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2018年10月20日 イイね!

生きて行けるか この日本

生きて行けるか この日本









私は世間から引退したい年になったが、うまくいっていない。
近所の立ち飲みに行くと、88歳の男性が一人で飲みに来られていた。
老いについて、最近はよく考える。

その男性の域に達するには、あと30年近くかかるが、
同世代や年齢の近い友人らに話すと、誰もがそんなに長生きは出来ない
だろうと悲観的である。

景気と社会の安定は、生まれ育った年齢と、シンクロ出来たり
出来なかったりする。

最近と言っても、もう30年近くになるが、バブル体験のある・なしはよく
話題になる。

それと1997年から始まった金融恐慌と、その後の就職氷河期、及び
デフレ社会の荒波は、バブルの終わりから続く物語として、随分日本人の
原体験や、考え方を悲観的なものにしたと思う。



私たちはそれでも90年代には、まだクルマの夢があったと思っているし、
2000年代の頭には、アメリカのITバブルと、パソコンの革新期であり
21世紀は、明るく開けるものと思っていた。


アジアを見ると通貨危機が起きたのが、97年。それから一時期は韓国と
インドネシア経済は、後退し、韓国はIMFの管理下に置かれた。
タイも何度か経済の行ったり戻ったリがあったが、
25年間くらいに、全く成長がなかったのは日本だけで、その間に
超高齢化社会の扉が開いてしまった。





最近、といっても平成の終わりに、何が日本を苦しめたのかとか
何が間違っていたかの、議論と論考をよく目にする。

私は、ホリエモンを有罪にしたライブドア事件の、フジテレビとか、
あの辺りに日本の一気交替、世代交替が出来なかったことの罪は大きいと思う。

今世間は、1970年代生まれから80年代生まれが、社会の中心だ。
60年代生まれはもう古いし、小説家のような職業なら似合う。

私はさらに上の1950年代の最後の1年に生まれている。だからさっさと
世間から、2009年に引退した。


全く働かないと言うつもりはないのだが、社会負担は結構大きい。
自動車の維持も、無理かなあと思うことが多いのだが、さすがに
日本の自動車保有者の負担はデカ過ぎると、経団連に近いトヨタの会長が
軽減措置を言い始めたが、10年遅かったと思う。


近いうちにリッターカーの税金は、軽自動車の少し上になる可能性が
出て来た。これは朗報だが、もう私は維持することを、半分諦めかけている。




21世紀はおそらくどんな時代か。
日本にとりここまでは、非常に不利な時代だった。
それは70ー80年代にヨーロッパの縮小や、アメリカの自動車産業の
行き詰まりの中で、日本は「一人勝ち」した。
当時は中国や韓国は競合するライバルではなかったからである。


その反動が今の日本を苦しめているし、70年代のヨーロッパが
社会主義圏のソ連の衛星国との軍事的な緊張もあり、伸び伸びと経済活動
できなかったことに似ているし、しかも構成年齢の高齢化が日本には
加わっている。


政治、経済、サイエンスや科学の教育部門、いずれも日本は制度劣化した。


集中するガバナンスを、規制緩和でやめて以来、国力の衰えも大きい。
私は通産省と貿易省の一体みたいな司令塔が必ずあった方が良いと思う。

政治改革が一向に起きようとする気配がないのも深刻だ。
それは今の自民党に人材が払底しているのに、ゾンビのように政権を
抱え込んでいるし、改憲とか、沖縄の基地問題とか、私から見ると
瑣末なテーマに、ものすごいエネルギーを費やしている。

沖縄の知事が反安倍のデニー氏になろうと、大きな視点でアメリカと
沖縄の問題を複眼的に見ればよい。

日本がやるべきことは、金融も土地制度も、みんな一度リセットして、
新しい会社、いや組織で再スタートするべき状態だと思う。


1945年に敗戦後、通貨の切り下げもやったりして、農地も取り上げて開放した。

地方の空家とかは一度取り上げるべきである。
国が全体管理して、新たな都市や、交通網の建設をし直してもよいし
2011年の震災の後の青写真は、もっと壮大にすべきだったのではないか。




個別な土地や都道府県の事情を、150年前までに遡り、維新は間違いだった
という主張はよく見かける。

ならば、恨み節よりもっとラジカルな人民の移住とか、新たな土地に
何を建てて作って行くかの方が大事だ。

1964年のオリンピックと新幹線は、日本の成功体験なら、同じことは同じ場所で
やらずに、リニアも東京ー名古屋ー大阪に引かずに
新しい新首都の建設でつくるなら、私は良い計画だと思う。



今の日本には私みたいな主張や考えが出て来ずに、個別対応みたいな
発想ばかりで、毎日時間が無駄にしている。

ここまで日本は、ダメになり遅れをとったのだから、もういい加減目覚めても良い。

目が覚めないのはなぜかと言うと、どんなにキツいキツい言っても
翌朝になると同じ会社に行き、同じ机で仕事を始めるからだ。







私個人は、とても弱くて悲観的だ。
しかし20歳30歳下の人が、同じ気持ちになっては気の毒である。

日本の社会は、抱える問題が多く、大変だが、やらなくてもよいことに
エネルギーを使い過ぎている。
高齢者の福祉が最たるものだし、もっと乱暴に扱えば良いのにと思う。

私ももうすぐその一人になるのだけれど、介護用品の設置みたいな福祉は
要らない。低年金でも、病院に行けるならそれで充分だと思う。

細かいこととか、うちの家がどうのみたいなことは、ここでは超越する。

日本が竦んでしまっているのは、国民全部が高齢者目線になり過ぎで
「優しい国家」を勘違いしているのではないか。

もちろん、細かーいことは後から考えて行こう。
その前に、やっておくこと、決断が出来ていない。

消費税の10%も上げなくてもよいのではないか。
取り上げる税収は、五月蝿い議論はこの段階ではしないが、
他に方法があるような気がする。
今答えは出せないが。





ここまで一気に書いて来たが、私はそんなに長く走り続ける気は無いし、
バトンを受け取って走り出すランナーを待っている。

とにかく日本は「日本病」ときっと外国から後の世にいわれる疾患に
かかっている。

それから元気になるには、思い切った首都の移転とか、飽和になった
東京中心の、なぜ人が集まるか。
それは1円でも賃金の高い給料を貰いたいだけの大衆心理である。

それをせずに済むこと=取り組みは最前提でやるべきだろう。

オフィスワークの非効率性も、日本みたいな「よく考えたらおかしい」
通勤制度も失くすべきである。

とにかく、生産性が最低で、なぜ遅れているかも考えずに
キャッシュレスにすれば良いとか決済の方法論ばかり言っている。



これは、考えたら判るが「後からついて行く」問題を先に言ってどうするのか。


文明開化が起きたから、郵便制度になったり、鉄道に乗って旅するようになった。

それと同じことで、先に郵便は反対とか、鉄道は来ない方が良い
今の日本人は、すごくメンタルを大事にし過ぎて、空と大地を見上げたり
見渡したり出来ていないだけに思う。

今日はここまで書いてみた。

参考記事
Posted at 2018/10/20 03:43:10 | コメント(2) | トラックバック(0) | つれづれ日記 | ニュース
2018年10月14日 イイね!

エレクトリック・ランデヴー

エレクトリック・ランデヴー











今日は久々にギターを使って遊んで来た。

隣の街で、私の関わる団体が、社会的実験をやり、「コト」を持ち寄って
物物交換をするという試みである。

厳密ではないので「モノ」を持って来た人も居たが、それを使って何が
他者にサービスできるか、というような試みである。

私はメッセージボードに「リクエストに応えて一曲演奏して、一緒に歌います」
というような遊びを堤供することにした。




ところで、アンプラグド、電気の要らないギターは屋外どこでも持って行ける。

この素晴らしさに、早くから気が付いていたが、私が人前でギターを
弾くのは滅多に無い。

そんな一日を終えて、家に帰り、今日一日を反省しながら、
こんな文章を読んで、いろいろ考えていた。






私は自由と言うことについて、いつも意識している。

何からの自由にしても、そこに至るまでの道のりがあり、最初から自由
という言葉があったとしても、それは思い付きに過ぎない。

今は個人的に金銭が足りなく、毎日苦労しているが、その考えに追われると
他の大事なことを考える余裕が無くなる。

自由とは、余裕を持つことなのでもある。だが少し違うと思う。



で、今年大変だったのは、電気のことが一番大きかった。
台風や大雨、地震の被害がこれだけ続いた年は他に記憶が無いのだが、
今夜は上記リンクの記事を読んで、ハッと思った。

私たちの暮らしは、今恐ろしい方向に傾斜しているのでは、ないかということ。

2枚目から30年くらい昔の写真を貼っているのは意味が有る。

今年は停電が、各地で多く発生して、困った人が多かったこと。
その後にいろんな議論が出た。

北海道の大規模停電は、今原発を停止しているから、これだけ大規模な
被害が出たと言う意見も多く出たし、ここでは議論しないが、原発推進、
容認派の人は、真っ先に理由にした。

だが、気が付くと、私たちの暮らしは、30年前に比べて、驚くほど
電気なしでは暮らしが成り立たなくなっていないか。




昔は、鉄道の幹線でも非電化は、地方に行くと残っていたし、電化推進は
90年代くらいまで、「悲願」の立て看を、地方に行くと線路脇に見かけたものである。

その頃は何の痛みも感じなかった電気なし物件が、いま、電気が止まると
たちまちパニックになるものが多い。

まず住居が最たるもので、タワーマンションはエレベーターも、水道の揚水ポンプが
動かないと、水も断水する。

スマホも、当座は使えるが充電は一日くらいで無くなり、数日以上の停電が
続くと大変不便なことになる。

家電を廃止している人も現在は多い。通話機器は、停電でも使えるひと昔前の
ものが、結構少なくなって来た。




カメラもそうであろう。フィルムと現像と言う時代は、すっかり過去になったが、
充電電池があるから、デジカメは駆動する。

しかしアナログの時代、家で現像できたら、イメージングの仕事は電気なしで
済むことも出来たのである。


パソコンで文章を書くのは、当時無かったから、電力使用前提であるが
書くことは、電気以前からの筆記用具で用を足すことが出来る。
私はまだ、紙の手帳と万年筆を併用している。

手帳を廃止した時期は短期間で、後から記録を検索するのにいちいち
パソコンを立ち上げたり、最大の誤算は消滅があるから、手帳を復活した。


最後の大物が自動車である。



次に電力不可欠になるのが、一部はもうなってる自動車だと思う。
ハイブリッド電源、もしくは完全電気自動車は、未来の象徴に見える。

しかしこの流れを、ある意味危険なことかもしれないと思う。
こんな思いを持ち始めたのは、つい最近のことではあるが、
PIHVになり、家でもコンセント充電を謳う時代に、「まてよ」と思うように
なったのは、
災害時に乗れるクルマが、一番クルマらしい「自動車」だと思う。

もちろんガソリン/軽油は要るが、これは貯蔵できるので、ある程度の
供給ルートがあれば戦争でも起こらない限り、何とか車は走れる。

電気万能の考えは、いつくらいから起こったのであろう。
そして今、代替エネルギーのことは、毎日言われているが、
風力発電とか、結局メソッドは電気式だ。

私は原子力発電について専門家でもない。

しかし安価に(かもしれない)電力を得る方法で、プルトニウムなどの
元素を反応させ、莫大なエネルギーを得る引き換えに、地上に出せない
物質を生むやり方は、半世紀経ち、転換構造に入ったと思う。


電気に関しては、明治以降に普及したインフラで今日、最も影響の強いもの
であろう。

そのエネルギーの作り方と使い方を、私は否定はしないが、
「何でもかんでも」一つの動力源だけを頼りにするのは、今回危険と思った。

台風地震がもたらした停電は、「電源消失」の恐ろしさそのものである。

原発自身が、自分で誘爆する危険回路だった訳だ。


ここは、自動車に関するブログなので、今後の行方は非常に気にかかる。

しかしアナログレコードの良さのように、化石燃料式の自動車は、
完全に無くならないと考えるべきなのではないだろうか。

ヨーロッパの一部の「進んだ国」の考えている全廃は、
電気の消失した事故の場合を想定していない、
ちょっと勘違いではないかと、
私は考えをまた、方向転換しかけている、最近である。




Posted at 2018/10/14 09:39:05 | コメント(1) | トラックバック(0) | 思うこと | 日記
2018年10月08日 イイね!

思ったことを書いて行くのには

思ったことを書いて行くのには











このところ体調と精神面の調子がよくなく、
いろいろとご心配をかけている。

理由のことばかり考えて、ますますメンタルが下がり気味なので、
心配した友人が駆けつけてくれたり、気を揉んでもらっています。

一番私の心配は経済力が無くなったことで、預貯金も減らしすぎて
大変な状態になり、何もしたくない。何も出来ないと言う状況に陥り、
打開するには思い切ったことをしなければなりません。



そんな私にとり、理由を考えても答えが出ないことに気付き、ここは
ひとつ一度死んだ人間が、生まれ変わったと思うことが、一番良さそうに
思えます。

それが来年に控えた、還暦、60歳になることでしょう。

つまり今、なんでしんどいのかというと、59歳であまりうまく行かない
人生航路に迷っており、なかなか簡単に結論は見つかりません。

この齢で、新事業もそう出てくる訳ではなく、誰か助けてくれないかと
周囲を探しましたが、みんな逃げ出してしまい、唯一の身内は長男くらいに
なりました。

それも頼りにするには限界があります。

そこで思い切って資産の処分で生きるしか、という結論に達し、
少し明るい気持ちになろうと思いました。







ところで、今日貼っている写真は、1994年で息子がこんな小さい時のものです。



この頃は、愛車はフィアット850クーペと131の2台態勢でした。



お父さんは、この年まで、よく頑張ったと思います。

それでも生きて行くのに、今は汲々として、時々絶望したり悲しんでみたり。

しかし、ゴールや着地点は、人それぞれではないですか。

20代で結婚し子供を作った人は、50代で孫に恵まれ、3世代目のある
「お爺ちゃん」のコースに暮らしています。

私は30代で結婚と子供が出来て、もうすぐ60歳。
子供二人は、やっと世の中に出て、生活するようになりました。

いろいろな世間に迷惑はかけてはいけないと、自分に甘くないつもりですが、
それでも「生活できない」になると、世間からバックラッシュが一斉に
戻って来ます。

やっと、自分で出す結論は、思い詰めてはいけない。
食い詰めた時は、親の代の財産は使っていい。
でした。

この1994年という年は、ここに書けば父が九州で亡くなって、
その翌年の1月に兵庫県で阪神大震災に遭いました。

それが自分にとり、どんなことだったかは、考えてしまうので書きません。



その代わり、自分が翌年から、生きることを肯定するために、好きな自動車を
次々買って行ったことを思い出します。

今からどんな生き方をするのか、予告はしませんが、
たぶんできないからなのですが、

ああそうだ、それで上り調子になれたことを、思い出した次第です。







Posted at 2018/10/08 03:40:13 | コメント(1) | トラックバック(0) | つれづれ日記 | 日記
2018年10月03日 イイね!

平成の終わりとはじまり

平成の終わりとはじまりこんな気持ちで30年後を生きるとは不思議なものである。

しかし私は、昭和の時代からフィアット850に乗っており、苦しくも
楽しい時代のことをいま、感じて考えている。




昨日久しぶりに、大阪市内のある場所を訪ねて歩いた。

同じ場所を、平成元年に訪ねて行き、写真を写している。




淡い感興があり、モノクロ写真の時の同行者は、もう、この世にいない。

この探訪記は、長い文章になりそうなので、これ以上書かないが
いったい平成の30年とは何であったのだろう。

これから先の人生は、どれだけあるのか判らない。

30年前と同じ場所を歩き、変わったもの、変わらなかったことなどを
考える。


生きるということは、思い切り大きな変化が訪れることもある。


たぶん、その方が楽しい。


しかし面白くない人生は、なんとか、やりくりして、生きて行くことも
大切な時代に入っている。



最近身の回りを見渡すと、殆どの分野が退行に入っている。

雑誌もテレビも新聞も。

自動車も、一時楽しかった旧車の世界も、新鮮みは薄い。



そんな中で、毎日ご飯を食べることのように、普通に1年後も暮らせたら、


そんな価値観がいま、急に大切なことのように、思われる。



大きな変化と大きなストーリーを、30年前は誰でも思い浮かべることが
できた。

しかしその結果と、その後で、人類は非常にやるせない歴史と現実にぶつかる。


この30年間に起きた衝撃は、例えば阪神淡路の大震災や、東日本の
地震と津波と、原発の事故。

アメリカなら9.11のツインタワー崩壊。


とにかくショッキングな映像が多く、昭和戦後の幸福感が吹き飛んでしまった。


私たちが一番知ったことは、無力だったと思う。

そして、それこそ人類は楽園を追われるように、歩き出し、
次の時代を、生きて暮らしていかねばならない。


私たちは一度手に入れた万能感を手放して、新しい時代の羅針盤を探し
夢をもう一度見るのか、反対に終活のようなエンディングに向かうのか

本当のところは判らない。




30年前に、昭和がついに終わる頃には、私たちは、去り行く昭和に
哀感を感じるとともに、新時代は、いよいよ自分たちが社会を引っ張ると
期待もあっただろうと思い出す。

今は本当にやるせない時代を、伸ばして行くしかないのであろう。



昨日は、大昔に若者同士だった友人が、私の家に泊まりに来て、
今朝は朝早く旅立って行った。

大切なことは、これから私たちが、どのような旅立ちを送れるかにある。










Posted at 2018/10/03 14:28:54 | コメント(1) | トラックバック(0) | つれづれ日記 | 日記
2018年09月29日 イイね!

心の渇き

心の渇き新潮45事件が起き、今年は活字メディアの衰退と
限界を痛切に感じる年になった。

こと細かなことは論(あげつら)わないが、
あれによって、対立する考え以前の感情が、文字に
書けないくすぶりとして、しこりを残すだろうと思う。

このところ、「平成最後の」夏と秋と、よく呼ばれる。

今年は地球の環境が、猛烈に変わって来て、
シャレにならない温暖化や高熱。

そして死ぬことは避けるようにと、
冷房の使用を呼びかけるので、ますます傾向に今後は拍車がかかるであろう。



きょうは仕事で、住宅街を一日歩いていた。

何を感じるかと言うと、日本の社会の緩やかな「死」である。

平成最後の年に、ふさわしい話題は多くの有名人の死であったり
するのだが、それ以上に、80年代も90年代も、もう遠い過去となり
その時代を代表した文化や記憶がいま、「死んで」行くことを
的確に感じる時代となった。


今日は久しぶりに、初代のプリウスを動かして、車庫入れする場面に
遭遇した。今見ると小さい、ハイブリッド元年の車は、もう殆ど残っていない。


きゅるきゅると、あちこちから軋み音をさせているプリウス1は、
最後の電気モーターで民家の奥に収まる時だけ、ロボットの表情になる。

ロボットが目を閉じると、ほんとうに死んだみたいに動かない。

ガソリンエンジン車は、停まった後も「カチンカチン」熱気冷めのボンネット裏の
油と水と、電気のひく気配があるが、そうか、こんな古げに見えるクルマが、
こんな眠りのつき方なんだと思うと、なんだかものの哀れを感じて
涙ぐみそうになった。

秋の日の下で、日中の気温が上がった時間だけ飛ぶタテハチョウのようである。





私だけが感傷的な、こんな文を書く傾向なら、それは個人的なレベルなんだが、
もう自動車については、文化以前のレベルに遠のいたとよく感じる。
街を走るクルマを見て、感興や喜び、憧れなどが皆無になったからである。

老人文化社会になったからだけであろうか。

まだポルシェや、ランボルギーニだってたまに走っているではないか。

と言われても、ああなりたいという、気持ちの中に泡が立つような気分は
私のような半分老人どころか、若者の方がもっと冷めてしまっていると思う。

自動車会社も、販売する店も、もう買い替え需要だけで存続しており、
それが無くなったら店仕舞いのタイミングを見計らっている。

商店街のシャッター店舗の時間が、すぐそこに来ていることは確実だし、
自動車に乗らない、持たない時代のために、都心にみな戻り出して時間は
10年近くになった。

あとはどうしても必要な、山間部の田舎の暮らしのための道具は残るだろう。
しかし無惨なのは郊外である。

郊外に家を建てる必要は、何か、時代の方程式であり、人口の増加+移動が
必然であった半世紀弱の、生活様式だったと思う。

電車で通う郊外の概念に、モータリゼーションが戦後に乗っかり
「郊外」の概念は平成の頭まで、うんと広くなったが、もう終わっている。

平成初期くらいの開発された千葉辺りの不便なところが最も酷く、
もう誰も住まなくなる時代が近い。

平成の30年の重たさは、そこに死を伴った過去形(過去景)が見えるからである。



都市近郊のニュータウンはもう洒落にならないし、新しい戸建ての家が増える
スピードよりも、既にある家が老朽化する速度の方が早い。

そしてそこにあるクルマの風景は、新車が並ぶことは希になり、ガレージの奥には
高齢者が買い替えることを忘れたような、引退しそこなった、時代遅れの
ずれたクルマが座っていることが多い。

国が政策で買い替えを進めることを描いた、税制のしくみが頭打ちになっている。

私のような旧い車に乗るものにとり、悪政以外何ものでもなかった、
車齢13年目以上の増税は、買い替えもできない低所得者層の自動車離れを
引き起こして、業界トップのトヨタの会長が、緊急提言する状態に陥っている。

いやもう終わっていると言うか、こんなことをすれば最後に自動車業界に
“ブーメラン”が返って来て刺さることは判っていた筈だ。

今日のような、電車の走る沿線でさえ、クルマは風景の一部や主役で既に
なくなっている。
クルマは要らないから、嫌悪や反感、高齢世代のおぼつかない利用には
完全に憎しみの対象になりかけてしまっている。一種の公害である。

それは、社会の中の構造的な問題で、社会富は、先に所得した年代に多く回り、
後の世代になれば成る程、割を食うと言った図式が、誰の目にも明らかに
露見したからである。




さあ平成が終わる。

ものすごく、たくさんのことが間違って行って、後戻りが出来ないような
何とも悲しい30年だったかもしれない。
特にこの末年あたりで考えたことは、無理もできないし、新しいことも出来ない。

ただ、昭和は疾うに終わっていたはずだが、昭和の時代の面白かったことだけは
覚えている。

最近、旧い写真をスキャンして、見ることが多い。
そこには何か、まだインスパイアされる刺激が今でも見えたりするような気がする。


私は齢をとったし、後は何をするかの時間の問題のような、人生なんだが、
まだ多くの「昭和遺物」を引き摺って生きている。
2、3日前にも、レコードのイベントをやったところである。

別に真似をしなくて良いが、平成のプロダクト(生産品)がポンコツやスカタン
ばっかりが多いなら、もしかしたらヒントは、私の暮らしの中にあるのでは
ないだろうか。

面白いを発掘する。そんなところから探してみたい。



Posted at 2018/09/29 06:03:34 | コメント(1) | トラックバック(0) | つれづれ日記 | 趣味

プロフィール

「生きて行けるか この日本 http://cvw.jp/b/176891/42081273/
何シテル?   10/20 03:43
車は殆ど処分して、1971年登録のフィアット850クーペに 1987年以来、乗り続けています。 住居は昭和4年築の、古い日本家屋に、現状で住んでいます。
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