2016年10月27日
100人目
・過去5年で最悪のペースの交通死亡事故者数のわが県だが、先日の「交通非常事態宣言」からの警察の特別警戒で期間中の死亡事故がゼロになって一段落と思ったら、さっそく老人が交差点でない二車線道路を渡って、片方の車に跳ねられて対向車線に飛ばされ、そっちでも別の車に跳ねられるというピンポンゲーム状態で100人目を達成したそうな。不謹慎だけれど、100人目記念がこんな事故で道路の悪魔が狙ってやってるんじゃないかと思ってしまう。
近年は車の安全性が上がり、無闇に暴走する若者も減ったというか若者の車離れ(という表現に問題があるのは承知しているが)の結果、車対車の交通事故での死者はかなり減っている。反対に高齢化で歩行者の老人がはねられるとか、子供が死角で轢かれるとか、自転車の高校生が巻き込まれるとか、バイクが突っ込まれるとかが増えている。ほんと、外装エアバッグが一般化するかも知れないな。
・我が県の恥と言えば教諭による不祥事が止まらない止まらない。今年も性的問題だけでも何人も処分されていて、中学生や高校生とみだらな行為をしたとか、同僚の更衣室を盗撮していたとか、なんともうら・・・けしからん話ばっかりである。団塊ジュニアの私らの頃の教員というのは「戦前戦後の代替教員上がりの軍国主義者(ほっとんど居なかったけど、その系列が少数)」「高度経済成長についていけなくて役人になったでもしか先生」「教育に情熱を燃やすも日教組など左翼に強く影響受けちゃってる人達」など、頭数揃えるのに精一杯で質がかならずしも高かったとは言えない。特に受験がない中学までは酷かった。今じゃ信じられないだろうが、教室でタバコ吸いまくるクズとか当たり前だったからね。そういうのに比べると小粒な犯罪ではあるが、被害者はおそらく今後そういう人になってしまうだろうし、発覚した奴らは全員免職である。でもしか教員みたいに売り手市場ならともかく、今の教員って資格があっても枠があくまでフルタイムじゃない状態で何年も我慢したり、余程の情熱がないとやれない職場なのに、こういう馬鹿がさらに下らないハードルを作っているかと思うとなんとも言えなくなるな。
・センテンススプリング砲が今度はレコード大賞が金で買われていた証拠をぶっこ抜いて今年はレコ大終わるんじゃね?状態。以前からバーニングとかエイベックスとかエクザイルがいる所(忘れた)の業界の黒い噂はあったけれど、証拠がはっきり出たのははじめて。同時に過去のレコ大の受賞リストと年間順位や売り上げの比較がなされて、「日本の音楽業界がダメになった元凶」がすっごいはっきり分かった。87年あたりまではまあまあ順当、90年代から怪しいのが増えて、今はもう知らない人ばかり。芸人なんてそんな物だろうけど、結果音楽業界自体が縮小して誰も見向きもしなくなっていいザマではある。ラジオとかでもエクザイルとかAKBとかですら聞いた覚えないもんな。レコ大と紅白が終わってくれたらほんと嬉しい。あるいはN渕のライブ中継途中で逮捕とかだったら視聴率上がるだろうなぁ。
ラジオと言えばNHK第一のすっぴん、ランダムに聞いているのではあるが、日替わりゲストの入れ替えで「こんな人入れたのは誰だ」と思ってたら、やっぱりアンカーからもよそよそしい対応受けてる奴が出ていた。U字って誰?って思っていたが、母親自慢とくっそ趣味が悪い音楽抱えて来期はアウトだろうなぁ。かと言って民放も健康食品と法律事務所の過払いだの事故賠償、中古車中古バイク買い取りの宣伝ばっかりで、朝のニュース番組以外聞かなくなった。以前ならその間にまともなアーティストの音楽が入り、その宣伝効果でラジオの収入が増えてという循環があったのだろうが、音楽低迷はラジオの低迷に直結していたようだ。
個人的にはNHK第2のカルチャーラジオがダントツで面白いと思うのだが、NHK第2の問題は語学番組がちょくちょく挟まれている事で、さすがに全くわからん言語の会話だの、特定亜細亜語なんかは聞きたくない。カルチャーラジオってアーカイブではストリーミング配信されているので、ネット環境ではこれ聞くのが一番いいと思う。が、ラジオで聞く訳じゃないのが問題だな。スマホあればこれ聞くんだけど。
・長野県にはリンゴ三兄弟と言う品種がある。出荷順から秋映え、シナノスイート、シナノゴールドという名前で、色は秋映えは黒っぽい赤、スイートはやや青が残る赤、ゴールドは黄色とカラフルである。中でもシナノスイートが味が良くてゴールドほど割れないので人気がある。ゴールドも美味しいが果肉が締まっており割れやすくて歩留まりが悪い、秋映えは千曲市方面が生産の主力。そのシナノスイートも今年は頂いているのだが、先日買った小粒な物が大変おいしくて、リンゴの味について少し思った事がある。
果物も植物なので水分が多少少ない方が凝縮感が出やすい。ミカンではマルチ(タイベック)栽培は普通だし、ブドウでもワインなどではタイベックが使われる。あと、早出しのデラも傾斜地ほど味が良いとは言われている。日照の受光面積が稼げるのと傾斜で水はけが良いためである。同様にリンゴも傾斜地で水はけが良いほど「おいしい」物に育つと思っていた。実際「ふじ」に関しては概ねその通りかも知れない。しかし、そういう力が入った作物ってインパクトはあるんだけど食べていて疲れる事に最近気がついた。ちょうどグレートビンテージのワインが落ち着くまでに時間がかかるように、酸味も果肉も、すべてが目一杯すぎるのだ。特に窒素が効いているのか大きくなるとえぐみも強く出てくる。
一方今年は雨が多く、日照は例年の半分で、農業には厳しい年だったと思うのだが、今年はシナノスイートがえらく美味しく感じられる。瑞々しくて食べやすく、和梨にちょっと似た感じでパクパク食べられる。糖度がすごい高い感じはしないが、雑味がないので爽やかな感じがする。少し劣ったビンテージのワインがすぐに飲むと飲みやすいのに似ている。実はフジでも系統的にあまり糖度に特化してないような物があって、それが私は好きだったのだが、今思うとスイートと同じ列とかに植わっていて地下水脈が繋がっているとかあるのかも知れない。
まあ日照はないよりはあった方が光合成はしやすいのだが、水は窒素より重要なんじゃないかと思うのが一つ。あとは、こういう気象条件の違いなんかを感じるのも農産物の良さかも知れない。人工的に水耕で林檎とか作れば毎年コンスタントに同じようなの出来るかも知れないけどね。実はブドウに関しても、ストレスになるほど水分切った奴は甘いけれど食べ疲れする。水で張ってて、ちょっと水っぽいぐらいの方が美味しく感じる時も今年はあった。特に佐藤系巨峰は糖度よりフレッシュさで食べた方が美味しく感じられる。
・せっかく美味しいシナノスイートが沢山あるので、いろんな料理に使っているが、最近やって特に美味しかったのは「シナノスイートとサツマイモのヨーグルト和え」。サツマイモはネットリ系の方が私は合うと思うけれど、最初はほっくり系サツマイモが喉に張り付きすぎてむせるのでシナノスイートを混ぜてたので、どっちでも合うから好みと言える。コツとしてはどちらも同じぐらいのサイズの粒にすると混じりやすいかな。ヨーグルト無しでも充分美味しいけれど、より食べやすく甘みの違いを感じやすいのでヨーグルトお勧め。
・ワイナリーの新ラベル、縮小写真や動画サイトで大まかな形が見えてきた。美ヶ原の稜線をシンプルな金箔線で表現、文字も少なくてラベルは若干光沢がちりばめられた風合いがある感じかな。品種で紙とか変えてくるかも知れない。5日に出すなら、遅くても2日あたりにはボトリングしているのが見られるのではないかと思う。さて、この手のラベルは現物見て見ないと軽々しく良し悪しは言えないのだけれど、事前映像を見た限りで言うと「ちょっと物足りない」し「前ラベル同様内々で決まってて人の意見とか聞いたのか」って気がする。
前のラベルは北アルプスのシルエットで、不評なほどでもないが訴求力に乏しく、いかにもシンプルな試作品って感じだった。ブドウの絵や写真が使われるほどお土産臭くもないが、テーブルにドンと置いて眺めるには明らかに物足りない。また、説明されてもシルエットの意味やワイナリーとの繋がりが希薄だった。よりスタイリッシュかつ関連性が見えて、消費者が欲しくなるようなラベルが急務だったと思うのだが、これどこにデザイン投げたんだ?どういう要求で誰がOK出したんだと言いたくなる。正直前のデザインの延長でクオリティーを少しだけ上げた感じである。確かに世界の大量消費ワインにはこんなデザインありますから、デイリーワインとしてのランクはわっかりやすいんですけど、今はデイリーワインでもボトルに個性が求められるので、こういうデザインなのは「超ローコストワイン」か、ニューワールドの一部だけだと思うのね(NZワインとアルゼンチンがそんな感じは受ける)。特にNZは他に描く物ないからシンプルだよねぇ。でも、1300円ってのは国産ワインとして見ればボトムレンジだけど、一般的な感覚からするとボルドーのネゴシアンワインあたり、ニューワールドでもサンライズとかカルロロッシとかフロンテラクラスなのよ?同じ価格のラベルとくらべてみ?
シンプルさはそこらへんにして、画題に関しても私は疑問だ。美ヶ原(ビーナスラインの終点)がワイナリーの立地の自然状態から一番見えるというのは分かる。でも認知度がそこまで高い訳じゃない。本当にピンで美ヶ原を題材にしたお土産ワインなら分かるよ、実際うつくしの鐘とか描いてあるワインあるから(委託醸造)。でも、たった一つのキャラクターラインを認知度ゼロの山の稜線にするとか、それなんて羊を巡る冒険だよ、わっかんないよ。北アルプスもまあ認知度低いというか、ソロでボトルのシルエット見て山が分かるかと言うと分からんけどさ。富士山じゃないんだから、見る方向でも違う訳だし。
私は天然自然のシンボルとしてその稜線を入れる事には反対しないが、そもそもこのワイナリーのこのクラスのワインを「市内の原料」と絞っている時点で、どうして松本市をシンボルとして使わなかったのかが分からない。市内にライバルワイナリーが乱立しているならともかく、細かい例外抜かせば唯一のワイナリーなんだから、大手を振って「ザ、松本」ってラベルにした方が、市民からの支持も得やすいし国内各地へのアピールもしやすいと思う。じゃあ、ザ、松本と言えば何か?そら松本城でいいでしょ。
そもそもフランスのワイナリーはシャトーや城、屋敷の絵を使うのはごく当たり前になっている。ラフィットでもラトゥールでもいい。直接的な関係がそこまでなくてもいいじゃないかと。さらにデザイン性に優れており、部分的に切り取って良し、モチーフにして改編して良し、バリエーション作るのも容易である。テーブルに置いて眺めるのにちょうどいいし、日本のワインなんだという強い主張になる。古い歴史を大事にする姿勢が伝わるじゃないか。
実は「日本的モチーフをラベルに使う」というのを強く感じさせてくれたのは、あずみアップルのメルロー NISHINAである。このNISHINAとは仁科という栽培地域の事で、土蔵の扉が描かれている。よく見ると下はナマコ壁になっているし、ネーミングは市民募集と「地元密着」感がある(もう少し言わせてもらえば、たしかあの土蔵は大町の塩の道博物館のちょうじやさんがモデルだったはず)。他にもあずみアップルさんはラベルのセンスというかバランス感覚がとても優れているので一発でそうと分かるし、見ただけでランクも分かるけれど、どれも自信作だというのが伝わって来て好きだ。そして、あそこの「テーブルワイン」を見ると、ほんとよーく分かってるなぁって感じる。テーブルワインがどうあるべきか、すっごい分かっている。だからこそ、あの規模であれだけのラインナップなのに、すでにソーベニヨンブランなんか売り切れになっている訳だ。
二点ほどあずみアップルから見習うべき点を書こう。一つ目は「ワイナリー自体がラベルに描かれている」という事だ。これさ、見習おうよ。上でシャトーの話を書いたけれど、本来はシャトーがお城で、お城を絵にすればそれでいいわけ。でも、近代的なワイナリーはそこまで見栄えがする施設を持たないからシャトーを書いてない、そのぐらいに私は思っている。で、あずみアップルがすんばらしいシャトーを持っているかと言うと、一応レンガ作りで大きい方ではあるけれど、池田町のワインの城とかそーゆー立派さはない。そもそも、あそこは観光資源としてそこまでショップや醸造所を活用している訳じゃないし。それでもシャトーなり施設内のシンボリックな造形をラベルに入れる、これは敬うべきだ。まして、大々的にコストかけて直売所含めシンボルにしている地元ワイナリーが施設をラベルに入れないってどういう事よ?って私は思う。
もう一つはフォントの見やすさである。筆記体使いたがる所もあるんだけど、あれって最悪シャトー名ぐらいにとどめた方がいいと思う。出来れば使わない方がいい。特に合理的な栽培醸造になっている新しい世代のワイナリーは、見づらくてフォント化してない筆記体は使わないぐらいでいい(超高級ワインを選抜して単品に対してサイン入れるぐらいなら分かるけど)。実際国産ワインの一部だが、わざと活版印刷風のラベルを使っている所もある。前にも書いたが、そもそもナイアガラが葡萄の品種か知らない人が世間の大半なのだ、わざわざ難しい文字にしてなおさら読まない。他にもワイナリーのシンボルマークとか色々思いつくけど、けなしつくしてラベルが良かったら悔しいのでそのぐらいにしておく。大体、今更新になっているのはテーブルワインクラスだが、本命は多分アッパークラスのラベルデザインだしね。
・日本の人口が減少フェイズに入ったそうで、ここから先は少子高齢化が加速度的に進み労働人口が減っていくそうな。まさに地獄の釜の蓋が開いた状況だが、誰が開けたんだろうね。ブラック企業を長年放置した労基とかがさ、ちゃんと労働状況にメス入れてたらこんな事にならなかったと思うんだけど、あいつら自分達が日本の現状を金もらいながら悪くしてたって認識あるんかね?日本医師会が自民党に献金しながら薬価や診療報酬あげて社会保障費うなぎ登りとか、どう思ってるのかな。日本を無限の公共物だと思って搾取しつづけた結果、国家というコモンズが枯渇したんじゃないか、今はそう思う。
・湾岸ミッドナイトが終わってから定期的に買ってる本もなくなったのだが、細切れで描いていた楠センセイが「銀灰のスピードスター」とか言うのを描いていたのを知って購入、しかしこれが面倒だった。ネットだと中古がない(人気がなくて中古流通してない?)し、古本も同様、そして本屋でずっとヤンマガ周辺を探して「ないない」と思ってたら、ビッグコミックスピリッツだった。移籍して、そっちで湾岸の集大成とか酷い商売だなと思うが、そもそもの原因はC1ランナーの終わらせ方だったと思う。C1の巻末でこれまでの編集とか出版社への恨み辛みをぶちまけて断筆宣言っぽく辞めてみた物の、エイトは無理な展開と面白くもない題材でフェードアウト、結局まーた湾岸MN亜種みたいなのを作って見たけれどヤンマガに戻れなかったって事でしょ?私はC1すら蛇足だと思っているし、やるならブローカーの方とかあるだろうに、結局戻れる場所が湾岸しかなかった。かっこわるい。
まあ、それでも車いじってる人、飛ばす人がオッサンばかりだから、もう楠センセイ一人しか描いてないんだし、需給関係はいいんだけど、この話も湾岸の出がらし感あるよな。楠センセイの作品のマンネリな問題はいくつかある。
1:交通事故であっさり人が死ぬ割に車の破壊表現が絶望的にヘタ
湾岸以降で作品中で事故で死んだ人間を数えると、初代アキオ、相沢の父親、吉本メカと案外少ないのだが、事故った人はかなりいる。ブラックバード(2度)・アキオ(軽く4,5回はやってる)・ヤマ・マサキ・トモヤ・オギシマ(2度)、他にもいたかも。で、アキオと吉本は車は無事というか、あんまり破壊されず修理されるという背景なんだが、今の車が人死んでるのにオコされるってないんじゃないだろうか?はっきり言って雑である。吉村にしても相手が足場トラックとかで、落ちてきたパイプが刺さったとか漫画家ならいくらでも普通の理屈つけられるだろうに・・・
2:人物背景使い回し
絵の話ではない。どっかで見たような背景を持つ人物が何度も出てくる。あと名前もナ。オールスターシステムというか、マンネリというか。石神=シグロ、吉村=平本 主人公はノブとトモヤと他を混ぜた感がある。島田=シイナ、後藤は木村やブローカーの野村と通ずる所があるし。世界観が似ているからしょうがない部分もあるが。もっと酷いのは女性陣で、大抵キャバ嬢ってのはどうなのよ。女性が社会進出とか言いつつ、どんどんがめつくなっていくのは共通、リアルで食傷気味。
3:ポルシェ大好きすぎ
湾岸MNだけ読んでると、Zの裏の顔であるポルシェが出続けている事に違和感はないのだが、実の所「そこまでか?」ってぐらいポルシェが出てくるのが楠作品、伊藤版ブローカーにも、銀灰にも出てくる。んだけど、空冷の話が多い。実際問題964以降、甘く見ても993以降はもう関係ないと思うんだけど、「またポルシェかよ、また高性能外車かよ」って気はする。
4:普通の車のネタが薄い
改造車がメインの話ではあるが、別にそこらへんのバンでもトラックでも軽自動車でも出てくるのが湾岸MNなのだが、その扱いがどんどんズレてきている気がする。特にHA24にワゴンRのターボのK6積むのをちょちょいのちょいみたいな書き方はどうなんだソレ。ヘタなGTRチューンより大変だと思うぞ。つまり軽自動車蔑視はここにもある訳。別に悪魔のアルトワークス編やれって訳じゃないけどさ・・・ここらへんは「原付SS1/4とSP250どっちが上」みたいなのが分かる人には分かると思う。楠センセイは評論家読んでて、こういう基礎読んでない。
あと、C1や銀灰から特に目立つようになったのはメタ視点での地の文。別に漫画でやっちゃダメって事はない、ないのだけれど、多用する物ではないと思う。本来は主観視点でのシーンの取捨選択や書き込みで読者に分からせるべきもののはずだが、神の視点でマスターシーンを入れると話がすっごい分かりやすくなる。というか楠センセイは漫画はお上手じゃないので、そういう文章の方がよっぽど伝わる。結果、銀灰のストーリーのペースは湾岸初期の3倍ぐらいの速さで進む(時間軸だともっと速い)。まるでストーリーダイジェストを読んでいるような、「粗筋分かればいーや」って感触がある。確かに地の文もとてもすばらしく、オリジナルポエムが冴え渡っていて、こういうの開拓した自負はあるんだろうと思うけど、それを知らない人からすると「何この抹香臭い説教じみた老人の戯言」って思うはずだ。実際これは老人の説教であり、それをありがたがって読むのが正しい。
絵に関しては人物のヘタさに磨きがかかっている。車は相変わらず上手いというか、以前は微妙に違う車に見えていた事がなくなったが、登場車種がそもそももう知らない車なので良く分からない。ただ、挙動描写は画面の収まりを考えて雑になっている気はする。一方で人間はもうめんたま出目金のひが目ばっか、口元なんかも幼稚園児の描くお人形さんからずーーーと変化がない。なんというか、奥行きがない平面におたふくみたいにパーツを置いただけだし、表情表現がなぁ・・・今時顔に上から線引いて青ざめる表現とか見ると「時代ですなぁ」と生暖かい気分になる。背景はアシさんが上手いのか、この薄い絵に勝たないように余白を大きくとってトーンのレンジを狭めて後ろに後ろに行くように描いている。明らかに一番進歩して漫画の完成度を上げて見せているのは背景だ。昔は粗いトーンが目だったが、そういうのを使わない。
まあ楠センセイは顔という物の把握にも苦労しているようで、登場人物の顔がどんどん変わる事がよくある。吉井とか渋川とかどうも把握しづらい。ただ、ああいうドングリ頭に手癖が出てくると一番人間らしい顔に見える。どうせみんなタカギになるんだから、ええじゃん。逆に細面人物は皆北見になる。女はショート人物は活発というか生意気多いよね、理想は逆にストレート長髪っぽい。おそらくそれは男性の共通幻想なんだろうけどさ。
・パトレイバーの小説版も購入、電撃にあったメディアミックス当初の奴で、押井のは買ってない。その一巻がすでに劇場版1のストーリーである秒速40mだったのでびっくりした。脚本冴えすぎだろう。一巻のみ伊藤さん、残りは横手美智子さんが描いている。横手さんはアニメ脚本でのみ知っていて、あまりにメジャーなので実在の人物か怪しく思っていたが、パトレイバーがデビュー作だそうで案外最近で、こういう小説まで存在していた。が、小説とアニメ脚本は違うのだろうと思っていたが、案外普通の小説もしっかり読める。まあ、文章力について云々する能力がないのでそれはおいておいて、肝心なのは内容、とくに設定面である。ただ、伊藤さんが巻末あとがきでさっそく「パトレイバー世界はパラレルワールドである」と断言しているので、小説での設定が映画やOVAやTV版に直でリンクする訳でもないが。
で、さっそく読んでいるが、かなり重要なエピソードてんこもりでびっくり。何故これらを映像化しなかったのかと言いたくなるが、いろんな事情や思惑があったのだろう。さて、特に重要なのが「なぜ優秀な熊耳が特車二課なんて所に流れ着いたのか」「篠原遊馬のあの性格や実家との確執」についてだ。前者は実は続巻にもっと詳しいのがあるので、今回は特に触れないが、外事二課にいたというのは意外だった。後者は篠原重工の成り立ち、ひいてはレイバー産業があの世界でどういう物だったのかが描かれていて興味深い。
篠原製作所という自動車部品の下請工場が、様々な会社を吸収してレイバーのトップメーカーになったのは作中でも語られていたが、小説だとより具体的に出てくる。篠原の創業者で祖父が篠原雄高、息子で現社長が一馬、その息子が篠原一驥と篠原遊馬(特車隊)な訳だが、一馬と遊馬は折り合いが悪い。社長は優秀な長男に将来を期待していたが、25歳で交通事故で亡くなっていて、遊馬は年が離れていたため祖父にむしろかわいがられており、祖父と親の確執が息子達にも残っているものの、長男死亡のため宙ぶらりんな状況だそうな。長くなるので続き後日。
・ある怪談話を読んでいたのだが、その中でトンネルに出かけたら車のエンジンがかからなくなるという定番のギミックが出てきた。どうするのかなーと思っていたら「MTだったのでニュートラルに入れて峠を惰性で下った」という話が出てきた。まあトンネルって高い所にあるから、分かる。コマンドーでもやってたし。しかし「ニュートラルで下ってたら運転者が「ブレーキが効かない!」と言い出してサイドブレーキを使いながらノロノロと降りてきた、あれは呪いだ!」って所で思わず突っ込んでしまった。「エンジン切ったらそりゃブースターきかねえからブレーキの効きも悪くなるけど、呪いじゃねえよ!幽霊も苦笑いだよ!」。賢明な皆さんならご存じだろうが、車のブレーキは負圧を利用したマスターバックによるサーボの補助を受けているので、エンジンが止まるとほんと効かなくはなる。負圧は蓄えられているので、数回は多少は効くが、やがてノンサーボになる。走行中にエンジン切ってポンピングで負圧を落としてノンサーボ状態にすると、軽自動車ですら思いっきりブレーキを踏まないと止まらない事にびっくりするだろう。普通自動車で試した事はないが、おそらくそれ以上だとは思う。
とは言え、トラックとかでなければ、全く止まらないほどという事はない。たしかロータスセブンぐらい軽いとノンサーボだったはずだし。そうと分かって運転するなら、全く止まらないって事はないんじゃないかと思う。まあ華奢な女性でシートに寝そべってたりしたらアウトだけどな。
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2016/10/27 22:22:04
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