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2020/05/30

F1日本GPの歴史 Vol.24【2008年編】

過去のF1日本グランプリを振り返るシリーズ『F1日本GPの歴史』は第24弾・・・前回はルーキーながら断トツの強さを見せつけたハミルトンと鬼畜の追い上げを見せたライコネンが光った2007年の模様を振り返りました(^.^)
今やシューマッハの記録を追い越す勢いのハミルトンですがルーキーイヤーのアロンソとの激闘は凄かった・・・結果的にはアロンソを追い出したのはやはり速さ故なのでしょうね!







<これまでの日本グランプリ>
76&77年(in JAPAN)   1987年   1988年   1989年   1990年   1991年   1992年   93年   94年Pacific   94年鈴鹿   95年Pacific   95年鈴鹿   1996年   1997年   1998年   1999年   2000年   2001年   2002年   2003年   2004年   2005年   2006年   2007年








2008年シーズンはマクラーレンVSフェラーリ、ハミルトンVSマッサのの激しいタイトル争いのシーズン・・・カナダでR・クビサ(BMWザウバー)、ハンガリーでH・コバライネン(マクラーレン)と初優勝が続き、イタリアGPではトロロッソのS・ベッテルが史上最年少ポールポジション&優勝を飾りました(#^.^#)








なお2006年から参戦していたスーパーアグリF1チームは発足以来の慢性的な資金不足に加え、スポンサー料未払問題、ホンダF1チームの異議等が重なり、第5戦トルコGPを前にした5月6日にF1撤退を発表し、活動を休止したのでした(>_<)








2008年の日本グランプリは富士スピードウェイでの開催・・・2009年からは鈴鹿との隔年開催が決定していたものの、2009年7月に返上を表明し、結果的にこの年が最後の開催となりました!








Q1トヨタ好調で始まった予選は0.240秒差でハミルトンがポールポジションを獲得・・・2位ライコネン(フェラーリ)、3位コバライネン(マクラーレン)、4位アロンソ(ルノー)、5位マッサ(フェラーリ)、初の母国グランプリとなった中嶋一貴(ウィリアムズトヨタ)は14位という結果でした( ..)φメモメモ








迎えた決勝レースはスタートに成功しトップに出たライコネンを追いかけ、前に出たハミルトンがまさかのブレーキングでホイールロックでコースを飛び出る・・・あおりを受けたライコネン・マッサ・コバライネンまでが大きく順位をとした(-.-)








その直後クルサードとA・スーティル(フォースインディア)が接触、クルサードがコースを横断してきたところに中嶋一貴が・・・最後の日本GPのクルサードはそのままタイヤバリアに突っ込みリタイア、中嶋は最下位に転落してしまいます!








クビサトップ、2位アロンソでレースは進み、後方のハミルトン・マッサはドライブスルーペナルティを受け、チャンピオン争いの2台が更に後方に・・・








17周目に先にピットインしたクビサをアロンソが18周目に素早いピットアウトでトップに躍り出る・・・








レースはそのままクビサに5.283秒差をつけ、アロンソがトップチェッカー・・・3位ライコネン、4位N・ピケjr(ルノー)、5位J・トゥルーリ(トヨタ)、15位中嶋という結果に終わりました(^-^;








チャンピオン争いは最終ブラジルGPの結果僅か1ポイント差でマッサを振り切ったハミルトンが史上最年少記録でドライバーズタイトルを獲得・・・








なお2008年シーズン終了後リーマン・ショック後の経営環境悪化を受けてホンダF1からの撤退を発表・・・チームは代表であったロス・ブラウンに売却され2009年はブラウンGPとして参戦するのでした(-。-)y-゜゜゜
Posted at 2020/05/30 10:48:54

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