今回は、世界で最も有名であろうオートバイ・ヘルメット・ブランドのひとつ、大韓民国の『HJC』についてのメモを投稿。
例によって『馬鹿の話は必ず長い』を地で行く雑多な内容&無駄な文字数ながら、人名・地名、および時期や金額といった数値の類は公式なものを引用している(つもりな)ので、調べ物をしている方にとって何らかのお役に立てましたら幸い。以下文中、敬称略。
■HJCとは
HJCヘルメット(HJC Helmets)、通称“HJC”とは、大韓民国(Republic of Korea)の誇る世界的企業・株式会社ホン・ジンHJC(英字表記:Hong Jin HJC、漢字表記:洪進HJC)、もしくは、ホン・ジンHJC社が展開する乗用ヘルメット・ブランドのこと。用途・環境に合わせた豊富なライン・ナップを誇り、また、充実したサイズ設定と多種様々なグラフィックの提案を続けることでも知られる。
韓国においては、「世界的な大成功を収めた(にも関わらず、それとは対照的に知名度が低い)知られざる韓国企業」を意味する“隠れたチャンピオン(英:Hidden champions)※”キャンペーンの一角として、様々な媒体に取り上げられた過去を持つ。
※隠れたチャンピオン…元ネタは、ドイツでマーケティング・グループの会長も務める経済学者・経営思想家のヘルマン・サイモンの著書『グローバルビジネスの隠れたチャンピオン企業(原名:Hidden champions)』。
■HJCヘルメットの特徴
HJCヘルメットが展開するアイテムには、米国本土上陸(1987~)当時のホン社長(※後の会長・詳しくは後述)が掲げた「ふたつの方針」に端を発する明確な特徴を見ることが出来る。この「ふたつの方針」というのはズバリ、日本ブランドへの対抗。
(1)AraiとSHOEIよりも安く売る
(2)日本の2大メーカーが扱っていないアイテム(※半帽)を売る
その具体案として、HJCヘルメットは次の特徴を持つこととなる。
・品種が豊富(※含む半帽/ハーフキャップヘルメット)
・サイズ設定が豊富
・色柄が豊富
・オプションが豊富
・安い(100米ドル~200米ドル圏の廉価グレードが豊富)
ベルやシンプソンなど名立たるブランドで知られるアメリカのマーケットに身を置こうとするなか、あえて極東アジアのちっぽけな島国たる日本の2社を名指しした理由は他でもなく、HJC渡米当時の北米ヘルメット市場における占有率(シェア)の上位に、その2社が存在していたため。厳命を受けた渡米組(HJCアメリカの祖)はホン社長の方針を遵守し、巨大な北米市場で一定の支持を得ることに成功する。
[うんちくメモ:HJCヘルメットの膨大な商品点数]
HJCには『ひとつのヘルメットにおいて288アイテムを用意する』、という逸話がある。具体的には、1モデルに対して8サイズ×6カラー設定×6グラフィック・パターン=最高で288アイテム、という計算。
・参考画像:HJCヘルメット CS-R3
安価な製品であるCS-R3にも、充実したライン・ナップを見ることが出来る。画像にある単色×6カラー+グラフィック・モデル2パターン×各6カラー設定(計3種類)の時点で、合計アイテム数は144。
[うんちくメモ:1980年代当時の5サイズと8サイズ]
今現在の北米市場向けサイジング・チャートの選択肢は計10種類に増えているが、これは「サイズ調整が可能である」旨を意味する提案であって、実際のサイズ展開は月並みなものとなっている。
ちなみに、日本国内におけるフルフェイスのサイズ設定の違いは、次の通り。
・Arai Helmet → レギュラーサイズ5種+2サイズUPまで調整可能
・SHOEI → レギュラー6サイズ
・HJC(日本法人) → レギュラー4サイズ(S/M/L/XL)
[うんちくメモ:モーターサイクル・インダストリー・マガジン]
HJCヘルメット(ホン・ジンHJC社)と言えば、キャッチ・フレーズにも用いられている“#1 IN THE WORLD/全米シェアナンバー1”の言葉。これはHJCの代名詞として大きく掲げられるもので、インターネット上の至る所に散見するが、その確たる根拠として明示される情報ソースこそ、知る人ぞ知る“モーターサイクル・インダストリー・マガジン(Motorcycle Industry Magazine)”。ウェブ検索で抽出される情報のほとんどは、次の英文が参照元として明示されている。
"Refer to Motorcycle Industry Magazine 1992-present."
※Refer to~=~を参照(する)、-present=~から現在(に至る)
大韓民国が誇る世界的企業ホン・ジンHJC社の輝かしい偉業を伝えるモーターサイクル・インダストリー・マガジンだが、その誌面は謎のベールに包まれており、実は
どこの誰が発刊しているのかすら判明していない。
※2020年5月31日追記
サンフランシスコ在住の写真家である、アーサー・ドマガラ(Arthur Domagala、公式サイト www.arthurdomagala.com)が筆者である可能性が浮上。その氏名がモーターサイクル・インダストリー・マガジン内の該当記事に掲載されている著者名(肩書は“アシスタント・エディター”)と完全に一致しており、経歴に「オートバイ雑誌の編集者」とあることから、間違いないのではないかと考える。肝心の誌面に関する詳細は依然として不明のままだが、アーサー・ドマガラによるモーターサイクル・ヘルメット記事は、1992年度以外にも複数が存在している(していた)模様。
■HJCブランドの販売体系
HJCヘルメットを含むHJCグループの製品は、その内容により、取り扱いの窓口が三つ(+ふたつ)に大別される。
・HJCヘルメット(HJC Helmets)
・HJCスポーツ(HJC Sports)
・HJCモータースポーツ(HJC Motorsports)
+
・ホン・ジン“ペイヂン”スポーツグッズ(Hong Jin (Beijing) Sports Goods)
・HJCヴィーナ(HJC VINA)
上から順に。
【HJCヘルメット】
HJCブランドのオートバイ・ヘルメット、および、それらに関連する商品の供給者。ホン・ジンHJCの中核であり、一般的に『HJC』という名称は、この部門を指す場合が多い。
【HJCスポーツ】
HJCブランドの自転車用ヘルメット、および、その関連グッズを取り扱う商品供給者。ABS樹脂を取り扱う大阪のOGKがそうであるように、HJCも自転車用ヘルメットを取り扱っている。
【HJCモータースポーツ】
HJCブランドのレーシング・カー・ヘルメット(四輪向け製品)、を取り扱う商品供給者。競技専用の用途に特化した関連アクセサリーや、補修・交換部品なども取り扱う。
【ホン・ジン“ペイヂン”スポーツ・グッズ】
中国法人。HJCチャイナ。HJCヘルメットの廉価カテゴリーにおける中国工場生産品は、この部門の取り扱い。ややこしいことに英字表記においては、“ペイヂン”をカッコ()で括る表記が、正式。
【HJCヴィーナ】
ベトナム法人。HJCベトナム。ジェットヘルメットに代表される廉価カテゴリーは、この部門の取り扱い。ヤマハ純正アクセサリーのワイズギアが販売するメイド・イン・ベトナムのジェットヘルメット(YJ-〇〇)のタグに印字されている製造元が、正にここ。HJCヴィーナの生産コスト削減は通常の日本人ライダーの感覚では想像が追い付かない水準に達しており、同時に、恐ろしく安い人件費でも知られる。
インターネット上には、それぞれ独自のwebサイトを持つものも存在する。
特にHJCスポーツ/モータースポーツは、HJCヘルメットのカテゴリー外の自転車用/四輪車用ヘルメットを提案する窓口として、重要な役割を担う。
[うんちくメモ:Beijing(ペイヂン)]
北京(ペキン)。すわなち中華人民共和国の首都、北京市のこと。アルファベットは、国際的な現代中国語のピン音(ぴん-いん)による。かつての表記は、“Peking(ペキン)”。Peking → Beijingへの移行には、複雑な事情が関係している。ちなみに日本の報道・マスコミは平成どころか令和の時代でも“ペキン”と呼び続けているが、これは「長い歴史の中で既に定着している読みを尊重する考え(指針)」による※この点はNHK/日本放送協会が詳しい。
[うんちくメモ:VINA(ヴィーナ)]
“ベトナムの~”、といった意味で用いる英字表現。HJCヴィーナの正式名称である“Cong ty TNHH(Công ty TNHH)HJC VINA”は、ベトナム社会主義共和国の言葉で『有限会社HJCベトナム』の意。
■HJCの法人と拠点
大韓民国のコリア本社以下、大きく分けてアメリカ法人とヨーロッパ法人が存在する。生産拠点としては韓国工場、中国工場、ベトナム工場の三か所が稼働中。
・HJCコリア
・HJCアメリカ
・HJCヨーロッパ
・HJCチャイナ
・HJCベトナム
コリア:韓国研究開発センターや韓国工場(高級品専門)保有する韓国本社。
アメリカ:北米、ロスアンゼルスあるアメリカ法人。
ヨーロッパ:欧州法人。HJCフランス以下、HJCドイツ、HJCイタリアの計3拠点。
チャイナ:中国工場を擁する、中国法人。大規模な施設と、多数の人員を擁する。
ベトナム:前述したHJC VINA、ベトナム法人。最新の工場。
■HJCヘルメットの生産ライン
製造・生産は、[普及品(含む業務用)]と[プレミアム・ライン]、以上のふたつに大別される。
(1)普及品 → 生産コストの低い中国・ベトナム現地労働者&機械による大量生産
(2)プレミアム・ヘルメット → 『RPHA(アルファ)』シリーズ、韓国工場にて韓国人による手作り
前者は一般的な商品の他、業務用の簡素なヘルメットも含む。
後者は、ハイクオリティでハイパフォーマンスという付加価値をもつプレミアム・ヘルメットの『RPHA(アルファ)』専用の製造ラインが確保された、韓国工場の生産ラインを意味する。モデル11までバージョン・アップされている現行RPHAシリーズは、最廉価となる単色(グラフィックなし)モデルであれば、日本正規品が送料込みでも実売4万円以下で入手が可能。しかし、有名ブランドとのコラボレーション・モデルなどに至っては5万円~6万円台の実売価格が珍しくなく、それらはSHOEIやAraiの、いわゆる“プレミアム・ヘルメット”と同価格帯となっている。
なお、本場である韓国市場においては80万ウォン(約8万円相当)となる高価格帯の最高峰モデル・RPHAは、韓国本土の生産拠点以外での製造が許されておらず、RPHAシリーズと普及品の扱いの差は余りに大きい。同じヘルメット・ブランドの中でRPHAのみを徹底して差別化する方針について、HJCヘルメット韓国ソウル本社ギム・ヨンヘ本部長は次のようなコメントを韓国メディアに表明している。
「(RPHAの生産工程を担う)
韓国人技師40名による生産コストは、東南アジアで労働者を1,000人雇用できるレベルにある」
「(高額な人件費を含めて)いかに費用がかかろうとも、プレミアム・ラインだけはソウル本社が責任を負って行う」
[うんちくメモ:人件費に関する仮定]
大韓民国の大企業の収入(2016年)を基準に人件費を仮定すると、大体こんな感じ。
・韓国人技師:日給約15万ウォン(約1万5千円~) → 40名分の日給=約600万ウォン
・東南アジア労働者(1,000人分):約600万ウォン → 一人当たりの日給=約6000ウォン(約600円)
2015年のベトナム・ホーチミン市の最低賃金の日額は、11万ドン(約540円)。韓国HJC本社が示すアジア労働者の人的コストが最低賃金(の10%増し)程度の水準であると仮定した場合、一応は、上記の内容に一致する。
[うんちくメモ:品種による生産元の相違]
高級品は自国生産、廉価品はアジア製造、という手法は韓国のHJC、イタリアのAGVおよびSUOMY(スオーミー)などが有名。それ以外にも、帽体や内装など部品単位での製造を他所の国で済ませたのちパーツ一式を自国に搬入&組み立てと品質確認と梱包の工程を自国で行う事によって「国産(made in xxxxx)」とする、といった手法も存在する。
[うんちくメモ:業務用の簡素なヘルメット]
日本郵便(ジャパンポスト/JP)社の郵便配達員(集配営業部員)が着用しているヘルメットが、正にHJCの業務用ヘルメット。帽体の内側には、HJC製品の証である印紙が貼付されている。おおよそ乗用らしからぬ軽さと安さ(※単価は1,000円前後とも)が特徴で、その構造と品質は土木作業用のJIS安全帽に勝るとも劣らない。
■HJCの業績
北米進出を果たした1980年代以降、HJCヘルメットが更なる飛躍を遂げるきっかけとなった決定的な出来事が、フリップ・アップ・ヘルメット(モジュラー・ヘルメット)の特許取得と、そのカテゴリー商品の爆発的なセールス。韓国・米国・カナダにて特許を獲得したHJCグループが開発・販売した当時の新商品は、年間20万個の販売数を記録し、世界一位獲得へのけん引力となった。
こうして2001年には、820万個市場のモーター・サイクル・ヘルメット・マーケットにおいて120万個にのぼる製品を供給、市場シェア14.64%で1位に輝くこととなる(※注:韓国メディア、および米国モーターサイクル・インダストリー・マガジンによる統計)。
その後、韓国ホン・ジンHJC社は年間、のべ2,000,000個(200万個)を上回る膨大な数のヘルメットを輸出する世界的企業得へと成長、輸出額は、おおよそ1億ドル(約113億円)へと拡大。総売上とされる840億ウォン(約83億円)のうち、その97%は海外輸出による。
■HJCヘルメットの市場シェア
オートバイ・ヘルメットの話題において世界的に知られるもののひとつが、ホン・ジンHJC社の誇るHJCヘルメットの市場占有率、いわゆる市場シェアの高さ。HJCヘルメットは1992年に北米におけるオートバイ・ヘルメットのトップシェアを獲得(Refer to Motorcycle Industry Magazine 1992-present)して以来、一度たりとも、その座を明け渡したことが無い、とされる。
この事実については、2014年の時点で韓国メディアが事実上の続報となる記事を公開しており、その中で記者は、「(1992年のシェア1位獲得からHJCヘルメットは)12年連続でトップ・シェアを維持している」旨を報じている。
2017年現在、他ならぬ日本HJC代理店・RS TAICHI(アールエスタイチ/本社:大阪)がウェブサイト上に
「全米シェア ナンバーワン!(※全文ママ)」との宣言を掲げていることからも、韓国HJCの全米トップ・シェアは紛れも無い歴史的事実なのだろう。なお、当初の報道ではHJCヘルメットがシェア1位を獲得した市場が「North America(ノース・アメリカ/北米)」となっていた訳だが、上述の通り正しくは「全米」、らしい。
ちなみに、オートバイ世界選手権・MotoGP(モト・ジーピー)へのスポンサードを開始した2013年度、HJCヘルメットは、その大きな宣伝効果により年間の総輸出量が200万個、金額にして1億ドル(約113億円)相当の輸出額を記録するに至った。この年の年間総売上は、840億ウォン(約83億円)。その97%はアメリカ、およびヨーロッパ諸国を中心とする海外輸出によって得られたもので、世界市場におけるシェアの、おおよそ17%の獲得に成功。これは同シェア2位のイタリア・NOLAN(ノーラン)の占める9%を、2倍近く上回るものだった(※韓国メディア発。欧州もしくは第三者による客観的で明確なソースは明示されていない。念のため)。
これらホン・ジンHJCの素晴らしい偉業の数々は、そのすべてが大韓民国のメディアを通じて韓国国内向けに報道されており、韓国国民の誰しもが自由に、いつでも、好きな時に知ることが出来るようになっている。
■そもそも『ホン・ジン』とは
ホン・ジンHJCのルーツは、1971年創業の“ホン・ジン企業”にある。
韓国語の“ホン・ジン(※ハングル表記は機種依存のため省略)”は漢字表記で「洪進」、「広い世界に進む」を意味する言葉。起業当時の高い志を感じさせる命名だが、それと同時に、この「洪進」という語句には創業者のホン・ワンギ(洪完基、後のHJC名誉会長)による家族への思い、『ホン(洪)兄弟が共にある(翻訳ママ)』という意味が込められている。
上述の通り当初の会社名は“ホン・ジン”であり、後に定着することとなる“HJC”というアルファベット三文字は存在していなかった。その初出となったのは、ホン・ジン企業が北米への進出を果たした1987年1月のこと。渡米の際に米国当局へ持ち込んだ自社ブランド名の『クラウン(Crown)ヘルメット(※)』の名前を冠するかたちで誕生した法人名、『ホン・ジン・クラウン(Hong Jin Crown)』を略した“HJC”が、最初のHJCとなる(※商標の登録などについては未確認)。
[うんちくメモ:クラウン・ヘルメット]
Crown Helmets/クラウン・ヘルメットは、ホン・ジン・クラウン社が製造・販売した乗用ヘルメット・ブランドの名前。日本のヘルメット市場ににおいては、『洪進クラウン』名義でヤマハ発動機のワイズギアなどからライン・ナップされた過去がある(その流れが、今現在のワイズギア・アルファ・シリーズ)。
洪進クラウンのヘルメットは1990年代当時から「安さ」が真骨頂で、ヤマハ車の取り扱いがある二輪販売店では、新車を購入した顧客に対して(例え販売した車両がホンダやスズキのモデルであっても)車両購入特典として無償でクラウン・ヘルメットを提供していた時期があった。余談ながら、ホンジンのホンの字が「洪水(こうずい)」の「洪」という漢字であることから、クラウン・ヘルメットの内側に貼ってあった製品シールの表記は「こうしんクラウン」とも読まれていた。
■『ホン・ジン』から『HJC』へ
上述の米国法人発足に遅れること約半年(同年8月)、韓国本社も「ホン・ジン企業」の商号を、「ホン・ジン・クラウン(Hong Jin Crown/洪進Crown)」へと変更。この時、“
H J C”が“
H ong
J ing
Crown”の頭文字を意味するアルファベット三文字であることが示される格好となった。
その後、会社整理などを経て、あらためて発足した韓国法人が、現在の『ホン・ジンHJC』。この体制へと移行したのは、2005年のこと(現地の就職希望者向け情報サイトで創設が2005年と明示されているのは、このため)。業績は良好で、後述のMoto GPへのスポンサードなどを経て、HJCブランドは世界的に認知されていくこととなる。
なお、現在の企業名において『ホン・ジン』と『HJ』が重複していることについては、気にしない方向で(※真面目なところを言えばHJCという英字三文字はブランドの登録名称であり、略語とは別)。
[うんちくメモ:ヘルメットの分野における『クラウン』の意味]
日本において“クラウン(crown)”という言葉は“王冠”を意味する英語として広く知られているが、二輪業界、特に乗用ヘルメットのカテゴリーにおいては“クラウン・パッド(crown pad)”、つまり「頭頂部を内包する部位の内装(パッド)」を示す言葉としても用いられる。
かつてホン・ジン企業が最初に手掛けた乗用ヘルメットの仕事は「ヘルメットの内装の縫製」であり、恐らくはクラウン・パッドの製造にも関与していた可能性は十分に考えられるが、それがブランド名に“クラウン”の言葉を冠するに至る経緯となったのか否かについては、定かではない。
■ホン・ジンHJCとホン一族
ホン・ジンHJCは、その創始者であるホン・ワンギ氏のもと、ホン一族が組織運営の中核を担う。
ホン・ワンギ…名誉会長。創業者。洪家7人兄弟の長兄、長男。
ホン・スギ…会長。ホン・ジン社を世界企業HJCへと発展させた立役者。7人兄弟の次男。
ホン・ツナ…中国工場を担当。同五男。
ホン・ヒョギ…資金管理に従事。同六男。
ホン・ウルギー…故人※。元製品開発・元海外営業部課長。7人兄弟の末っ子、七男。
[うんちくメモ:故ホン・ウルギー氏]
1996年1月、カナディアン・ロッキーで行われていたスノーモービル・ヘルメットとチャッター・ボックスの製品テストにおいてスノーモービルを運転中に松の木に接触、雪原に転倒し、死亡。
開発中だった『チャッター・ボックス(chatterbox/直訳:おしゃべり(な人)』とは、「チャット(chat/おしゃべり)のためのボックス」、つまり無線による相互通話を行うためにヘルメットに装着する小型通信装置のこと。古くは小型トランシーバー、今で言うところのインターコム(インカム)、Bluetoothハンズフリー・ヘッドセット的なもの。
『スノーモービル・ヘルメット』とは、電熱線によってシールド・バイザーの曇りを抑制する機能などを持たせた「寒冷地・降雪地域向け装備のヘルメット」のこと。電気の熱による「曇り止め(アンチ・フォグ)」を行うことにより、バッテリーからの電力供給が続く限り、装着者に快適な視界を提供する。
事故後、どちらの試作品装備も、末っ子の死を無駄にせんとしたホン会長主導のもとで、商品化を実現。この時に開発されたHJCスノーモービル・ヘルメットは、同カテゴリーのシェア70%を占有する“親孝行商品”となった、と後年、語られている。
■ホン・ジンHJC社のあゆみ
以下に確かなソースのあるものを抜粋、かつ機械翻訳(から解釈)しつつ、列挙する。
=== 1970年代 ===
* 1970年
** 韓国・漢陽(ハンヤン)大学工業経営学科(後の産業工学科)に通う大韓民国青年・洪完基(ホン・ワンギ、後のHJC会長)が、学校を中退。使い捨て紙コップの特許を取得し、その製造で事業を起こすも、あえなく失敗。無一文と化す。
** ホン青年は、数台のミシンで縫製工場を新たに設立。乗用レザーパンツ(オートバイ向け革ズボン)の製造で再起を図る。
* 1971年
** 縫製工場を元に、オートバイ用衣料製造メーカー・“ホン・ジン企業”を起こす。当初はレザーパンツ、レザージャケット、マスク、グローブなどの縫製・製造を行う。このなかで、バイク運転向けのマスクが反響を呼び、間もなくオートバイ乗用ヘルメット向けの内装製造も手掛けはじめる。
* 1974年
** 経営難に陥った取引先“ソウル・ヘルメット”社の社長から、会社を買ってくれないか、と買収を打診される。若きホン社長は、それを受諾し、親戚への借金によって資金を調達、ソウル・ヘルメット社の買収を実現する。
** ヘルメット製造施設と機材を獲得したホン・ジン社は韓国オートバイ・ヘルメット市場への本格的な参入を果たし、ホン社長はヘルメット事業者へと転身する。
* 1978年
** 市場参入から僅か4年で、韓国オートバイ用ヘルメット市場のシェア1位を獲得。勢いに乗ったホン・ジン社は韓国市場の首位に甘んじることなく、米国および世界市場への進出を決意する。
** この頃に勤務していた韓国人従業員の一人が、現・韓国OGK(オージーケー)のCEOであるパク・スアン(朴秀晏※)。氏は、1977年にホン・ジンFRP工業(当時のHJCの一部)の常務を務めた後に独立、1979年に“ソンウ工業”を起こし、1981年に設立された株式会社・韓国OGK(OGK Korea)の取締役を経て、2001年に同法人代表取締役へと就任、今日に至る。
◆脱線うんちく:パク・スアン(朴秀晏)とOGKとHJC
氏の在籍する“OGK”とは言うまでもなく、日本のOGK技研株式会社、およびオートバイのヘルメットで知られるOGK Kabuto(オージーケーカブト)の“OGK”。勘の良い方は既にお察しの事と思うが、「パク(朴)」の名が示す通り、スアン氏はOGKグループの血縁者。具体的には、OGK技研(※旧称:OGK)の初代の社長である朴祥雨(日本名・木村祥雨)元代表と、その弟であった朴景雨(日本名・木村景雨)元代表の、実の甥にあたる存在。同三代目を襲名した景雨元代表のご長男にあたる朴秀元(日本名・木村秀元)元代表、および同社からの分社により誕生したOGK販売(現:OGK kabuto)の朴秀仁(日本名・木村秀仁)元代表は、それぞれ従兄弟にあたる。
この血縁関係に関しては、氏が2000年に韓国メディアへ寄稿したエッセイの中で次のように触れられている。
"(1980年代当時)日本にOGKという名前の会社は、OGK技研とOGK販売株式会社の2社がある。この2社は、在日同胞の伯父様と従兄弟の会社である"
今日の韓国OGKは、ゴーグル・サングラス・アイウェア類の製造・生産・ODM/OEM(OakleyやSPYといった一流どころのブランドに自社製品を供給している)企業として知られる存在。同社のオートバイ用ゴーグルの製造ノウハウの起源にはOGK技研が日本から提供した樹脂加工の技術が含まれており、日本のOGK Kabuto、およびグループから派生したGLEN FIELD(グレンフィールド:3万円を超える高価格帯のアイウェアを中心に据えた商品展開で知られる会社・OGKグループ木村一族の一員である木村弘道氏が代表を務める)がアイウェア類を商品展開しているのも、この縁による。
なお韓国OGKは、かのホン・ジンHJCにヘルメットのシールド・バイザーを供給していたという輝かしい実績ももつ。この契約も、氏がホン会長自らが率いていた当時のホン・ジン社に勤めていた縁によるもの。1995年、ソウル特別市・衿川区・加山洞(クムチョン区・カサンドン)のカサンドン工場の焼失という悲劇が韓国OGKを窮地に陥れた際、根気よく発注を続けて同社の資金難を支えた大手取引先のひとつが、当時のホン・ジンHJCである。
=== 1980年代 ===
* 海外進出開始。
* 現地の仲卸との取引を始めたものの、強度面および重量面の問題、および欧米人種の頭部に適応していない内部形状(※)など、国際的な安全基準を満たしていない点を理由に現地バイヤーからの評価は低く、製品は「低級品」として扱われてしまう。
※…ホン・スギ会長は当時を振り返り「韓国人向けの内部形状(緩衝材のかたち)が、前後に長い頭部形状の米国人に、合っていなかった」と語っている。
* 1982年
** ソウル特別市・江北区スユドン工場から失火、工場内の設備と製品を焼失。これを受けて、工場の移転を行う。
** 仲卸・バイヤー陣から指摘されていた技術力不足を打開すべく研究を重ねるが、進捗状況が芳しくないことに危機感を抱いたホン・ジン社は、一般に販売されている有名メーカーのヘルメットを入手し、その分解と内部形状の徹底的な調査を開始。更に、他社ヘルメットの分解だけでなく、分解状態の高品質ヘルメットを再び組み立て直すという工程を社内で何度も繰り返し、先行する大手メーカーの製造ノウハウと品質の研究を行う(※)。
※……いわゆる“ベンチマーキング/benchmarking”という手法。世界的に韓国のそれが嫌悪される理由は、いわゆる悪い意味での「パクリ」に相当する行為であるため(有名どころは、軍事技術)。ちなみに「ベンチマーキング」という言葉が一般的でなかった時代に、この手法を取り入れて商品を開発していたメーカーのひとつが創業当時のOGK販売、現・OGK Kabuto。オージーケーやHJCといった韓国系製品群の一部には「〇〇のパクり」と揶揄される商品が存在したが、現実は、おおむね、その通りだったという珍しい例。これらベンチマーキング行為の事実は、他の誰でもない両社の代表自らがインタビューで答えている。
* 1984年
** 2年の月日をかけて行った他社製品の研究により蓄積したノウハウが結実、“辛うじてながらも”アメリカ合衆国運輸省(United States Department of Transportation、通称:DOT)の認証獲得に成功し、対米輸出を開始する。
* 1987年
** 1月:アメリカ合衆国・ロスアンゼルスに米国法人・『HJC』を設立。
** 8月:韓国『ホン・ジン・クラウン(HONG JIN CROWN/洪進CROWN)』社を発足。
** DOTに次いで、SNELL(スネル)認証の獲得に成功。
** 日本市場においては、ヤマハ発動機へ乗用ヘルメットを供給。以降、韓国クラウン・ヘルメットはヤマハ発動機グループ・ワイズギア社の取り扱いの下、ヤマハ純正グッズ(※)となる。
※…ヘルメットのラインナップは、競合相手のクノー工業の製品と同居する体制となっていた。
=== 1990年代 ===
*ヤマハ発動機の純正グッズ向けの新型ヘルメットとして、ヤマハ発動機グループ・ワイズギア社よりCROWN(クラウン)ヘルメットを供給。
* 1991年
** 7月、台風19号(Typhoon Caitlin)がもたらした河川の増水により、工場裏手の堤防が決壊。施設が浸水し、甚大な損害を被る。
* 1992年
** 北米におけるオートバイ向け乗用ヘルメット市場のシェア1位の獲得を、自社発表。このニュースは、一部マスメディアを通じて日本の二輪用品店などでも報じられた。
** ちなみに、上記報道の根拠(情報参照元)は、“モーターサイクル・インダストリー・マガジン誌の1992年度(Refer to Motorcycle Industry Magazine 1992-present)の調査結果”と発表されている。発刊者を含む誌面の詳細が未だ明らかでない点については、他項に記した通り。
* 1997年
** 中国工場、設立。以降のクラウン・ヘルメットおよびHJCヘルメット製品には、既存のmade in Koreaに加え、made in Chinaがライン・ナップに加わる(後年、ベトナム工場も新設)。
* 1999年
** モジュラー・ヘルメット(フリップ・アップ・ヘルメット)の開発に着手。チン・ガードの技術における特許を韓国・アメリカ・カナダにて取得。
=== 2000年代 ===
* ヤマハ発動機の純正グッズ向けの新型ヘルメットとして、ヤマハ発動機グループ・ワイズギア社より“ZENITH(ゼニス)”シリーズを供給。
* 2000年
** 完成したモジュラー・ヘルメット“SY MAX(サイ・マックス)”の販売を開始。年間20万個を超える販売数を記録。
* 2001年
** ヘルメットの年間販売数が120万個を突破。
* 2004年
** 輸出量の増大に対応し中国工場を拡大、設備を増設。
* 2005年
** 韓国ホン・ジン・クラウン社の商号を変更、『ホン・ジンHJC』を設立。
* 2008年
** ベトナムに、現地法人を設立。
=== 2010年代 ===
* ヤマハ発動機の純正グッズ向けの新型ヘルメットとして、ヤマハ発動機グループ・ワイズギア社よりプレミアム・ヘルメット“RPHA(アルファ)”シリーズを供給。
* 2010年
** ヨーロッパ方面の法人を統合、施設買収。
* 2011年
** 輸出量の増大に対応しベトナム工場を拡大、設備を増設。
** ヘルメット卸売業者を対象とした米国アンケート調査における「最も多く扱うブランドが何なのか」の項目にて、HJCが77%を記録。ショウエイの49%を大きく上回る結果を残す(77と49を足した時点で
100を超えてしまうのだが、恐らくHJCが統計上100%を超えるミラクルなパワーを秘めているものと推測)。また、「特に最もよく売れるオフロードヘルメットブランド」を問う項目では56%を記録し、同カテゴリーの競合ブランドであるフルマー(FULMER Powersports、17%)とベガ(Vega Helmets)の8%を圧倒している(どちらもモーターサイクル・インダストリー・マガジンによる統計)。
* 2012年
** YAMAH所属のMotoGPライダーであるホルヘ・ロレンソ選手との間にヘルメット・スポンサー契約を締結(2013年~2014年の2年契約)。
* 2014年
** MotoGPライダー・ロレンソ選手とのヘルメット・スポンサー契約を更改。2年契約を締結(2015年~2016年)。
* 2015年
** 輸出量の増大に対応し、ベトナム工場の組立棟を新設・稼働開始。
** MotoGPライダー・ロレンソ選手との契約(2015年~2016年の2年間)の打ち切りを発表。
* 2016年
** ベトナム工場に金型工場を設立、稼働開始。
* 2018年
** SUZUKI所属のMotoGPライダーであるアンドレア・イアンノーネ選手とのヘルメット・スポンサー契約を締結(2018年~2019年の2年契約)。
■おまけ ホン・ジンHJCとワイズギア
ワイズギアは、ホン・ジン社が韓国工場で普及品の製造と輸出を行っていたクラウン・ヘルメットの時代からHJC製品の輸入・販売を開始し、日本市場における韓国製品の流通実現に貢献し続ける確かな実績をもつ。
1980年代のYAMAHAヘルメット・ワイズギア製品と言えばクノー工業のグッズが有名だが、と同時に、ホン・ジン社の製品も含まれる。当該クラウン製品のタグには、“ホン・ジン・クラウン(CROWN)”、“MADE IN KOREA”の印字を見ることが出来るので、印字が薄れて(消えて)いない限り、競合のクノー工業などとは確実に見分けることが出来る。
昨今のワイズギアにおけるRB(ロール・バーン)、ZENITH(ゼニス)およびRPHA(アルファ)は、おおよそホン・ジンHJC供給によるライン・ナップ構成となっている(※全商品がHJCのOEM供給品というわけではないので、念のため)。
知名度の低いマイナー製品がベースとなっていたロール・バーン・シリーズなどはともかく(失礼)、ことプレミアム・モデル“RPHA”シリーズはHJCの主力製品のロゴ(RPHA)が丸出しの状態であるため、ヘルメットに予備知識のあるライダーにとっては見た瞬間にHJCのそれがベースであることが分かる構造で、ここ数年のRPHA系ワイズギア・ヘルメットは、良くも悪くもOEM供給品っぽくない出来だった、と言うことが出来る。
ちなみに2017年~2018年に入り、ワイズギアのハイ・エンドなフルフェイス・ヘルメットには、新たにSHOEIのヘルメットが採用されている。
■おまけ(2)ホン・ジンHJCとmoto GP
今でこそロードレース世界選手権・moto GP(モト・ジーピー)のスポンサーとしても知られるHJCヘルメットだが、その参入のきっかけとなったのは、欧州ヘルメット市場のシェア争いにおける最大の強敵・欧州最大手のヘルメット・メーカーである、“NOLAN(ノーラン)”の存在があったからこそ。
当時の北米マーケット
シェア1位 → HJC
シェア2位 → NOLAN(X-Lite)
当時の欧州マーケット
苦戦が続くアジアン・ブランド → HJC
高いシェアを誇る大手ヨーロピアン・ブランド → NOLAN(X-Lite)
ノーラン・ヘルメットこそはヨーロッパにおけるヘルメット市場の、おおよそ半分を占めるという有力ブランドの最右翼。ホン・ジン社にとっては正に、「目の上のタンコブ」の存在と言えた訳だが、そこでHJC陣営が繰り出した打開策こそが、(1)巨額の契約金を費やし、当時の最有力優勝候補の一人であったホルヘ・ロレンソ選手への2013~2014シーズンへのヘルメット・スポンサードをノーラン・ヘルメットから奪取、(2)巨額の費用を投じて、世界ロードレース選手権(モトGP)へのスポンサードへと参入、というものだった。
オートバイ・レース・シーンが大きな影響力をもつ欧州方面への積極的かつ、強力な販促活動を開始したHJCの営業活動は大韓民国において偉業そのものであり、当時の韓国メディアは、次のように報じている。
『ホン・ジンHJCが、世界的モーター・スポーツのスポンサードを実現した。これは現代自動車(ヒュンダイ自動車:韓国の自動車メーカー)も、成し得なかったことである。ヨーロッパでのモトGPグランプリ(※)の人気は、想像を絶する。200ヵ国で2億を超える世帯が視聴する、ワールドカップに劣らない人気スポーツなのだ』
※GPグランプリ…原文直訳ママ。恐らく『宇宙スペース』みたいなもの。
―――
果たしてロレンソ選手は、HJCの誇るプレミアム・モデル“RPHA10 Plus”を被り2013年度のモトGPの最高峰・モトGPクラスにヤマハ・ファクトリーから参戦。年間チャンピオンの獲得こそ逃したものの、ランキング総合2位という輝かしい実績を残し、欧州市場への莫大なアピール効果をもたらした。どれほどの効果を生んだのか――当時の韓国メディアは、2013年末にフランスで開催されたパリ・モーター・ショー/Salon de la Moto 2013の様子を、次のように報じている。
『(2013年末にフランスで開催されたパリ・モーター・ショー(Salon de la Moto 2013)において)HJCブースは足の踏み場が無い!』
『(2013年度、のべ1年間だけで)RPHA10は、ヨーロッパで6万個も売れた!』
『(同上)ヨーロッパ市場の売上高の60%を占める商品と化した!』
『世界最大のオートバイ向け乗用ヘルメットの市場であるヨーロッパで、ホン・ジンHJCはシェア15%(推定)でトップ圏に躍り出た!※』
※ヨーロッパで、ホン・ジンHJCはシェア15%(推定)でトップ圏に躍り出た…報道当時。2018年現在、ヨーロッパにおけるHJCヘルメットのオートバイ・ヘルメット・シェアは、なんと20%に達している、らしい(HJCスポーツ公式アナウンスによる)。
その後、マイナートラブルが続いたHJCのヘルメットに起因するあれこれでロレンソ選手とHJCの契約は解消されるに至るが、その後もトップライダーの少なからずがHJCヘルメットとのスポンサード契約を結んでおり、世界最高峰クラスでの活躍と大きな販促効果を生み出し続けている。
■おまけ(3)サウス・コリアのヘルメット・サプライヤーズ
参考までに、大韓民国・韓国のヘルメット・メーカーと、そのブランドを抜粋。日本国内バイクメーカーから純正アクセサリーとして提案されているヘルメットの多くに、韓国企業の製品が採用されている現状は案外、知られていない。
* Hong Jin HJC(ホン・ジンHJC)
** 言わずと知れた全米シェアナンバーワンの世界的企業、HJCヘルメット。
文中でも何度か触れた通りHJCこそは、ヤマハ発動機グループ・ワイズギア/Y'S GEARが提案するヤマハ純正ヘルメットの製造・輸出供給元である(※他メーカ供給の別注品を除く)。
* KIDO SPORTS(キド・スポーツ)
** 韓国の有力企業であるキド産業(KIDO INDUSTRIAL)グループの一角。
かつて日本のスズキ二輪が純正アクセサリーとして採用したヘルメット・SCORPION EXO(スコーピオン・エクソー)は、彼らキド・スポーツの手による。
中国工場であるチンタオ・ゲオサン・スポーツ・ヘルメット・プロダクト(Qingdao Geosung Sports Helmet Product)などを擁する。
* KBC Helmets(ケービーシー・ヘルメット)
** 何げにコリアン・ヘルメットの雄とも呼べる存在、KBC。
アジア圏におけるYAMAHA純正グッズのヘルメットの、供給元のひとつ。
自社ブランド・KBCヘルメットの他、おどろおどろしいグラフィックのスパークス・ヘルメット(Sparx Helmet)を立ち上げたことで、注目を集めた過去を持つ(Sparxアイテムの一部は中国メーカーの外注品)。今から10年ほど前に立ち上げられた“KBC Ed Hardy(ケービーシー・エド・ハーディー)”ブランドは、色々な意味で伝説的。
ちなみに、KBCが手掛けてきたOEMブランドは、次の通り。
・Harley-Davidson
・Polaris(ポラリス・ヘルメット)
・Fox Racing(フォックス・レーシング)
・O'Neal(オニール)
・MSR(エムエスアール)
・Answer Racing(アンサー・レーシング)
・Thor(ソアー)
・Suzuki、Kawasaki(スズキ、カワサキのOEMヘルメット)
・Yamaha(ワイズギアのロール・バーン)
* J-Tech Corporation(ジェイ・テック・コーポレーション)
** コリアン・ヘルメットの中でもマニアック度の高さが際立つ、“ジェイ・テック”。誇り高き大韓民国を連想させる“KOREA”の”K”の頭文字を冠する”KIDOや”KBC”とは対照的に、うっかり“JAPAN”を連想してしまいそうになる”J”の頭文字を頂くところが、なかなかに紛らわしい。
自社ブランド『XPEED(エクスピード)』を展開するJ-Techだが、どちらかと言えば北米の有名ブランド・アイコン・モトスポーツ(ICON MOTOSPORTS/LeMans Corporation)が提供する『アイコン・ヘルメット(Icon Helmets)』の供給元として知られる。
シンプソンなどの老舗を凌ぐ勢いで平成~令和時代のUSA市場を席巻するIconではあるが、実際に供給されるヘルメットのパッケージやインストラクション・マニュアルにはキッチリと、「KOREA」「J-Tech」の文字列が記載されている。
■参考画像 ICON ALLIANCE GT HELMET 取扱説明書(表紙)
※左下を拡大。
日本のホンダが純正アクセサリー・ HONDA RIDING GEAR/ホンダ ライディングギアとして国内ライダーに提案したHondaオリジナルフルフェイス・ヘルメット『XP-512V』系の製造・輸出元も、このJ-Tech。製品番号「XP」は、自社ブランド“XPEED”に由来するもの。なお、このXP-512シリーズは北米FLY RACING(フライ・レーシング)より『Revolt FS(レボルト・エフエス)』として、新たに提案されていたりする。
余談ながら、大阪の二輪用品ブランド・RSタイチは、このページで記述したHJCヘルメットの日本正規代理店であると同時に、このJ-Techヘルメットの輸入販売元でもある(※ホンダXP-512V系を購入すると、RSタイチの名前が明示されている)。
■2017年8月 メモ作成
■2017年9月 推敲 文章整理
■2018年1月 改訂 文章追加
■2018年3月 画像追加
■2018年4月 投稿(下書き保存解除・全体に公開)
■2018年4月 参考リンク追加
■2018年4月 文章手直し リンク追加
■2018年10月 文章修正
■2018年12月 一部書き直し
■2019年1月 編集
■2019年2月 編集
■2019年4月 編集
■2019年5月 編集
■2020年3月 編集
■2020年5月 一部手直し
■2020年5月 「全米ナンバーワン(ソース:Motorcycle Industry Magazine)」に関し加筆 修正
■2020年9月 一部手直し
■2021年3月 編集
■2021年6月 韓国OGKに関する小ネタを追加
■2021年9月 韓国OGKに関する記述を修正・追記
■2024年2月 韓国OGKに関する記述を編集