名教館(佐川町)
佐川領主深尾氏の家塾から郷校となった名教館
2022年10月23日
名教館(めいこうかん)は、土佐藩主山内氏の筆頭家老である深尾氏の家塾として創設された名教館は、時代を経て郷校へと拡張され、深尾家家臣すべての教育の場として発展します。
安永元(1772年)年六代領主深尾茂澄が家塾「名教館」を創設し、後に享和2(1802)年七代繁寛がこれを拡充して郷校としました。
学簡の系統としては、徂徠学派と闇斎学派の流れがあり、のちに佐川で尊王攘夷勢力が盛んとなる遠因にもなりました。
今残る名教館玄関部分は、天保元(1830)年建設時のもようを伝えています。
幕末から明治にかけて多くの人材を輩出した「文教のまち」佐川の源泉こそ名教館といえます。
明治維新をむかえ、領主・深尾氏による統治が終わると、明治2(1869)年、郷校・名教館は土佐藩に献上され閉校となりますが、すぐ
に藩校・致道館の支校(分校)とされたため、学校自体の廃校は免れ、支校・名教館として存続することができました。
しかし、明治5(1872)年の廃藩置県により土佐落が消滅すると、藩校自体が廃されたため、再び廃校の危機にみまわれます。
この時は、廃校を悼む佐川の有志たちにより維持されることとなり、義校・名教館(名教義塾)として存続し、学の門を庶民にまで広げました。「日本植物学の父」と称されている植物学者・牧野富太郎(商家の生まれ)は、この義校・名教館で学んでいます。
この後、新政府による学制施行により、明治7(1874)年、佐川にも小学校が創設され、100年を越す歴史をもつ名教館が幕を閉じ、新しい制度で進営される佐川尋常小学校が誕生しました。
名教館の玄関部分は明治20(1887)年に佐川尋常小学校(現佐川小学校)に移築され、平成25(2013)年に上町地区に再移築され、平成26(2014)年オープンしました。
営業時間 9:00~17:00
定休日 月曜日(祝日の場合翌日)
Photo Canon EOS 5D MarkⅣ
R4.9.24
住所: 高知県高岡郡佐川町甲1510
関連リンク
タグ
関連コンテンツ( 歴史的建造物 の関連コンテンツ )
地図
関連情報