![ありがとう。赤バス ~秋田市交通局、閉局~ ありがとう。赤バス ~秋田市交通局、閉局~](https://cdn.snsimg.carview.co.jp/carlife/images/UserDiary/1587978/p1m.jpg?ct=9f17c8832ddf)
3月31日の20:50ころ。バイトを終え、自宅に向かってキューブを走らせていました。でも、本当に何気なく、いつもとは違うR13とR7を経由して帰る途中でした。
茨島方面から、臨海の十字路を過ぎて、ヤマダ電機の前辺りまで来たときに…2台のバスが縦に並んで走っているのが目に留まりました。
その瞬間、鳥肌が立ちました。
それは、秋田市交通局の最終バス。20:35秋田駅発交通局行きでした。
思わず、交通局の前まで併走して、閉局式の準備が済んだ交通局に入るために左折車線に入ったウインカーを出した最終バスを本線から追い越して、一回だけハザードを出してご挨拶してきました。ビックリした事に、周りに居た数台の乗用車も数回ハザードを出していました。
自分にとって赤バス、市営交通のバスは物心付いた時から乗っていた、一番身近な車でした。
中学2年まで、自分は秋田市のニュータウンだった御野場に住んでいました。しかし、母は車の免許を持っておらず、移動はほとんどバスでした。そして事もあろうに、地元の公立学校ではなく、市中心部の国立大の附属幼稚園・小学校・中学校に通っていた自分は、毎日バス通学でした。更に、定期の関係で赤バスしか乗れませんでした。その道中は乗り継ぎありで、往復で1時間半。それを10年間続けました。
もう、赤バスとの思い出は語りきれないほどあります。
幼稚園の頃。
その当時の自分の夢は「赤バスの運転手さん」でした。赤バス同士がすれ違う時に、運転手さんが何気なく片手を上げて挨拶する姿を、本当に格好よく感じました。
小学4年生の頃。
その日、自分は定期を紛失してしまいました。そして、それに気が付いたのがバスに乗った後の事。しかも、小学生だった為に、所持金も電話用の100円くらいとほとんどなく…。あぁ、どうしよ…このままだと、降りるとき、無銭乗車になっちゃうよ…なんて思いながら…降りるバス停にバスが到着。運転手さんに素直に話して、持っているお金だけも運賃箱に入れようとしたら…
「君、毎日乗ってるよね?おじさん、知ってるよ。がんばって学校まで通ってるんだね。今日はサービスだから、降りていいよ。もう定期、なくすんじゃないよ。」
と下ろしてくれました。この時ほど、運転手さんがカッコよく見えた日はありませんでした。
小学6年生の頃。
ミニバスのスポ少をやっていた自分は、疲れきってバスの最後部の座席で眠り込んでいました。すると、誰かに起されました。
「君!どこまで行くんだい?」
(慌てて起きながら)「あ、御野場の終点ですけど…」
「ほら、もう終点だど!」
なんとそれは、運転手さんでした。本当に慌てて、お礼を言って降りてきました。
中学1年生の頃。
その日、学校で成績表が配られ…未だかつてないほど、ビリに近い成績(160人中120番くらい)に愕然としながら…やぱり、バスの最後部座席に乗っていました。頭の中では、「あぁ、どうしよう。母は怒るだろうなぁ。こんな成績、見せられないよなぁ。このまま、このバスが着かなければいいのに。」なんて思いながら。
そんな自分が、バスを降りるときに絶対してしまう癖。
どうしても、運転手さんに「ありがとうございました。」と言ってしまうのです。これは、幼稚園や小学校で教わったこと。刷り込みに近いですが…本当に、最近でのたまに乗ると言ってしまって、運転手さんにビックリされてしまうのです。
免許を取ってからは全くと言っていいほど、バスに乗らなくなりました。でも、赤バスは自分の小・中学生時代を支えてくれた乗り物でした。
今日限りで、赤バスはなくなり、昔の宿敵、緑バスに全路線移管されます。何だか、本当に寂しい事です。
赤バス、本当にありがとう。
【写真】
R7線から、秋田市交通局に左折する最終バス。
語句解説【赤バス】
秋田市交通局が運行していた市営バス。車体のカラーリングが赤かったために、市民は沿う呼んでいた。このほかに民間の秋田中央交通があり、そちらは緑色のバスを運行していた為、緑バスと呼ばれている。
Posted at 2006/04/01 03:17:20 | |
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