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2023年06月19日 イイね!

日本に今モータージャーナリズムはあるか

日本に今モータージャーナリズムはあるか自分のとっている廉価な新聞が7月で休刊になる。
この後は4000円以上する一般のセット紙は取らないと思う。

自動車の雑誌はネットの進展でほんとうに買わなくなった。
しかし理由はつまらなくなったことの方が大きいと思う。

過去に10数年に渡り、日本の自動車雑誌ジャーナリズムの変転や推移
そして衰退したことを見たままに書いてきた。
自分が新聞業界に30年近くいた頃から、考えていたことも書いている。


よく、ネットは新聞や雑誌に代替できるか、のような論調を見かける。
それはデジタルのカメラが、フィルムのカメラにとって代わったような論調だと思う。

私は長短がどんなメディアにもあると思う。紙のメディアには、電気も要らない。
持ち運びができる。電車の中でも読めるが3大利点と思ってる。
だから無くなってほしくはないし、革命児が現れて雑誌を再び面白いツールに
して欲しいといつも思う。

ところでネットの長所は多いのと大きい部分があるから進展したが、足りない部分もある。それは新聞や雑誌にあったジャーナリズムの性質で、とても薄くなった。

私がこのような所に主張とも付かない考察的な記事を書くのは、自分でも足りなくなったジャーナリスティックなことを言いたいだけである。



今や全く見かけなくなったモータージャーナリストという肩書きだが
以前は通用したと思う。
日本の場合は戦後に登場して60年代に故小林彰太郎がカーグラフィックを創刊して、苦心して成功したことで、モータースポーツと、一般の商業的な自動車産業の成長があったから、この分野に脚光が当たり80年代のピークを迎えるのである。

今が2023年だから20年くらいが華のあった時代だ。
90年代も、もう少し誇張すれば2000年代まではまだ良かったのかもしれない。
しかし1990年代後半に携帯電話とパソコンが普及し始めて、メディアの産業は大きく地図が変わった。もうそれからボチ30年経つ。

だからネットのSNSと、このブログという古い方法くらいが自動車の情報の露出に
なっている程度で、雑誌時代の影響を考えるとすっかり小さな盲腸か、縮んだ
男の象徴みたいに、このジャンルはなってしまった。



ネット社会になって元気になったのは、初期はやたらと怪しい情報を探してくる
検索自称上手なタイプや、ネットの怪情報を自説のように振り回すネト愛国主義ふう
ジャンキーフード系みたいな奴とか、私はそれなんやねんと、笑いまくっていたピエロたちだ。
流石にそれをまたネット利用で取り締まる人が出て、今は全く面白い人も見かけない。

そういう土壌の背景で、雑誌とかつくる側の現場の士気は年々低下していき
生活やお金のためにやってる「これ」なんだろうに落ちていった。

そんなのがキツかったのが2010年代で、雑誌も次々消えていった。
まあ雑誌って、前に書いたが音楽の演奏みたいなノリで、一発勝負な所がある。

ネットは繰り返し見(ら)れるからYouTubeみたいな感じだと、あまりクール
ではなく、どちらかというとカッコイイという感覚は二の次だ。

硬派であれ軟派であれ、ジャーナリズムというのは違う所にある芯の通った
考え方や筋論だと思う。
それが雑誌の末期には、お金の力に屈服しすぎてぐちゃぐちゃになった。
しかしネットはそこからフリーに近いと思う。





しがらみや商業的な忖度が薄くなったのに、ネットでのジャーナリズムは弱い。
無理に打ち出すと”ゲンロン”サイトみたいになるからだ。
そうなるとネットに向かないのはイデオロギー色であり、読まれるより
避ける人が増える、と思われるからかもしれない。

またネットは個人の楽しみ中心だから、SNSのようなまとめて束にする
やり方の方が発達する理由も判る。
発信や傍受の仕方がすっかり変わり、新聞雑誌時代のような一方通行で情報を
受け止める性質の時代でなくなった。
 
Posted at 2023/06/19 08:59:12 | トラックバック(0) | オンザカー | クルマ
2023年06月13日 イイね!

続き、アナザーサイドで見るこの30年間(ポリコレ考)

続き、アナザーサイドで見るこの30年間(ポリコレ考)ポリコレという概念世界がある。
ポリティカル(政治的)
コレクトネス(正しさ)の
外来発想なんだけれど、
日本語のいい訳(やく)がない。

しかしこの30年間で日本が大きく変わったのは、
物質で無い精神分野と社会空気で、それに30年
振り回されて来て、
今の日本になったように思える。



きのうの記事の中で言い足りなかった部分を書くと、放埒で自由を愛していた人々の中にいつから他人を監視すような心理が生まれて行ったのか。
それは元から在ったのかもしれない。

一方でこの令和5年の世の中で、うまくアップデートできないものも残っている。
例えば今でも大阪駅のような駅前で「辺野古基地建設反対」とか「原発再稼働反対」というプラカードを掲げた人たちがいる。
ちらっと見るが多くの人が私より上の高齢者で、おそらくは学生運動の1960ー70年代に影響を受けたカルチャーを未だに守り続けているように思える。
もちろんそれなりに社会を動かして来た歴史も知っているし、私は敵対する立場の保守反動な人間ではない。



正しさっていうのに昔の人は弱かった。
勧善懲悪の水戸黄門的ドラマが笑われ出したのは1980年代に入ってからだと思う。

それが現代の「ネタバレ」などに繋がっていると思う。
で、正しさのカタチが無惨に現れると、体育の体罰みたいな「先生は愛を持って
お前らを殴る」みたいなことが罷り通り信じ込まれる。



悩ましいポリコレが日本の中に現れて来ておそらく30年。なのに一寸も改善できずにもがき苦しむ。それは正しさは一種の無敵だからだ。

ポリコレは卒業できるのか。21世紀になって長いが、私はいつかは出られると思う。
しかしポリコレは世の中に入って来て一方の側面では社会の標準的な配慮や考慮の指針となっています。
例えば女性と男性の言い方を分けていたことを止める。看護婦が看護師になり、女優という言い方はなくなり俳優に一本化する。例えばコメディエンヌというフランス語?が在ったのだがコメディアンだけになったのだろうか。
スチュワーデスという呼び名がキャビンアテンダントになったような例もある。

これと一緒にされる性的な同性婚の問題は、リトマス紙のように主観の判定に使われるから意識的に遠ざかっている人の方が賢いように思われてしまう。



社会はポリコレの縁に立っていてどちら側に落ちるかで人は分けられる。
分けられると困るから立場が鮮明な方が良いのか、迷っていて悩ましい人も多い。
さすがに近年は分けられる方向でなく、煙たい人の遠ざけ方に近い。
特に上の世代で「私が正しいから正しいに決まってる」型の論調はもう今の時代には通用しない。
でもちょっと前までその破調な論調は、随分大きな面積を占めていた。
なぜそうなっていったのかはこのクルマのサイトから遠ざかるから書かない。
おそらく男性の、大事にされて育ったような環境から醸成される稚気な部分。
桃太郎やむかし話の主人公が活躍するシーンにあるのでは無いだろうか。



最後に力づくを、意識するが自動車の世界はこれにどんだけ苦しめられたのか。

社会のスマート化、快適化の一方で、捨て去ったライトな部分は大きかったと思う。
自動車造りから今は自由な発想が全く無くなってしまったのは、マーケティングの弊害も少しあるが、働く人間と乗る人間、ユーザーにもこの考え方が浸透し、最初から変なことはしなくなった。
普段考えもしないことを考えていくことが、自動車に限らず、未来の開拓だと思っている。

90年代からの30年間でこれだけ社会の意味と空気が変わっていく一方で、変われずに板挟みや苦しんでいることも多い。
私はそんなアングルに光を当てながらまだ書いていこうと思う。





Posted at 2023/06/13 15:47:50 | トラックバック(0) | オンザカー | クルマ
2023年06月12日 イイね!

30年間の時代の空気の変化を考える

30年間の時代の空気の変化を考える今から30年前の1993年というと平成5年で、私は33歳から4歳であった。
同じ学年の今の天皇陛下が結婚して、令和の時代のルーツがある。
当時バブル経済のピークは過ぎていたが、依然日本はアメリカのすぐ後ろに着いた経済大国であったし、2年前の湾岸戦争でアメリカがフセインを悪者に仕立てて、多国籍軍を編成した際に、日本はお金を出しただけで「金持ちケンカせず」を地で行って世界中から「なんやこの国」と思われたことが印象深い。



しかし日本はその後の30年間に大きく社会の中の構造や仕組みは変わってないが、世界一空気の変わった国家になったと思う。
ちょっと今日は今に至るクルマ文化の凋落や価値の変化に交えて書いてみたい。



30年前はまだ新幹線でタバコが吸えた時代であり、若い男女が煌びやかな服装で毎夜遊んでいてトレンディドラマが首位であった。
しかしその裏では日本の社会の構造が変わり始めるのは、この辺りからだろうと思う。
自動車の話をすれば、1989年の日本が世界を圧倒した新型自動車を取り揃えたドッグイヤーから4年。70年代ならモデルチェンジの年だが、ロードスターもNS Xもみな好調を持続させていた。しかしマツダや三菱、ホンダといった中メーカーがマルチ販売チャンネルを持続するのに疲れが出始めていた。
自動車雑誌は依然販売が絶好調で、NAVIなどが時代の空気感を取り込んでいた。
その頃のNAVIでは確かアルファロメオ75、ローバーMG R V8とかジャガーのXJSコンバーチブルとかが持て囃されていたと記憶する。



当時は音楽では小室サウンドと、その少し前にビーイング系が結構市場を支配していた。
そんなことを30年後にどう評価するかは、ここでは書かない。
問題はブックオフとかで、30年前のCDを買ってきて今聞けるか、とかその時に楽しいかとかだと受け止める側の人間の気持ちの態様の変化だと思う。



フィアット131、WRCマシンのラリーの人気は今も高いが、そうでない4ドアセダンの人気は低かった。93年に私は18万で手に入れている。





3枚目の131とクロマが並べられた会場は、神戸で開かれたランチアランチである。
会場にはこんなモンスターも置かれていた。



しかし私が今頃に思うことは、90年代の自由な空気がだんだん冷えていき、日本人社会はシビアになり、脇の甘い、ユルい人が減っていったが、それが今の社会のスタンダードや、やたらとコンプライアンス重視みたいな社会は形成されたものだと思っている。

この間の30年間には、日本は数えきれない試練を受けた。
でも古い写真を見ていると、ユルい空気の乗り物が安く買えた時代って、例えば交通死亡事故の激減につながったというが、それは結果論でここまでクルマを戦車みたいに頑丈にしないほうが良かったのではと思う。



30年後の私たちは車から一部の人は結果的に離れた。
1980年代みたいな猫も杓子も男女もクルマ好きという時代が異常というならそれで良い。
高くなったし、昔は嫌われたベンツSクラスの任務は今はトヨタのアルファード・ヴェルファイアが務めていて、あんなクルマが前後に走っていると、本当に自動車で道を走る快適な快感が半減する。



自動車のある風景って昔はとても好きだったから、私は今も古いフィアットで旅行をする。



131を18万で買った店で後年オペルカデットを5万で買ってきて、2000年頃
家族旅行によく使った懐かしい記憶が蘇ってくる。
こんなクルマ誰が買うんだろうというような車を探し出してきて、私はユルいカーライフを長年維持してきた。

私たちはもうガソリンでも電気でも、水素でも何でもいいが、もっと楽しく
お気楽にこの地球の上の、日本という国で生きられないものかと、この頃は
よく思っている。

Posted at 2023/06/12 14:11:52 | トラックバック(0) | 思うこと | クルマ
2023年06月01日 イイね!

なし

Posted at 2023/06/01 12:10:31 | クルマレビュー
2023年06月01日 イイね!

久しぶりのロングドライブ

久しぶりのロングドライブ10年ぶりくらいにフィアットフェスタに行きました。
開催地は今は群馬県水上町です。



今回はバイトの休みが月末で長いので、もっとゆっくり旅行しても良いのですが、北陸道経由で大阪から上越を目指しました。



スタートした土曜日は天気が良かったこと。
朝早く目が覚めたので5時半に出発出来ました。
中央道〜長野経由で一泊目の宿泊地に向かっても良かったけれど、
なんとなく久しぶりに車窓に日本海も良いと思って、北陸道を
500キロ北上します。






いよいよ60歳代になった自分の体力と、いつの間にか車齢50年を超えた850クーペとのコンビはいつも通りですが、コロナ騒動の3年間に世間の変わり方、
そして旅はまた自由にできるように慣れて良かったと思います。
一方で私もクルマもあと何年こんなことが可能だろうか。

自動車社会の未来についても書いてきました。
もうすごく見渡せる視界が狭くなってきて、久しぶりに自由な、好きな
旧いクルマに乗って旅をする。一方で一抹の寂しさが同居する。





立ち往生も一度ありました。1時間かかって自分で修理回復して再スタート。
一般道に降りておそるおそる目的地を目指します。



上越から今夜の宿のある新潟県十日町市の山中の宿を目指し日没前に着いた時は嬉しかったのですが。
写真は信濃川の水力発電用の暗渠





なんとくたくたの状態で晩飯がなくて素泊まりだと。予約した時に2食お願いしますと言ったのに。

それで550キロにさらに往復20キロ。離れた街まで晩飯を食いに行きました。
疲れ切った1日目の終わりの風景です。

Posted at 2023/06/01 04:02:55 | トラックバック(0) | オンザカー | クルマ

プロフィール

「日産、ダイハツ、トヨタ、そしてテスラとBYDと http://cvw.jp/b/176891/47573049/
何シテル?   03/06 04:50
車は殆ど処分して、1971年登録のフィアット850クーペに 1987年以来、乗り続けています。 住居は昭和4年築の、古い日本家屋に、現状で住んでいます。
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