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Blue Fieldのブログ一覧

2012年06月17日 イイね!

宮田線跡

子供がコーヒーにミルクと氷を入れれば、
「チャイルドが~、マイルドで~コールドなコーヒーを飲むぜぇ」になるなと密かに妄想しているオールドなblueです。

残念ながら家の洗剤は「ボールド」じゃないんだな(笑)


さて、昨夜テレQで「ノスタルジック鉄道紀行 にっぽん廃線歩き旅」がありました。
テレ東の2週間遅れなんですね・・(汗

高千穂鉄道懐かしかったです。
廃線後は行っていないけど、そろそろまた足を運んでみようかな・・・。

ということで、久々に廃線ネタです。近場の宮田線。(撮影は2年間なのだ・・汗)

筑前宮田駅跡です。ホームが残っています。


ホームの端部に行くと、ここが駅だった雰囲気が増します。


かつての踏切跡と近くに残るレール構造物跡



磯光駅方面に向かうと築堤が当時の面影を残しております。
そして、線路上には一部まくらぎも残っております。



近くの橋梁。地盤沈下により桁座のかさ上げが、数m施されております。
以前飯塚の図書館で見た文献では、「一晩で4~5m陥没した例もあった産炭地域の線路・・・」とありましたが、まさにその例の一つと言えるでしょう。


そして筑豊本線沿いにたどり着くと、宮田線最大級の遺構。上路プレートガーダー橋です。


筑豊線乗車時でも確認できる遺構です。


そして勝田駅方面に向かうと踏切跡を残し、


勝田駅に到着。



以上、久々に廃線探訪したくなったblueでした。


おまけ
雨がやみませんね・・・。早く上がって欲しい。

Posted at 2012/06/17 01:49:33 | コメント(1) | トラックバック(0) | 鉄道 | 日記
2012年06月16日 イイね!

諫早の石橋とレンガ建造物

気になって調べてみた。
道真公が太宰府に左遷された時の位は「従二位・右大臣」
正一位、従一位、正二位の次なので、上から4位になります。。。。。
そして、さしこも4位。
時代は繰り返されるのか??どうも、歴史大好きblueです。

たぶん来年の総選挙で涙の復活ってことになるんじゃないとかいな?
まぁこれでTNC「Cube」でのHKTのお天気コーナーは最低改善されるのでは?と期待しております。


さて、前回に引き続き長崎県です。
諫早駅に来ています。
小浜温泉、島原温泉、雲仙温泉と島原半島の玄関口でもあります。


当然島原鉄道のホームもあります。


ホーム上屋はレール造りと木造のコラボという、これまたたまらない造り。


さて、まずは説明不要の石橋へ行きましょう。


昭和32年の大水害でも、流されず残った石橋。
その後、石橋で初めて国の重要文化財に指定されて、昭和36年9月に移設されました。


1839年架設なので、今から170年以上前の架設です。
5世代以上前の先人もこの太鼓を渡ったのでしょう。


そして同じ園内にはくじら橋という地味ですが、1856年架設の古い桁橋があります。



そして、公園内から川を挟んだ対岸にはさらに古い桁橋があります。
慶巌寺参道橋です。架設は1803年ですので、200年以上前の桁橋です。


一部補強はされております、しっかり現役の橋です。





で、仕事で諫早市役所にも行ったのですが、以前の庁舎付近。
なんか中途半端に以前の庁舎の玄関を残す模様でした・・・。いまいちな、記念碑になるぞ・・。
この時、市の駐車場の横の石橋を見るのを失念してしまったのは痛かったけど・・・。


で、なんかだ同じ具合に中途半端に残されてしまった感があるのが、旧長崎刑務所正門


明治の五大監獄の一つ。長崎刑務所。
結局残ったのは正門のみです。重要文化財になってもおかしくない建造物でしたが、刑務所という負の遺産が住宅地の中に残るのも違和感がありますし、仕方なかったのでしょう。



1908年(明治41年)年に建設され、100年後の今。
正門を残し、住宅地へと変遷していく長崎刑務所跡。



あと伊木力近くで見た墓地内にあるレンガ建造物。どことなく長崎刑務所の意匠に似ているような。。気のせいかな??




おまけ
雨が続きますな。。
カラオケレパートリー中の数少ないミスチルの中の1曲


Posted at 2012/06/16 23:52:56 | コメント(3) | トラックバック(0) | 建造物 | 日記
2012年06月13日 イイね!

長崎臨港線跡と構内の廃線敷

同窓会の案内状を作っていたら、こんな時間になったblueです。

朝、起きれるのか??(汗


さて、長崎に来ています。


キハ200のハウステンボスカラーが可愛らしいです♪


ホームはよく見ればレール造りの上屋に~


頬杖式の木造上屋も


さて、中華街に行けば、石積みの橋脚発見。新地橋です。


古くは木橋。明治の初期は石積みアーチ。その後、プレートガーダー橋→コンクリート橋と変遷しております。


コンクリート橋の架設が明治末期とありますが、この時の石積み橋脚を使用し、当時の景観を今に残しているのでしょう。



さてタイトルの臨港線です。


長崎駅から、出島岸壁付近の長崎港)駅まであった臨港線。動輪と記念碑が設置されています。



日華連絡船まで特急が走っていたというのだから、今となっては面白い話です。



で、おっちーさんも指摘していたけど、橋台が片方単線仕様で、もう片方は複線仕様なのはなんでや??


で、最後に長崎駅から浦上方面へ歩いてみると、こんなものがある。


もしかして、この土地は廃線敷か??


勘は的中。河川内に橋脚が残っていました。レンガ積となるとなかなか古い線の跡です。


長崎駅が1905年(明治38年)に九州鉄道の駅として開業していますので、明治・大正期の橋脚跡かもしれませんね。


よくよく考えれば「我が国鉄道発祥の地跡」でもある長崎。
もう少し遺構探索してみたいもんです。。


長崎の汽車運行は1865年。品川~横浜開通は1872年


おまけ
同窓会と言えばこの曲
Posted at 2012/06/13 02:56:00 | コメント(3) | トラックバック(0) | 鉄道 | 日記
2012年06月08日 イイね!

筑後草野と小郡の建物探訪

久々に帰宅時間が翌日になったblueです♪

で、せっかくなんでTVでも見ようとテレビ欄を見たけど、見たい番組がない。。
よくTVが売れない時代と言われますけど、原因はソフトにあるのかも??と勝手に想像。。


さて筑後草野に来ております。
まずは草野と言えば草野歴史資料館こと旧草野銀行本店



明治44年に建てられた木造平屋建の銀行建築


他の銀行建築と同様に細かい所の意匠にこだわりが感じられます。


門扉と鉄柵の意匠にも目を奪われます




そしてお次は山辺道文化館こと旧中野病院です。


大正3年建築の病院建築です。
二階堂のCMロケ地でも有名建物です。



建物の裏手の勝手口にも大正時代の香りを感じます。




で、筑後草野から帰宅しようと小郡周辺を通過していたら、何か気になる建物発見!!
旧小郡村役場


現在は井手運送有限会社の社屋になっていますが、元は昭和9年に建立の「小郡村役場」とのこと。



設計は地元の浮羽工業というのだから驚きです。


それでも細かい意匠もあったりとなかなか面白い建物です。



以上、筑後草野と小郡の建物探訪でした。


おまけ

AKBの総選挙ありましたけどすごいですね・・。
ちなみに、私が初めて買ったアイドル?系の方のCDはこちら・・

Posted at 2012/06/08 01:49:13 | コメント(2) | トラックバック(0) | 建造物 | 日記
2012年06月04日 イイね!

惚れた娘に捧げた隧道~寶満宮参拝隧道~

昨日は家族で芦屋のとと市場で海鮮をいただきに行きました。帰りに潮だまりでマリオを遊ばせてやろうと浜木綿の有名な海岸の駐車場に行くと、「珪化木あったね。石炭もあったかな?」との会話が。
「化石やな」と思い、お話を聞いてみると、やはりこの周辺は化石が採れるとのこと。
話をしていると、親切にも化石をいただきました。



今度久々に採取してみようかな~。
どうも学生時代は熊本の御船で採掘したこともあるblueです。

さて、先日家族で遊園地に行きました。


目立つ遊具はありませんが、4~5歳の子がいる家庭にはアットホームでよい遊園地です。



こんな廃墟チックな遊具もあったりする(笑)


で、当然太宰府天満宮の敷地内も散歩です。


石橋を愛でましょう~


境内を歩くと建築物に目を奪われがちですが、精霊が宿っているかのような木々にも目が惹かれます


木霊が写っていませんか??


そして境内を竈門神社方面に歩を進めるとあるのが、「お石茶屋」


明治生まれの江崎イシ。筑前の三大美人と言われた女性が勤めていた茶屋


その美貌に皇族、歌人、詩人、政治家がたびたび訪れた。
後の総理大臣佐藤栄作も二日市駅長時代に大臣時代と通ったそうな。



歌人吉井勇の歌碑もあります。


その茶屋から宝満山方面に向かうと、そこには山裾があり。
竈門神社の近くにある自宅があるお石さんは、山裾を遠回りをしてお店まで通っていたそうな。


しかし、昭和3年(1928年)に筑豊の男がとんでもないものを作った。
「寶満宮参拝隧道」


銘鈑と「昭和三年十一月 寄進 麻生太吉」の文字



筑豊の炭鉱王 麻生太吉が遠回りするお石さんを不憫に思い、なんとトンネルをつくったそうな


表向きは太宰府天満宮から竈門神社への「参拝隧道」
でも、ほんとは惚れた太吉がお石さんへ捧げた「お石のトンネル」


どちらがほんとか分かりませんが、昭和初期のなんとも言えない伝説的な隧道。
実際、太宰府天満宮の境内にある唯一の「私有地」として、麻生家がこの隧道を財産として所有しているもの驚きです。。



以上、そんな伝説の香りすらする太宰府からお届けしました。




おまけ
早く夏が来ないかな~


Posted at 2012/06/04 23:02:35 | コメント(3) | トラックバック(0) | 建造物 | 日記

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