
同行号が満5歳の誕生日を迎えて半月が過ぎた。車両が生産されたのは,2004年7月で,その地はバレンシア。ちょうど1年後,2005年の7月11日に讃岐で登録されナンバープレートが付けられた。すなわち,「同行号」としての誕生日は「セブンイレブン」である。
「同行二人」の歴史は同行号の歴史にほぼ等しい。「同行二人」のみんカラへの登録は2004年の12月で,前車のヴィータに乗っていた時期である。フィエスタに乗るようになってから,主に欧州フォード乗りのみなさんのブログやパーツレビューなどを頻繁に参考にさせていただくようになり,コメントや質問を投稿させていただくようになった。まだ,みんカラ外の各種のオーナーズクラブの活動も活発だった時代である。
同行号の「愛車紹介」をアップし始めたのは2007年の夏頃から,ブログを定期的にアップし始めたのは2007年末からである。「同行二人」は「どうぎょうににん」と読む遍路用語だが,自分はパソコンで入力する際は「どうこうふたり」とタイプしてから変換している。かつて四国とほとんど縁のなかった自分にとって,四国出身のプロレスラー・
新崎人生の「遍路中の修行僧」のギミックと,遍路服の胸に記される「同行二人」の文字には鮮烈かつ神秘的とも思える強い印象を覚えた。自分の中で勝手に四国の象徴となっていたその言葉が四国に移り住んでからのHNとなった。後のブログのタイトルとした「空と海」は,お遍路さんたちが心中で共に修行するという空海(弘法大師)の名を拝借したものであり,自分なりに四国という土地への敬意を込めたものである。
みんカラの登録者として初めて参加させていただいた比較的大規模な
オフ会(2008年1月)に参加した際,他の参加者の方々が自分を「どうこうさん」と呼んで(読んで)くださり,すっかりそれが定着(?)した。もともと「どうこう」とタイプしていたのだから,光栄なことである。大阪南港で初めてお会いした
ヨコモンさんが自分の顔を見るなり「同行さんでしょ?」と仰られたのも強い印象に残っている。
同行号は生活車であり,仕事車であり,そして趣味車である。同行(私)とともにこの5年間にわたって「長く曲がりくねった道」を走ってきた。最も険しかった道は5周年を前にしての
事故である。同行号での事故はこれで2度目であり,しかも前回よりひどい事故であった。とにかく,ショックだった。
しかし,少なくとも,同行は生きていた。無傷と言って良かった。同行号はどうか?ディーラーの修理見積もり額は並のコンパクトカーの中古車価格を軽く上回る。というか,自分が新車で買ったときの車両価格(破格の値引きだった)に近い。運悪く,今年から車両保険の内容が変わっていた。全損扱いとなり,修理代は保険だけでは賄えそうにない。ディーラーでいつもお世話になっている整備士のSさんが,そのことを打ち明けた後にひどく申し訳なさそうに言った。
「お乗り換え・・・されます?」
自分は乗り換えを勧められていると感じた。状況的に,それは至極妥当である。他の車が気にならないわけでもない。ディーラーには走行の少ない後期型のフィエスタも修理費より安く売られている。だが,同行号には金で買えないものが詰め込まれている。まず,自分は同行号が本当に直るのかを慎重に尋ねた。Sさんは壊れた同行号の状況と修理の方針を丁寧に説明してくれた。自分はさらに発生しうる後遺症などがないか聞いていく。Sさんは
「大丈夫です。まっすぐ走るようになります」
ときっぱりと言った。きっと以前のように走ってくれる,とは納得できた。それ以外に見つかったり生じていくかもしれない不具合,社外パーツを再び海外などから集めなければいけない面倒さ,修理中の不便は覚悟した。それでも修理やそれにかかわる経済的な負担は今の自分にとって予定外だったし楽なものではない。Sさんもまだ乗り換えを打診してくる。ディーラーにとっては新しい車を売るチャンスだし,直るとしても事故車に長く乗ることは普通は勧めないだろう。ズバリ,Sさんの本音を聞いてみた。
「自分はあの車をずっとみてきました。できればこれからも乗って欲しいです」
この言葉を聞いて腹は決まった。
修理の間,事故の後処理や心理的なショックだけでなく「好きなクルマに乗れない」ストレスが重くのしかかった。自分にとっての同行号との生活の意味は自分なりに自覚していたが,その意味を再確認させられた。ときどき,同行号の夢を見た。同行号の運転席から後方を確認しながらバックすると,何も見えない暗闇の中で同行号が次第に水の中に沈んでいく。自分は水が侵入してくる車内で焦燥しながらも何もできずにいる・・・ そんな夢だったりした。
他の車に乗るとその足回りやシートのデキの悪さ,ボディの柔さ,カーオーディオの音の悪さなどに閉口した。あちこちから発生する異音も気になった(笑)。同行号内で楽しめない音楽を自室で楽しもうと,自室のミニコンポを何年ぶりかで調整して音を鳴らしてみたりした。フィエスタの純正ヘッドユニットよりもコンポ自体の音質は上なのだが,レアルシルトで囲まれた車内に比べると散らかった自室内での音響はひどいものだった。
買い物やドライブに行こうとしても,代車だと気が失せてしまったりする。逆に,用事もなく走りに行くこともなくなった。それはそれで安全だったり無駄がないのかもしれないが,自分にとって快適で楽しい車がいつもそこにあるということは,間違いなく自分の生活を刺激的で充実したものにしてくれる。
何度かの修理途中の見舞いを経ておよそ1ヶ月半後,同行号が修理から戻った。いつもの駐車場に同行号を納めると,何となく気持ちが落ち着くのが分かった。
それから,事故と関連があるのかないのか分からない,いくつかの小さな不具合の調整を経て,2度目の車検を迎えた。車検のための点検と整備を経て,それらも一掃されていった。経年劣化を心配していた
エンジンベルトは初期症状に対する自分の対処が良かったのか,まだしばらく問題なしとのこと。その代わり,
リアのブレーキをオーバーホール。同行号は事故前よりも絶好調となった。
車検のために同行号を試乗したSさんが感心したように言った。
「このフィエスタは,他のフィエスタよりよく走りますね」
それはあなたがそうさせたんでしょう,と言いたかったが黙っていた。Sさんはこの数週間の間に何度もくり返してきた言葉をまたくり返す。
「まだまだ乗りますよね?」
そして,二人で次の車検までの維持の仕方や整備の方針を話し合った。同行号の総走行距離は現在15.3万km。このペースだと次の車検時には20万kmに達するだろう。
※ 画像は2005年7月,納車時
Posted at 2010/07/29 00:47:38 | |
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