2010年09月01日
教育産業の発酵臭
今日から新学期、夏休み最終日の昨日は「終わっちゃった~。。。」と悲嘆に暮れていた息子も、さっぱりとした顔で元気に登校していきました。
さて、先週末、息子が続けている数少ないお稽古事である、公文式の表彰式に出席してまいりました。
日本ガイシホールを貸し切って毎年行われる、この式典。
学年に対して一定以上のカリキュラムが進んだ生徒を表彰するという、競争原理を刺激して学習意欲を煽り、収益力に結びつけようとする、いかにも教育産業の鋳型とも言えるイベントでして、子供が主役とのお題目ながら、子供よりも教育熱心な両親のモチベーション(財布?)をターゲットにしたような催し。
ゲストは、今や公文の『顔』でもある羽生名人。
会場に着く前から、渋滞する車列。
それもそのはず、来場者数は4000人程度を予定しているそうでして、晴れ舞台に立つ子供一人に対して両親の他、兄弟、祖父母を含め、表彰対象者1に対して3~6倍に膨れ上がり、それが、こぞって車で来るものですから、大混雑することは自明の理。
開会時間を過ぎて、ようやく会場から随分と離れたところに駐車でき、そこから会場入口まで連なった親子連れの、どれも賢そうな顔をした御子息と誇らしげなご両親の様子は、さすがは選良といったところ。
しかし、胸に去来するのは得も言われぬ違和感。
そして、この時点で、来たことをすでに後悔し始めた自分・・・・
開会の挨拶が終わり、それぞれの学年で振り分けられた座席に着席すると、開会の挨拶が終わり、表彰が始まったところでした。
表彰対象者は氏名がスクリーンに映し出され、その場で起立し、各学年の最優秀者が代表となって表彰を受けるというもの。
トップバッターは幼少組。
齢4歳と、赤ちゃん言葉が残っていてもおかしくない年頃であるのに、すでに制度教育を受けさせているとは、いやはや大変教育熱心な家庭だと色々な意味で感心していると、代表の子の作文に会場がどよめき、拍手が起きました。
「(前略)公文を頑張って、立派なお家を作る建築士になりたいです。」と一言一句すらすらと読み上げ、しっかりと一礼をして表彰を受ける小さな姿がスクリーンに映し出され、割れんばかりの拍手が起きるも、素直に感心できない捻くれものの私。
胸の中には、先ほど生まれた違和感が、しこりとなって順調に育っている・・・・
遊びたい盛りの小さく丸い顔が、恐らくご両親がベースを作り、校正し、なんども練習したであろう作文をほとんどソラで読みながら、相克しているように見えました、
続く幼中組、幼長組も同じように利発そうな代表の子が、公文を頑張って将来の夢を実現したいと一言一句間違えもつかえもせずスラスラ作文を読む姿が。
そして、小学生の部に突入し、小学校3年生が終わって、いよいようちの子の番かと、カメラを構えた時、私の違和感が頂点に達するVTRが登場したのです。
公文のOBから、『頑張っている君達へ』とのビデオレター。
なんでも公文のカリキュラムを高校一年生ですべて終了し、その後、現役で京都大学入学⇒東京大学編入⇒某国立大学医学部への学士入学⇒留学⇒医師免許取得、現在研修医との判で押したかのようなエリートな経歴の持ち主。
インタビューも、公文を続けることが如何に重要かに軸を置いているものばかりで、まさに非の打ちどころのない立派でシンボリックなOB。
会場からは、拍手の合間に「すごいね~」という定型句のような感想が漏れ聞こえ、そして、うちの子が属する小学校4年生の表彰となりました。
起立する4年生。そしてスクリーンロールに映し出される、表彰者の氏名。
息子も自分の名前を見つけて、「あそこにあったね。」と余り感慨もなくあっさりした様子。
代表の子が、またしても一言一句間違えもせず、詰まることもなくすらすらと作文を読み上げ、全員が着席して、ものの5分で息子の番は終了。
生来、堪えしょうがなく、毎年の通知表には、まるで先生達が申し送りしたかのように「落ち着きがない。」と書かれた私の違和感は、絡まった糸玉のようにすでに臨界まで成長し、帰りたくてうずうずしていると、タイミング良くぐずり始める生後10か月の娘。
嫁と息子は、羽生名人の講演だけは聞きたかったようですが、今から高校生まで学年ごとの表彰が延々続くことと帰りの大混雑をとくとくと伝え、ここで半ば強制的に退場。
記念品を受け取ってから、M3に乗り込み、駐車場を出て会場を離れるに従い、気分的なものだったのか氷解していく違和感。
「公文続けるかい?」と息子に聞いてみると、「う~ん、いいか悪いかまだ分からないから、もう少し続けてみる。」と息子。
「オレが頑張って、また来年もここに呼ばれたら、お父ちゃん、嬉しい?」と逆に切り返され、「いや、まぁ、何事も頑張ることは嬉しいけど、自分のためにやればいいよ。」と、親の微妙な心理をえぐられギクリとさせられました。
学問は古来より、誰へだてなく与えられた、立身出世の公正な手段。
そして、小学校教育では望むべくはない学力向上に教育産業は不可欠であることは分かってはいるはずなのに、機械的にスラスラと作文を読み上げる代表生達の無機質な表情が、妙に頭から離れられずにいたこの日。
頑張った子供が褒められるのは大変結構なことですが、この種の催しで表彰されることが、勉学の「手段」ではなく「目的」になってしまわないよう、親としてのハンドリングを試されている気がしてならないのは、鼻腔に残る教育産業の発酵臭のせいに違いない。。。
ちなみに、帰りの車内、M3のオーディオに接続しているi‐Podがランダムにセレクトしたのは、私のそんな気分を汲んでか、モトリーのハードチューン『Smokin’ in the boys room』
「やっぱ、勉強よりもこうでなくちゃ、ダハハハハ♪」とノリノリでM3のハンドルを握っていると、「う・る・さ・い」と嫁&息子に突っ込まれ、無理やり嵐のCDに・・・・
公文式は順調に進む息子の、様式美ギタリスト化計画、暗雲立ち込め始めてます(涙)
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Posted at
2010/09/01 11:08:20
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