
23 下野大橋 しものおおはし 363.0m
訪問日 令和4年(2022)2月26日
完成 昭和61年(1986)5月

那須烏山市の野球グラウンド近くにある、地元の方々の生活の橋という雰囲気が漂ってくる橋です。

橋の近くで、川の流れが大きな弧を描いていて、河川敷も広かったです。

通りがかった地元の方に、令和元年(2019)の那珂川氾濫についてお話を伺うと、この辺りは水に浸かってしまい、警察署の下まで水がきた、氾濫以降は鮎が獲れなくなったとおっしゃていました。今までも、中川が氾濫後は20年程は漁獲量が減ったから、今回も戻るまでには同じ位の年月がかかるだろうとのことです。

その後、いつもの橋を背景にしたバイクの写真を撮ろうと河原まで降りました。

河原は、予想以上に柔らかい砂でいっぱいでした。
マズイと思った時には、前後輪とも砂に5分の1程埋まってしまいました。

この写真、スタンドを使わなくても自立しているZZRです。分かりやすいように、別のアングルから撮っておけばよかったです。
JAFに救援要請の電話をかけると、到着まで1時間位かかるとのこと。待っている間に周りを見ると、ちょうど良い大きさの木の板がありました。前後輪のタイヤの後ろ側を掘ると、硬い砂になっていることを発見。少しずつ掘ってバックさせること数回、無事に脱出完了です。すぐにJAFの担当のドライバーさんに電話をして丁重にお断りました。
大型バイクで無理は禁物であることを実感しました。
24 烏山大橋 からすやまおおはし 532.0m
訪問日 令和4年(2022)2月26日
完成 平成12年(2000)3月

まるで、1桁国道に架けられているような、美しく豪華な橋で遠くからでも存在感を表している橋です。それだけ、この場所が古くからの交通の要所であったことが伺えます。

ここでも、地元の方から声をかけていただき橋にまつわる話を伺うことができました。この橋が架けられる前には「宮境橋」がすぐ上流に架けられていたとのことでした。後日調べてから、再訪した時の写真は次の通りです。
・ 宮境橋(跡) みやさかいばし
訪問日 令和4年(2022)6月19日
完成 昭和24年(1949)
解体 平成12年(2000)

烏山大橋手前の交差点の線形が、宮境橋につながる道の面影を残しています。進んでみると車両進入禁止になっていました。

CBを停めて少しだけ歩くと、橋の袂が見えてきました。

対岸にも、袂の跡を見ることができます。
対岸に移動すると、袂に記念碑がありました。大切にされていた橋だったことが伝わってきます。

奥には、先ほどまでいた対岸の袂が見えます。

河川名の青い看板に「建設省」、懐かしさを感じます。
25 境橋 さかいはし 112.7m
訪問日 令和4年(2022)6月19日
完成 昭和12年(1937)

歩道がない狭い橋ですが、なんとも美しい橋です。

この写真だけは、後日再訪して、河原まで下りて撮影した写真です。ZZRでは怖くて下りられませんでした。それにしても美しい。

書体がいい味出していると思います。

さか「ひ」です。昭和12年ですから。

橋には、4ヶ所のバルコニーまで設けられています。

文化遺産の認定を受けていることも納得です。

橋の袂には、説明板もありました。
・この橋は3代目の橋で、昭和12年に、当時の橋の設計第一人者によって作られた。
・初代の橋は明治30年(1897)に架けられた、船を並べて板を置いた舟橋だった。
・2代目の橋は大正9年(1920)に架けられた、トラス型の木橋だった。
この橋を設計した方は、隅田川橋梁群の設計者だということで、なるほどと、美しさに納得です。
次回は「興野大橋」「興野橋(跡)」「富谷橋」「大松橋」「八溝大橋」です。
Posted at 2022/10/02 23:15:30 | |
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