
26 興野大橋 きょうのおおはし 387.3m
訪問日 令和4年(2022)2月26日
完成 平成5年(1993)5月18日

ガッチリと太い連続する赤いトラスが印象に残る、十分な幅を持つ現代的な印象を抱く橋です。

袂には、那須烏山市らしく烏のモニュメントが飾られています。また、袂には記念碑も建てられていました。

地元の図書館で歴史を調べたところ
①大正13年に私財を投じてこの近くに舟橋が架けられた②町村合併後も、町が板橋に多額の費用を投じてきた③昭和40年代半ば頃から永久橋建設の運動が起こった
ということが分かりました。

その結果、昭和61年から用地買収が始まり、昭和63年に着工、平成4年度の工事で完成したそうです。費用は18億9千万円。
旧橋である興野橋については、次項で記します。

橋上から上流方向を見ると、雪が残る那須連峰の山々が見えました。
・興野橋(跡) きょうのはし 133.0m
訪問日 令和4年(2022)9月11日

板橋の興野橋の袂跡です。この橋は、もぐり橋で大型車は通行できない幅員2.1mの小さな橋だったようです。地元の図書館には写真もありましたが、高校生が通学自転車で気持ちよさそうに渡っている写真でした。

現在の興野大橋が遠くに見えます。下流側500m程の位置にあったようです。

橋につながる道路の線形は残っていました。

西側の袂であったろう場所では、痕跡を見つけることができませんでした。しかし、橋を渡ってきて、この道をまっすぐに進めば旧烏山町内の市街地に繋がっているので、橋を渡ってきた高校生は、このまま街に向かったのでしょうね。
27 富谷橋 とみやばし 300.0m
訪問日 令和4年(2022)3月5日
完成 昭和53年(1978)7月

富山地区と谷浅見地区とを結ぶ橋で、両地区の一文字を用いた橋の名前となっています。

袂には、橋の完成を記念した石碑がありました。

記されている内容によると、昭和50年4月に着工し、昭和53年7月に完成したということです。

センターラインや、目立つ看板もありませんが、撮影中も沢山の車が行き来していました。地元の方々に必要とされている感が強かったです。

橋の上から上流方向を見ると、すぐ近くに、次の橋である大松橋が見えました。
28 大松橋 だいまつばし 309.5m
訪問日 令和4年(2022)3月5日
完成 昭和50年(1975)4月

この橋も大桶地区と松野地区とを結ぶ橋であることから大松橋となっています。富谷橋と異なり、センターラインも引かれていますが、同じく地元の方々のために架けられた橋という印象があります。

松野側の袂下には、歩行者用のトンネルがあり、那珂川の堤防沿いにウォーキングコースが整備されています。富谷橋から若鮎大橋までの約8kmのコースを楽しめるのは羨ましいと思いました。

橋上から下流川を見ると、先程までいた富谷橋を見ることができました。
29 八溝大橋 やみぞおおはし 383.0m
訪問日 令和4年(2022)3月5日
完成 昭和60年(1985)3月

八溝グリーンラインに架けられている橋です。

片方ながら歩道も完備されており、車道の幅も十分に広い橋です。

烏山側の袂には、運動公園が整備されています。

さらに、個人で集めた鉄道車両を整備・公開している資料館もあります。鉄道好きでもある自分にとっては、いつか訪問したいと考えています。

橋上から下流方向を見ると、またまた先程までいた橋「大松橋」が見えました。この辺りは、橋と橋との間隔が短いと思いました。多くが昭和50〜60年代に架けられています。
次回は「若鮎大橋」「新那珂橋(跡)」「水遊園大橋」「湯殿大橋」です。
Posted at 2022/10/09 00:22:59 | |
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