
3月8~10日で奥大山を拠点にドライブした時の撮り鉄です。
👈初日にこの写真を撮るのに、僅か40分ほど待たせただけで
オカンムリになった家内。。。でしたので、本当の撮り鉄をしたのはこの時だけで、ブログの中身は撮り鉄というほどのことはありません
(/ω\)
何れの画像もクリックで
拡大します。
冒頭と同じ場所です。3月8日、米子市にある山陰本線と伯備線が通る
日野川橋梁で待機しました。

通過するのは特急
やくも20号です。北側から撮りました。残念ながら、大山も頂上までは見えていませんでした。
また、この前にやくも11号も撮りましたが、下り線で南側(複線)を通っていましたので、上り線の橋梁に隠れて写っていたのは窓より上だけでした
(T_T)
撮影スポットの北側数10mの場所にあった、1888年竣工の初代日野橋の橋名板です。

これは、山陰視察に訪れた山形有朋の「因伯の発達は交通の道を講ずるにあり」との報告により、山陰道に初めて架けられた常設の橋で、木造の橋だったそうです。
右側は1929年竣工の旧日野橋(人道橋)で、改修工事(PCB検出のための対策を含み)中でした。
さて、今回のドライブにおける真の狙いは特急やくもではなく、
我々が訪れた週の金曜日(3月13日)で引退した食パン電車🍞と呼ばれる
115系G編成でした。
食パン電車🍞が誕生したきっかけは、2001年、3両編成(クモハ115+モハ114+クハ115)を
ワンマン運転化する時でした。この際、
1両減らして2両編成にする必要があったのですが、クモハ115+クハ115にすると運転台は前後に揃いますが、クハ115は電動車ではないためパワーが足りません。そこで電動機のある
モハ114に切妻型のまま運転台を無理やり取付る改造を施したのがクモハ114。。。結果、クモハ115+クモハ114になり、
クモハ114をして食パン電車🍞ということなのです。
子供の頃、首都圏で育った私は、食パン電車🍞は
101系カナリア色の山手線の先頭車両と同じ顔、だと思ってしまいますが。。。115系としては1982年に導入以来40年以上に亘って通勤、通学の脚として親しまれた車両なのです。
今回は、せっかくのタイミングで大山周辺で遊ぶので、3月13日の引退を前に、食パン電車🍞そのものを一度見ておきたいのと、引退を記念して特別仕様の掛け紙を付けて販売される吾佐衛門寿しを買っておきたいと思っていました。
3月13日の食パン電車🍞引退に関連するニュースは
こちらです。
初日(3月8日)は、冒頭の特急やくも20号を撮ったあと、後ろ髪を引かれる思いで宿泊地の奥大山へ移動。。。国道181号線を通っていると、すぐ横を走る伯備線を米子に向かう
115系がやってくるではありませんか。それも食パン電車🍞がこちら向きで
!!! その時のドラレコ画像が👇です。
リアのドラレコにも115系の後ろ姿が残っていました。
顏は食パン🍞クモハ114ではなく、通常のクモハ115であることが何とか判別できます。
続いて、二日目です。
この日は、安来にある足立美術館に向かいました。その前に米子駅で吾佐衛門寿しを購入しようとしたのですが、10時に到着した時点で既に売り切れていました
(T_T)

米子駅ではサッと買って先を急ぐつもりでしたので、カメラは車内に置いたままでしたので。。。


。。。須磨穂ちゃんに活躍して貰って、ついでにキハたちとラッセル車(キヤ143)を撮りました。
最後は、その日の帰路(帰路と言っても宿泊地・奥大山への帰路です)です。再び食パン電車🍞に遭遇しました
!! 前日より少しだけ早い時間帯でしたので、出会う場所を予想しつつドライブ。。。良い場所で出会いました
! 前日と同様ドラレコ画像です👇
この時は一眼でも撮りました(左)。そして、前日同様、リアカメラに残っていたクモハ115。。。


。。。今度は通常顏のクモハ115であることが明確に判ります(右)。
以上、特急やくもは一度だけでしたし、食パン電車🍞はドラレコ+一眼という
中途半端な撮り鉄でしたが、
最後まで元気に頑張っている食パン電車🍞を見ることが出来て、自分なりに楽しめた2日間でした
(^^)/
つづく
【関連のブログ】
◇
奥大山を拠点に(その1:雪❄で遊ぶ)
◇
奥大山を拠点に(その2:鳥取って遊ぶ)
Posted at 2026/03/26 00:24:04 | |
ドライブ | 日記