2011年09月24日
結婚して半年くらいしたある日。僕はアルファロメオの売却を決意した。
3年乗ったアルファロメオ145。
僕は絶望的なくらいこの車に飽きてしまっていた。休日の朝のドライブには全然行かなくなっていた。
ちょっとした不調でイライラした。洗車するのが億劫になっていた。
「145売ろうと思うんだけど。」僕は嫁に打ち明けた。「どうして?」
僕は素直にこの車に愛情がなくなってしまったことを伝えた。
「ミラもあるし、通勤には困らないし。」
走行距離4万キロほどの145は驚くほど安い値で売れた。
それでも売却を踏みとどまることはなかった。僕が所有するべきでない。
そういう確信があった。
店頭に飾られて値札を貼られた145は捨てられた子犬のようで心苦しかった。
そのうち一か月もしないうちに145は店頭から消えた。
売れたのだろう。もう僕のものではない誰かの145。
同じ町なら見かけることもあるかもしれない。
Posted at 2011/09/24 20:29:47 | |
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アルファロメオ | 日記
2011年09月10日
それでもさんざん迷った挙句、僕はアルファロメオ145を購入した。
真っ黒な145。初めての外国車。その走りで一番の肝はエンジンだった。
それは限界がないかのごとくよく回り、その感性は日本車には見当たらなかった。けれど足回りのロールだけは気持ちが悪く、極端なノーズダイブや挙動の不安定さが目立った。「足回りだけは交換だな。」すっかり恒例となった日曜の朝のドライブの途中、休憩によったコンビニでタバコを吸いながらそう思った。
前に購入したミラは足用として残していた。なぜならアルファが壊れました。通勤できません。なんて言えないからだ。ミラは保険として残っていた。
いつもピカピカのアルファ。いつもきたないミラ。
一週間仕事を頑張るとアルファをみがき僕はドライブに出かけた。友人とのドライブ、必然車関係のイベントにも顔をだすようになった。
アルファは僕の人生を引っ張っていった。
そして、それとは別に真っ黒な雲がもうすぐそばまで近づいていた。
Posted at 2011/09/10 16:15:59 | |
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アルファロメオ | 日記
2011年09月05日
ある晴れた春の日、僕は外車専門の中古車フェアーに行ってきた。
ミラで行くのは少し気が引けたので、友達のスカイラインで会場に向かう。
駐車場は予想通りメルセデスやBMWが多い。
僕らにとって外車というの得体のしれない不可解なものだった。
値段は高いし、スペック的には大した事ないように思えるものばかりだった。
けれど、じっくり見ていくうちに国によって車に対する考え方が違うことがわかった。
幾年か経って外国車に数年乗って僕が思ったことは、
ドイツ車はいわゆる「機械」そう無機質な部分に精度を求められた「機械」が本質のように思う。
イタリア車は、「芸術」、「作品」といい表していいと思う。
フランス車は「靴」おしゃれで機能的、そして日常的。
イギリス車は、「おもちゃ」趣味として成立するもの。決してちゃちいとかいうものでなく遊び心があるもの。
アメリカ車は「身分証」ステータスを表すもの。大きければいい場合もあるかも。
日本車は、「家具」機能的、必要であるべき姿をすべき。
そしてその当時の僕には、イタリア車は宝石のように見えた。あるいはそれはガラス玉であったかもしれないが、僕は実物のアルファロメオを見ながら胸の中が真っ赤なイタリアンレッドに染まりきり破裂しそうになっていた。
Posted at 2011/09/05 21:07:37 | |
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アルファロメオ | 日記