
2011年3月11日 14時46分
あのとき自分は会社の18階にいた。
いままであまりきいたことないビルの柱の歪み音と、普段見ている窓から見えるはずのないビルが窓から見える、つまりそれだけ揺れている。
ビルの非常警戒は鳴り叫び、各自のスマホからはけたたましい緊急地震速報の音が長い時間鳴り響いていた。
ビルの窓から首相官邸が、そして国会議事堂や議員宿舎が見えるが首相官邸は機動隊車輌のバスが何台も横付けされ、何日にも渡って官邸屋上からは何回かヘリが離着陸していた。
隣の部屋からはテレビの地震速報が会社中のケーブルテレビから流されており、生中継で津波が襲ってくるありさまはリアルに凄かった。
またビルのエレベーターは使えないので、非常階段っ上げたり下がったりと大変な混雑。
自分等より上の階にあるテナントの人等は堪らないだろうな。
他の会社の友達はちょうど仕事で仙台空港にいて、滑走路に波が来るらしいと聞いて、一目散に逃げて日本海経由で数日かけて帰ってきたとか。
自分も会社支給のヘルメットを持ちながら途中夕食食べて歩いて約5時間半後に家路につきました。普段歩いてる距離の倍以上でかなりつかれました。
あいにく携帯のauは地震発生後電話は使えませんでしたが、PHSのwillcomはつかえたので家族とは安否確認できました。
まあ大変な一日だった記憶ばかりです。
亡くなられた方々、その関係者、またその後津波による核発電所の爆発事故の対応と今も復旧に勤しむ方々には頭が下がります。
特に亡くなられた方々には謹んでお悔やみ申し上げます。
Posted at 2025/03/11 18:07:44 | |
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