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まとめ記事(コンテンツ)
MUKEさん
2017/07/28
夏のロングドライブ(本州最東端の巻)
第1日 7月23日(日)
朝3時に家を出発、3泊4日の旅に出ました。
最初の目的地は、本州最東端の地、岩手県宮古市の魹ヶ埼(とどがさき)です。MUKEの好きな端っこの中でも、特にお気に入りのスポットなのです。
東北自動車道をひたすら北上します。
花巻JCTで釜石自動車道に入り太平洋側へ、そして釜石から海岸沿いを北へ走りました。
だんだん、雨が本降りになってきました。宮古市に大雨警報が出ているらしい。
わざわざ大雨警報が出ているところに向かうことになるとは(汗)。
どうなることかと心配しましたが、目的地に着くころには、雨は小止みになっていました。
昼ごろ、姉吉キャンプ場の駐車場に着きました。車はここまでです。

魹ヶ埼には車では行けません。
この駐車場に車を置いて、4 kmの山道を歩かなければなりません。
そうです、MUKEが魹ヶ埼を気に入っているのは、秘境の香りがするからなのです。
歩道の入口です。ここから山道に入ります。

あれっ、何か書いてあるぞ....と良く見てみると、

げっ!く、クマかい。
でも、最近クマがあちこちに出没しているので、そこは抜かりなく.....

用意してきたハンドベルを鳴らしながら、歩き始めました。
しばらく行くと、また看板がありました。

下を見ると、こんな感じです。

ひえ~、こんなところまで津波が来たのかあ。
改めて、テレビで見た東日本大震災の津波を思い出したのでした。
さらに行くと、またまた看板が。

橋を見ると、うーむ、たしかに危なそうです(汗)。

注意とか言っているくらいなら、さっさと修理しておくれ。
さらに山道を行きます。

1時間ほど歩いて、やっと魹ヶ埼灯台が見えてきました。
やったあ!

苦労が多いほど、喜びも大きいというわけですね。
海辺には、「本州最東端の碑」がありました。
この碑も、津波に呑まれたことでしょう。よく残ったなあ。

魹ヶ埼に来るのは2度目です。
前回は、2010年5月ですから、東日本大震災の10カ月前でした。
あの津波の映像を見て、再び来られる日が来るとは思えませんでした。
ここに立てて、ほんとうに嬉しいです。
魹ヶ埼を後にして、宮古市街へ。
道々、あちらこちらに怖ろしい道標が立っていました。
今いる地点も波の下だったわけですね。

宮古市役所のすぐ傍の歩道橋には、どんでもないところまで浸水した印が示されていました。

東日本大震災の被害を再認識したMUKEでした。
この日は680 km走り、宮古市街に宿泊。
第2日に続きます。
朝3時に家を出発、3泊4日の旅に出ました。
最初の目的地は、本州最東端の地、岩手県宮古市の魹ヶ埼(とどがさき)です。MUKEの好きな端っこの中でも、特にお気に入りのスポットなのです。
東北自動車道をひたすら北上します。
花巻JCTで釜石自動車道に入り太平洋側へ、そして釜石から海岸沿いを北へ走りました。
だんだん、雨が本降りになってきました。宮古市に大雨警報が出ているらしい。
わざわざ大雨警報が出ているところに向かうことになるとは(汗)。
どうなることかと心配しましたが、目的地に着くころには、雨は小止みになっていました。
昼ごろ、姉吉キャンプ場の駐車場に着きました。車はここまでです。

魹ヶ埼には車では行けません。
この駐車場に車を置いて、4 kmの山道を歩かなければなりません。
そうです、MUKEが魹ヶ埼を気に入っているのは、秘境の香りがするからなのです。
歩道の入口です。ここから山道に入ります。

あれっ、何か書いてあるぞ....と良く見てみると、

げっ!く、クマかい。
でも、最近クマがあちこちに出没しているので、そこは抜かりなく.....

用意してきたハンドベルを鳴らしながら、歩き始めました。
しばらく行くと、また看板がありました。

下を見ると、こんな感じです。

ひえ~、こんなところまで津波が来たのかあ。
改めて、テレビで見た東日本大震災の津波を思い出したのでした。
さらに行くと、またまた看板が。

橋を見ると、うーむ、たしかに危なそうです(汗)。

注意とか言っているくらいなら、さっさと修理しておくれ。
さらに山道を行きます。

1時間ほど歩いて、やっと魹ヶ埼灯台が見えてきました。
やったあ!

苦労が多いほど、喜びも大きいというわけですね。
海辺には、「本州最東端の碑」がありました。
この碑も、津波に呑まれたことでしょう。よく残ったなあ。

魹ヶ埼に来るのは2度目です。
前回は、2010年5月ですから、東日本大震災の10カ月前でした。
あの津波の映像を見て、再び来られる日が来るとは思えませんでした。
ここに立てて、ほんとうに嬉しいです。
魹ヶ埼を後にして、宮古市街へ。
道々、あちらこちらに怖ろしい道標が立っていました。
今いる地点も波の下だったわけですね。

宮古市役所のすぐ傍の歩道橋には、どんでもないところまで浸水した印が示されていました。

東日本大震災の被害を再認識したMUKEでした。
この日は680 km走り、宮古市街に宿泊。
第2日に続きます。
Posted at 2017/07/28 22:15:47
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