さて自分がよく拝見している
「ALL-A」さんのサイト
こちらで西戸崎のレンガ遺構(
その1、
その2、
その3)が紹介されています。
焼却炉か?ということですが、用途不明の遺構として紹介されています。場所的にも近いこともあり、自分も調査してきました。
まずは調査写真はこちら
西戸崎のレンガ遺構その1
西戸崎のレンガ遺構その2
香椎線西戸崎駅起点方の踏切より、砂浜に足を取られつつ海岸線を歩いていくと、なぞのレンガ遺構が姿を現します。
写真-1
状況は香椎線の擁壁にくっつくように設置されており、海側には竪壁があり、線路直角方向は、段違いにころびがついた壁があります。
写真-2
中を覗くと水路のような構造となっており、レンガ壁が中間に配置されています。
写真-3
上部から眺めてみると、香椎線の擁壁とは隙間があり、桁座のような所に、コンクリートスラブが載っている状態であることがわかります。
写真-4
以上の状況をCADにて図化してみます
まずは断面図

続いて平面図

最後の正面図
3面図を作成し、自分が出した推測は、
「橋梁跡」
以下に要点をまとめます。
【推測理由】
1、レンガ側面の段違いのころびは、橋台背面に施す傾斜に似ている
写真-2、断面図を見ると分かるのですが、線路直角方向のレンガ壁に段違いのころびがあります。
2、レンガ海側にある張出しは、橋梁前後に施すウィング形状に似ている
写真-2、平面図を見ると分かるのですが、海側に設置されている突起状の壁は、盛土区間の橋梁に設置されるウィングに酷似しています。
3、海岸近くにあるため、潮の干満による洗屈が懸念される場所であるが、橋台間に突っ張りの壁がある
写真-2、平面図を見ると分かるのですが、レンガ内に設置されている壁は、洗屈防止のストラットのように見えます。
4、上部から確認できるレンガの切欠きは、他のレンガ橋台に見られる桁座、パラペット形状に似ている
写真-4、正面図を見ると分かるのですが、桁座の上にコンクリートスラブが設置されている形状にみえます。
以上の理由により、このレンガ遺構は橋梁あとではないかと思われるが、以下の疑問点が残ります。
【疑問点】
1、そもそも線路はここにあったのか?
1949年の航空写真です。

当該箇所に留置線があったかは確認できないようです・・。
検証:
つまりこの場所に線路があった場合で考えられるケースは、
①本線がここにあった
②留置線、信号所がった
①は香椎線自体が海側から移動したとは、考えにくく、もしそうであればもっと遺構があってもよいし、記録も残っていることだろう
②は現在の松林(写真ー1の西戸崎モータース横付近)が盛土跡のようにも見えるので、全否定はし難い
2、上部工(コンクリートスラブ)のなぞ?
検証:
上部工のコンクリートスラブであるが、香椎線(博多湾鉄道)の開業が1904年(明治37年)であることから、開業当時にこの橋梁があった場合は、Iビームなどの鋼桁が掛かっていたと推測される。その後、現在のコンクリートスラブに架け替えたと思われるが、ここに疑問が生じる。
1949年の航空写真にこの想定線路が写っていないことから、この時点で廃線敷になっていたと思われる。また鉄道橋でコンクリート橋が使われだしたのは、大正期(1920年)頃なので、1920~1949年の間に、このような支間の長くない橋梁にわざわざコンクリートスラブをかけるか疑問である。となると、ごみ焼却炉として利用していたと言う話があるが、焼却炉として利用するためにわざわざコンクリートスラブを設置するか?という疑問が生じる。
結論
自分の仮説では、2、上部工(コンクリートスラブ)が一番ネックになります。
断定できませんが、可能性として「橋梁跡」だったのではと思います。
久々にまじめに書いたので疲れました(笑
Posted at 2008/08/01 01:05:45 | |
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