屋に、現状で住んでいます。
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