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サーパパのブログ一覧

2014年12月09日 イイね!

運転席と助手席!!

カッコイイ、スポーツカーの運転席(ドライバーシート)に私exclamation×2そして助手席(パッセンジャーシート)に彼女を乗せて走りたいexclamation×2ハートたち(複数ハート)

男なら誰もが憧れるドライブですよねぇ~exclamation×2

[ここからが本題]

しかし何故、運転席と助手席と呼ぶのかを知らない人は多いと思います。

今回はその辺のお話を致しますexclamation×2

昔、昔のクルマexclamation×2

エンジンをかけるのも一苦労でしたexclamation×2冷や汗2

そのエンジンのかけ方は、まず助手席の人がクルマの前方にあるクランク棒を回して、弾み車(フライホイール)を回します。

この作業は回すのがとても重く、またエンジンがかかる際の衝撃でけが人も出るものでしたexclamation×2

運転席では燃料スイッチと点火プラグに電源を送る為にスイッチをオンにして、弾み車の回転のタイミングを待ってコンタクト(今で言う押しがけみたいなもの)しますexclamation×2
[注:押しがけとは、マニュアル車(クラッチ機構の付いたクルマ)を運転席に1人、クルマの押す人を1~3人程度でクルマを動かします。ある程度の速度に達したら運転士はイグニッションオンと、クラッチを踏み込み、ギアを2速に入れクラッチを繋ぎます。するとエンジンはブルブルとかかったと同時にクラッチを踏み込み、ギアをニュートラルに入れ完了ですexclamation×2]

この作業を2~4回、繰り返してようやくエンジンがブルブルとスタートして、暖気運転をして出発出来るようになりますexclamation×2

この時、助手席の人は汗だくになったと言いますから、大変な作業だったと思います。

またもうひとつの助手席の仕事はクルマの整備ですexclamation×2

当時のクルマは良く調子が悪くなるのが当たり前exclamation×2

その整備も助手席の人の仕事だったのですexclamation×2
(高級車ロールスロイスは昔、クルマと運転士兼整備士をセットで販売した時期がありました。高価なのもうなずけます。)

汗だくと油まみれになった助手席の人は大変だったと思いますexclamation×2


そして現在の助手席はレディーシートととも呼んでいるように、左右独立エアコンや、シートヒーター、臨場感溢れるサウンドシステム、そしてナビゲーションexclamation×2
(左右独立エアコンやシートヒーターはトヨタ・86、スバル・BRZの上級グレードに標準)

現代のドライバーさんが助手席の彼女がやって欲しい事といえば、笑顔で微笑む事と楽しい会話、そしてチャーミングな寝顔を見るのが楽しみなさーぱぱなのですexclamation×2わーい(嬉しい顔)手(パー)

最後は妄想話になってしまいました。(反省)冷や汗


尚、押しがけをする場合、前方の障害物が無いことを確認(安全確認)して行いましょうexclamation×2またパワステ、ブレーキがエンジンのかかっている状態より大変重くなりますので要注意exclamation×2
Posted at 2014/12/09 19:50:36 | コメント(0) | トラックバック(0) | クルマネタ | クルマ
2014年12月09日 イイね!

クルマの各駆動方式の違いを点数にして見ました!![走りの通信簿]

今回、私はFR車、FF車、4WD車の各走りのステージでの得点を1位が3点、2位が2点、3位が1点の採点をして総合的な得点はどうなるのかexclamation&questionを私の独断で行った結果を発表しますexclamation×2

尚、速いか遅いかと言う観点では無いことを付け加えさせて頂きますexclamation×2冷や汗


[ステージ1:加速するexclamation×2]
加速では駆動力を4輪で路面に伝える4WDが走行性能では1番ですexclamation

2番目は駆動タイヤにエンジン荷重の掛るFF車exclamation

FR車は急加速時に後輪に荷重が掛るメリットはありますが、それ以外ではFF車の方が明らかに上だと考えますexclamation
[得点発表]
1位:4WD 3点
2位:FF車 2点
3位:FR車 1点


[ステージ2:曲がるexclamation×2]
駆動輪はどうしても直進方向に進む力が働くため、4WDが一番曲がり難く、次に劣るのがFF車、FR車は操舵輪に駆動力が働かないため、一番曲がり易いと思いますexclamation×2

[得点発表]
1位:FR車 3点
2位:FF車 2点
3位:4WD 1点


[ステージ3:止まるexclamation×2]
止まる能力はブレーキ性能によるので、駆動方式は関係ないので全車同じと考えますexclamation×2

[得点発表]
1位:全車 2点(平均点)


[総合的得点]
1位:FR車 6点
2位:FF車 6点
3位:4WD 6点

[総評]
今回、得点を付けてみると、各走りのステージの得意、不得意はあるものの、全車同点exclamation

では、駆動方式の違いでのクルマ選びはどのようにしたら良いのかexclamation&question

それは、自分がどのようにそのクルマを使いたいかexclamation&questionでは無いかなぁ~と思いますexclamation×2

その一例に私が乗るロードスター(軽量FR車)ですexclamation

加速では4WD、FF車に劣るexclamation

また、ブレーキは変わらないexclamation

しかし曲がりはステアリングコントロールとリア駆動の利点を利用してスライドアングルでクルマの向きをコントロール出来るexclamation

そして、このロードスターを選ぶ最大の武器は「軽さ」ですexclamation

軽さ、加速にも、ブレーキにも優れ、特に曲がりでは、どんな重量級ハイパワー車にも負けないものを持っていますexclamation

だから私は峠で家族たちとロードスターで遊ぶexclamation×2

これは、曲がりの素晴らしいクルマだからですexclamation

また今回導入したロータス・エキシージはMR車(ミッドシップ)exclamation

これはVSC付きで横滑り防止装置が付いているからですexclamation

曲がりの荷重変化がピーキーな分を補える装備が付いているからこそ、乗り手の家族を守れるのだと思いますねぇ~exclamation×2


[4WDについて]
私の4WDのメリットは、走破性とトラクション加速の良さですexclamation

しかし欠点は重量が重くなる事と操舵輪と駆動輪が同一トルクの場合に起きる「プッシィングアンダーステア」が強くなるexclamation(尚、プッシィングアンダーステアとは後輪に駆動輪がある場合、コーナーでアクセルオンをするとクルマが前に出ようとする力が曲がろうとする操舵力(グリップ力)を失わす現象を私は言いますexclamation)

これが曲がらない、止まらないになるからexclamation

これは、ドライバーの技量ではなく、クルマの特性におとましさを感じるからですexclamation

我が家ではアルファードが4WDを選びましたexclamation(ベース車はFF車)

これは、雪道や悪路でも安心して走れるからですねぇ~exclamationまた加速の滑らかさも特質ものですexclamation


[FF車について]
このFF車の印象は(特に最近のクルマ)マイルドそのものexclamation
国産初のFF大衆車、日産チェリーなどをテストすると操舵と駆動を絶えずタイヤのバランス限界の100%で配分しなければならず、コーナーでは操舵限界時にはアクセルは入れられないのが歯がゆい思いを何度もしましたねぇ~exclamation

しかし近年では、リアタイヤに積極的に舵角をかけて、曲がりの補助的役割をするようになり、アンダーステアも少なくなりましたねぇ~exclamation

とてもマイルドなクルマですexclamation

(昔の日産チェリーのリアタイヤは、ただ突っ張っているだけのもので、私はこのクルマを「一輪車で犬の散歩をするような車」と暴言をはいたことを記憶の片隅で覚えておりますexclamation)

最後に私の初のマイカーはFF車の「トヨタ・カローラFX-GT」ですexclamation

この車を選んだ理由は、後席の広さとハイパワーエンジン・トヨタ4A-GELU DOHCツインカム16バルブ搭載でフルカラードエアロや国産車初のフロントパフォーマンスロッド(今で言うストラッドタワーバー)を標準化したモデルexclamation

家族が多くなる予感の為のクルマで、この頃までのFF車は4輪ストラッド独立懸架が一般的でしたが、その後、後輪にはトーションビーム式(ラテラルロッド付き)、現在ではセミトレーリングアームにスタビライザー効果と舵角機能を付けた「トヨタ開発名:イーダトーションビーム」に変更され、非常にマイルドになりましたねぇ~exclamation

(ホンダさんのリアダブルウイッシュボーンはこのセミトレーリング機能をコントロールアームとロアアーム、そして平板状のアッパーアームで構成して舵角を積極的に付けているようですexclamation(これは、コストが高いですねぇ~exclamation))

最後にクルマの選び方とは、外観のデザイン、用途、そして走りのステージで決まるものだと信じている、さーぱぱなのですexclamation×2ウィンク指でOK




Posted at 2014/12/09 16:20:53 | コメント(0) | トラックバック(0) | クルマネタ | クルマ
2014年12月08日 イイね!

偉大なマツダ!!世界中を笑顔にするスポーツカー「ロードスター」を作ったエンジニアのこだわり。

2014年、2月にロードスターは25周年を迎え、来年には4代目ロードスターも発表され、マツダのクルマづくりの原点である「人馬一体」を具現化したクルマexclamation
マツダ(ユーノス)・ロードスターexclamation×2

その開発秘話をご紹介したいと思いますexclamation

[夢に向かう冒険]
第2次世界大戦後の1960年代に、ライトウエイトスポーツカーという手軽に運転を楽しめるクルマが生まれ、黄金期を迎えた時代。

軽量小型の車体に、ごく普通のセダンに使われているようなエンジンを積み、そのエンジン性能を一杯に引き出しながら、軽快な操縦性を楽しむ、そんなクルマを「ライトウエイトスポーツカー」と呼んで、ヨーロッパの人々は日々の生活のなかで運転を謳歌した。

70年代に入ると、世界最大の規模を持つアメリカ市場で、クルマの安全基準と排ガス規制が厳しさを増し、強化されていった。ライトウエイトスポーツカーの多くが屋根のないオープンカーであり、衝突安全を確保するため、衝撃吸収能力を高めた大きなバンパーを取り付けたり、車体を頑丈に作ったりすることで車両重量は重くなり、また排ガス規制を達成することと引き換えにエンジンは馬力を落としたりした。

軽さが何より売り物の、ライトウエイトスポーツカーにとって受難の時代をむかえた。

こうして人々のライトウエイトスポーツカーへの期待も薄れ、ライトウエイトスポーツカーそのものが姿を消していく運命でもありました。

しかしマツダのエンジニアたちの胸に、数の減ってしまった「ライトウエイトスポーツカー」への夢が芽生えだしたのは80年代前半のことでした。

初代NA型ロードスターの開発責任者を務めたエンジニアが、「マツダには、他社とは違う独自の商品が必要だ」と確信し、経営陣を熱心に説いて回ったことにはじまる。

一方、すでに述べたようにライトウエイトスポーツカーの市場は実質上消えたも同然で、果たして市場で受け入れられるのかどうか、定かではなかった。

それでもエンジニアの情熱は抑えきることができず、新たな一歩を踏み出すべく、開発部内で企画が着々と進行していったのであった。

駆動方式の選択肢は3つ。

企画段階のアイディアは多彩で、駆動方式についてはFR(フロントエンジン・リアドライブ)、FF(フロントエンジン・フロントドライブ)、ミッドシップなどが候補に挙がり、車体はオープンか、クーペか…デザインスケッチを前に白熱の論議が展開された。

まず、駆動方式である。

60年代に誕生したころのライトウエイトスポーツカーは、エンジンを車体の前に置き、後輪で駆動するFRが主流だった。

しかし70年代以降、乗用車の生産は多くがFFへ移行している。エンジンと駆動方式の組み合わせを考えれば、ライトウエイトスポーツカーといえども、FF駆動方式を流用するのが手っ取り早い。

そして現に、エンジンを車体中央に置き、後輪を駆動するミッドシップも小型スポーツカーとして登場していた。

これは、FFのエンジン/駆動系統をそのまま流用できるからだった。

開発と製造のコストを考えれば、小型FF車の車体をスポーツカーに換装する考え方や、少なくともエンジンと駆動部分はFF乗用車のものを流用し、車体をミッドシップとするなどが、有利であると考えられた。

もちろんそれによって、販売価格を抑えることもでき、ライトウエイトスポーツカーの市場を再び開拓する際の利点となるであろう。

しかし、ライトウエイトスポーツカーにふさわしい、軽快で素直な運転感覚は、FRでなければ得にくいはずだ。

ただしFRは、駆動系統を新たに開発しなければならなくなり、そのための投資が必要になるが、エンジニアたちの結論は、ライトウエイトスポーツカーの理想を追求する道を選んだのであった。

オープンカーの車体で、FRの駆動方式を決定したとき、エンジニアたちはこのライトウエイトスポーツカーが目指すべき楽しさを「人馬一体」という言葉で共有化した。

以来、「人馬一体」の言葉は、今日に至るまでロードスターを象徴するイメージ・キーワードとして受け継がれている。


[設計コンセプト]
マツダのライトウエイトスポーツカーであるロードスターは、60年代のものをコピーしたのではない。

日本から世界へ発信するクルマであり、そして「人馬一体」の言葉で、日本文化の真髄を籠めようとしていた。

必要のないものは極力そぎ落とし、クルマの本質を磨き上げていく。

そのためには、エンジンの馬力が大きい方がいいとか、装備も色々あったほうがいいというような考えは排除し、重量の肥大化を抑えた。

またコストはぎりぎりまで切り詰めるが、だからといって「人馬一体」の境地を極めるため、必要とあれば思い切った設計をためらうことはなかった。

たとえば、ボンネットフードにアルミを用いることで、重心を下げ、操縦安定性と運転操作の的確さを向上させた。排気には、鋳鉄製に替えてステンレス製のパイプを使い、排ガスの流れを理想に近づけた。
スポーツカーだから他のクルマとは違うべきだという、明確な意思がこめられていた。


[「人馬一体」のこだわりと、割り切り]
1970年代を境に、ライトウエイトスポーツカーの存在をあやうくさせた安全性能の追求は、ロードスターの開発においても、ライトウエイトスポーツカーの命である軽量化を保持しながら達成すべき大きな課題であった。
時代を経て、ライトウエイトスポーツカー復活に威力を発揮したのは、コンピューター解析技術の発達であった。

また、ロードスターの開発責任者を務めたエンジニアが、車体設計の専門家であったのも偶然ではなかった。

最新のコンピューター解析を駆使し、今日求められる安全性を十分に充たした上で、軽量で高剛性の車体を設計することができたのである。

雨の多い日本では、それまで屋根を幌に頼るクルマは極めて少数派であったが、手動で開閉を行う幌をあえて採用したのは、「人馬一体」の走りにこだわった上で割り切りの判断であった。

また、2+2の4人乗りを加えず、2人乗りに割り切ったのも、小型軽量というライトウエイトスポーツカーの真髄にこだわったためだ。

このように、「こだわるためにそぎ落とす」という決断をしていったのであった。

ダイレクトなドライブフィールの追求。

エンジンは、あえてターボチャージャーなどの過給は使わず、自然吸気(NA:ナチュラル・アスピレーション)の1,600cc直列4気筒DOHC4バルブを選び、その一本に絞った。「人馬一体」の楽しさを伝えるのは、人を驚かせる大馬力や、先進的な制御装置の採用ではなかった。
一方で、エンジン内部の機械損失や摩擦抵抗などは極力低減し、アクセル操作に素直に反応し、回転の限界まで滑らかに吹け上がる壮快さを味わえるエンジンに仕立てていった。シフトチェンジにおいては、的確な操作感覚を実現するため、トランスミッションとデファレンシャルを結合する「パワー・プラント・フレーム」を装備し、これによる剛性感の向上は確かで、その後のロードスターの進化においても欠くことのできない重要な技術要素となっている。

サスペンションには、潜在能力の高さを求め、4輪ダブルウィッシュボーン式を採用した。スポーツカーである以上、この選択をゆずるつもりは開発陣にさらさらなかった。

エンジニアたちの「人馬一体」への強いこだわりは、ここでも発揮されたのであった。

[プロトタイプから発売までの道のり]
スポーツカーの魅力として欠くことのできないデザインは、アメリカ・カルフォルニア州にあるマツダの開発拠点、Mazda North America(MANA)ではじまった。

そして1986年1月に日本の開発部門へ移行することが決まり、夏にはほぼ完成形に近いクレイモデルとともに、舞台を広島へ遷した。

しかし実は、この時期がロードスター誕生の行方を左右する分岐点でもあった。

すなわち、この時点でもライトウエイトスポーツカーの市場性について、マツダ社内でも疑問視する声が残っていたからですねぇ。

そこで、デザインが絞り込まれたこともあり、実物大となる1/1のプラスチックボディの試作を87年4月にアメリカへ持ち込み、クルマに関心の高い一般ユーザーによるグループインタビューを行った。

すると、220人中57人が「発売されたらぜひ買いたい」と回答したのであった。

世界最大の自動車市場であるアメリカで行った聞き取り調査は、その後の発売までの動きに大きな影響力を持っていた。

こうして難局を乗り越え、5ケ月後にはデザインが最終的な決定を見た。

それから2年後の89年春に、まずアメリカで先行市販が開始されたあと、同年9月に日本での発売がはじまったのであった。

そして、人と車を結びつけるエモーションを持った車が久しく日本にはない中、ロードスターはデビューと同時に誰も予想しなかった売れ行きを見せたのだった。

またロードスターの人気は、単にマツダだけの話にとどまらず、他の自動車メーカーからのオープンスポーツカー誕生の呼び水ともなり、70年代を境に一度は消えたライトウエイトスポーツカーを、90年代に復活させたといっていい。

本来、ライトウエイトスポーツカーの持つ本質的な魅力は普遍であることをロードスターは世界に証明して見せたのであった。

それを支えたのは、エンジニアの情熱と、自動車技術の発展であった。

世にも幸せなクルマ「ロードスター」は、自動車エンジニアの純粋な情熱が注ぎ込まれたライトウエイトスポーツカーである。デビュー以来世界中の人々に愛され、生産累計が531,890台(1989年4月~1999年10月末時点)で2000年5月に2人乗りのオープンスポーツカーとしてギネスに登録されることによって、世界でもっとも多くの台数を売ったオープンスポーツカーとしても記憶される一台となった。

また、なおも販売台数は増え続け、2007年1月には生産累計800,000台に達し、ギネス記録を更新している。


マツダ開発ストーリーから引用exclamation

ロードスターは世界中のスポーツカーを愛する方々からご愛顧頂き、世界中から数多くの賞を受賞しました。

また、ライトウエイトスポーツカーの名門のロータス代表「コーリン・チャップマン」は後に述べている。

ロータスのライトウエイトスポーツカーの熱い思いはロードスターの成功から「ロータスのライトウエイトスポーツカーに対する考え方は間違えていなかった」と語ったexclamation

人がクルマを操ることに対する思いが、判りやすい形で形になったクルマはロードスターしか無いのかなぁ~と思います。

こんな、楽しいロードスターを開発、発売してくれたマツダの開発者の皆様にありがとう、またこれからも宜しくお願い致しますと言いたいさーぱぱなのです。ウィンク指でOK
Posted at 2014/12/08 21:09:41 | コメント(0) | トラックバック(0) | ロードスターネタ | クルマ
2014年12月08日 イイね!

偉大なマツダ!!世界中を笑顔にするスポーツカー「ロードスター」を作ったエンジニアのこだわり。

2014年、2月にロードスターは25周年を迎え、来年には4代目ロードスターも発表され、マツダのクルマづくりの原点である「人馬一体」を具現化したクルマexclamation
マツダ(ユーノス)・ロードスターexclamation×2

その開発秘話をご紹介したいと思いますexclamation

[夢に向かう冒険]
第2次世界大戦後の1960年代に、ライトウエイトスポーツカーという手軽に運転を楽しめるクルマが生まれ、黄金期を迎えた時代。

軽量小型の車体に、ごく普通のセダンに使われているようなエンジンを積み、そのエンジン性能を一杯に引き出しながら、軽快な操縦性を楽しむ、そんなクルマを「ライトウエイトスポーツカー」と呼んで、ヨーロッパの人々は日々の生活のなかで運転を謳歌した。

70年代に入ると、世界最大の規模を持つアメリカ市場で、クルマの安全基準と排ガス規制が厳しさを増し、強化されていった。ライトウエイトスポーツカーの多くが屋根のないオープンカーであり、衝突安全を確保するため、衝撃吸収能力を高めた大きなバンパーを取り付けたり、車体を頑丈に作ったりすることで車両重量は重くなり、また排ガス規制を達成することと引き換えにエンジンは馬力を落としたりした。

軽さが何より売り物の、ライトウエイトスポーツカーにとって受難の時代をむかえた。

こうして人々のライトウエイトスポーツカーへの期待も薄れ、ライトウエイトスポーツカーそのものが姿を消していく運命でもありました。

しかしマツダのエンジニアたちの胸に、数の減ってしまった「ライトウエイトスポーツカー」への夢が芽生えだしたのは80年代前半のことでした。

初代NA型ロードスターの開発責任者を務めたエンジニアが、「マツダには、他社とは違う独自の商品が必要だ」と確信し、経営陣を熱心に説いて回ったことにはじまる。

一方、すでに述べたようにライトウエイトスポーツカーの市場は実質上消えたも同然で、果たして市場で受け入れられるのかどうか、定かではなかった。

それでもエンジニアの情熱は抑えきることができず、新たな一歩を踏み出すべく、開発部内で企画が着々と進行していったのであった。

駆動方式の選択肢は3つ。

企画段階のアイディアは多彩で、駆動方式についてはFR(フロントエンジン・リアドライブ)、FF(フロントエンジン・フロントドライブ)、ミッドシップなどが候補に挙がり、車体はオープンか、クーペか…デザインスケッチを前に白熱の論議が展開された。

まず、駆動方式である。

60年代に誕生したころのライトウエイトスポーツカーは、エンジンを車体の前に置き、後輪で駆動するFRが主流だった。

しかし70年代以降、乗用車の生産は多くがFFへ移行している。エンジンと駆動方式の組み合わせを考えれば、ライトウエイトスポーツカーといえども、FF駆動方式を流用するのが手っ取り早い。

そして現に、エンジンを車体中央に置き、後輪を駆動するミッドシップも小型スポーツカーとして登場していた。

これは、FFのエンジン/駆動系統をそのまま流用できるからだった。

開発と製造のコストを考えれば、小型FF車の車体をスポーツカーに換装する考え方や、少なくともエンジンと駆動部分はFF乗用車のものを流用し、車体をミッドシップとするなどが、有利であると考えられた。

もちろんそれによって、販売価格を抑えることもでき、ライトウエイトスポーツカーの市場を再び開拓する際の利点となるであろう。

しかし、ライトウエイトスポーツカーにふさわしい、軽快で素直な運転感覚は、FRでなければ得にくいはずだ。

ただしFRは、駆動系統を新たに開発しなければならなくなり、そのための投資が必要になるが、エンジニアたちの結論は、ライトウエイトスポーツカーの理想を追求する道を選んだのであった。

オープンカーの車体で、FRの駆動方式を決定したとき、エンジニアたちはこのライトウエイトスポーツカーが目指すべき楽しさを「人馬一体」という言葉で共有化した。

以来、「人馬一体」の言葉は、今日に至るまでロードスターを象徴するイメージ・キーワードとして受け継がれている。


[設計コンセプト]
マツダのライトウエイトスポーツカーであるロードスターは、60年代のものをコピーしたのではない。

日本から世界へ発信するクルマであり、そして「人馬一体」の言葉で、日本文化の真髄を籠めようとしていた。

必要のないものは極力そぎ落とし、クルマの本質を磨き上げていく。

そのためには、エンジンの馬力が大きい方がいいとか、装備も色々あったほうがいいというような考えは排除し、重量の肥大化を抑えた。

またコストはぎりぎりまで切り詰めるが、だからといって「人馬一体」の境地を極めるため、必要とあれば思い切った設計をためらうことはなかった。

たとえば、ボンネットフードにアルミを用いることで、重心を下げ、操縦安定性と運転操作の的確さを向上させた。排気には、鋳鉄製に替えてステンレス製のパイプを使い、排ガスの流れを理想に近づけた。
スポーツカーだから他のクルマとは違うべきだという、明確な意思がこめられていた。


[「人馬一体」のこだわりと、割り切り]
1970年代を境に、ライトウエイトスポーツカーの存在をあやうくさせた安全性能の追求は、ロードスターの開発においても、ライトウエイトスポーツカーの命である軽量化を保持しながら達成すべき大きな課題であった。
時代を経て、ライトウエイトスポーツカー復活に威力を発揮したのは、コンピューター解析技術の発達であった。

また、ロードスターの開発責任者を務めたエンジニアが、車体設計の専門家であったのも偶然ではなかった。

最新のコンピューター解析を駆使し、今日求められる安全性を十分に充たした上で、軽量で高剛性の車体を設計することができたのである。

雨の多い日本では、それまで屋根を幌に頼るクルマは極めて少数派であったが、手動で開閉を行う幌をあえて採用したのは、「人馬一体」の走りにこだわった上で割り切りの判断であった。

また、2+2の4人乗りを加えず、2人乗りに割り切ったのも、小型軽量というライトウエイトスポーツカーの真髄にこだわったためだ。

このように、「こだわるためにそぎ落とす」という決断をしていったのであった。

ダイレクトなドライブフィールの追求。

エンジンは、あえてターボチャージャーなどの過給は使わず、自然吸気(NA:ナチュラル・アスピレーション)の1,600cc直列4気筒DOHC4バルブを選び、その一本に絞った。「人馬一体」の楽しさを伝えるのは、人を驚かせる大馬力や、先進的な制御装置の採用ではなかった。
一方で、エンジン内部の機械損失や摩擦抵抗などは極力低減し、アクセル操作に素直に反応し、回転の限界まで滑らかに吹け上がる壮快さを味わえるエンジンに仕立てていった。シフトチェンジにおいては、的確な操作感覚を実現するため、トランスミッションとデファレンシャルを結合する「パワー・プラント・フレーム」を装備し、これによる剛性感の向上は確かで、その後のロードスターの進化においても欠くことのできない重要な技術要素となっている。

サスペンションには、潜在能力の高さを求め、4輪ダブルウィッシュボーン式を採用した。スポーツカーである以上、この選択をゆずるつもりは開発陣にさらさらなかった。

エンジニアたちの「人馬一体」への強いこだわりは、ここでも発揮されたのであった。

[プロトタイプから発売までの道のり]
スポーツカーの魅力として欠くことのできないデザインは、アメリカ・カルフォルニア州にあるマツダの開発拠点、Mazda North America(MANA)ではじまった。

そして1986年1月に日本の開発部門へ移行することが決まり、夏にはほぼ完成形に近いクレイモデルとともに、舞台を広島へ遷した。

しかし実は、この時期がロードスター誕生の行方を左右する分岐点でもあった。

すなわち、この時点でもライトウエイトスポーツカーの市場性について、マツダ社内でも疑問視する声が残っていたからですねぇ。

そこで、デザインが絞り込まれたこともあり、実物大となる1/1のプラスチックボディの試作を87年4月にアメリカへ持ち込み、クルマに関心の高い一般ユーザーによるグループインタビューを行った。

すると、220人中57人が「発売されたらぜひ買いたい」と回答したのであった。

世界最大の自動車市場であるアメリカで行った聞き取り調査は、その後の発売までの動きに大きな影響力を持っていた。

こうして難局を乗り越え、5ケ月後にはデザインが最終的な決定を見た。

それから2年後の89年春に、まずアメリカで先行市販が開始されたあと、同年9月に日本での発売がはじまったのであった。

そして、人と車を結びつけるエモーションを持った車が久しく日本にはない中、ロードスターはデビューと同時に誰も予想しなかった売れ行きを見せたのだった。

またロードスターの人気は、単にマツダだけの話にとどまらず、他の自動車メーカーからのオープンスポーツカー誕生の呼び水ともなり、70年代を境に一度は消えたライトウエイトスポーツカーを、90年代に復活させたといっていい。

本来、ライトウエイトスポーツカーの持つ本質的な魅力は普遍であることをロードスターは世界に証明して見せたのであった。

それを支えたのは、エンジニアの情熱と、自動車技術の発展であった。

世にも幸せなクルマ「ロードスター」は、自動車エンジニアの純粋な情熱が注ぎ込まれたライトウエイトスポーツカーである。デビュー以来世界中の人々に愛され、生産累計が531,890台(1989年4月~1999年10月末時点)で2000年5月に2人乗りのオープンスポーツカーとしてギネスに登録されることによって、世界でもっとも多くの台数を売ったオープンスポーツカーとしても記憶される一台となった。

また、なおも販売台数は増え続け、2007年1月には生産累計800,000台に達し、ギネス記録を更新している。


マツダ開発ストーリーから引用exclamation

ロードスターは世界中のスポーツカーを愛する方々からご愛顧頂き、世界中から数多くの賞を受賞しました。

また、ライトウエイトスポーツカーの名門のロータス代表「コーリン・チャップマン」は後に述べている。

ロータスのライトウエイトスポーツカーの熱い思いはロードスターの成功から「ロータスのライトウエイトスポーツカーに対する考え方は間違えていなかった」と語ったexclamation

人がクルマを操ることに対する思いが、判りやすい形で形になったクルマはロードスターしか無いのかなぁ~と思います。

こんな、楽しいロードスターを開発、発売してくれたマツダの開発者の皆様にありがとう、またこれからも宜しくお願い致しますと言いたいさーぱぱなのです。ウィンク指でOK
Posted at 2014/12/08 21:09:23 | コメント(0) | トラックバック(0) | ロードスターネタ | クルマ
2014年12月05日 イイね!

ダイジェスト:2013年横浜サンタフェスティバルinロードスタークラブオブジャパン!!

2013年に私もロードスタークラブオブジャパンに入会させて頂き、ロードスターブロスの掲載や代表の水落氏やND型ロードスター開発者の山本氏とも密な関係を作らせて頂いた一年でしたexclamation

今後は全国のロードスタークラブやロータスはじめ他のライトウェイトスポーツカークラブにも顔を出させて頂き交流を深めて、私の夢のエンディングの1つである「ライトウェイトスポーツカー・ミュージアム」を作りたいと思いますexclamation

昨年の「2013.12.14 横浜サンタフェスティバルinロードスタークラブオブジャパン」をご紹介させて頂きますexclamation

会場はパシフィコ横浜exclamation

この日は、福山昌治さんのコンサートも開催され、多くの人々でごったがえす中、サンタフェスティバルは開催されましたexclamation

当日、ロードスターのイベントは孤児院訪問隊と子供たちや父兄を乗せてドライブする隊が一同にマツダの研究所に集合し、ロードスターのデコレーションとサンタの服装に着替え、総勢25台でのパシフィコまでパレードランexclamation

会場に到着すると開会式exclamation

別部隊の孤児院訪問隊の出発式exclamation

そして私たちのサンタイベントの街をドライブする試走が始まり、娘(トナカイ)と私(サンタ)で街を手を振りドライブすると、沿道には子供たちやカップルさんたちが皆さんが笑顔で手を振り、写メを撮るexclamation

それを見て、私も娘もテンションが上がるexclamation×2

試走も終了し、娘はロードスタークラブのブースでアテンダントとして会場をお手伝いexclamation

私はドライバーとして街を走るexclamation

ドライブコースはパシフィコ~ランドマークタワーを左折しNHK横浜放送局先の中華街入り口を左折、山下公園氷川丸を見ながら左折~赤レンガ倉庫を見て、遊園地の脇を通り、パシフィコに戻るルートexclamation

これを5往復exclamation

無事に安全ドライブ終了exclamation

皆様、喜んで頂きましたexclamation

帰りは、マツダの研究所までパレードランかと思いきや、途中から若手のロードスター乗りの方どバトルモードに参戦exclamation

トップで帰還させて頂きましたexclamation×2(大人げないexclamation冷や汗)

イベントのエンディングでは水落氏から重大発表と題して、娘の誕生日が発表され、ノンアルコールのシャンパンで今回参加された方々から祝福して頂きましたexclamation

帰りの車中、娘も三年後の免許証を取得した時には、今度はドライバーとして参加したいと言われ、一緒に参加出来て良かったなぁ~と思うさーぱぱなのでしたexclamation×2ウィンク手(チョキ)

最後に今回、参加された皆様にはお疲れ様でしたexclamationそして参加させて頂き、ありがとうございましたexclamation

2014横浜サンタフェスティバルinロードスタークラブオブジャパンは2台体制での参加ですねぇ~exclamation×2

見かけた方はお気軽にお声がけ下さいexclamation

宜しくお願い致しますexclamation×2ウィンク手(パー)
Posted at 2014/12/05 10:41:54 | コメント(0) | トラックバック(0) | ロードスターネタ | クルマ

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「4代目ロードスターになって電子制御のサポートを語る!! http://cvw.jp/b/1074729/39596578/
何シテル?   04/11 15:42
さーぱぱと申します。ロードスターが大好きで現在8台愛馬ロードスターを調教中です。こんなロードスターバカですが、宜しくお願い致します。
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