• 車種別
  • パーツ
  • 整備手帳
  • ブログ
  • みんカラ+

kotaroのブログ一覧

2022年10月25日 イイね!

大山を巡る秋の旅

大山を巡る秋の旅









クローズドのあれなんですが、日曜にちょっと山陰の方に行って来ました。
850で走るのも久しぶりです。

天気も良くて、いろいろなクルマも見られて、秋の好天の良いレジャーに
なりました。

私が感じたことを、こだわらずに書いて行きます。




まず、今の自動車状況の境遇は、1980年代と較べて雲泥に環境がよく
なりました。
地方においてもクラシックな外国産の自動車に乗れる時代です。

またETCや高速道路の延伸で、200キロくらいの移動は、現在のクルマでは実に
容易くなりました。カーナビの進化も、今は携帯電話のスマホの方が先を行き
今回のホリデーイベントの疑似ラリーで、随分助けられました。

古いクルマが現在のテクノロジーに引っ張り上げられて、不可能だった距離を
日帰り出来るようになったことは、私のように30年以上同一車に乗る人間には
奇跡の時代になれたと感じます。



私のようなビンボー人が、こんな所に顔を出して、一日楽しんで来られるのは
大昔に70万円が用意できる給料を貰って、35万貯金があって、35万親父に
借りれて、ボーナスで返して、それいらい36年このクルマに乗られていると
いう、奇跡と幸運があったから、だけなんです。

別に私が特別な人でなくても、昔は幸運が道に転がっていて、殆どの人は
それを”幸運”と知らず、転がっている事実もネットの以前で、その自動車屋に
興味があって、アクセスできた人だけでした。


私は何が言いたいかというと、機会の均等は機会の平等と共に人類の人権の
一部として尊ばれるものです。

今、格差社会の何が問題かというと、情報は誰でも容易く手に入れられるように
なりながら、しかしその実、リーチが出来なくて人生を最初から諦める風潮が
強い。そこなんだと思う。




つまり、「親ガチャ」という言葉はとても悲しいが、一方で「時代ガチャ」の
あおりを食っている氷河期世代の人たちは豊かな趣味とか、おいしいご馳走と
いった文化と教養と贅沢にありつける機会をとても損してると思うのに
上の世代は何も手を差し伸べていないのではと思うのです。

こういうイベントに来れるのは60代前後や以上ばっかり。
もちろん私たちは実車が安くてゴロゴロしている時代に趣味を始めたから
5万円の中古サニーとかから、エンジンをバラしていって、趣味を始められた。
それは「時代ガチャ」でなくて、タイミングが良かったからと言えるでしょう。

でもね、海外では、趣味の世界は地層だと思う。新しい地層が上に降り積もり
下の層が隠れて行くから、趣味の世界はいつも新鮮。文化もそうであって欲しい。


Posted at 2022/10/29 08:12:05 | トラックバック(0) | 日々の旅 | クルマ
2022年10月15日 イイね!

鉄道150年と今の日本

鉄道150年と今の日本









西洋から明治の初年以来、どっと文物が入り、日本は完全に
江戸以前の過去を棄てて、人心を一新した。
きのうの10月14日は明治5年に鉄道が150年前に開通した記念日である。
明治4年には日本は郵便制度を開業している。
それを司る逓信省は戦前に国家の重要機関として君臨したが、それを
引継いだ郵政省は3次に渡って解体されて跡形も無い。

逓信省の偉業を伝える逓信博物館というテーマミュージアムが
郵便行政華やかりし頃の、昭和40年に都心の一等地、大手町の産業経済新聞社の
真横に作られた。



この博物館のレトロなのんびり感と、昔切手収集をしていたので、隣の新聞社に
出張で行った際に、無料の展示を何度か見たことが、若い日にあった。
その時は全く「逓信」の重要性を意識してなくて、何でこれが皇居と東京駅の
間にあるのかも、考えたことがなかった。

その考えを改めたのは、2013年8月にこのミュージアムが閉館になる際に
特別展示の数々を見て唸った。
郵便と放送を黎明期からつかさどる省庁として、どんなことをしてきたかというと
情報のプロで、機密を扱い、戦時体制には命を賭けて派遣される任務も
あったのである。
だから大手町の読売新聞、産経新聞両本社の前にこの情報博物館が出来た。
面白いことにこの2社は国よりのマスコミ機関であるし、毎日と朝日の
名門2社は国と対峙するためか、少し国家機関と距離を置いている。

郵政が切手の時代の衰退で弱って行き、最後は簡易保険と郵便貯金の
膨大な資産を狙ったアメリカの資本主義によって2000年代前半の小泉時代に
解体されたことは記憶に新しいが、もう15年以上前である。

逓信省時代は例えば長崎県佐世保に今も残る、針尾の電信塔は海軍のもので
あったが実際にここを運営したのは国家機関であり軍部と帯同していた
逓信省の無線傍受の任務を担った者たちと軍の特務の連携作業である。

戦後の日本の歴史は広過ぎるので今日は書かない。しかし逓信博物館に
最後になって行って、その底力を見せつけられた時は、真夏なのに冷や汗を
感じた。それほど大事な省庁だったのである。

さて鉄道も国家の建設のために作られていった経緯がある。



明治の途中までは日本は江戸時代から転換して、資本主義の国家を建設して
株式を公開して上場企業を作る前だったから、国家に資本と資産が少なかった。

この時代は江戸の名残りで、地方に蓄積された資本が有り、金融機関はまず
銀行法を制定して、各地の元の城下町などに金融機関の原型が生まれて、
都道府県制になると、金融機関の本店は県庁所在地に集まった。

銀行の話に飛んだが、鉄道網は国鉄の前々身の官設鉄道以外は、民間の資本下に
自由に建設が可能だった。
東海道線は国がつくって徐々に伸ばしたが、山陽本線は山陽鉄道。
その先の九州は九州鉄道。東北方面の東北本線と常磐線は日本鉄道が開通させた
のである。

それらの長大私鉄を明治の後期になり、戦争などの有事の輸送を円滑に
するために鉄道国有令が出て、資本家たちの夢は一度途絶えた。
その頃は順調に日本国家に資本が形成されて行ったことがあるから可能であった。
そこを見落として、中学・高校の歴史の教科書の丸暗記では、中学レベルである。


鉄道の国家経営は、国の悲願であったと言えよう。郵便業務も長らくそうであった。

これらは第2次大戦に負けると、まず鉄道省が日本国鉄鉄道に変わった。
国鉄時代は長かった印象があるが、”たったの35年”の歴史である。

3公社5現業と呼ばれた国の経営する企業体は、1980年代になると日本が世界で
指折りの裕福な国になり、いろんな意味で的にされて消えて行く。
国内の民間企業が実に豊かになると、民間から見て改革の矢的になった観が
ある。
しかし指を咥えて見ていたのは、日本を長く仮想敵として見ていたアメリカで
ある。

日本を増長させるな。そう言う声は米国の議会と産業界で1970年代から
数次に渡り繰り返されて、最初は日本はびびったが、びくともしなかった。

それだけ日本の国力は豊かになったのと、日本は軽装備の軍備で済んだので
地上の楽園化していたのである。
そこをアメリカに狙われたというのは、あながちどころか陰謀論でもなんでも
ない。
これはTBSのアメリカ特派員であったベテランのジャーナリスト氏から
直接聴いた話(情報)なので私は信頼性が高いと思っている。



いっきに論文を書いたので”箸休め”にオモシロ写真を挟む。
この切符の利用者は国会議員の前田久吉翁であるが、このおじさんは
東京タワーの建設主であり産経新聞社の一代オーナーであった。
議員切符を秘書に買いに行かせて、これから新幹線が出来る前の最速列車
「こだま」の1等車で帰る際の利用で有るが、どうも籍を離れていた
古巣の新聞社の総会に参加した形跡が濃いのである。


さて元の話に戻るが、何故日本は弱くなり、ちっぽけになり、先の見えない
国になったかというと、国家建設の大局観があった時代は、アメリカや
西洋の横槍にビクともしなくて、郵便も鉄道もまっしぐらに伸びて行ったから
日本は10位以下から7位くらいになり、最後は2位まで地位をあげて
行ったのである。

特に戦後の1950年代後半から1980年代までは奇蹟の成長の時代であった。
ま、汲み取り便所から水洗に変わって行ったのもこの時代だったし、
皆んなが「世界の3大バカ」といった新幹線の成功もあった。

トランジスタからICまで、「半導体の時代」に日本は伸びるだけ伸びて
外貨を稼いだし、ウオークマンやファミリーコンピュータのような”お家芸”で
世界を「あっ」と言わせ続けたのもこの時代ならではであった。

金持ちの余裕が余裕をさらに呼ぶような正の連鎖である。
そこまで考えて行けば、今の日本全体に漂うペシミスティックな悲愴感、
これをどうやったら変わるのか、一緒に考えて欲しい。

話は全然変わるが、昨日は太陰暦の国家が太陽暦に変わったのが150年前だと
書いて、その影響と、こんにち的な問題について考えるのは有りか無しか
考えてみた。
いまちょうど、戦後77年で明治維新から数えて、第2次大戦の敗戦が折り返し
地点で、同じ距離の長さの時間軸が経過したあたりに我々は立っている。

たとえば国家を経営する時に肝要な国営鉄道は、解体民営化されたが、
潤っているのは都市部だけで、地方は鉄道と自治体が並走して衰退と滅亡に
向かっているが、それを見て見ないふりをしているのが都会民、私も含まれる。

郵便もアメリカ好きな戦後育ちの小泉首相時代に完全に終わってしまったが
国家戦略って何だろうか、一般の中から優秀な若い人もいるから、
今日書いたような150年の通史を読みながら考えて欲しい。

Posted at 2022/10/15 15:59:56 | トラックバック(0) | 思うこと | 日記
2022年10月14日 イイね!

陰と陽

陰と陽こんな話はブログだから書けるのだが
個人の頭の中の概念である。

前回も書いたが、日本がうまくいかなくなり長い。
私は家の中に旧い本が膨大にある。それと今はネットの一部が図書館の
ように面白い資料が目に触れられるようになった。
そうやって63歳の私が50年強のことを思い出しながら、昔のことを
振り返ったりしながら、遺したいことを書いている。

日本は明治5年まで太陰暦であった。
今でも旧暦という言葉を聞くが、明治の初めの諸制度改革の中で
一番現在に影響を残している、引きずっているのが実はこの暦制でないかと
近年考えるようになった。

旧暦はいつから使っているかというと、かなり古い。
奈良や平安の頃からではと思う。
歴法が日本に来たのは大陸から渡ってきたのであり、仏教と同じように
この島国の隅まで広まった。
中国と朝鮮半島は日本の国内文化に大きく影響を与えているが、広い中国の
奥地はユーラシアという大陸で繋がり、古代より人の行き来が行われて
様々な文物が日本に到来した。
暦法はおそらくペルシャあたりで始まって、イスラムの文化を形づくった。
シルクロードの紀行が昭和50年前後に空前の大ブームになったことを覚えている。

その旧暦とイスラムの文化は月や星の動きが、いろんなものに影響を
与えているという考えで、田んぼの稲作から女性の生理を月経と言うのまで
あらゆる文化に根強く影響を与えていて、イスラム教の世界は宗教と言うよりも
生活文化なのだと私は思う時がある。
で、きょうは何を書こうというのかというと、
明治5年にイスラム風の社会風習であった太陰暦をやめて日本は太陽暦になった。
そのことで、日本は西洋社会に入った。
西側ヨーロッパの生活風習をまねて、50年遅れで日本は産業革命に突入
したのである。

宗教のキリスト教は禁教で無くなり、日本は信仰自由の国になった。
江戸初期になぜキリスト教を禁教にしたかというと、日本の生活風習が
一変してしまうことを統治者は怖れたのである。
しかし江戸幕府は倒されて明治維新が始まり、日本は西洋風の社会を一気に
導入して、明治、大正、昭和と驀進して、経済大国になれた。
しかし平成の時代に日本はたくさんの欠点が露わになり令和の今も藻がいている。
それは日本式の社会実現が上手く行かなくなり、八方塞がりの理由が判らない
からだと思う。

ということで、明治の初めにキリスト教世界の価値観を是とした社会改革が
今では非キリスト教世界の成長や拡大で、日本式がうまくいかないのではと見る。
今更こよみを太陰暦に戻すのは無理だが、今の日本でいっぱい起きている問題の
解決に、この陰暦スケールな考え方を持って来れないか、時々思っている。

続きます。
Posted at 2022/10/14 07:22:33 | トラックバック(0) | 思うこと | 日記
2022年10月13日 イイね!

最近の世の中は

最近の世の中は最近の世の中は本当に判らない、分りにくいものになっている。
同じことをいつも言ってきた訳でもないが、何と言うのか
方法論が確立出来ないうちに次の時代が来て、新しいと思っていたものが
淘汰されていると思う。

CDが1980年代の前半に出て、90年代2000年代と時代の音楽の音源として
確立してレコードが古い不便なものになり、代替わりしたと思っていたら
ついに音楽は配信がメインになり、録音パッケージは不要になると一気に
CDが廃れてしまった。その一方でアナログで聴くレコードの人気は高い。

メディア(媒体)というのは情報のパッケージングで、それを再生することで
拡散したり、共有できるという性格のものだった。

音楽はこの他にもカセットテープやMDミニディスクなどいろいろな方式が
開発されて商品化されて、時代をいくつも作って来たが、いま、音楽産業は
アーチストや歌手が儲からない時代になり、特に高額な宣伝費用をかけて
売り出すこともなくなった。
大掛かりで大袈裟な「流行」が作り出されていた頃が実に懐かしい。


カメラという機械も、フィルムの時代を含む銀塩方式は150年前後続いて
写真芸術論まで高まったが、2000年代から外観を似せた「デジタルカメラ」
装置が出て来て、10数年でフィルム写真を駆逐した。
ところが携帯電話がスマートフォンになり、デジカメはほぼ不要になった。

今は似た状況で、アナログのカメラは人気が根強いが、デジカメの行方は
実に不透明である。
しかし昔のカメラはフィルムが必要で、さらに現像や焼き付けがプロセスとして
伴うのだが、経費(コスト)がうんと高価になったので、足踏み状態だと
思う。

自動車はガソリンと軽油で走らせてきたが、電気動力を使った自動車の
進化が非常に迷いが多くて未だに交じった方式が採用されている。
電気一本でいけない理由も様々だが、すごく世の中が慎重になり、さらに
水素エネルギーなども登場したが、10ー15年で決定打になっていない。

これらの世の中の変化を見ていて一番感じるのは、人類の迷いだと思う。
以前のように世界が広く感じられた時代は、先進国から進歩的な技術を
取り入れて、30年くらいの時間で今は後進国と呼ばないが、遅れた辺境の
土地までに伝わって行った。

ところが中国のような大きな国が、技術革新を大きなパイで享受して
一気に成長を遂げ出したあたりで、スケールメリットの方が目立ち出して
技術革新は先進国のお家芸でなくなった。
日本がいま低迷して、その状態から長く抜け出せないのは、英米のような
先進国を手本に出来た時代が、過ぎ去り、中国に抜かれた辺りから
「分からなく」なっているのである。

「わからない」時代とはその辺のことも実に大きいと思う。

日本が得意だったのは1964年の東海道新幹線の成功が大きく、
これによって国内経済にスピード感が出て、そこから1980年代の
ウオークマンや、ゲーム機器、そして液晶のテレビ群までが絶頂期だと思う。

もちろん日本のメーカーが作る自動車も高品質になり、世界中に走り出す
ようになったことは記憶に新しい。
今、日本と言う国と、国民である日本人が迷ったり低迷し続けているのは
少子化と高齢社会に原因が全て有るように言ったり、あまつさえ中国が
気に入らないと言った感情論を持ち出して来るが、それは外れている。

21世紀に入って四分の一経つのに、後戻りしたり、世界で起きている
読めない流れに、日本も大きく巻き込まれてしまったと思う。

端的な例ではオリンピックでこれだけ汚職が有りましたとか、元首相が
特定の宗教団体と繋がっていた、同類の政治家が多くいるということの
問題性は無いと言わないが、社会が前に向かって疾走出来ていた時代なら、
警察や検察に任せておく事項だと思う。
そこに日本の経済や技術革新の力まで吸い取られているみたいで、実に
勿体ない時間の使い方と思うが、先が見えてないことの方が影響が大きい。

技術と感情論は峻別すべきものだが、今は国中が風邪をひいたように迷いの
中にあり、これに3年間のコロナウイルスのことで、非科学と科学の分離が
逆に昔の一体になっていた時代のようになっている。

私は本当に自分でも何を信じていいのか判らないし、うっかりと物を言うのも
言いにくい時代になっていると感じる。
だからそういう時代に、希望や夢のある話は本当にしにくいし、
みんな大きなことを語ろうとせずに、半歩一歩下がって歩くような感じだ。

元気な人は少ないし、高齢者の多さで、場所に居ないような感じと
その高齢者が無理やり「活力」を出せば社会は動くようなことを言っている
ところもある。
私もかなりゾーンは近いのだが、これで良いのだろうかと毎日悩む。

私の考えは、若い人から枷を外して自由に研究や、開発をさせていく。
枷になっているのがお金の問題なら、そこは政治が解決しないと明るい
未来は無い。
自動車にしても、昔のように若い人が自由に乗って、興味を持ち
新しい乗り物を開発したいという流れを作って行かないといけない。

厳罰主義とか、すぐ死刑を持ち出したり、一番嫌なのは、若い人が未来に
絶望するような状況は一日でも早く無くすべきである。
そうして、「自由に好きなことしても良いんだ」という気持ちが芽生えたら
年寄りは余計な口を挟まずに、引退した所から眺めるくらいでいい。
何か世の中の流れが変わっていかないと、今の状況の前の見えなさからは
少しもトンネルの先は出られないと思う。


Posted at 2022/10/13 05:56:16 | トラックバック(0) | つれづれ日記 | クルマ

プロフィール

「日産、ダイハツ、トヨタ、そしてテスラとBYDと http://cvw.jp/b/176891/47573049/
何シテル?   03/06 04:50
車は殆ど処分して、1971年登録のフィアット850クーペに 1987年以来、乗り続けています。 住居は昭和4年築の、古い日本家屋に、現状で住んでいます。
みんカラ新規会員登録

ユーザー内検索

<< 2022/10 >>

      1
2345678
9101112 13 14 15
16171819202122
2324 2526272829
3031     

リンク・クリップ

趣味とかその対象はどうなっていくのか 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2020/04/01 18:15:22
タイ製L70ミラ・ピックアップのすべて 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2015/02/22 10:52:34
春の1200kmツーリング・中国山地の尾根を抜けて 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2014/05/11 05:49:46

愛車一覧

ホンダ スーパーカブ50 プロ ホンダ スーパーカブ50 プロ
中古のスーパーカブを買いました。 原付に乗るのは40年ぶりです。
フィアット 850 車の色は空のいろ。 (フィアット 850)
2016年10月、三年半かかった車体レストアが完了し戦列復帰、その後半年、また以前のよう ...
プジョー その他 26インチのスポルティーフ (プジョー その他)
高校の時から乗っているプジョーです。1975年購入。改造歴多数。数年前に自力でレストアし ...
シトロエン ベルランゴ ゴールデン林檎 (シトロエン ベルランゴ)
還暦過ぎて、最後の増車?!。 見たこともなかった人生初のRV車を、九州生活のレジャーのお ...
ヘルプ利用規約サイトマップ
© LY Corporation