
高校2年に千葉県に引越すまでは、東京生まれ東京文京区千駄木育ち、自宅からでて大きな道一本挟んだ反対側にあった蕎麦屋が大好きだった。
店の名前は「角萬」で小学校くらいまでは味は普通だったが、中学生になったころになると、蕎麦もうどんも丼ものも全部劇的にかわりうまくなった。それ以来毎週土曜日午後か、日曜日は必ず食べていた。
走れば10秒掛からない距離なのに、実際お店に行くのは年末の年越しそば食べに行くときだけで、あとは出前でした。
1つは母親は当時働いていたから食べに行く時間がなかなかとれなかったことと、自分一人で食べるのは避けたかったこと。
食べながら学校や部活であったことを話す機会がつくれることとか。
しかし年一回年越し蕎麦食べにお店にいけば、いつも自転車で配達してくれるおじさんが勢いよく声掛けしてくれたし、落語家数名と和装姿のなぎら健壱が毎年お酒を飲み天ぷらやかまぼこをツマミに、最後はお蕎麦たべる姿は恒例でしたし、この人うまい場所知ってる人だと思いました。
そのほかにも20秒も走れば別の蕎麦屋がありましたが、好みが合わず数回しかいきませんでした。
300mくらい先には産まれたときからお世話になった中華料理店があり、そこは懐かしい日本の中華が楽しめたお店で、珍しいのはソース焼きそばの具材にキュウリの短冊切りが軽く炒めてはいってました。後にも先にも焼きそばの具材にモヤシやピーマンに人参や豚肉以外にキュウリが入っていたのはここだけです。
自宅前には焼肉店があり、カーテン開けるとお店の様子がよくわかり、冬でも素足にサンダルで空いてれば母親と出向いていきました。
さてそんな懐かしい場所にも最近はめっきりご無沙汰ですが、実際には後継者不足もあり閉店ばかりです。
あの角萬の蕎麦屋左は現在マンションになってしまいましたが、昔は小さな商店の集まり(動坂ストアー)があり、道路側に津久井肉店があってそこの手作りチャーシューが美味かった。
奥の魚屋ではスプーン使ってあばらの間に詰まったマグロの中落ちをかき集めてその場で売ってた。
魚屋の横は餃子屋でよく店先で焼いてたな。
ドラえもんがいたら戻りたい時代です。
写真はネットで見つけた当時の角萬蕎麦店、懐かしい。
Posted at 2022/07/07 17:21:37 | |
トラックバック(0) | 日記