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kotaroのブログ一覧

2019年04月12日 イイね!

ゴーンと日産の関係と、80年代の塩路一郎氏時代の日産との相似について

これまでの社風と出身校風
東大出のエリートたちは、何を間違えやすかったのか。
ジャーナリストの書いた記事ですが、そこにコストカッター
ゴーンが来て、何度もピンチを救う。
最初の倒産危機と、リーマンショック不況、
3番目が東日本震災での経済打撃です。

窮地に立った時のゴーン氏は千人力。
しかし魅力あるクルマを開発するのには、違う才能が要る。
無ければある人にうまく託す。
それが出来ずに、第3コーナーから後は私財を肥やすようなことをやった。
どうやらそんな長年の日産の、会社病体質だったのではというのが感想です。
大変良い記事だと思います。読まれてみて下さい。

https://www.itmedia.co.jp/business/articles/1904/10/news043.html
Posted at 2019/04/12 15:13:07 | コメント(0) | トラックバック(0) | 論考 | クルマ
2019年03月09日 イイね!

自動車所有に関する限界的な記事

今日見つけたこういう記事が気になっています。

私はそれと別なことを考えていました。
車庫証明制度なんてやめたらいいのに、と言ったら
叱られるかもしれません。
しかしこの飛躍した21世紀社会のなかで、自動車法制が
ずっと昔のままで、今や自動車は所有の魅力が無くなり
もがき苦しんでいます。

60以上の人で、自動車が持てる人は、保守であり、
若い人の疑念は、自動車って持つものなの?
に、そもそも論になっています。

私も長年感じている、先の見えなさに対して、自動車ジャーナリズムと雑誌は、
何も出来ていなかったと、
感じております。

この続きは、もうちょっと休んでから書きます。
この所、ずっと働き詰めで、自動車愛が薄れてしまったのが、
とても残念な毎日だからです。

Posted at 2019/03/09 01:43:01 | コメント(4) | トラックバック(0) | 日記
2019年02月15日 イイね!

平成とは何だったんだろう/自動車のある風景

平成とは何だったんだろう/自動車のある風景この所よく、平成を振り返る特集記事を
目にすることが急に増えた。
それも当然で、平成は31年、今年の4月で終わる。

以前のような天皇崩御というような、幕の終わり方でなく
生前退位を希望されて、それが叶ったのだから、私も従う。

それに関して識者が一斉にいろんな述懐を始めており、興味深く読んでいる。
中でもnhk onlineの記事二つはテーマ性もあり良く書けている。

一つ目が森永卓郎
もう一つがOBの池上彰である。
リンクを付けておくので両方とも読んで欲しい。

共に日本にとっての平成と言う元号の時代を主に語っているが、
世界の1989年以降の大変化が、もたらした内外の影響のことは、避けては通られない。

日本の自動車の歴史を回顧するときに、平成元年のことと、その年に登場した
新車が画期的な時代を築いたこと。ドッグイヤーだったことを言う人は多い。

私もそれは影響があったというより、社会現象的に感じるが、あくまでも
そこに捕らわれていては、平成の30年間を俯瞰できない。


日本車の隆盛はそのずっと前から始まっていたし、一気に花開いた感があるのは
その年のニューモデルが素晴らしく、しかし開発は3年前から始まっており、
昭和最終期の方が自動車社会としては、評価したい気持ちが強い。


最初に出した2本の記事は、平成とは失敗の連続、日本の転落の30年とか、
戦争は無かったが、かつてない格差の社会が訪れたと、反省記事になっている。


自動車について考えると、平成の30年とはなんであったのだろうか。






私は、規制緩和で自動車の外側が大きくなり、5ナンバーがうんと少なく
3ナンバーだらけになった今の日本が、あんまり好きではない。

自動車は規制の多い産業であるが、その中で知恵を絞るから、時々
インノベーションを引き起こす大傑作や、歴史に名の残る長命なモデルが
出る方が、自動車らしくて産業の本質に近いと考える。

今の自動車は、本当に抱えるテーマが多過ぎて、本来のパーソナルで
軽快な乗り物から遠ざかって「大きく」なり過ぎたと思っている。

また、国民の中での格差の広がりは、お金のある人に対応した
贅沢の意味を解釈した国内向けは、本当に少なく、
一方で、車から退散する人間が様々な理由で増えており、これが新車が
売れない大きな原因と判った産業界が、危機信号を出している。


しかしそれは、本来の「より安くて魅力的な」自動車が元年時比較で
大幅に減り、プラス国民の高齢化が進む一方では、年齢の若いアジアの
新大国には、到底競争の相手にはなれていない。


自動車の枠組みとか、ナンバー制度もとうにゼロベースで解体すべき
筈だったのに、この大幅な遅れは、制度設計する公務員も動きが諸理由で
遅くなり、それが社会の退歩とつまずきの原因だろうと、言われている。


要はいろんな分野で日本は連戦連敗して、その原因も過去の制度改革の
失敗のツケが一世に出て来たと、最後の年になり噴出している状況だ。





私は小泉政権の時代は、バリバリの現役で、
5年の政治が終わった時は部下を交えて、この時代をどんな評価にするのかは、
今は出来ないが、やがて高く評価するのか、違うのかは、判る時代が
来るだろうと、10数年前に語っている。

今回の森卓の一気に語りでは、構造改革は日本の失敗の最大のものと
そこまで言い切っている。


このブログでは自動車について語りたいが、どこで日本車は、舵取りが
狂ったと言うか、魅力が薄れ始めたのだろうか。

例えば日本のバブルの事例で、マツダを傾かせた5チャンネル販売体制の
失敗がよく引き合いに出る。
その後のマツダが立ち直り、かつてのフォードとの共同開発からも手が離れて
一見は、良くなったと言われているが、それは消費者から見て、どう捉えたら
よいのだろうか。

日産はバブルの開発ラッシュに失敗して、大きく負債を抱えて、倒産寸前になり、
フランスからルノーのカルロス・ゴーンに乗り込んでもらい、リバイバルに着手。

その後の長い君臨統治の下で、今回明らかになった腐敗支配に陥り
再び危機を迎えている。
昭和時代に会長より発言の強い組合トップが君臨し、「労働貴族」と呼ばれた
時代の方が酷かったのか。
でも新型車は国民と購買層の方をいくらかは向いていて、気になるクルマも
当時はまだあったと私は思う。

三菱は、ふそうを含めて、醜聞が噴出して、消費者を裏切り続けたメーカー
というのがマスコミのイメージになり、会社が傾いた。
パジェロのパリ-ダカールラリーでの活躍や篠塚健次郎らがいた会社はなぜ
このようになったのか。

いすゞは自家用自動車を作らなくなり、ホンダは大きくなったが、面白くなく、
スズキやダイハツは軽の分野で生き残り続けるが、どうなのか。

スバルは日産系列からGM色になり、最後にトヨタの手に入ったが、今の
スバルは果たして富士重工以来のスバルなんだろうか。

そしてトヨタは世界最強の自動車会社と一時期言われて、国内でレクサスを出した。
しかしハイブリッドとレクサスが、トヨタの屋台骨らしいが、どうも業界の迷走の
原因はこの日本を代表する企業に理由はないだろうか。




こんなふうに考えてみたのと、別の角度からアプローチもある。
私自身が、自動車社会に対して、どこか潮が引くように醒めてしまった。

自分自身の原因があるのだろうと、思ってはみるのだが、それだけではない。

社会に余分に、福祉や保健、新税が増えており、それらをクリアして
また元の位置に戻って「自動車ってサイコー」とかとても言う気が
しなくなってしまったことが、投影しているのである。

社会的に見ても、平成の30年間は、自動車趣味が成熟して、オトナの遊びと
なると思っていた。が、ならなかった。
私もコケたのである。

今年で昭和から続いてきたニューイヤーミーティングが終わったように、
もう大衆的な盛り上がりは無くなって、高額イベントか、地方の町起こし的な種類に
分かれている。

その間が外国のようにないのは寂しいが事実である。

結局、平成の30年間とは、日本がヨーロッパ等の他の先進国のような成熟国に
なり、趣味の年輪と層がうんと厚くなり、そういう内面と心の遊び、ホビーの
大国になれるのではという、私のかつての予想は大いに遠のいて、
この見込みは失敗だったということだ。




最後に、まとめではないが、こういうことも書いておこう。



日本は第2次大戦の戦況下で耐乏生活を強いられた時期が確かにあった。

大勢の人が戦争の直接被害や、間接理由で亡くなったことも事実である。


ところが戦後も落ち着き始めると、真っ先に元気を取り戻したのが、遊びや
ホビーと言った趣味の分野と言うより、それに関する狭いゾーンである。

戦前から嚆矢は始まっており、一時隠棲して、戦後に一気に花開くのが
子どもと趣味の世界だ。

この平成の失敗は、第2次大戦の被害のようなものでなく、社会構造の
持って行き方のミスでもあると、思われて来出したが、さてどうなるんだろう。


今は気勢のあがらぬ社会になり久しい。また世紀末伝説のような北斗の拳
みたいな社会はおそらくはならない。

人間は過去を引き摺る時と忘れる時が有る。
これからの新元号時代は、引き摺りそうな予想もあるのだが、もういいんじゃ
ないかと思い切りたい。

私は活躍できないかもしれないが、何か流れが変わる転換点と
きっかけにならないかと思い、この文を書いてみた。


Posted at 2019/02/15 17:02:14 | コメント(4) | トラックバック(0) | 論考 | クルマ
2019年02月03日 イイね!

70年代的風景から現代を考える。

70年代的風景から現代を考える。








私が自動車にのぼせて、興味を持ったのは1970年、
大阪万博の年である。
それからほぼ半世紀が経ち、自動車を取り巻く社会は続いて
いるものの、ひと言で言うと面白みのない社会になった。

今日はそのことについて、70年代から現代を見ると言う方法で
考えて行こうと思っている。


まず最近宇沢弘文という経済学者の「自動車の社会的費用」という
1974年に書かれた本が、今でも岩波新書で売られていたので買って来た。

これを読むと当時の学者が自動車の社会問題性についてどのように
考えていたかが判る。

当時の交通事故死者数は2万人レベルの時代である。
その被害の及ぼす影響について、自動車優先、中心の社会は間違っていると
書かれている。


70年代は戦後間もなくのベビーブームに生まれた団塊世代が、20代に到達して
自動車に乗る若い人口が一気に増えた。
また事故や悲劇などは、それに起因したり、数的増加の裏側だと考えられる。

ところで、趣味的に言うと、70年がトヨタがセリカ初代を出して、三菱がギャラン
GTOを用意して迎え撃った年である。このセンセーショナルな2台は、前年
1969年のモーターショーに出品されて、話題を奪った。

また69年は日本グランプリでのトヨタ日産対決最後の年となり、
翌年からはこの2社は大型のレーシングカーで競争はしなくなった。
しかし69年暮れには、日産はフェアレディZを発売。欧米とくにアメリカでは
素晴らしい稼ぎ頭となる。




この時代の一年のタイムラグは、割と大きなラグであり、公害反対運動や
73年暮れに起きた石油ショックは、自動車公害含めた問題意識が高まり
この本の出た74年は自動車に取り冬の時代であったはずだ。

そういった時代の背景の下で日本車は公害問題と石油ショックを乗り切った。
日本車が国際競争力をつけるのが、70−80年代である。

自動車の社会ニーズはずっと続いて、宇沢教授が問題で書いた交通事故、
取り分け死亡事故は徐々に減って行く。

それは安全対策が重点的になり、自動車が今のように大型化した90年代以降に
結果は答えとして伴って行く。

一方で団塊世代の後の世代、1960年前後に生まれた私たちの世代は、
子どもの時から自動車の魅力に囲まれて育つ。

そして商品的な魅力に加えて、自動車が有ると言う生活文化の成長に
自分たちの青春を投影して、生きることが可能になった。
これが1980年代の大きな特長で、87年映画「私をスキーにつれてって」は
日本の自動車グラフィティ映画の金字塔的作品になった。

アメリカでは「アメリカングラフィティ」という青春映画があるが、日本の若者は
80年代に謳歌していたのである。







ところで、自動車にまつわるジャーナリズムがあるとすれば、それは74年の
宇沢教授の本のようなものが含まれる。
一方日本のモータージャーナリズムと言うものは、自動車メーカーの
大樹に寄り沿う、支える木であって、これと対峙はしなかった。

60年代に「カーグラフィック」が創刊して、それまでの自動車誌とは一線を画したが
同じ出版社は83年に「NAVI」を出してジャーナリズム性を訴えたが、
販売に結びつかず、その後は消費文化雑誌の様相に変わって行く。

この辺も含めると、日本の自動車雑誌が、メーカー広告の収入が大きく、
英国の昔からあった「Motor」「Autocar」といった雑誌が、ウイークエンド新聞を
雑誌にしたような販売収入中心な雑誌ジャーナリズムと、大きく違う。

これは私は新聞広告の世界に居たから、広告収入が一定比率を超えると
ジャーナリズムは、さじ加減に影響が出るようになる。


カーグラフィックは70年代後半の、ポスト石油ショック時代に、小林彰太郎
編集長の下で、編販広分離の、素晴らしいクオリティーの時代が一番読み応え
がある。
新車が売れず、輸入車情報も入手がしにくい時代に、あれだけ民間の小さな
用品メーカー広告を集めて、製本もきちんとした高い定価でクオリティーを維持、
これは後の歴史からみても、現代の雑誌界が見習う点が大きい。


私は全国の小さなパーツメーカーや、自動車用品ショップが、カーグラに広告を
乗せることが信用の一歩と考えたと見ている。

これは70年代の鉄道模型趣味という雑誌などを見ても、感じることが多い。




ここまで書いてきて、雑誌は厚手の表紙の単行本とは異なるが、
信用と情報で成り立ってきたことが判る。

活字離れをネットに原因があると言う意見は強いが、日本の雑誌活字が、
読まれなくなった理由は、だんだん信憑性、これはファクトだけでなく、その情報を
収集するのに、どういった苦労があったかは、読者はすぐ判る。

さて、そういった時代の変容は、90年代に何か原因があったように思える。

実際の巷間の見方は、2000年代のITの伸張と、一方での世相の変化、
日本では小泉改革の時に広がった新自由主義的なものの考えと言う。

欧米では苦難の戦争が始まったり、イスラム社会との文化とテロリズムの
9.11のような象徴的な出来事が起きた。

では、それで自動車がつまらなくなった。雑誌が面白くなくなった。のだろうか。

私は2代目、3代目の人物を育てなかった。これは例えだが、後進を育てる
ことはマスコミジャーナリズムだけでない、世間の一般問題である。


自動車好きが自動車を作って、自由にやれるかは、難しい時代になった。


90年代は、まだ日本人の多くは、もう一度踊って笑える時代が続くと思った。
しかしその夢は、書かないがいろんな出来事で醒めた。

しかし私たちはまもなく2020年代を生きる。私にとっては最後の時代に
なるかもしれない。


メディアと言うのは媒介、媒体であり、方法はいろいろある。

ただ、このように、諦めやダメ出しの社会が続くのは、戦時中より始末が
悪いかもしれない。



最近、大阪で55年ぶりに万博が来ることで、世論が二分している(ように見える)。
私も叩かれるのは嫌なので、あまり口だしはしないが、傍から見て
面白いと思う。

案外と言うか、1970年に子どもや若者で楽しかった人のうち、今の時代に
生き方が面白くない人が反対している。理由は正論と思う。


意外に若いコが、期待する意見があるが、そういうのは操り人形と言う
見方をする意見が当然ついてくる。

私はビビリなので、うっかりは言えないが、何かやったら良いのにと思う(こともある)。


その慎重論は、今の時代の空気だと思う。80年代は若い社員に経験で
失敗する仕事をさせて、後で上司がフォローして、若者も中間管理職も成長した。

70年代のことを後から聞くと、もっと無茶をしても許されたらしい。

現代社会に一番足りないのは、元気である。
だけど死亡事故2万人時代のような「危険運転」は出来ない。

さあ、それでは。

今日はここまで書いて、次回に書くときのテーマとしよう。

Posted at 2019/02/03 15:18:37 | コメント(1) | トラックバック(0) | 論考 | クルマ
2019年01月25日 イイね!

みんなクルマが好きだった。

みんなクルマが好きだった。正月も過ぎて、震災の日も
母の命日も終わり、スタートしよう。










今週末はいよいよニューイヤーミーティングだが、
年末までに資金が出来ずに断念した。

25年以上、関西から苦労して通ったが、あっけないものである。
でもそれも諦め時だと思う。



ところで今年は、昨年以上に自動車にとり、悩ましい年になり
曲がり角を感じる新年になるかもしれない。

昨年は日産のゴーン会長の私的流用が、大きな事件となった。

それからトヨタの会長が、自動車税制の見直しを、提言して国が動き始める
原因になった。

それにしても、日本はいつの間にか、自動車大国の影響が小さくなり
世間でも関心が持たれないテーマになってきた。


筆者のように、1970年から自動車に興味を持ち、60年代を遡って知った
少年時代のある人間には、これは衝撃的な時代の変化である。


今年は日本の元号が変わり、新天皇が即位する。
新しい時代には、自動車産業は、社会の中心ではないと思う。

これは私が元働いていた、新聞産業が、完全に落日のビジネスになりつつあるのと
似ているところもある。

そしてこれからの時代は、自動車をどう包摂していくのかという、
コモディティと、受容社会になるのではないか。





話は戻るが、トヨタの章男会長が、日本の自動車の置かれた社会の中の位置が
現実的でないと、ようやく業界のトップが語って、新聞と経産省が追い掛けている。


一方日産のゴーン会長(元)が、会社の金を私的に流用した問題で、
国内市場の日産車が、ほぼ「終わった」状態であることを明るみにする結果と
なった。
これも日本車で気を吐いているのは、マツダとホンダ、あとはトヨタくらいで
軽自動車といったガラパゴス的な存在理由のものは、いつもどうなんだろうと
考えてしまう。

平成が終わると、次の時代におそらく社会様相が変わる。
その頃は内需といったものが、さらに一段と細ることは、簡単に考えてしまい
がちだが、そこにちょっとでも釘を刺さないと日本の底が抜けて、
なんでもありの世の中になる。

生きたいヤツは生きて、死にたいヤツは死ね、みたいな。それがこわい。



ところでE.トッドを今読んでいると、
英国の70年代は暗くて重い時代で、勉学を学ぶのに、教養は得られても
明るい空気が少なく、苦労したことが書いてある。


今の日本は、25年くらい続いた空気の支配が、いろんな数字の結果に
現れている。

それが日本の国益、(私は保守だが右寄りでないので、滅多に使わないが)
の損になっているように感じる。


もうダメ出し社会の時代は終わった方が良い。
そして、社会の潮流を変えないと、少子化と人口減は、Wのスパイラルだが、
前者はまだ、きっかけで上向くこともあり得るので、諦めない方がよい。


よい発想や時代の上昇気流が出てくると、せめて80年代成長は無理でも、
75年から79年の、石油ショック時代の日本に近づけないかと、私は
着地点を探っている。




私はその時代、高校生と浪人期間中であったのだが、日本社会に矯めを作った
踊り場=ステップの時代であったと思っている。

後の時代に出てくる人物、音楽の例が判りやすいが、山下達郎、坂本龍一らの
戦後の団塊より後の、才能が出やすい状態になり、彼らの実質プロデビューは
70年代後半で、80年代に花が咲いたり開く。


団塊世代は数は多いが、GSブームなどのように表面的現象で、音楽を深く
掘り下げたのは、団塊の下の世代である。

彼らは兄貴たちの背中を見て、芸能プロダクションに浅くもて遊ばれることを
避けた。だから後々の音楽的成功は、よく考えて、慎重に自分らの道を行動し、
今も多数のミュージシャン、音楽家が生き残っている。



まあ、そろそろ代替わりした方が良いことも真実である。



こんなふうに、時代を俯瞰したり、達観というと哲学が入るが少し「飛ばし」て
みることが、実は非常に重要なことである。


自動車の時代は、今は曲がり角より後になってしまったが、
まだまだ地上から消えることがなく、ではどうしたらと、オリジナルな考えを
持つことが、大事なのではないか。

多分豊田章男の主張が通り、1000cc以下の自動車税は安くなるだろう。
それが2000ccクラスに波及すれば、セダンとクーペが復活するか、判らないが、
自動車は本来的な、「まともで魅力あるものつくり」に戻るかもしれない。

この妥協の産物である、ワンボックスから進化か退化かもしれない、RVだらけの
路上は、もう少し「見やすい」風景になると信じたい。




時代が変わるということを、悲観的に考えては、もったいない。
そこで矯められたエネルギーが80年代にどのように現れたか。

75−79年、日本車は「灰色の時代」であったが、排ガス対策と燃費の向上技術
はその時に磨かれた。

ちょうどその頃、山下達郎は何をしたかとか、日本のジャズシーンはどうだったとか、
私は「なぜ80年代は輝いたか」を考える時に、ヒントはプレ時代にあったと考える。


日本は今国内にいるより、海外に出た方が仕事を肯定的に捉えやすい。

そんな日本の自動車は、諦めの産業でもあるが、また何か新しいトレンドが
一気には出ないが、その手前くらいが見えるだろう。

私は今年から60代に入る。
20上の世代が80代で、団塊の10歳ちょっと上の世代も、まだ多いし厄介だが、
今年20代前半は1990年代後半生まれである。

この辺に才能がある人を見出して育てて行けるような社会情勢を醸成しないと
いけないのではないかと、考えている。

好きだったクルマの時代が、再現できるよう、今年も文を書いて行こう。






Posted at 2019/01/27 18:30:54 | コメント(3) | トラックバック(0) | 思うこと | 日記

プロフィール

「ゴーンと日産の関係と、80年代の塩路一郎氏時代の日産との相似について http://cvw.jp/b/176891/42721594/
何シテル?   04/12 15:13
車は殆ど処分して、1971年登録のフィアット850クーペに 1987年以来、乗り続けています。 住居は昭和4年築の、古い日本家屋に、現状で住んでいます。
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春の1200kmツーリング・中国山地の尾根を抜けて 
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2014/05/11 05:49:46
妻が撮っていた1990年イタリア 
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2014/03/13 23:55:18

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