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2013年07月03日

ミラフィオーリへの道

ミラフィオーリへの道 今年の梅雨は、雨が少ない。
その原因を、思い当るに、4月が寒かったこと、
5月も陽気が短かったことがある。
梅雨の入りは、5月後半と例年無く早い時期であった。
それから1ヶ月と少し経ったが、今の時期の水不足の感は否めない。
8月に日照りになるか、台風のような豪雨が
どの時期に到来するか、そのくらいの予測はしている。

名古屋まで、また走って来た。
京都から150キロ圏。大阪からだと片道200キロ弱になる。
現代の車なら、ベンツBMWでなくても、あの面白くないプリウスでも
短時間に行けて、日帰りも普通の人でも疲労が無く翌朝に出勤可能だ。

それを名神・東名開通の数年後のクルマで、走る。
私の旅の組み立て方は、頭の中に1969年の脳内ナビをインプットして、
どう攻略しようかと言うところから始まる。

古いカーナビで走ると、新東名や新名神が出て来ない。
軽いギャグを逆手に取り、コンピューターの無い時代の−2.0くらいの
OSを考えながら、さあこのクルマで行ってみるか。
旧車に乗り旅をする楽しみは、落差の感覚を失望でなく、
好奇心に昇華することで感じる、リバースの喜びだと答えておこう。

それも近年、私の愛車は、心臓部であるエンジンに思い切って手を入れた。
普通の人なら、大ショックを受けるエンジンブローで数百キロ走り
満身創痍で帰還するところから、生き返ったことによる。
それでエンジン状態が以前より遥かに向上したので、今は年に数回、
東京まで走って行ったり、以前のような悲壮感のある旅が減少した。
車は年々古くなるのにである。



C571号機という蒸気機関車のことを、ご存じであろうか。
SL列車「やまぐち号」の先頭に立つこと30年。全国の保存蒸気の運転の
始まりとなったSLのトップランナーである。

このC57型という蒸気機関車は、均整の取れたスタイルと、性能の良さで
長く日本中を走っていたSLだが、とりわけ1号機には秘密の歴史がある。
C57型は、戦前から戦後にかけて200数台が造られたので、年次により
改良が入っている。ところが一番最初に造られた1号機がなぜ、好調なのか。
実は1号機は一度死んで生き返った過去がある。

昭和30年代前半に、北陸路の運用に就いていた頃に、親不知付近の地滑り
災害に、看板列車「日本海」(のちの最近まで残っていた急行「きたぐに」
トレインコード501、2列車)を引いていた1号機は遭遇し、大破した。

通常なら当然、車でいう全損で、廃車である。
ところが、当時はSLブームは遥か以前であるが、鉄道関係者とくに
技術関係の人や、車両運用や現場系の偉い方々、日本海縦貫線(北陸本線、
信越本線、羽越本線)に携わり、交通網を死守する人たちが事故の復旧と
ともに、人気の高いC57型の“長男”を死なしてしまうのは、あまりにも不覚
痛恨の出来事にならないか、という意見が多数出て、再生させようという
判断になり、この機関車は土中から掘り出されて、1年以上の年月をかけて、
奇跡の現役復活した。

ボイラー新製の上、台枠と呼ばれる下回りのシャーシーもやり直して
生まれ変わったのである。人によっては1号機は、ラストナンバー201号の
次の「202号機」と親しみ込めた敬称で呼ぶ人もいるくらいなのである。

これは長男自身の幸運もある。事故が起きた時はSL新製を打ち切って
まだ数年後の技術と製造装置が、残っていた時代であったからである。
もう数年遅ければ、全国のSLを追放して、電化を急ぎ、国鉄近代化の
荒波に当然残れなかったであろうと推測される。
機械にも幸運を持ったものは。確実に居て、それを保守して愛用して信頼
する。それが正しい機械と人間の関係なのであろう。

話が長くなったが、私の機械に対する考え方の一端である。



8時に大阪を出て、名古屋には11時過ぎに入った。
齢42年の車で、地図に無い新名神と伊勢湾岸を、飛行機のように飛んで
走って、このパフォーマンスなら、本当にノープレブレムだ。
カーナビを装着して来なかったので、2005年に行った「愛地球博」の記憶
を辿り、長久手と言う地名を思い出して、地図頼りに公園の横に到着。
南駐車場は迷ったが、何とか大会関係者の誘導で、展示場所まで徐行しつつ
10分ほど広い園内を進んで行く。

せっかちの人なら我慢が出来るかな?の時間を反対に、これこそスペシャルタイム
と楽しもう。さあ着いた。随分後ろの方だが、本物の緑の上にクルマを置くのは、
このカークル系イベントの美点である。



懐かしいアルピナのC1。当時はニコルが扱っていた。私が新人サラリーマンのときに
同じフロアの関テレの契約会社のカメラマンがこれに乗っていた。
マスコミと言う業界だけで、すでにバブルは萌芽しかけていたのかも、しれないが、
当時はクルマ社会版「坂の上の雲」だったと記憶する。サッカーユニホームのような
派手なブルーストライプのシートに、褪せた80年代を感じて胸が疼いた。



親近感を覚える、フィアット・ディーノと、フェラーリ製ディーノの揃い踏み。
60年代から70年に向かう頃の、このラインを近年真似る車も多いが再現し
きれていない。



異端、ポルシェ914系。しかしこのスピリットは911系列に抗えなかったが、
試行錯誤はスポーツカーの最も面白い、過程である。924以降の乗り易くなった
乗用車型ポルシェに比べると、この割切り方が好きだし、ドイツ人の遊びは
真面目だから、つい好きになってしまう。



ランチアと言う好物に群がる好き者たちに、最高のドルチェは、ザガートボディの
フラミニアシリーズであろう。徳島より参戦か。



見直して良い、FR時代後期のアルファスパイダー。
まさにプアマンズフェラーリとして、この時代を担ったのは、彼女たちだろう。
今ほど通俗的でないアルファは、見ていて実に気持ちが良いし、今より潔癖である。



AXのいる風景。5ドアハッチバックの最小ボイチュアは、プジョー104であり、後跡
を温めたのは、このシートの柔らかい、ノンハイドロシトロエン。
使い方としては、このようにファミリーで出掛けるのが理想的だが、写真のご夫婦は
我家の様に子供たちが、イベント同行から「卒業」されたように思われて、20年前の
クルマなんだなあと、思わず古いアルバムを見るようであった。



フォードシエラ・コースワース。80年代にグラナダやコルチナといったオールド
ネームを廃止させて登場した、英国フォードのニューウエポン。
このスタイリング変更で、内実もメカは全面変更かと思ったら、FRだった。
英国流の保守性に驚いた記憶がある。



2台のベンツ190シリーズ。
片や190エボと呼ばれた、これもツインカム16バルブを積むコースワース
チューン。右はボアアップで3ナンバーになった2.3である。



中京圏のアルフィスタたち。
真ん中のジュリアスーパーの男性は、後でお話しする機会に恵まれた。



創業75周年を記念して作られた、アルファロメオ75のサイドビュー。
直線的なデザインだが、リアのドアの後ろで、サイドラインが跳ね上がる
独特の美学に、このクルマの印象は深い。デザイナーという者はこれくらい
やらないと、名を残せない。


さて、緑の上で、くつろいでいると、話しかけられたので、応対すると
「kotaroさんですね?」と聞かれたので、「はい」と答えた。

その男性は、このブログを時々読んでくれているという。
ブログは思った以上に、いろんな方に読まれているのだなと、感心すると共に、
クルマという話題から、広い範囲で、世の中を見渡していくという書き方に、
共感を憶えて頂けるなら、これほど有り難い読者はいない。

書き手冥利というのは、こういう時に実感する。
ガソリンと高速代を使い、愛知県まで旅に出る目的って、単にこのイベントを
見て、レアなクルマの話題だけでは、勿体ないと思っている。
旅の道中やプロセスで出会う、人やクルマ含めて、全てが旅を構成する
要素だと思う。

こういう初対面の人と出会い、既に書き記したもので、私の主張に共感して
いただける。そういう偶然ががあるというのは、すごく書くことに励みになる
のである。


さて、イベントは蒸し暑かったが、日照で酷暑というほどでなくちょうど良く
思われる6月最後の日曜日となった。
3時半に大会終了、4時過ぎに退出となった。

これから無理して大阪に帰る気持ちもなかったので、どこかに泊まろうと考える。
よく使う、岐阜の中津川の宿も、泊まり易いが、地図を見ているうちに久しぶりに
南三河の蒲郡方面に行きたくなった。

手持ちの宿ガイドで、渥美半島の先端の伊良湖岬まで行ってみよう。
蒲郡クラシックホテルは、一人で泊まるには、もったいない。豊橋市内のビジネス
ホテルも考えたが、ざわざわしていそうで、きょうの気分でない。
会場をやっとでて、高速で岡崎まで走り、蒲郡を通って渥美半島の42号線に辿り
着いた頃には、もう夏の長い一日も黄昏を迎えていた。





ここから長い長い半島の先端まで、小一時間以上かかったが、宵闇のなか、
何とか宿に到着出来た。
遅い食事もとれて、明日の朝からの旅の続きが楽しみである。
フェリ−で海を渡ってみよう。




ブログ一覧 | オンザカー | クルマ
Posted at 2013/07/03 03:26:12

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この記事へのコメント

2013年7月3日 8:51
シゴナナ一号機とkotaro号、確かに符合する所が有りますね。元kotaroさんの愛車ローバーP6も、昨年エンジンの換装に近い大手術をしているので、仲間に入れてやって下さい。運の良い機械という事で。

フェラーリとフィアットのディーノの並び、素晴らしいですね。案外並んでは展示してくれないですから。
コメントへの返答
2013年7月4日 10:41
お早うございます。
C571号の奇跡は、余り手垢にまみれないうちに書いてみたかった伝説です。
ほぼ実話と思うのですが、検証した方が良いかもしれません。
しかし機械と人間の関係に着いて、多くの人が共感を持って頂けるならば、これからもブログ記事を書き続けようと思います。
ディーノの並びは、「夢」ですね。正にイベントならではの、一瞬!
赤くないイタリア車も良いでしょう。
2013年7月3日 9:30
技術者とか職人さんとか
いて修理修復も可能だった
時代のハナシですね?

やはり昔の方は
モノ大事にしますし
ソレを直す技術もある
スバラシイですね・・・。


今は・・・消費社会ですね
もうチョイだけ直して使いたいと
思うのもありますが
ダメなのもありますね。
コメントへの返答
2013年7月4日 10:47
このエピソードは半世紀前の、同じ国の「文化」でした。
一番欠けているのは、技術以上に情熱だと思うのです。
大事に持続させたい。昔は当たり前だったから「持続可能社会」なんて言葉は、無理に(気持ち悪くて)誰も使いませんでした。

コンピューターチップの中までは、再生出来なくても、あらかじめ作る時に、将来を見越して、余分をとっておき、50年は保存するように、習慣をつけたら、直して使えるものは、ずっと増えると思います。
法律で整備して、助成しても良いのでは。人も減り、スペースも余る時代ですよ。
それが人間の叡智というものでは。
2013年7月3日 17:37
今晩は。

雨で仕事が中止に成って・・・・・・月曜日から仕事に復帰しています。

価値のありそうな車を大事にメンテナンスして、維持して行くのも良いのですが、少し手入れをすれば使える車をスクラップにするのは・・・・・・・・・・・

意地でもレオーネに乗り続ける心算です。

もっとも最近の車では、維持が出来ない事も有りますね。
それにしても、プリウスの多い事!
流石、エコノミックアニマルの日本人だなーと、妙に納得出来る事が・・・・・・・・・
コメントへの返答
2013年7月4日 10:59
体調のほうは、少しましになられましたか。

少し手を入れて使い続けるには、90年代のクルマは、金がかかり過ぎています。
必要バランスを超えた、オーバークオリティは、かつて、西ドイツ車のベンツの十八番でしたが、それは少ない生産と、特定層の需要で、秤が取れていました。
ところが日本車は、大衆車に要らない高級装備を付けてしまいました。
「角を矯めて牛を殺す」という諺があるのにも、日本のした失敗の一つでしょう。
そのベンツでさえ、東西ドイツの統合後の苦境を乗り切る為に、トヨタのような全階層向けのメーカーに舵を切ったことは、周知の通りです。

プリウスは、ひとこと、嫌いです(笑)。
2013年7月3日 21:27
kotaroイズム全開の記事と写真
とても楽しめました。
有難うございました。
私はランチア好きなタイプですが
ザガートじゃない方の‥
が好きですね(笑)
コメントへの返答
2013年7月4日 11:02
ザガートランチアは、ガチですから、
stelvioさんは、ガチじゃない方がお好きだと
お見受けいたしました。
名前からして、ザガートは、ガチな語感がありますよね(笑)。

文章の推敲が出来ていなくて、特に後半、
お恥ずかしい出来ですが、お誉めの言葉、
ありがたく受け取っておきます。(感謝)
2013年7月4日 21:19
90年代初めに英国にいた私的にはシエラが一番懐かしいですね。
今回調べましたが、シエラはコーチナの後継車だったんですね!
その割には大きさが違う気がするけど・・
グラナダはシエラが出てからでもモデルチェンジして生きていましたよ。
その後、スコーピオと言う名前に変わりましたが・・
90年代中頃まではフォード車の最悪ハンドリグ時代でしたから、シエラコスワース以外は、いわゆるクソ車でした・・(^^; あの英国車贔屓の英国自動車雑誌でさえ、当時のフォード車には全部☆1つでした・・(^^;
欧州フォードは、マツダを買収して新しいプラットフォームを手に入れてから生まれ変わったのですね。
コメントへの返答
2013年7月5日 10:28
お早うございます。
シエラのデザインは、ちょっと出た時にインパクトがありました。特にリヤのスポイラーをXR4では一体化して、一番乗りだったのではないでしょうか。それまでは、後づけビス留めが、普通でしたから。

ネームも、新規でしたので、コルチナの後釜とわかったのは、やはりMotorやAutocarを読んでいたからです。
日本ではカーグラフィックが、英国車の研究熱心なので、記事を割いたと思います。
でも3ナンバーサイズになり、税金が当時は高かったので、近鉄モータースは乗り気じゃなかったと思います。
東洋ゴムが、唯一DTMカーの一役として、トランピオ・シエラをチームを作り支援しました。
憶えておられますよね。

フォード車で私が好きなのは、80年代前半の日本に一番入っていないエスコート3型ですかね。
というよりXR3iです。
あのFFファミリアみたいなのにも乗りたかったナア(笑)。
マツダとフォードの提携は、80年代前半(旧ヨーロッパ時代)からだったので、食い合いも無く、お互い良いところを学んだ、歴史的な成功例でしょう。
フィエスタが初代で、入らなくなったのは、フェスティバの登場。エスコートも、レーザーがあったので、日本には来なくなりましたね。
2013年7月5日 21:15
連コメ失礼します(^^)

2013年のこの時期に、この極東の島国で、XR3iの話しで盛り上がれるとは思ってもいませんでした・・(^^)
XR2i はフィエスタ、XR3i はエスコート、XR4i はシエラでしたね(笑)
日本ではトランピオのコスワースで有名になりました。

当時、フォードは最悪のハンドリング時代でしたが、以外にも?、英国ではエスコートは一番人気があって売れた時代でした。
私も、レンタカーや友人、知人のエスコートにさんざん乗りました。
特に、XR3i は当時の(車に詳しくないw)若者の人気と羨望の的でした。
XR3i は、「Joy Rider(暴走族)」に大人気で、盗難率No1の車でした。
英国のJoy riderは、当時日本でも流行ってた暴走族と違って、自分の車ではなく、「盗んだ車で走り出す~♪」連中なのです・・(爆)
エスコートは、普通のバージョンでも盗難率最高クラスで、要するに市場で人気があるから、盗んでばらしてパーツとして売り捌き易いのです。
運転してみると、何の面白味もない駄馬なんですけどね・・(^^;;

*当時、車を持ってた私が何でレンタカーを借りていたかと言うと、モンテゴやメトロで彼女を連れて大陸ドライブや、日本から来た両親を乗せて英国縦断なんて、(いつ壊れるか)恐ろしくてできなかったからです(爆)
コメントへの返答
2013年7月6日 7:52
コードネームXR3i、
そんな話が出来る相手は、20数年待って、やっとこの日本に居たのかという、それも長生きしていると果報みたいなお話です(笑)。

確かにカッコ良かったですね。向こうでの人気が想像出来ます。
僕はあの頃、カーグラと別次元で、旬な雑誌だった、カー&ドライバー(ダイヤモンド社、鈴木英人の表紙で売っていたFMステーションの僚誌)で、XR3を知り、惹き付けられました。
ジョイライダーという連中に大人気というのが、オモシロい。そうだろうなあと想像します。

そっかぁ、尾崎豊ばりに「盗んだクルマで走り出す〜♪」
“自己責任の塔”が建っている、いまのこの日本では、誰も大目に見てくれない、世界の話だと感じました。

日本では“ボーイズレーサー”ブームでしたが、ヨーロッパに目を転じると、このフォードXR3iとフィアットリトモTC125が、すごく良いなあと興奮しましたね。
エンジンヘビーの猪突猛進野郎のリトモに比べると、XR3は軟派系でしょう。そこがまた良いのです(笑)。

あの頃欲しかった車を3つ上げれば、リトモ125と、タルボサンバ・カブリオレ、そしてエスコートXR3iでした。
2つは乗れたので、あと一つの夢を叶えるのも、楽しそうだと思いました。

貴重な話題提供、感謝いたします。
最後のエピソードも、何だかよく判りま〜す。!!

プロフィール

「やっぱり。言わんこっちゃない。「トヨタ、センチュリーを独立ブランドに クーペ開発でラグジュアリー市場拡大」https://x.com/i/trending/1977788758218219921
何シテル?   10/14 09:32
車は殆ど処分して、1971年登録のフィアット850クーペに 1987年以来、乗り続けています。 住居は昭和4年築の、古い日本家屋に、現状で住んでいます。
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