• 車種別
  • パーツ
  • 整備手帳
  • ブログ
  • みんカラ+

kotaroのブログ一覧

2025年06月10日 イイね!

AI構文と少子化の時代

AI構文と少子化の時代最近、SNSの公開グループで「やけに詳しい」投稿記事を見かけるようになった。
「名古屋駅に着いて」「名古屋バスターミナルに着いて」
読んで学者か新聞記者が書いたのかと思ったが、一般人だ。

長い文章を書き慣れない人が書いたにしては誤謬が少なく破綻していない。
たくさんの人が読んで感想や思い出のコメントが着いている。

私は元プロの編集者なので、ただしこの文章、「私はこう思う」
「私の思い出」がない上に、投稿主のプロフィールを読むと中京地区の人ではない。
これはおそらくオープンAIを使って投稿したのではと、推理するようになった。

オープンAIの時代が来て、いろんなところが利用している。
まだ批判は珍しいが、最大限、マキシマムこうなるといった予測を
考えるコンピュータちゃんがすらすら書く。それで思った。

梅雨の雨なのに「線状降水帯が起きる可能性」とかネットニュースの
条書き見出しに使われて、私だけが違和感を持つ。

こんなん普通の梅雨の雨やん、1ミリくらいやで、平地のこの辺では。




天気予報、ウエザーニュースなどの警告や注意喚起が、大仰だなと思う。

最大限の予報、最悪の結果を含んでおかないと、
「こんな雨、大したことありませんよ」ともし、万が一、災害や非常事態が
起こった時に、「あの天気予報が、あんな言い方してなければ」と
訴訟や、損害賠償が、起きるかもしれない。

現在の予報は非常に分析が、人間の勘を超えた精緻な予測になったにしろ、
コンピュータちゃんは責任は取れない。

だから最悪の事態も、早くから予測の範囲に入ってくる。

こういった「もし何か起きたら、」「誰が責任取るんや」といった
社会が人工知能の到来するちょっと前から、当たり前に、社会の一般常識的に
みんなが共有する時代になった。


元アスリートのスポーツ評論家の為末大が「何かあったらどうしよう症候群」
という立派な言説、主張を書いて、大きな反応があったのは、3年前になった。
https://note.com/daitamesue/n/n5319467da614

当時私も、自分の言いたいことをうまく言ってくれてるなと感じた一人である。


何かあったら、誰が責任を、と言ったものの見方、考え方は、お役所の公務員、
公共的な仕事の場では、当然、当たり前の帰結という判断材料にこの数年で
なった。
台風が来るので電車は前日から止めますという周知と徹底。
当日になって「台風来なかった」「風も大したことなかった」という”期待はずれ”
にネットがちょっと荒れることがあっても、誰かを追い詰めるようなことまでは
いかない。

しごく平和で温厚な世間は、未来の理想だと、そう考えられる。




さて、私の文章は一番AIから遠いので、こうも考えて、世の流れに逆立ちでも
唱えてみよう。

蓋然性という言葉がある。

今言ったように、最大限マキシマム、最悪の事態、そこまでAI構文が考えて
含まれるなら、じゃあどうなるのか。

『自動車に乗るという行為は、最悪、交通死亡事故を起こすかもしれません。
その場合、普通の人は保険に入っていれば補償の対象となりますが、民事、刑事、
行政の3つの責任を追求されて、一生を棒に振るかもしれません』

最近の社会は、交通事故が昔のように頻繁に起きなくなったので、新聞記事や
ニュースを見ると、過失、悪意性、被害程度の大きさ、珍しい車両の事故
などが起きると大きく載るようになったと思う。昔と比べればである。

こういう社会の流れや傾向で、車に乗って事故を起こすのは、昔から乗ってる
ジジイばかりになった。
まして高齢社会で一方通行の高速道路の逆走など起こすと、”社会の敵”のように
祭り上げられる。

だから若者の自動車離れは、当然のように考えられ方の共有、共通認識になった。

そうでなくとも、経済力の対価や、購買力の面などで自動車は若い人が、背伸びして
無理して乗っても、昔みたいにこれがないと異性とデートできない、
と言った時代は40年前の感覚に変わっていったと思う。



さて、今の世間で、米の不足と高騰が話題を集めているが、その一方で日本の国
の人口がどんどん減少していて、特に子供の生まれて来る数がついに70万人を
割って、このままでは日本は潰れる、やっていけないと危機感がかなり深刻な
段階にまで、レベルが上がってしまい、連日このことが、政治の緊急課題に
取り上げられている。
と言った現象を、どう思ったら良いのであろうか。


私は1970年代から80年代の若者である。もちろん過去形。
その時代は、雑誌という情報メディアの内容記事の、何パーセント、
もしかして1割以上が男性の読むヤングアダルト雑誌だと、SEX関連の記事
だった。
嘘ではない。

みんな暇だから、若い男性と女性の関心事の最終ステージは、S・E・X
だったのである。
もっと昔は雑誌など出ていなくても、若い連中の「やりたいこと」はそれしか
なかったのである。

さてオープンAI先生なら、どう答えてくれるであろう。

『男女の性は、思春期などの第2次成長を経て、本能的に欲する自然な感覚で
あったが、最近はサブスティチュートできる解消行為が増えて、敢えて危険な賭け、
まして失恋による精神的ダメージ、それに費やす経済的な費用、負担、
また、対物的な弁済では済まない、対人的な越権行為と言った考え方にも。

アニメや劇画では、非常に劣等な民族”ヒャッハー”らが、「酒だ!女だ!金だ!」
と暴虐に近い行為などが見られ、そういった愚劣な行為に対し、顔を背ける
知的な人々が最近は増えている。

それらの時代と共に変わる考え方の変化で、今の時代、本能剥き出しの男女の
性は「サル」といった比喩で言われるように非常にヤバい、原始的な行動と
見られるようになった。そうでなくても、一歩間違ったら犯罪行為になりかねない。

不合意な関係性の中で”結ばれる”とトラブルになり、◯居くんのように過去の
キャリアも実績も、名声も奪われ、奈落に落ちるケースも見られる。
以上のように、男女の性は危険を犯してまで”やる”必要があるのかは、自明の理
である』

ということくらいが結論として導き出されそうである。

そりゃこんな時代だったら、少子化は当然だろうと、オープンAI先生は
言ってくれそうに、私は思う。

Posted at 2025/06/10 02:28:51 | トラックバック(0) | 思うこと | クルマ
2025年05月30日 イイね!

インプレッション記事と洋雑誌

インプレッション記事と洋雑誌長く遊んで生きてきて、昔を思い出したり振り返ることが多くなった。
私はこれもアソビの一つで、今はレコードとカセットテープを再生機器で再生して、
MDに録音して、自動車運転中に聞く。

この聴くのが覚えている人は分かるだろうけれど、最近は沢田知可子。
少し前は、内藤やす子。
その前はしばたはつみのレコードを探してきて聞いて、この歌手の正統な評価は、
なんだろうとか、現代の位置づけで聞くのである。

これと同じことを鉄道車両や自動車でもやっている。
交流型のSNSで若いけど非常に車のことに詳しい人とやって
最近あることがあった。

昔のマイカー雑誌が恐竜のように死に絶えたことは前回書いた。

その目玉だったのがロードインプレッションという主観的な「新車ぶった斬り」
みたいな記事が圧倒的に支持を集めていた時代があった。

徳大寺有恒氏の「間違いだらけの車選び」もそれに近いのだが、ちょっと違って
いたように思う。


大半の有象未曾有の自動車ライターが書く”辛口インプレッション”
あれが苦手でしたと、ある投稿主が私のコメントに賛同した。

走る、止まる、曲がる、をいかに講談調の名文で語り得るかが、自動車雑誌の
記者の「売り」で、そこには大時代がかった仰業な表現が飛び交っていたことを、
覚えている人も多いと思う。



今の2025年に40年くらい前のことをあれこれ言っても仕方がないが、日本の
自動車雑誌はどの時期からか、非常に主観的な内容のものがメインになり、
モータージャーナリストや自動車評論家といったふぜいが、あれはダメ、これも
良くない、褒めることは滅多になく、歌謡曲新人登竜門番組の、激辛審査員みたい
な記事ばかりが、毎月出てくる自動車雑誌のトップ記事になり、誌面はそれで
埋め尽くされていたと思う。

若い人は「あれが嫌でしたぁ〜」と言う。

今の21世紀的な感覚で言うと、ひろゆきの「それはあなたのご意見ですね」
みたいな主観が混ざったどころでない酒場の親父みたいな記事ばかり。
それを毎号読まされてはたまったものではないが、自動車国民はそれでも活字を
有難がっていたのである。

その頃の私は、そういう情勢に流されるのも、小学校時代の頃よりのクルマ好き
だったから抵抗があり、かといってカーグラを有り難がる小林彰太郎教信者に、
なるのも今更感があり、どうしようと思って、大阪の梅田に出た時に、大書店の
洋書コーナーにその頃は、海外のスタンド売りの自動車雑誌、「motor」や
「Autocar」と言った地味な雑誌が、まあまあ学生の買える価格で出ているのに気がついた。



一冊試しに買って読んでみると、マツダ323。当時峻烈に若者の人気を集めた、FFファミリアの平凡な5ドアのハッチバックが、評価の対象となる記事が出ていた。

日本で売れまくる3ドアのXGなんて出てこずに。



あとそういったスタンド売り雑誌は、形式図的な全長、ホイルベース、全幅、全高、
室内長、エンジンレイアウトが競合ライバル車と並べて一目瞭然で分かるように
掲載されていた。

また巻末に雑誌の試乗記事で計測した、加速やスタートダッシュ、最高速度、
燃費性能などが「巻末データ」として掲載されており、自分が興味のある車が、
少し前の車との比較が実にしやすい。



私はそこに「我が意を得たり」を感じ、それから数年は隠れて、薄い洋雑誌、
イギリスのスタンド売りの自動車雑誌をめくりながら、密かに自動車の追求を
そういった世界に求めるようになった。



その後の自分の自動車趣味の長い遍歴は今日は語らない。
あれほど猖獗した、日本の自動車趣味雑誌や、マイカー雑誌はほとんど消えて行った。
臨時増刊号まで出せば売れた時代は、実に遠くなった。

自動車に熱狂する時代は遠くなった。週刊プレイボーイや「GORO」といった
ヤングアダルト雑誌で、自動車の夢を若者たちが夢見た時代は一体何のお祭り
だったのだろう。


Posted at 2025/06/01 05:30:00 | トラックバック(0) | オンザカー | クルマ
2025年05月22日 イイね!

マイカーの夢

マイカーの夢15日から20日まで自動車旅行をしてました。

去年の12月に850クーペを出して、高速で故障したので、これまた古い20年もののスズキアルトで行ってきました。

自動車で走って旅をして、なーんにも面白いこと、ワクワクするようなクルマとの遭遇も無くなり、とにかく「わ」ナンバーやタイムスのシールの着いたフィットや小型車が実に多くなったことに遭遇いたします。

「わ」ナンバーで思い切り飛ばして来るセコそうな小型車は、避けるに限ります。
運転も荒っぽいし、ブレーキを踏まずにアクセルだけでスピード加減できるような運転手はいません。

そんな自分の60代、運転40年との彼我の差を痛感しながら、自分も歳とった
もう楽しかった時代には戻れないなー、と痛感します。

考えたらマイカーを持つ夢って、昭和の時代の最高に叶えたい夢の一つ
だったことに思い当たります。




自動車好きは圧倒的に昭和生まれですし、昭和の40年代から60年代の
マイカーを購入することで、今で言う自己実現と承認欲求の2つは
大いに叶えられたとそう思います。

またマイカーの購入ガイドとなる自動車誌は、カーグラフィックのような高尚な
ものは少なく、多くはインプレッションという主観的な記事、値引き交渉といった
読者兼カスタマーの実談や、それらをまとめたライター記事、そんなものと
雑誌ですからドライブ関連から、音楽情報、道路サイドの娯楽まで、実にチープで
安易な情報のごった煮で成立されていました。

昔の大変ユルい雑誌の文化以前の俗悪さは、売ったら終わりで、信頼できる
出来ないの塀の上を歩いているかのような、怒ってもしようがない”そんなもの”
でした。

今はそういった「マイカー雑誌」が俺自慢のカーグラとゲンロクくらいになり
大変寂しい状況なのは、どなたもご存知のことと思います。



いま、都会でマイカーを持つのは、余裕のある暮らしの家庭。
よほどの車好き。
そして地方の生活に車がないと成立しないゾーンに暮らす人々の「道具」
この3つになってしまいました。

だから地方に行くと軽自動車と、アクアやノート、デミオくらいまでしか走っていません。
大きな車は庶民感覚のないお巡りのクラウンくらいです。
クラウンが軽を停めて取り締まってる風景を見ると、地方はいじめが文化だなあ、と一種の諧謔にさえ見えます。

どうして、ここまでマイカーの夢が薄くなってしまったのでしょう。

それは日本人の生活の感覚の変化や、暮らしのお金の比重と配分が変わって行った。

マイカーは家の次に一番高い買い物で、それですらローンや下取りといった、マーケティングの作戦で、車検ごとに新車を買うような、夢見たいな時代も過去に存在していたのです。

私は消費税の導入が大きな分かれ道になったと書いた記憶があります。

1990年頃に、海外の自動車雑誌を読む私は、日本は生活場面の中の自動車価格が
安いなあと痛感しました。

工業生産力が着いて、日本人の収入と自動車価格のバランスは最小だったのが、
1980年代で、アコードのセダンでローグレードの何も付かないのは130万くらいで
買えていました。
最もそんなローグレードは今の時代のヘンタイしか好まず、売れるのはフル装備
からでした。







私は日本の自動車社会の未来は、はっきりいってほぼ無いと思っています。
お隣の中国の消費経済と社会が、日本がうまく行っていた時代を考慮して
かなり庶民は夢が持てるような政策を取れているので、統制国家でも不満が少ない。
香港の民主化のような国家の弾圧があっても、エサがあれば国民は着いて来ると。

日本は階層が上下に分かれて上の人は、ヴィンテージカーに乗って豪華イベント。

下の人はクルマ?そんなの関係ねえ!
そんな社会に2025年という区切りの年は完全に分離しました。

マイカーも若者のオートバイも、みんな20世紀に流行ったもの。
だから今後クルマにお金をかけるのは、重税払って、自分の人生制限をかけるようなものに、若い人はとっくに気づいています。

私たち年寄りは運転ミスすると社会的に「死」の時代ですから、もうマイカーは、軽自動車でも運転することを楽しいなんて思わずに、離れて行った方が良いのかもしれません。

Posted at 2025/05/23 04:51:37 | トラックバック(0) | オンザカー | クルマ
2025年04月29日 イイね!

一区切り

一区切り30年ぶりくらいに自動車雑誌の取材を受けました。

個人的にはニュースなんだと思います。
打診が来て、私でいいのか?と思ったくらいです。

取材は4月3週の月曜日で、その後事実確認のやりとりをして、もうゲラまで見て
へえーっと感心しました。

私の長い趣味人人生の、総まとめ。一区切りのイベントだったのかもしれません。

最近60代中盤から後半に向かう私は、色々と時代の針が進んで、自分のことを
時代が追い付いて、評価や認められるようなケースが、徐々に出ていることを
感じています。



SNSのあるところで、やりとりだけしている若い方(と思ってる)が
私の自動車遍歴を見て、地味な欧州車をピックアップしてきた
一つも目立とうというクルマの無い私のキャリアにびっくりして、
そういった知られないクルマ世界まで、最近の若い人は興味の触手を
広げていることにも気づきました。

もちろん私も嬉しいですが、国産車の世界が10年以上落ち込んで
新車の性能向上で、車が勢いで売れた時代は遠い過去になり、国産車から
外国車。現代の車が面白いのが少なく、過去のプロダクトの欧州車の良さとか
そういったものに、やっと目を向けられる時代が来ていると思います。

地味な欧州車こそ味があると思うようになったのは、大学時代に、周囲が
新車のターボだ、ツインカムだ、という時代に、ちょっと大人の感覚と
見識の高い「カーグラフィック」という高級な自動車雑誌に、世界の扉を
開かれた友人先輩らがいました。
私には編集長の小林彰太郎信者にしか見えなかったのは、へそまがりだったからです。

そこでどっちも、なんかなりたくなかった私は、独自の道を、洋書雑誌店に
売っていた、英国の「motor」「Autocar」といった地味なスタンド売りの雑誌を
読むことで、やっと本来の自動車というものは、主観的なインプレッション記事を
読むのでなく、こういった性能や室内長の比較から始めるものだと気がつきます。



記事を書きかけて10日以上止まってしまいました。

27日には大阪の羽曳野で行われたイベントに久しぶりに出ています。




Posted at 2025/05/10 03:55:57 | トラックバック(0) | つれづれ日記 | クルマ
2025年04月04日 イイね!

合理性神話は正しかったのか

合理性神話は正しかったのか4月の新年度早々に、遠く離れた青森県のニュースで、むつ市の地域生活の必需のスーパーが突然潰れて、閉店会社解散。前日に八戸市で長年クリスマスケーキをイベントトレーラーで盛り上げていた複数店舗を持つケーキ店のこれも突然閉店、営業終了のニュースに驚いた。



市民に衝撃走る「市民に衝撃走る「きのうまで普通にやっていたと…」 青森県むつ市でスーパーを展開の「ファミリーマートさとう」が事業停止・自己破産申請へ 従業員140人は全員解雇 市長も「衝撃を受けていて…」再就職支援を協議する考え

従業員46人は“全員解雇”「アルパジョン」自己破産へ 負債総額は約3億9000万円か 『朝の八甲田』や『サンタ号』などで知られる青森県八戸市の洋菓子店


(写真はアルパジョンのサンタクロース号)

こういう地方の衰退と経済の地盤沈下のニュースを都会で聞くのは、辛い。
なぜと言われても、現状で打つ手のない現実だからだ。

しかし昭和の時代、36年前にはそんな社会の衰退は起きていなく、地方は地方なりに元気で、「拠点都市」の存在は準デパートのような大型スーパーが出現し、国鉄で移動すれば駅前に出て街を眺めながら歩く楽しみが、広がっていた。

なぜこうなったかを、長くくどく説明するのは大変であるが、一点見落としがちな事実について広げて書いてみたい。


地方が元気だった時代は、今のような3大都市圏に過度な集中が起きずに、日本の社会は分散とバランスが出来ていた。

東京に行くのは若い人の憧れで十分で、地方でも生活のレベルは旧態であっても、充足感や満足な暮らしは、長い時代、極端に言えば江戸から明治、大正、昭和の流れで、ほぼ卑屈にならずに送れるようになっていた。

鉄道網の完成が、それを達成して、北海道の北から鹿児島まで、自由に行ける社会が完成していたのである。



古いモノクロ写真であるが、1981年の盛岡駅。地方に活況が一番あった時代で、上野を夜に出て走って来た列車が、福島、仙台を過ぎてようやく盛岡について、下車をした。背後に見える東北新幹線盛岡駅は、翌82年にここまで開通し、東北にも新幹線の時代が来た。

今日は新幹線を批判するのが目的でないが、効率優先という戦後の日本に住み着いた近代の魔神が、どこまで正しいものだったのか考えてみる。
1964年の東海道新幹線は、建設当時は「日本の3大バカ」とまで言われて、失敗するとか、無用論が吹き荒れた。しかしあっという間に戦後の日本の奇跡のような大成功の原動力になり、格段に便利になった東海道ベルト地帯は、工業や商業が大発展して、戦後の敗戦国からGNP2位の国に成長を達成できた。

その時代に少年だった私は、新幹線開通時は大阪にいたが翌々年から九州に移り、九州に新幹線が延伸したのは、11年後の1975年、半世紀前の出来事である。
長閑な風景の広がる山口県は、その後は置き去りになり、九州の玄関は北九州地区から博多駅の福岡市に重心が移る。



1960年代の初めに「建設不要論」も出た新幹線は、75年に山陽新幹線、82年に東北と上越。そこから東北の延伸、奥羽方面や秋田まで伸ばし、九州は2011年に先に熊本から先の鹿児島が開通した。
整備新幹線と言い、国鉄時代の開通はすごく建設に慎重だったので、国会で採決をして決まるものであったが、国鉄が解体されて民営のJR各社になると、新幹線は地方が渇望するようになって、同時に地方は人口の減少が始まって、私が見てきた意見だが、活気がなくなるのに「新幹線は是非欲しい」が、矛盾しているのに強引に建設が、国鉄時代とは別会計で、あちこちで進められた。

そのうちに海外でも新幹線があれば、という時代になり、今の中国の夢のような高速列車網は、もう当たり前のことになった。

国鉄や前身の鉄道省は、国が経営する国家統治の大事な政治機関であった。
今の時代に国の責任は、問われるのは民事の訴訟くらいで、国家経営的な分野は、誰が見ているのか。
国会と国会議員、首相と官邸、それから各大臣のいる内閣。その手先が各省庁のトップ官僚が働いて、昭和の時代は、似ているがもっと存在感が違っていた。
国鉄は運輸省が管理責任の一端を持ち、大きな事故が起きると運輸大臣の元に新聞記者が詰めかけた。

運輸省が建設省と合体して、国交省になったあたりから、国の支配は薄れ、JRも新幹線も、騒がれない程度の認可事業になって行く。

さあこの頃から、新幹線が開通すると「引き換え」に在来線は、国鉄継承のJR なんとか本線から、3セクの地方交通線に一気に格下げされて、特急急行の優等列車は走らない、ただの距離の長いローカル運輸機関に転換されるのが、当たり前のことに変わった。
当然身の丈も小さくなり、維持経営は県単位。そんな青森や秋田に大きなお金を稼ぐ力はない。公務員が稼ぐ発想は薄い。



つまり、新幹線というものは「打出の小槌」的に開通すればお金が儲かるという、地域経済の振興どころか、100年以上かけてその地域が、市と県単位で営為してきた地方自治の根底を覆して、地方衰退の加速化だけに直結する、「都会へのストロー」になっていることを、いまだにやめずに、「もっと新幹線を」ばかり合唱している。

地方出身の国会議員と、県知事あたりが。

さてなぜ彼らはそう言い続けるのであろうか。
便利になると全てが解決すると言った無批判の神話を信じ込んでしまっているのではないか。
実は新幹線が究極の合理化の象徴であることは、疑えないが、その地方と都市には、新幹線が出来るずっと以前には国鉄の拠点があった。
交通の拠点にはたくさんの複雑な交通用の車両を動かすために、多くの人が働いて従事していた。
その労働者と家族だけで、町の単位の何割かを占めていた交通の要都は、国鉄の解散で一部はJRに引き継がれたが、新幹線が頭ごなしに開通すると、何とか駅は作れても、もう鉄道運輸の拠点では無くなり、人が定住して生活することが減っていった。

それが10年、20年と続いて、今の地方の断末魔に繋がっている。

では、交通機関が速度を上げて行って、新幹線の300km/hが当然の時代に、国鉄時代を引き継いだ最高速度100km/hから130km/hの交通機関は、どんな感じで生き残ったり、存在し続けたら、うまく地方社会が続いていたのだろうか。
大変難しいテーマであるが、合理性だけ追求し続けたら、今のような社会の成長と結果が起こってしまった。
それについては、長くなったので、別の機会に掘り下げてみたい。
Posted at 2025/04/05 04:55:15 | トラックバック(0) | 回顧録 | クルマ

プロフィール

「AI構文と少子化の時代 http://cvw.jp/b/176891/48478480/
何シテル?   06/10 02:28
車は殆ど処分して、1971年登録のフィアット850クーペに 1987年以来、乗り続けています。 住居は昭和4年築の、古い日本家屋に、現状で住んでいます。
みんカラ新規会員登録

ユーザー内検索

<< 2025/6 >>

1234567
89 1011121314
15161718192021
22232425262728
2930     

リンク・クリップ

趣味とかその対象はどうなっていくのか 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2020/04/01 18:15:22
タイ製L70ミラ・ピックアップのすべて 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2015/02/22 10:52:34
春の1200kmツーリング・中国山地の尾根を抜けて 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2014/05/11 05:49:46

愛車一覧

ホンダ スーパーカブ50 プロ ホンダ スーパーカブ50 プロ
中古のスーパーカブを買いました。 原付に乗るのは40年ぶりです。
フィアット 850 車の色は空のいろ。 (フィアット 850)
2016年10月、三年半かかった車体レストアが完了し戦列復帰、その後半年、また以前のよう ...
プジョー その他 26インチのスポルティーフ (プジョー その他)
高校の時から乗っているプジョーです。1975年購入。改造歴多数。数年前に自力でレストアし ...
シトロエン ベルランゴ ゴールデン林檎 (シトロエン ベルランゴ)
還暦過ぎて、最後の増車?!。 見たこともなかった人生初のRV車を、九州生活のレジャーのお ...
ヘルプ利用規約サイトマップ
© LY Corporation