2011年09月11日
1999年、本州と四国を結ぶ通称「しまなみ海道」が開通した。
僕と友人はその開通の日にその道路を走る予定をたてていた。
友人は前の日から僕の家に泊まりいっしょに飲んでいた。
朝一で出発するためだ。しかし、飲んでいたため車の話と女の話は尽きなかった。
そして、友人の携帯が鳴った。
家からの電話のようだったが、友人の顔は深刻だった。
「kが事故したらしい。高速で事故って今、集中治療室らしい」
集中治療室。この言葉は重かった。
最悪の事態もあり得た。
僕たちには何もできなかった。ただ黙って煙草の火を念入りに消して寝た。
次の日、隣県の病院に僕らは向かった。必要以上にいい天気だった。
車は「judy and mary」のアルバムを何週も流し走り続けた。
kの入院した病院は大きな所だったのだろうが、その時には小さな病院に思えた。
kの病室に通されると、kの母親が付き添っていた。
kの口には人口呼吸器がとりつけられ、頭にはいろいろなコードがついていた。
すっかり生気のないkを見て僕は「なにやっとるんやぁ。」と問いかけるのが精いっぱいだった。
友人も一生懸命「おいっ、おいっ、」と話かけていた。
「脳がね、損傷を受けたらしいんよ」kの母親が言った。
kは福岡から岡山に行く途中、山陽自動車道で単独事故を起こした。
ガードレールに沿うように止まり運転席で気を失っていたらしい。
乗っていたホンダのシビックは損傷が軽く、救急隊員はほっとしていた。
風が強かったのでちょっとあおられたのだろう…
しかしkは目を覚まさなかった。シートベルトはしてあり、医者は「よっぽど頭の打ちどころが悪かったのだろう」といった。
「けどね、こうして足をくすぐるとね。この子反応するんよ。」少し笑ったようにkの母親は話した。
「本当ですね。」僕らは、kの顔を見た。笑ったように見えなくもなかった。
約一週間後、kは死んだ。
自宅でこじんまりとした葬式が行われ、たくさんの人が訪れた。
涙はでなかった。何かよくわからない感情に満たされていた。
ただ昔よんだ志賀直哉の文章が何回も頭のなかで繰り返された。
「自分は偶然に死ななかった。蠑螈は偶然に死んだ。
生きている事と死んでしまっている事と、それは両極ではなかった。」
僕は偶然に生きている。kは死んでいる。けれど違いはないのだ。
僕には何もわからくなった。
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Posted at 2011/09/11 09:53:01 | |
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2011年09月10日
それでもさんざん迷った挙句、僕はアルファロメオ145を購入した。
真っ黒な145。初めての外国車。その走りで一番の肝はエンジンだった。
それは限界がないかのごとくよく回り、その感性は日本車には見当たらなかった。けれど足回りのロールだけは気持ちが悪く、極端なノーズダイブや挙動の不安定さが目立った。「足回りだけは交換だな。」すっかり恒例となった日曜の朝のドライブの途中、休憩によったコンビニでタバコを吸いながらそう思った。
前に購入したミラは足用として残していた。なぜならアルファが壊れました。通勤できません。なんて言えないからだ。ミラは保険として残っていた。
いつもピカピカのアルファ。いつもきたないミラ。
一週間仕事を頑張るとアルファをみがき僕はドライブに出かけた。友人とのドライブ、必然車関係のイベントにも顔をだすようになった。
アルファは僕の人生を引っ張っていった。
そして、それとは別に真っ黒な雲がもうすぐそばまで近づいていた。
Posted at 2011/09/10 16:15:59 | |
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アルファロメオ | 日記
2011年09月07日
中古車フェアに置いてあったアルファロメオ145。
大きなエンブレムがその歴史を物語っているようだった。ホイールから小物まで、いちいちオシャレに見えた。ドキドキしていた。
試乗するのにキーを渡された。真っ赤なそれは本当に素敵にキーだった。極上なスーツに似合いそうなそんなオブジェだ。
エンジンをかける。少し大人しいかな?そんな感じのするエンジン音。
クラッチをつなぎ、動かしてみる。しなやかな動き。目的地さえ選ばせそうなそんな錯覚さえ起こさせる。
不機嫌な顔のままでは乗れないようなそんな不思議な感じ。
試乗中に「もっとエンジン回してもいいですよ」そう言われて、非力なエンジンを回しこむ。
3000回転を超えた頃、気持ちのいい加速がする。キンキン回るエンジン。
速すぎるわけではない。けれどエンジンの目覚める瞬間がわかる。
生き物のようだ。
この車を買おう。きっとすばらしい日々が待っている。
Posted at 2011/09/07 21:37:10 | |
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2011年09月05日
ある晴れた春の日、僕は外車専門の中古車フェアーに行ってきた。
ミラで行くのは少し気が引けたので、友達のスカイラインで会場に向かう。
駐車場は予想通りメルセデスやBMWが多い。
僕らにとって外車というの得体のしれない不可解なものだった。
値段は高いし、スペック的には大した事ないように思えるものばかりだった。
けれど、じっくり見ていくうちに国によって車に対する考え方が違うことがわかった。
幾年か経って外国車に数年乗って僕が思ったことは、
ドイツ車はいわゆる「機械」そう無機質な部分に精度を求められた「機械」が本質のように思う。
イタリア車は、「芸術」、「作品」といい表していいと思う。
フランス車は「靴」おしゃれで機能的、そして日常的。
イギリス車は、「おもちゃ」趣味として成立するもの。決してちゃちいとかいうものでなく遊び心があるもの。
アメリカ車は「身分証」ステータスを表すもの。大きければいい場合もあるかも。
日本車は、「家具」機能的、必要であるべき姿をすべき。
そしてその当時の僕には、イタリア車は宝石のように見えた。あるいはそれはガラス玉であったかもしれないが、僕は実物のアルファロメオを見ながら胸の中が真っ赤なイタリアンレッドに染まりきり破裂しそうになっていた。
Posted at 2011/09/05 21:07:37 | |
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アルファロメオ | 日記
2011年09月02日
「雨男」という言葉がある。
イベント等で雨が降ると、冗談で「お前雨男だからなぁ」なんて使われます。
決して根拠のあるものじゃないと思うんですが、こういう人もいます。
Nさんはやっぱり車好きで、それが元でいっしょにサーキットに行くことになった。
その日は降水確率は20パーセント程度。
レンタルカートで10分走れるので二人でバトルすることになる。
レクチャーを受けていると頬に雨粒が少し落ちてきた。
今なら本降りにならないだろうし、路面がぬれる前に急いで走ることにした。
一週目、カートの旋回性能を確かめながら走る。するとメットにボタボタボタと雨粒が落ちてきた。ヤバいと思う間もなく、ものすごい量の雨が視界をさえぎる。これはどうしたらいい?あまりのすごさに振り向くとNさんは懸命に走っている。しょうがない…僕はゆるめていたアクセルをグッと踏み込み10分間を走り抜いた。
靴下からパンツの中までびっしょりだった。服のまま川に突き落とされたようだった。
夏でよかった。
これが最初だったのだが、その後もいっしょに走りにいこうとすると、天気予報が雨マークに変わった。僕かNさんのどちらかが雨男ということになった。
しかし僕は仕事でいけないのだがNさんは明日岡山国際サーキットに走りに行く。1か月前から予約していたイベントだ。そしてその行動を狙撃するように台風12号が岡山を明日直撃する予定。
Nさんが雨男かどうかわからないが、こういう偶然がつづくことがある。
そして僕は雨男の存在を少し信じはじめている。
Posted at 2011/09/02 19:17:06 | |
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横道な話。 | 日記