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2025年08月11日 イイね!

【2025年夏 遠征記その2】弘前散歩(洋風建築めぐり)

【2025年夏 遠征記その2】弘前散歩(洋風建築めぐり)その1 からの続きです。

弘前公園を辞し、ここからは弘前のまた違った魅力を見て歩きます。

弘前公園周辺には、旧城下町の面影を残す武家屋敷などもあるのですが、体力的と時間的な関係から、今回は「洋風建築巡り」にテーマを絞ります。

弘前市は、日本で最初に市制が施行(1889年)された街の一つ。
江戸時代は城下町として、そして明治時代は陸軍の第八師団が置かれ、更には旧制弘前高校(現在の弘前大学)などの様々な学校も設立され、軍事・文教面で県の中心となってきた弘前の街。

大きな災害や、第2次大戦時の都市空襲も無かったことで、この時に建てられた建築物が多く残り、現在に至っています。

近代洋風建築好きな私にとって非常に興味深い街であることは確か。
今回の目的にこの地を選んだ理由はこれもあります。

ということで、まず最初に訪れたのは
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第八師団長官舎。大正時代の建築。
現在はご覧の通り、スタバの店舗となっています。

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旧弘前市図書館

対称的な2つの赤いドーム屋根が特徴の、3階建ての堂々たる建物です。
入場できますので中へ。

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婦人閲覧室

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館長室
落ち着いて執務ができそうです。

統一された白熱色の照明、歩くとギシッと鳴る床の板張り、どことなくゆったりとした空気感が洋風建築の良いところです!


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隣接するのが、旧東奥義塾外人教師館。明治時代の建築

弘前には東北地方初めての私立学校「東奥義塾」も設立され、外国人の講師を招いて先進的な教育がおこなわれてきました。その講師宿舎で、内部は一部がカフェとして営業しており、そのほかの部屋は自由に見学可能です。

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絨毯の床と壁面の色調が良い具合に統一されています。シャンデリアも落ち着いた色調の明かりで室内を照らしています。

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ブランコと小さい椅子。子供部屋でしょうか

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裏庭には、市内の洋風建築のミニチュア模型が並んでいました。
観光客も多く、思い思いに見て歩いています。

さらに隣接する「弘前観光館」に向かうのですが、ここで少し時系列を前後させて先に洋風建築のお話を続けます。

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先ほどの東奥義塾外人教師館から数分の所にある「旧第五十九銀行本店」

こちらも有料ですが内部見学可能です。
係員さんによる簡単な説明の後、自由に見学。

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洋風建築の中でも旧銀行の建物は最も好きです。
住居だった建物とは違い、少し張り詰めたような重厚感がたまりません。

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会議室

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天井の内装には「金唐革紙」が使用されています。
もともとは革を使用していたものが日本では紙を使用して製作されており、錫の箔などを使って模様を付けているという、非常に手の込んだ過程で作られているもの。

今では日本でも数えるほどの建築物でしか見られない、とのことです。

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天井の取り付け部分まわりの装飾が色々とあって、見比べていると飽きません。
こちらもゆっくりゆっくりと見て回りました。

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旧第五十九銀行本店の前、中央広場を横切り、桜大通り沿いすぐにある建物が、旧弘前無尽株式会社社屋(三上ビル)。昭和初期の建築
こちらはお店になっていて、自由に内部を見ることはできませんが、繁華街に入る入り口でひときわ目を引く洋風建築です。

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最後に、大間越街道を北上すること数分で、日本キリスト教団弘前教会。明治時代の建築。
週3日の限られた時間のみ見学可能とのことです。

こうして、全部とは言えませんが、主だった洋風建築を堪能しました。
個人的には、小樽、門司港、神戸、函館にも引けを取らない充実ぶりで、私のように好きな者にはたまらない街です。

これだけの洋風建築が建てられたのは、先述の通り明治~昭和初期の街の近代化もですが、弘前出身の建築家・大工の堀江佐吉さんという方の存在も大きい、と言われます。市内に残る洋風建築のほとんどはこの方や、その後を継いだ大工・建築家が手掛けており、この方がいなかったらこれらの建築物は無かったことでしょう。

弘前市の洋風建築の成り立ちから、これだけ残った理由、そして堀江佐吉さんについて等、また旅から帰ってから復習したいことが色々とできた洋風建築巡りでした。

市街を歩いて駅方面へと戻ります。

その3 に続きます。
Posted at 2025/08/15 14:14:18 | コメント(1) | トラックバック(0) | 街歩き | 日記
2025年08月11日 イイね!

【2025年夏 遠征記その1】弘前散歩(出発~弘前公園)

【2025年夏 遠征記その1】弘前散歩(出発~弘前公園)今年もまた、夏の遠征に行ってきました。
今回巡ったエリアは東北地方。ここからまたしばらく、旅の様子をつらつらとお話ししていきたいと思います。

<出発>
8月11日早朝、そぼ降る雨の中、出発。
折からの前線の影響で大雨となっており、前日も東海道新幹線は一部運転見合わせを含めダイヤが大きく乱れていました。今朝も起きてすぐに運行情報をチェックします。

※ちなみに記事中の写真ですが、今回から一部の写真についてはクリックすると拡大するようにいたしました。またスマホや画像ソフトの「クリーンアップ」機能で、写りこんだ人物などの加工を行っているため、画像に少し乱れがありますこと、ご承知おきください

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名古屋駅一番列車の「ひかり」で東へ。

心配された雨も静岡あたりではやや強い降りでしたが、定刻通りに走ってくれました。
この時季恒例の、帰省客で大混雑する東京駅構内を東北新幹線ホームへ。

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ここからは新青森行き「はやぶさ」に。

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「はやぶさ」の指定席は満席。ここの指定席券だけは1か月前に購入済です。
大宮駅を出発する頃には車内は満席となりました。

300㎞/h超で快走、天気は曇り気味で、遠くの山々はほとんど雲に隠れています。
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仙台駅に到着。
多くの乗客が降りますが、乗り込んでくる乗客も多く、車内は満席のまま。
盛岡駅からようやく少しだけ空いてきました。

岩手山もやはり雲の中。このあたりは広大な田園と畑が広がっています。

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12時00分、新青森駅に到着。ここに降り立つのはちょうど10年ぶり。
在来線ホームから弘前行きに乗り込みます。

ロングシートの車内は満席。やはり新幹線から乗り換えた帰省客が多いようです。駅に着くと、降り立った乗客を迎えに来ている人も多く、あちこちで再会を祝していました。

<弘前に到着>

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12時59分、最初の目的地、弘前駅に到着しました。
名古屋から約6時間40分、鉄路のほぼ最速ルートでの所要時間です。

弘前の街を訪れるのもちょうど10年ぶり。前回はレンタカーで訪れたので、鉄道での来訪は初です。(トップ写真)

まずはこの日の宿に荷物を預けて身軽になった後は、遅めの昼食を探して街へ。

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駅前の通りは広く、お店やビルが並んでいます。

荷物を預けて外に出る時に少しだけポツン、と水滴が腕にかかります。もしや、と
いうことで、踵を返して預けた荷物から傘を取り出し、さらには食事ができそうなところを聞いて再び外に出ます。

宿で教えていただいたショッピングセンター内のフードコートに。
中に行列の出来ているラーメン屋さんがあります。有名なラーメン屋さんで、非常に興味があったのですが行列が長く「提供までに30分」との案内も。しかしそれ以上に気になったのが、調べるとスープにとんこつが使用されていること。というのもここ最近、とんこつ入りのラーメンを食べると、半日~1日後にお腹が緩くなるようなことが時々あります。

必ずではないのと、1~2回トイレに行けばそれで済むので、普段はそこまで気にしないのですが、大事な仕事が控えているときや、今回のような旅先の、特に先の予定が細かく決まっているときには避けるようにしていました。
しかし、様子を見ていると本当に美味しそう…無理してでも味わうか、しばらく葛藤しながらも結局諦めました。

教えてもらったもう1ヶ所の商業施設へ向かいます。
歩いていると、落ちてくる水滴が大きく多くなり、やがて激しいにわか雨に。傘をもってきて正解でした。
雨から逃げるように入った商業施設のフードコートのラーメンをいただくことに。
もちろん、とんこつが入っていないことは前もってお店の人に確認済です。

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見た目よりもあっさりしているスープ。煮干しを使用しているのですが癖はなく、うまく旨味だけを出している感じ。麺の太さも私好みの中太で、美味しくてあっという間に平らげます。こちらもとても美味しいラーメンです。

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満足して外に出るともう雨はやんでいて青空が見えています。濡れた路面に陽の光が反射していました。

しかし、今度は陽射しが強く、しかも雨上がりの蒸し暑さが加わってきます。
だんだんと汗が噴き出してくるのを感じつつ、まずは弘前城のある弘前公園へ。

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弘前藩の城下町として江戸時代から栄えた弘前市。今も城下町の名残は残っているそうです。「白銀町」は金銀細工の職人が集まって住んでいた、と言われています。

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公園の外周となるお濠端を歩きます。
弘前城といえば、桜で有名。このあたりもお濠沿いに桜並木が続いています。
春は淡いピンク色一色なのが、今は鮮やかな緑一色の並木道です。

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そのまま、広大な公園をぐるりと。
反対側はこの後に訪れるつもりの「弘前観光館」や、市役所をはじめとする官庁街となっています。
弘前城も戦前は陸軍の師団が置かれていたということもあり、まさにこのあたりが市内の中心、これらの公共の建物がゆったりと並んでいる様は、都市景観としても見ごたえがあります。

<弘前公園へ>

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公園の縁を4分の1周ほど歩いて、追手門に到着。ここから公園内に。
ちなみに10年前にも同じようにここから入園しています。

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緑豊かな園内は、セミの鳴き声のほかには音もなく総じて静か。
緑の先に見えるのが、二の丸未申櫓。弘前城は天守閣もですが、さきほどの追手門やこの未申櫓など、江戸時代からの遺構が多く、全部で9棟が重要文化財に指定されています。

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こちらも重要文化財の二の丸南門。
このあたりも桜の時期は一面淡いピンク色で染まるのでしょう。

内濠を渡っていよいよ本丸へ。入場券を購入して入場。
観光客の姿も多くなってきました。

10年前は、天守閣の修復のために建物ごと、天守台の石垣から移動させる「曳家」工事が行われており、内部は見学できませんでした。
今もまだ、天守台の石垣を調査、工事しているため、天守閣はそのまま移動先の仮天守台に置かれています。

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工事中の天守台。石垣の修復や耐震補強の工事もあって、完成は看板によると翌年。その後、天守閣はまた「曳家」でこの場所に「設置」されるそうです。

で…肝心の天守閣は、その真後ろにあります。

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現在の天守閣。

何というのか…例えは悪いのですが模型を置いているような感じで…なかなかシュールな姿です。しかし、こうした姿を見ることができるのもあと少しで、その後はもう、直に見られることは無いでしょうから、貴重と言えば貴重です。

今回は城内に入場できます。
内部は当然ですが天守閣そのまま、急な階段や無骨に組み込まれた柱と梁は、さすが現存十二城のひとつです。

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最上層からの風景。やや小高い場所にあり、市街地が一望できます。

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天守閣の西側には展望所かあり、そこから「津軽富士」岩木山を眺めることができますが、この日はあいにくと雲がかかっていて全貌をみることはできません。

本丸を後にして、二の丸へ。こちらには「弘前城情報館」があり、お城の歴史を詳しく知ることができます。
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まだ新しい施設で、展示説明もプロジェクションマッピングで映し出されるのが新鮮。これからの展示方法も、これまでのようなパネル展示からこのように変わっていくのでしょうか。

中は涼しく休憩所もあり、これまでの歩きで疲れた脚休めと噴き出た汗が乾くまで、少し休憩。
久しぶりの弘前城でしたが、仮天守台の天守閣や、前は入れなかった城内も見学できて、満喫できました。
混雑が大変ですが、できれば桜が満開の季節も一目見てみたいものです。

少し休んで元気回復。弘前公園を辞し、再び市街地の街歩きへと向かったのでした。

ということで、長くなりますので「その2」へと続きます。
Posted at 2025/08/15 10:27:38 | コメント(0) | トラックバック(0) | 街歩き | 日記
2025年07月20日 イイね!

第81回D-Wind Rally「勝手にキャベツラリー2025」

第81回D-Wind Rally「勝手にキャベツラリー2025」先週のお話になります。
ドライブラリー「D-Wind Rally」に行ってきました。

ドライブラリーとは、マップのコマ図通りに走行し、CP(チェックポイント)ごとの距離や設けられたクイズを解く、ちょっと変わったドライブ。

私は距離計測をせず、CPだけ巡ってクイズを解く「ドライブクラス」での参加です。

今回のコースの舞台は、群馬県嬬恋村。
南は軽井沢、北は草津温泉のある草津町の間に位置する高原の村をぐるりと巡り、「嬬恋」の村名に因んだ「五大愛妻神社」や「愛妻の丘」などを経由するコースです。

午前5時30分に自宅を出発。中央道~岡谷からR142~R152~上田からR144で菅平高原の手前からはR406を経由。

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スタート地点の嬬恋村中心地、万座鹿沢口駅に到着したのは、午前10時を過ぎた頃でした。
今回は久しぶりにルーミーでの参加となります。

スタート地点にはライダーの聖地「カフェ グランプリ」があり、多くのバイクが集まっていました。

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写真では写していませんが、店の前はバイクとライダーで埋めつくされています。

嬬恋村はFIAインターナショナルラリー「Rally of Tumagoi」が開催されるなどモータースポーツでも有名。かつては「キャベツラリー」という村主催のドライブラリーが開催されていたこともあります。現在は「D-Wind Rally」の運営者さんが引き継いで、この「勝手にキャベツラリー」というコースを作成されています。

「勝手に」とありますが決して勝手に作成されているわけではなく、嬬恋村にもご協力いただいている、ということで、参加者には村特産のキャベツがいただけます。

スタート前に近くの観光協会を訪れ、申込書を提出し、引換券をいただいてスタート。

開催中のコースですので、コース内容は詳しくは紹介しませんが、雄大な浅間山をのぞみながら、風情のある神社に立ち寄りつつ、高原の別荘地や広大なキャベツ畑を走る、とても楽しくて走りがいのある80㎞のコースとなります。

2cpは「嬬恋郷土資料館」のほか、お土産処や食事処もある、ちょっとしたレストスポット。

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スタートが遅くなった関係で、ここで時刻はちょうどお昼時。近くの食事処で「温玉鶏天うどん」
ここでもしっかりと、地元で採れた新鮮なキャベツが添えられていました。
群馬県はうどんも有名。高原ドライブですが、それでも暑さが厳しいくらいの日で、冷たいうどんが身に沁みます。

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広大なキャベツ畑に・・・

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キャベツ畑の向こうには浅間山。山頂からのびる雲が、まるで巨大な噴煙のようです。

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6CP「愛妻の丘」。その名の通り、訪問客は仲のいいご夫婦ばかり…そんな中1人で佇みます

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広々とした丘の上から周りの風景をのんびりと眺めます。すぐ傍では、私と同じくらいの年齢らしきご夫婦も何組か、楽しそうに写真を撮り合っていたり、仲良く手を繋いで散策していたりで、1人でいるのはちょっと憚られそう…

そんな中、↑の写真を撮ろうとスマホを構えていると、1通のLINEが届きます。
送り主は妻から…昨日、欲しがっていたスイーツが売り切れで買えなかったものを、今朝、出発前に立ち寄ったコンビニにあったので買い求めて自宅に置いてきたのですが、そのお礼のLINEでした。

こんな場所でこんなLINEが届く…偶然でしょうけど…嬉しそうな文面のLINEを見ていると…少し繋がりを感じます。
クルマでの遠出が苦手な彼女と、ここまで一緒に来ることは無い、と思いますが…爽やかな風が吹き抜ける中、気持ちも爽やかになる「愛妻の丘」でした。

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キャベツ畑の中にヒマワリ畑も。

これだけの広大な畑を耕すので耕運機も大きく、2tトラック並みの大きさのものがあちこちで動いています。コース上の道路にはそんな耕運機が残した畑の土が乾き、クルマが通ると土ほこりが盛大に舞い上がっていました。
#土ほこりまみれになるので、帰宅後の洗車は必須です。

スタート前にいただいた「キャベツ引換券」は、村内の3か所の農産物直売所で引き換えることができます。私はコース途中、「鬼押ハイウェイ」沿いにある「横澤農園」さんにて引き換えます。

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採れたて新鮮な大玉キャベツを2個いただきました!

帰宅後、翌日から早速サラダにしていただきましたが、新鮮でシャキシャキした葉は、口にすると柔らく、甘みもあって、普段食べているものと全然違います…こんなキャベツはなかなかいただくことができません。また、炒めてもシャキシャキ感は失われず、どれだけでも美味しくいただくことができます。

親にもおすそ分けしたのですがそれでもほとんど減らず…我が家ではしばらく、キャベツづくしの食事が続くことになりますが、美味しいのでまったく問題ありません!

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15時30分、ゴールの「仙之入ポケットパーク」に到着。

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コース最後も、キャベツ畑と山並みが広がる風景を望みながら、帰路に着きました。

帰路は、草津から志賀高原へと抜けるか、それとも上田を経由するか迷いましたが、後者のルートに。ただ、往きに通ったR406ではなく、折角なので鬼押ハイウェイからR146経由で軽井沢からR18を辿ることに。

さすが、3連休ということで軽井沢の市街地入り口あたりからは渋滞気味。少し迂回しながらR18に出ます。

上田で信州味噌ラーメンの夕食後は往きと同じR152~R142~岡谷から中央道へ。
のんびりと走りながらも、日が変わる前には帰宅できました。

日本武尊の愛妻伝説が村名の由来と言われる嬬恋村。
クイズの設定もあるので今は詳しく紹介しませんでしたが、コース途中のCPとなった五大愛妻神社はすべて日本武尊が祀られています。
どの神社も静かな中に荘厳さがあり、参拝していると心落ち着きます。

そして「愛妻の丘」やキャベツ畑の中を走る1本道、そして浅間山の眺望、新鮮なキャベツのお土産等々、この夏は爽やかな風を感じに、嬬恋村へ、そしてこちらの「勝手にキャベツラリー」は如何でしょうか?


Posted at 2025/07/27 13:25:12 | コメント(2) | トラックバック(0) | ドライブラリー | 日記
2025年06月13日 イイね!

琵琶湖疏水と京都鉄博巡り(後編:南禅寺と水路閣)

琵琶湖疏水と京都鉄博巡り(後編:南禅寺と水路閣)中編からの続きです。

京都鉄道博物館の旧二条駅舎を出たあとは、JR山陰線に乗り現二条駅で下車。
新旧の二条駅を見比べたかっただけではなく、ここで地下鉄東西線に乗り換えます。

京の都の出入口「京の七口」の東の出入り口、「粟田口」に位置する蹴上駅で下車。
再び琵琶湖疏水をほんの少しだけ辿ります。

あらためて琵琶湖疏水について簡単に説明します。
明治維新以降、人口が減少し衰退しかけていた京都市を復興させるために、水道用・工業用・発電用、そして水運による輸送路として、様々な使用用途のある大規模な水路の建設が必要不可欠、ということで建設されました。

大津市で取水した琵琶湖の湖水は、蹴上を通り、二条通りの北側で鴨川に合流後は鴨川運河として南下、先ほど歩いた伏見で濠川、そして宇治川を経て大阪まで流れが続きます。

駅前を走る三条通り沿いに、琵琶湖疏水の水運を担っていた「蹴上インクライン」跡があります。

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蹴上付近は大津方向から京都方向に向かって急勾配となっており、琵琶湖疏水を通る船は水路をそのまま行き来できません。そこで、写真のように鉄道を敷いて台車に船を乗せ、台車をケーブルカーの要領で引っ張って動かす、という方式がとられていました。これが
「インクライン(傾斜鉄道)」という方式です。私自身、この言葉をつい最近初めて知りました。

やがて、通常の鉄道に輸送の主役が移り、戦後すぐにインクラインの運行は廃止されましたが、今でもこのように、当時の鉄道の一部と船を載せた台車が産業遺産として復元されています。

たしかに勾配がある水路を船が行き来するには船自体の動力だけでは難しく、何らかの方法で移動させないといけないですね。
インクライン式の他にも、閘門を設けてその間に船を入れたら水位を上下させたり、リフトに船を載せてエレベーターのように上下したり、という方法があるそうです。

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この先、平行する三条通りを歩くと、インクラインの下を通るレンガ造りのトンネルがあります。
「ねじりまんぽ」と呼ばれるトンネルで、三条通りから南禅寺方向へ向かう道路として明治時代に作られました。

「まんぽ」というのはトンネルの呼び名、「ねじり」というのは、トンネル内部の壁面のレンガが道路と平行ではなく、斜めに積み上げていて全体を見ると螺旋状にねじったようにみえることからつけられた、とのこと。

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こちらが反対側、南禅寺方向からの入口(帰路に撮影)。

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トンネル内の壁面、確かにレンガ壁面が螺旋状です。
強度を増すため、といわれていますが、鉄道以外のトンネルでこの形状になっているのは珍しいそうです。

壁面を興味深く眺めながら歩いていると、自転車で走り抜ける下校途中の高校生とすれ違います。彼ら彼女らには、ごく日常の風景なのでしょうね。

南禅寺へと向かう小径を歩きます。両脇には生垣や白壁造りの塀と、立派な門構えの邸宅や寺院が続き、時折通過する自転車の高校生の話し声のほかには何も聞こえない静かな道です。

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南禅寺金地院の楼門。この辺りはすでに、南禅寺の境内の一部です。

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南禅寺中門
すぐ近くにタクシー乗り場もあり、タクシーはこの門を行き来しているそうです。

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三門が見えてきました。まさに威風堂々、という言葉が合う、その大きさに圧倒されそうです。

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南禅寺の中心である法堂。まずはこちらでお参り。

法堂に向かって右手の方向、木立の中を少し歩くと、「水路閣」が見えてきました。

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南禅寺水路閣
少しくすんだレンガ色のレンガ造りであるアーチが左から右へと続きます。
最上部が水路になっており、それがまさに「琵琶湖疏水」。蹴上から北へ向かい、市街地北東部~北西部を巡って賀茂川に合流する疏水分線にあたるものです。

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水路がみえるところまでやってきました。今も現役で、絶えず水が流れています。

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自然の中に延びていくレンガのアーチ、今の季節は、濃い緑の中ですが、四季折々で様々な光景を見せてくれることでしょう。
真夏を思わせるような暑い陽気の中歩いてきましたが、ここは涼しくて爽やか。しばらく佇んで深呼吸。初夏の美味しい空気を満喫します。

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帰り道すがら、路地を流れる水路も、涼やかな水の流れる音が聞こえてきました。

琵琶湖疏水、名前は聞いたことがありましたが、内容はほとんど知りませんでした。今回、行く前に少しだけ予習と、帰ってきてからも記事を書くために復習で色々と調べたのですが、知れば知るほど興味が湧いてきます。
まだまだつたない知識の中でのお話しで、全然深堀りが足りていないこと、平にお許しを。

ここから帰路に。その中で、鉄道ネタを少し…
蹴上駅に戻り、そのまま京阪電車の浜大津、石山駅を経由して東海道線を辿ることにします。
米原まで向かい、ここで大垣行き普通列車に乗り換え。

こちらの大垣行き列車、車内に何やらカメラや録音機材を持った人が多く見かけます。その時はそこまで気にも留めていなかったのですが…
大垣駅に到着後、その列車はそのまま回送電車となったのですが、発車していく様子を何となく反対側のホームから見ていると、最後尾には「感謝」のヘッドマークが…そう、引退間近のJR東海311系だったのです!

今になって気づきましたが時すでに遅し、写真を撮ることができなかったのは痛恨でした。

普段でも何気なしに乗っていた車両で、快速系統は313系で普通列車のときに311系、というイメージだったのですが、これで乗るのも目にするのも最後、となると、車窓から雄大な伊吹山を眺めることができたことを、思い出としてしまっておきたいと思います。

…以上、近代遺産と鉄博を目当てに街歩きも絡めた、初夏の京都日帰り旅のお話でした。

Posted at 2025/07/06 14:48:11 | コメント(0) | トラックバック(0) | 街歩き | 日記
2025年06月13日 イイね!

琵琶湖疏水と京都鉄博巡り(中編:京都鉄博へ)

琵琶湖疏水と京都鉄博巡り(中編:京都鉄博へ)前編からの続きです。

桃山御陵前駅から再び京都駅に戻ります。
一旦ここで琵琶湖疏水からお別れして、向かうは京都鉄道博物館(以下「鉄博」)。

最寄り駅は山陰線で1駅先、梅小路京都西駅ですが、発車時刻までは20分以上。ならば…ということで、駅前に出て線路沿いに西へと歩み始めます。

堀川通の、リーガロイヤルホテル近くのアンダーパスを見ながら横断。JRの線路沿いに梅小路通りを歩いていきます。天気が良くて暑い…たちまち汗が噴き出してきます。

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始めて歩く道ですが、このようなモニュメントを見ると正しい道順を辿っている、ということを教えてくれます。

梅小路通りはこの先から歩道に。大宮通の下をくぐると緑豊かな梅小路公園に到着。
目指す鉄博はこの公園を横断した先になります。

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緑豊かな小径を歩きます。これまでと違う、爽やかな空気を感じながら…。

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京都駅から歩くこと約20分、旧二条駅舎に到着。こちらは鉄博からの出場専用口になります。

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入場すると、新幹線0系と80系湘南電車、そしてトップ写真にあるようにC62形蒸気機関車の”歓迎”を受けます。

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まずは80系電車の傍らを奥へと進みます。車内への立ち入りはできませんので外から車内をのぞきこみます。4人掛けのBOX型ですが、知っているBOX型とはちょっと違い、背もたれやひじ掛けが木製なのは逆に新鮮。

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大阪環状線で活躍していた103系は車内に入ることができます。

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昭和初期製造のEF52形電気機関車の窓に映るのは、新幹線100形。

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往年の名列車のテールマーク、ヘッドマーク。
「富士」は戦前に東京下関間、その後長崎まで延長されたころのテールマーク。ローマ字表記が「FUJI」ではなく「HUZI」なのが特徴的です。
そして、代表的な特急「つばめ」。

上の写真の「つばめ」のマークは縦書き。後で調べたところ、こちらは戦前の東京大阪間を走っていた時のほんの一時期、付けられていたものだそうです。
戦後は一貫して、下の写真の左側にある斜め書きのヘッドマークでした。

しかし、戦前は漢字の「燕」の列車名だったはずですが、マークは平仮名なのですね。
そのあたりはなぜなのか、調べましたが解りませんでした。(ご存じの方がお見えでしたら教えてください。また、ここまでの私の記述についてご指摘等ありましたらお願いします)

平日の館内は、遠足や校外学習でしょうか、幼稚園~中学校くらいまでの様々な生徒の団体が何グループも訪れていて大変賑やかです。

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今では見かけなくなった貨車や貨物列車の車掌車も展示されています。
車掌車は、列車名のついた貨物列車「たから」の車掌車だそうです。

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ダイヤグラム作成機のプリンター(なぜか右側の本体が見切れています…)
これらの展示を、じっくりと見て回ります。団体でやってきた生徒さんたちの姿は、この辺りでは見かけません。

そして、一番興味深かったのがこちら
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かつて駅の発車案内で使われていた「反転フラップ(ソラリー式)」、いわゆる「パタパタ」式の案内表示が、実際に操作できるようになっています。

実際に使われていたのでしょう。「乗り場」「種別(列車名含む)」「時」「分」「行き先」をそれぞれボタンで選び、最後に「起動」ボタンを押すと「パタパタパタッ・・・」と発車標が動きます。

操作盤を見たのも初めてで、乗り場別に1回ずつ動かしてみました。
どの項目も選択肢がいっぱいあって間違えそうですが、これですとすべて手動で操作していたとすると、大変な作業ですね。

屋外の施設へ。
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1㎞ほどの距離を乗車体験できる「SLスチーム号」、この時はC56が担当です。

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扇形機関庫。JRに乗った時に車窓からも見ることができますね。
以前は「梅小路蒸気機関車館」という博物館でした。この頃に一度、訪れたことがありますが、鉄博の中に組み入れられてからは初めてです。

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1等展望車「マイテ49」
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お馴染み「機関車トーマス」。今はここにいるのですね。
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特急「つばめ」を牽引したC62 2号機を後ろから失礼
20250613-330
個人的に「最もバランスの取れた蒸気機関車」と思うC58

まだまだ、載せたい写真はたくさんあるのですがどんどん長くなってしまいますので、この辺で…

20250613-370
こちらが旧二条駅舎内の出場口。ここから鉄博を後にしました。

他にも、「運転シミュレーター」はさすがにやりませんでしたが、企画展では55年前の大阪万博から現代の大阪関西万博までの、鉄道だけでなく自動車などの各交通機関の移り変わりを紹介した展示に見入ったり、と様々に楽しむことができました。でも、ひとつひとつをじっくり見ようとすると、もっともっと時間が必要です。

梅小路京都西駅から、山陰線の下り列車に乗り、2駅先の二条駅で降車。

20250613-380
現在の二条駅。高架駅になり、さきほどの旧二条駅舎とはデザインがまったく違いますが、ホーム屋根のデザインなどは、旧駅舎が建設された当時の斬新さにも通じるものがあるかもしれません。

ということで、後編に続きます。
Posted at 2025/06/29 22:08:53 | コメント(0) | トラックバック(0) | 鉄道旅 | 日記

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