私は、というと制服姿の高校生に囲まれながら最前部の運転席の後ろに立ち、前面眺望を見ながら過ごすことに。
海田市駅を発車すると、山陽線からすぐに単線の呉線に別れていきます。
しばらくは住宅地の続く中を単線の線路が伸び、矢野駅から先は海沿いに大規模工場、倉庫が建ち並ぶ地帯を走ります。
坂駅を出るとほぼ海沿いに。道路(R31)を挟んで瀬戸内の穏やかな海原が姿を見せます。
呉ポートピア駅を通過。
ここには、テーマパーク「呉ポートピアランド」がありました。今は跡地にその時のいくつかの施設が残り、市民公園として整備されています。
街路樹などはソテツやヤシの木でしょうか、温暖で開放的な地中海風の雰囲気は残っています。
実は、この「呉ポートピアランド」、開園直後の今から30年以上前、妻と一度訪れたことがあります。バルセロナオリンピックが開かれた頃で、スペインの保養地「コスタ・デル・ソル」をイメージした園内はまさにスペイン南部の温暖な雰囲気に満ち溢れていて、スペインの旅を一時味わうことができたことが、今でも印象に残っています。
走行中の車内からなので目を凝らして注視していましたが、穏やかな晴天のもと、設備も結構残されていて、その時のイメージと今回の雰囲気がそこまで大きく変わっていないことが確認できました。
吉浦駅付近では沿線の建物の間に瀬戸内海を見ることができます。このあたりは向こうに江田島や、音戸の瀬戸で接している倉橋島も所々、目にすることもできました。
満員電車ですので写真が撮れなかったことが残念…

13時少し前、呉駅に到着。
呉の街は、今から13年前に歩いて以来2回目。
この時は主に「大和ミュージアム」「てつのくじら館」を巡り、その様子を街歩きブログに記録しているのですが、掲載した写真が昔使っていたアップローダーからで、今はもう無くなっているため写真が参照できません。したがって、申し訳ございませんがリンクはあえて紹介しません。(ユーザー内検索ですぐにでてきます)
もう少し時間ができたら、昔の写真を掘り起こして再編集しようとは考えていますので、もしよろしければそれまでお待ちくださいませ…
「呉」の語源は諸説あるそうですが、その中の一つ「九嶺(9つの嶺)」から来ている、という説が、勝手ながら個人的にいちばん気に入っています。
確かに、海側部分を除いて周りはすべて山に囲まれていて陸地方向はどこを見ても標高数百mの山々が見えます。

駅でいつものように市街地のガイドをいただき、久しぶりの呉の街に飛び出します。
東に進み、市内を流れる堺川に沿って走る蔵本通り沿いを歩きます。片側2車線の大通りに緑豊かな幅の広い歩道が続きます。それぞれエリアごとに「出会いの広場」「水の広場」「集いの広場」と名付けられているように、歩道ではなく都市公園になっています。
ちなみに、福岡の中州と同じような感じで、夜にはこのあたりに名物の屋台も並ぶそう
その堺川にいくつも橋が架かっていますが、その橋の一つを渡って北上。
昼食がまだですので、まずは食事処を探します。それまでは、通常のガイドのほかに、呉のグルメ「海自カレー」のガイドブックも握りしめて歩くことに。

アーケード商店街「れんが通り」へ。
ガイドで目星をつけていたお店へ。

「海自カレー」
海軍の食事で思い浮かぶのは「カレー」でしょう。
横須賀、舞鶴、そしてこちらの呉など、古くから「軍港」のあった街はどこもカレーが名物です。
海上自衛隊では、毎週金曜日の食事メニューはカレーライスと決まっている、と聞きます。今日はまさに金曜日、ということで、それに倣って昼食は呉でカレーと決めていました。
銀のお皿にカレーというのはやはり定番ですね。そこまで辛くない、しかし深い味わいのカレーはどんどんとスプーンが進み、あっという間に完食です。
食事後は再び街歩きへ。微かに、しかし気のせいではなく確実に、潮の香りがしてきます。海がまだ見えない市街地ですので不思議な感覚ですが、港からの風が運んでくるのでしょうか。

堺川のたもとにある戦艦「大和」の主錨。

交通量の多いR31と呉線の鉄橋が交わる「めがね橋」交差点
古くから「めがね橋」と呼ばれていますが、本当のめがね橋は明治時代にできていたものの、戦前ですでに埋め立てられていたそう。
この先に旧鎮守府をはじめとする軍事施設があり、このあたりが、市街地と軍事拠点の境界だったそうです。

「美術館通り」。その名の通りこの先に呉市立美術館があります。左手の建物は「旧海軍下士官集会所」。旧海軍、そして海上自衛隊の厚生施設だった建物。

落ち葉を踏みしめながら歩きます。 このあたりはすでに海上自衛隊のエリア。左手が入船山公園になります。そして、この先にあるのが、明治時代に建てられた旧呉鎮守府(現在は海上自衛隊呉地方総監部第一庁舎)。赤レンガ造りの荘厳な建造物ですが、あいにくとこの日は公開日ではありません。
通りからも見ることはできず、そのまま入船公園の周りをぐるりと回るように歩いて、入船山記念館へ(トップ写真)
呉鎮守府の長官官舎がある場所に、資料館のほか、市内の歴史のある建造物が移築されてきています。

東郷平八郎が、呉在任時に暮らしていた邸宅の離れも移築復元されています

静かな緑の中に点在する建物群の中に一歩足を踏み入れると、一気に時間が巻き戻されるよう。トップ写真右手の「旧呉海軍工廠塔の時計」も、今から100年以上前の時を刻んでいるかのようです。

入場券売り場のある郷土館、まずはこちらの展示で呉の歴史を学びます。周囲の雰囲気に溶け込んだ建物で、最初はこちらも古い建築かと思っていましたが、ガイドブックによると戦後の建築だそうです。

旧呉鎮守府司令長官官舎。こちらは明治時代の建築。洋館と和館がつながっている構造です。

こちらは和館
その奥にある「近代文書館」では、企画展が行われていました。
現在の企画は「呉の進水式」。
呉海軍工廠で完成した艦船を中心とした進水式の様子が、写真や資料などから知ることができます。
なかなか普段は考えたことのない「進水式」。船首からスロープを滑らせて浮かべる方法が普通と思っていたのですが、他にも様々な方法があるのですね。船を繋いでいる綱を切断する斧が展示されていたり、と、色んな学びが勉強になります。

「近代文書館」からは呉の街並みが良く見えました。街内を囲うように「九嶺」の中のひとつの嶺も。

「旧高鳥砲台火薬庫」の建物内。
以前も訪れましたが、別世界にいざなってくれる「入船山記念館」、静かな歴史散策を楽しむことができました。

美術館通りから市街地へ戻ります。

呉市と言えば、の大和ミュージアムは現在、改装のため長期休館中。こちらのサテライト施設で、一部の展示を見学することができます。
呉駅に戻ってきました。
ここからは再び呉線を東へと辿ります。
お土産を買い求めて、広行きの列車に。2駅先の広駅で三原行きの列車に乗り換えます。
広駅での接続時間は30分ほど。さきの呉駅で、もう1本後の列車に乗っても間に合いますが、お土産をゆっくり買っていても、先の列車の発車時刻に十分間に合いました。
広駅のホームで待つこと15分ほどで、三原方面からの列車が到着、そのまま折り返します。
車内で待っていると発車3分前に後の列車が到着。こちらからは多くの乗客がそのまま乗り込んできて、車内はほぼ満席になりました。
呉線の愛称は「瀬戸内さざなみ線」。その名の通り、瀬戸内の穏やかな海のすぐ傍を走る箇所も多くあります。海側のBOX席から、さざなみの海を照らす傾きかけの陽を眺めながら過ごすことができました。
車内も駅に着くたびに1人降り2人降り、いつの間にか空席も目立つようになりました。
空席のシートを、陽の光がぼんやりと照らしています。昨日まで続いた日常の慌ただしさがすーっ、と消えていくよう・・・

風早駅で、福山~呉~広島間を走る観光列車「etSETOra」とすれ違い窓越しに、ラウンジのような車内でくつろぐ乗客と目が合います。
竹原駅から、再び多くの乗客が乗り込んできました。
その多くを占める通学帰りの中高生で、再び車内は賑やかになります。
忠海駅から先は、沿線でも最も海に近い区間を走ります。まるで海をそのまま渡っているかのよう・・・まあ、日常モードの学生さんで一杯の中では写真に残すことはできませんでしたが・・・

17時少し前、三原駅に到着。降り立った乗客でホームが一瞬埋まります。
山陽線上り列車に乗り換えて終点の糸崎まで。
糸崎で乗り継ぎます。乗り継ぎ列車が来るまでの間、糸崎駅ホームは乗客で一杯に。
行きの、静かな糸崎駅と同じ駅とは思えないくらい。
そして、あの時はポカポカと暖かったのですが、こちらも対照的に、日が暮れて空気に冷たさを感じます。
乗り継いだ岡山方面行列車も満員。

夕暮れ時の瀬戸内海をじっくりと眺め、福山駅で新幹線に乗り換えることに。
福山駅は通勤通学帰りの乗客で大にぎわい。新幹線の特急券売り場も長蛇の列ができていました。
私もここで少し並んで特急券を買い求め、いよいよ帰路へ。
その前に夕飯で駅前へ。

以前、訪れて美味しかった鉄板焼きのお店を再訪。
今回も広島焼の豚玉です。優しい味のオタフクソースと、カリッの部分とモチッの部分が混在するそば、フワッとした野菜や生地、そして豚肉の旨味と甘みが絶妙です。
少しのんびりしていたので最初予定していた新幹線には乗れず、後にやってくる「のぞみ」を待ちます。

駅のホームからは、夜に浮かぶ福山城がくっきりと見えました。
自由席は混雑。何とか空席を見つけ、離籍の方に声をかけて腰を下ろします。