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まとめ記事
パルサー ヨーロッパ 生涯欧州戦略車として生き続けた
徳小寺 無恒さん
2020/12/30
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1978年春。日産からブランニューされ「パルサー」が登場した。それまで、どちらかと言えば北米向きのクルマが多かった中、欧州の市場、欧州車のテイストをまとって日本の市場、世界の市場へと羽ばたいた。もともとはプリンスの企画であったチェリーの後継という事もあって、パルサーもプリンスの技術陣が心血注いで開発され、デザインのテイストも、同時期のスカイラインの流れを汲んだシャープなモノになった。
フルトレーリングアームの独立懸架は、サスストロークが豊かで、優れた乗り心地は「いくら走っても疲れない」と評されたほどだ。本格的なFWD車として日産の、国産車の礎となった。そんなパルサーの初代の姿をまとめてみた。
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1978年5月、それまで日産唯一のFWD車であった、チェリーF-IIの後継車として、初代パルサーは登場した。 世界的なFWD車の台頭と、日本車キラーと恐れられていたGMのXカーへの将来的な対応の為に、正直、それまで片手間で作っていたFWD車の熟成を目指し、本格的に開発したのが初代パルサーの本当の役割だった。 しかし、メカニズムに関してはチェリーのそれを完全に脱したとはいえず、イシゴニス式のエンジン、トランスアクスルを上下(2階建て)にしたレイアウトがキャリーオーヴァーされた。 偉大な先輩、ミニの駆動方式を採用していた。そのためにオイルパンはこんな形状に・・・ 足回りは、フロントストラット、リアはフルトレーリングアームを採用しており、比較的ストロークの大きなセッティングは、実に乗り心地が良く、当時、雑誌などで、「いくら乗っても疲れない」などと言われた事があった。 ただ、操縦性に関して言えば、まだまだ、旧来のFWD車のクセが残っており、特に下位グレードのスタビライザーの無いモデルに至っては、コーナーで駆動力を抜くと、スパッと!リヤが流れるくらいのタックインを誘 ...出典:徳小寺 無恒さん
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これからの日産の世界戦略車たる FWD 車の先鞭としてパルサーは登場した訳だが、実際の中身はチェリーのメカニズムをキャリーオーヴァーしたに過ぎない内容だった。 裏を返せば、FWD特有のクセが強かろうと、エンヂンの幅を少しでも狭くしたいという思いから採用されていた「イシゴニス式」の二階建てエンヂンとミッションの構造も、当時の FWD 車としては、そんなに悪くない内容だったからに他ならない。 何よりも、日産が売れなかったにしろ、脈々と FWD車 を造り続けていた財産は、パルサーになってもメンテ等は、変化が無くディーラーにとってもお手の物だったし、逆に早急なメカの見直しは、信頼性という点からも難しいだろうという判断だったのかもしれない。 奇しくも、この年、トヨタからは、トヨタ初の FWD車 である、ターセルとコルサがリリースされたが、操縦性やメンテなどの点から、縦置きエンヂンという本来の FWD車 のメリットを打ち消す様なレイアウトでリリースされたのも、 FWD車のクセと整備性の悪さの克服(当時はFR車全盛なので、FWD車のレイアウトは少数派だったのだ)という観点で作ら ...出典:徳小寺 無恒さん
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1978年、日産の新たな世界戦略車として、そして、日本車キラーと呼ばれたGMの 「Xカー」 への対抗馬としてプリンスの血を引いた「チェリー」を一新して登場した「パルサー」。 フロント、ストラット、リア、フル・トレーリングアームの四輪独立懸架のストロークの豊かなサッスペンションがもたらした乗り心地の良さが「いくら走っても疲れない」などと高い評価を得ていたが、このパルサーN10シリーズにあって、僕が一番注目していたのが実は「ヴァン」であった。 ビロビロのしわだらけのレザーシートに、フタを被されたメーターなど、どう見ても値段勝負の内装に、素通しのガラス・・・と、どう見ても、どこにでもある「商用車」なんだが、実は、この「パルサー・ヴァン」のハイライトは、そんな見かけによらない見えない部分でのコストのかけ具合なのだ。 車体色が白だと、どうみてもタダのヴァンなんだが・・・でも小さくてモノが積める優れたクルマだった。 こうしたヴァンなどリアにモノを詰め込むクルマだと、リヤに荷重が加わって FWD は不利と言われた時代に、パルサーはどうしたのか? 日産の回答は、足回りの工 ...出典:徳小寺 無恒さん
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