まとめ記事(コンテンツ)

2014/08/03

欧州 パルサーヨーロッパ 登場。

 1978年5月、それまで日産唯一のFWD車であった、チェリーF-IIの後継車として、初代パルサーは登場した。

 世界的なFWD車の台頭と、日本車キラーと恐れられていたGMのXカーへの将来的な対応の為に、正直、それまで片手間で作っていたFWD車の熟成を目指し、本格的に開発したのが初代パルサーの本当の役割だった。

 しかし、メカニズムに関してはチェリーのそれを完全に脱したとはいえず、イシゴニス式のエンジン、トランスアクスルを上下(2階建て)にしたレイアウトがキャリーオーヴァーされた。


偉大な先輩、ミニの駆動方式を採用していた。そのためにオイルパンはこんな形状に・・・

 足回りは、フロントストラット、リアはフルトレーリングアームを採用しており、比較的ストロークの大きなセッティングは、実に乗り心地が良く、当時、雑誌などで、「いくら乗っても疲れない」などと言われた事があった。

 ただ、操縦性に関して言えば、まだまだ、旧来のFWD車のクセが残っており、特に下位グレードのスタビライザーの無いモデルに至っては、コーナーで駆動力を抜くと、スパッと!リヤが流れるくらいのタックインを誘発して、実に過激な動きをしたものだった。

 まぁ、その癖を知って、コーナーで丁寧にガスペダルを押したり引いたりすると、面白いくらいに姿勢を変えることができ実に痛快な思いをしたものだが、下りで漫然と運転して、急にコーナーの奥がキツクなって、慌ててガスペダルから足を離し、クルマの向きが変わって慌てた事が何度か・・・は内密に願いたいものだ。。。

 スタイリングは、まさに欧州車のハッチバックスタイルの王道を行くモノだったが、実は、リアにはハッチゲートが無く、独立したトランクを持った「セダン」でスタートした。


シビックの初期型もそうだが、リアが開くハッチというのは、剛性や見た目・・・ヴァンみたいだという風潮がありトランクを設けた車型だった。

 見た目は欧州車チックだったが、まだまだ日本では、シヴィックもそうだったが、リヤゲートが開くスタイルは、ヴァンみたいだと市場では受け入れてもらえなかったのだ。

正直、このスタイルでトランクだから、積載量は少ないし、リッドを支えるヒンジが荷室に出っ張って使い勝手では疑問符が付いたものだ。

 エクステリアは、同じ時期リリースされた、スカイラインジャパンことC210と同じであり、この事からも荻窪の作品である事は明確に見て取れるものであった。


強ウエッヂのショルダーラインに、日本刀で切り落としたような目の覚めるような面構成に、兄弟の雰囲気を十二分に感じさせてくれる。

 このデザインのテイストは、豊かさと大らかさを謳歌した米国車のトレンドから、この当時、台頭しつつあった ジョルジェット・ジュージアロ の影響を強く受けたモノであった。

 そうした欧州への強い指向性を表して、「パルサーヨーロッパ」と呼ばれて、それまでの日本車とは違った雰囲気で大いに注目を浴びた。







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Posted at 2014/08/04 02:02:40

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