2014年、2月にロードスターは25周年を迎え、来年には4代目ロードスターも発表され、マツダのクルマづくりの原点である「人馬一体」を具現化したクルマ

マツダ(ユーノス)・ロードスター
その開発秘話をご紹介したいと思います
[夢に向かう冒険]
第2次世界大戦後の1960年代に、ライトウエイトスポーツカーという手軽に運転を楽しめるクルマが生まれ、黄金期を迎えた時代。
軽量小型の車体に、ごく普通のセダンに使われているようなエンジンを積み、そのエンジン性能を一杯に引き出しながら、軽快な操縦性を楽しむ、そんなクルマを「ライトウエイトスポーツカー」と呼んで、ヨーロッパの人々は日々の生活のなかで運転を謳歌した。
70年代に入ると、世界最大の規模を持つアメリカ市場で、クルマの安全基準と排ガス規制が厳しさを増し、強化されていった。ライトウエイトスポーツカーの多くが屋根のないオープンカーであり、衝突安全を確保するため、衝撃吸収能力を高めた大きなバンパーを取り付けたり、車体を頑丈に作ったりすることで車両重量は重くなり、また排ガス規制を達成することと引き換えにエンジンは馬力を落としたりした。
軽さが何より売り物の、ライトウエイトスポーツカーにとって受難の時代をむかえた。
こうして人々のライトウエイトスポーツカーへの期待も薄れ、ライトウエイトスポーツカーそのものが姿を消していく運命でもありました。
しかしマツダのエンジニアたちの胸に、数の減ってしまった「ライトウエイトスポーツカー」への夢が芽生えだしたのは80年代前半のことでした。
初代NA型ロードスターの開発責任者を務めたエンジニアが、「マツダには、他社とは違う独自の商品が必要だ」と確信し、経営陣を熱心に説いて回ったことにはじまる。
一方、すでに述べたようにライトウエイトスポーツカーの市場は実質上消えたも同然で、果たして市場で受け入れられるのかどうか、定かではなかった。
それでもエンジニアの情熱は抑えきることができず、新たな一歩を踏み出すべく、開発部内で企画が着々と進行していったのであった。
駆動方式の選択肢は3つ。
企画段階のアイディアは多彩で、駆動方式についてはFR(フロントエンジン・リアドライブ)、FF(フロントエンジン・フロントドライブ)、ミッドシップなどが候補に挙がり、車体はオープンか、クーペか…デザインスケッチを前に白熱の論議が展開された。
まず、駆動方式である。
60年代に誕生したころのライトウエイトスポーツカーは、エンジンを車体の前に置き、後輪で駆動するFRが主流だった。
しかし70年代以降、乗用車の生産は多くがFFへ移行している。エンジンと駆動方式の組み合わせを考えれば、ライトウエイトスポーツカーといえども、FF駆動方式を流用するのが手っ取り早い。
そして現に、エンジンを車体中央に置き、後輪を駆動するミッドシップも小型スポーツカーとして登場していた。
これは、FFのエンジン/駆動系統をそのまま流用できるからだった。
開発と製造のコストを考えれば、小型FF車の車体をスポーツカーに換装する考え方や、少なくともエンジンと駆動部分はFF乗用車のものを流用し、車体をミッドシップとするなどが、有利であると考えられた。
もちろんそれによって、販売価格を抑えることもでき、ライトウエイトスポーツカーの市場を再び開拓する際の利点となるであろう。
しかし、ライトウエイトスポーツカーにふさわしい、軽快で素直な運転感覚は、FRでなければ得にくいはずだ。
ただしFRは、駆動系統を新たに開発しなければならなくなり、そのための投資が必要になるが、エンジニアたちの結論は、ライトウエイトスポーツカーの理想を追求する道を選んだのであった。
オープンカーの車体で、FRの駆動方式を決定したとき、エンジニアたちはこのライトウエイトスポーツカーが目指すべき楽しさを「人馬一体」という言葉で共有化した。
以来、「人馬一体」の言葉は、今日に至るまでロードスターを象徴するイメージ・キーワードとして受け継がれている。
[設計コンセプト]
マツダのライトウエイトスポーツカーであるロードスターは、60年代のものをコピーしたのではない。
日本から世界へ発信するクルマであり、そして「人馬一体」の言葉で、日本文化の真髄を籠めようとしていた。
必要のないものは極力そぎ落とし、クルマの本質を磨き上げていく。
そのためには、エンジンの馬力が大きい方がいいとか、装備も色々あったほうがいいというような考えは排除し、重量の肥大化を抑えた。
またコストはぎりぎりまで切り詰めるが、だからといって「人馬一体」の境地を極めるため、必要とあれば思い切った設計をためらうことはなかった。
たとえば、ボンネットフードにアルミを用いることで、重心を下げ、操縦安定性と運転操作の的確さを向上させた。排気には、鋳鉄製に替えてステンレス製のパイプを使い、排ガスの流れを理想に近づけた。
スポーツカーだから他のクルマとは違うべきだという、明確な意思がこめられていた。
[「人馬一体」のこだわりと、割り切り]
1970年代を境に、ライトウエイトスポーツカーの存在をあやうくさせた安全性能の追求は、ロードスターの開発においても、ライトウエイトスポーツカーの命である軽量化を保持しながら達成すべき大きな課題であった。
時代を経て、ライトウエイトスポーツカー復活に威力を発揮したのは、コンピューター解析技術の発達であった。
また、ロードスターの開発責任者を務めたエンジニアが、車体設計の専門家であったのも偶然ではなかった。
最新のコンピューター解析を駆使し、今日求められる安全性を十分に充たした上で、軽量で高剛性の車体を設計することができたのである。
雨の多い日本では、それまで屋根を幌に頼るクルマは極めて少数派であったが、手動で開閉を行う幌をあえて採用したのは、「人馬一体」の走りにこだわった上で割り切りの判断であった。
また、2+2の4人乗りを加えず、2人乗りに割り切ったのも、小型軽量というライトウエイトスポーツカーの真髄にこだわったためだ。
このように、「こだわるためにそぎ落とす」という決断をしていったのであった。
ダイレクトなドライブフィールの追求。
エンジンは、あえてターボチャージャーなどの過給は使わず、自然吸気(NA:ナチュラル・アスピレーション)の1,600cc直列4気筒DOHC4バルブを選び、その一本に絞った。「人馬一体」の楽しさを伝えるのは、人を驚かせる大馬力や、先進的な制御装置の採用ではなかった。
一方で、エンジン内部の機械損失や摩擦抵抗などは極力低減し、アクセル操作に素直に反応し、回転の限界まで滑らかに吹け上がる壮快さを味わえるエンジンに仕立てていった。シフトチェンジにおいては、的確な操作感覚を実現するため、トランスミッションとデファレンシャルを結合する「パワー・プラント・フレーム」を装備し、これによる剛性感の向上は確かで、その後のロードスターの進化においても欠くことのできない重要な技術要素となっている。
サスペンションには、潜在能力の高さを求め、4輪ダブルウィッシュボーン式を採用した。スポーツカーである以上、この選択をゆずるつもりは開発陣にさらさらなかった。
エンジニアたちの「人馬一体」への強いこだわりは、ここでも発揮されたのであった。
[プロトタイプから発売までの道のり]
スポーツカーの魅力として欠くことのできないデザインは、アメリカ・カルフォルニア州にあるマツダの開発拠点、Mazda North America(MANA)ではじまった。
そして1986年1月に日本の開発部門へ移行することが決まり、夏にはほぼ完成形に近いクレイモデルとともに、舞台を広島へ遷した。
しかし実は、この時期がロードスター誕生の行方を左右する分岐点でもあった。
すなわち、この時点でもライトウエイトスポーツカーの市場性について、マツダ社内でも疑問視する声が残っていたからですねぇ。
そこで、デザインが絞り込まれたこともあり、実物大となる1/1のプラスチックボディの試作を87年4月にアメリカへ持ち込み、クルマに関心の高い一般ユーザーによるグループインタビューを行った。
すると、220人中57人が「発売されたらぜひ買いたい」と回答したのであった。
世界最大の自動車市場であるアメリカで行った聞き取り調査は、その後の発売までの動きに大きな影響力を持っていた。
こうして難局を乗り越え、5ケ月後にはデザインが最終的な決定を見た。
それから2年後の89年春に、まずアメリカで先行市販が開始されたあと、同年9月に日本での発売がはじまったのであった。
そして、人と車を結びつけるエモーションを持った車が久しく日本にはない中、ロードスターはデビューと同時に誰も予想しなかった売れ行きを見せたのだった。
またロードスターの人気は、単にマツダだけの話にとどまらず、他の自動車メーカーからのオープンスポーツカー誕生の呼び水ともなり、70年代を境に一度は消えたライトウエイトスポーツカーを、90年代に復活させたといっていい。
本来、ライトウエイトスポーツカーの持つ本質的な魅力は普遍であることをロードスターは世界に証明して見せたのであった。
それを支えたのは、エンジニアの情熱と、自動車技術の発展であった。
世にも幸せなクルマ「ロードスター」は、自動車エンジニアの純粋な情熱が注ぎ込まれたライトウエイトスポーツカーである。デビュー以来世界中の人々に愛され、生産累計が531,890台(1989年4月~1999年10月末時点)で2000年5月に2人乗りのオープンスポーツカーとしてギネスに登録されることによって、世界でもっとも多くの台数を売ったオープンスポーツカーとしても記憶される一台となった。
また、なおも販売台数は増え続け、2007年1月には生産累計800,000台に達し、ギネス記録を更新している。
マツダ開発ストーリーから引用
ロードスターは世界中のスポーツカーを愛する方々からご愛顧頂き、世界中から数多くの賞を受賞しました。
また、ライトウエイトスポーツカーの名門のロータス代表「コーリン・チャップマン」は後に述べている。
ロータスのライトウエイトスポーツカーの熱い思いはロードスターの成功から「ロータスのライトウエイトスポーツカーに対する考え方は間違えていなかった」と語った
人がクルマを操ることに対する思いが、判りやすい形で形になったクルマはロードスターしか無いのかなぁ~と思います。
こんな、楽しいロードスターを開発、発売してくれたマツダの開発者の皆様にありがとう、またこれからも宜しくお願い致しますと言いたいさーぱぱなのです。

