
2009年10月25日
自分にとって初めての輸入車、高校生の頃からずっと憧れ続けようやく手に入れた車。
ランドローバー ディフェンダー110 TDCi
最後のドライブは4月頭の青森から千葉の自宅へ戻る常磐道だった。
しかし、度重なる故障は完全に治ってはくれずその常磐道上り線の磯原付近でエンジンの息の根が止まりレッカー車の世話になった。
既にその時には我が家のガレージにはトヨタランドクルーザープラド150系が収まっており、ディフェンダーの置き場所は屋外のカーポートに追いやられていた。
つまりはその時点で車を入れ替える状況になっていたのだ。
自宅にディフェンダーを持ち帰り、新車購入したClevelandに委託販売して現金化する予定だったが、その前に車が壊れると言う嫌がらせにも近い結末となった。
日立市北のストックヤードに1ヶ月置き去りにされたディフェンダー、5月にようやくClevelandの社員が車を引き取り。
しかしClevelandの工場も同時多発的に発生したTDCiの故障車で混雑しており、自分の車の番が回って来るのは7月になってからだった。
8月の下旬にようやく修理が完了、何度も何度もエンジンの突然死を招いた最終的な主原因は高圧燃料噴射ポンプと断定、修理完了後外装の傷みなどを修繕して委託販売する予定だったがその前に30万近くの金が飛んで行った。
既に俺から言わせれば憧れの車から疫病神貧乏神のレッテルを貼られたディフェンダー、それでもこれまでの修理に何百万もの金を投じてきた、売れたとしてもその金額が納得いくもので無いと収まりがつかなかったが、つい昨日Clevelandから連絡が入り、ワシの車が売れたとの事。
その金額も自分が希望していた満額には程遠いものだったが、現在我が家のガレージに居る中古で購入した150プラドが丸々一台買えるほどの金額にはなったのでそれでヨシとした。
これにより、ディフェンダーの名義が変わり車が現金に変わった時点で、事実上完全に俺の手を離れた。
ここ数年、度重なる重症な故障に散々悩まされてきた我が元ディフェンダーとこれで漸くおさらばできる。
普通は寂しいとか悲しいと言う感情を持つ場面だが、晩年は酷い目に遭わされた事しか記憶にないので清々した、清々しい気分だと言うのが正直なところだろう。
facebookでのディフェンダーマニアの陰湿で閉鎖的な空気にほとほと嫌気が差していたのもあり、垢が落ちた、しがらみから解放されたと言うのもあり何もかもが軽やかな、そして今の秋空のような気持ちよさに変わったと言って良いだろう。
もう2度と、絶対に新車だろうがなんだろうが並行輸入車は買わない。
それが俺が得た車人生の教訓である。
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2024/10/07 22:45:56