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まとめ記事(コンテンツ)
麺屋 魔裟維さん
2020/04/26
F1日本GPの歴史 Vol.8【1994年パシフィック編】
過去のF1日本グランプリを振り返るシリーズ『F1日本GPの歴史』は第8弾・・・前回は日本で最後のセナVSプロストの対決が見られた1993年のレースをレポートしました(^.^)
ややダーティというか機械的イメージの強いプロストでしたが確実な速さでは唯一無比と言ってもいい存在だった・・・それだけにアグレッシブだったセナやマンセルが目立ったとも言えますね!
<これまでの日本グランプリ>
76&77年(in JAPAN) 1987年 1988年 1989年 1990年 1991年 1992年 93年


1994・95年は日本で2戦F1が開催され、先ずは岡山県TI英田サーキットで行われた第2戦のパシフィックGPを・・・本来は94年から5年契約で開催される予定でしたがバブル崩壊、ホンダのF1撤退、そして急激なF1人気の低下と重なったためでした(-.-)

1994年のF1レギュレーションはこれまでのハイテク装備を禁止したことで不安定なマシンが続出・・・


迎えた予選はA・セナが伝説のスーパーラップでM・シューマッハに0.222秒差をつけてポールポジションを獲得、以下3位D.ヒル、4位ハッキネン、5位ベルガー、14位片山右京、20位鈴木亜久里でした!



レースはスタートに失敗したセナをシューマッハ・ヒルが抜き1-2・・・第1コーナーでセナのインをついたハッキネンが追突、セナはスピンしグラベル上に飛び出し、後続のラリーニとも衝突してリタイアというまさかの結果に(>_<)


レースはシューマッハが他車を引き離す中、2位ハッキネンが19周目に、その後の2位ヒルが49周目にいずれもトラブルでリタイアし、完璧な一人旅状態に・・・


レースはシューマッハが2位に1分15秒の大差でチェッカーフラッグ・・・2位ベルガー、3位バリチェロ、片山右京&鈴木亜久里は惜しくもリタイアという結果に終わりました!


本来であれば優勝したシューマッハをもっと取り上げたいところですが翌戦のサンマリノGPの悲劇が・・・私的に大ファンとして一言『音速の貴公子よ永遠に!』(-.-)
ややダーティというか機械的イメージの強いプロストでしたが確実な速さでは唯一無比と言ってもいい存在だった・・・それだけにアグレッシブだったセナやマンセルが目立ったとも言えますね!
<これまでの日本グランプリ>
76&77年(in JAPAN) 1987年 1988年 1989年 1990年 1991年 1992年 93年


1994・95年は日本で2戦F1が開催され、先ずは岡山県TI英田サーキットで行われた第2戦のパシフィックGPを・・・本来は94年から5年契約で開催される予定でしたがバブル崩壊、ホンダのF1撤退、そして急激なF1人気の低下と重なったためでした(-.-)

1994年のF1レギュレーションはこれまでのハイテク装備を禁止したことで不安定なマシンが続出・・・


迎えた予選はA・セナが伝説のスーパーラップでM・シューマッハに0.222秒差をつけてポールポジションを獲得、以下3位D.ヒル、4位ハッキネン、5位ベルガー、14位片山右京、20位鈴木亜久里でした!



レースはスタートに失敗したセナをシューマッハ・ヒルが抜き1-2・・・第1コーナーでセナのインをついたハッキネンが追突、セナはスピンしグラベル上に飛び出し、後続のラリーニとも衝突してリタイアというまさかの結果に(>_<)


レースはシューマッハが他車を引き離す中、2位ハッキネンが19周目に、その後の2位ヒルが49周目にいずれもトラブルでリタイアし、完璧な一人旅状態に・・・


レースはシューマッハが2位に1分15秒の大差でチェッカーフラッグ・・・2位ベルガー、3位バリチェロ、片山右京&鈴木亜久里は惜しくもリタイアという結果に終わりました!


本来であれば優勝したシューマッハをもっと取り上げたいところですが翌戦のサンマリノGPの悲劇が・・・私的に大ファンとして一言『音速の貴公子よ永遠に!』(-.-)
Posted at 2020/04/26 09:04:26
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