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2012年04月18日

スーパーカーの来ない旧車行事<続>

スーパーカーの来ない旧車行事<続> 長くなりましたので、2つに分けます。

趣味と言うのは何のためにするのか。
敢えて目的はないのですが、後から考えると
人の心や、身に付いた人徳のようなものを
少しずつ豊かにして行く。そんなものではないでしょうか。

もの心の着いたときより、小3くらいで切手収集に
目覚めたあたりから、僕はこれで一生やっていこうと、
決心していました。


道を究めんとすれば、最初モノに行き着きます。
モノが手に入れたければ、等価交換という方法か
カネによって入手するしかない。
よく、すごく頑張っている人のお話を聞く機会があります。

でも私はお金のない子供時代から、趣味の道について
考えました。ずるいことや悪いことをして手に入れたいものを
手に入れても、それは曇ってしまうのです。
マイダスの腕ではありませんが、ゴールドに狂っても
仕方ありません。
それならどうしたら良いかというと、真に欲しいものが
出て来るまで自分を育ててじっくり待つのです。
でも真に欲しいものというのが、一番難しい。それが
何かと言うのが普通判らないからです。
ランボルギーニ・カウンタックなのか、ディノ206なのか。
そんな判り易いものが「欲しい」というのは或る意味微笑ましいのでしょう。

私のように20代でフィアット850クーペに出会えてずっと
乗り続けるということは、いろんな幸運とその後の姿勢の
面で、示唆的な意味があります。
できれば田中むねよしのボルナツより、柳むねよし(宗悦)
の「蒐集物語」の方を、読んで欲しいですね(笑)。


さて米子の話題に戻りましょう。

2007−2008のポンテに参加して、一番の収穫は、岡山県の
真庭郡に、市制移行の時に「光栄ある孤立」を守り通した
新庄村という桃源郷のような村があることを知りました。
ぶーちゃんと「あそこは良かったねえ」と反芻したくらいです。

ポンテ終了後も、後番組のバリオストラーダと言う自主開催の
アングラ劇が2年続きましたが、3回は持たず、昨年は有志で
ツーリングドライブするだけという程度に止まりました。
岡山県下は別に、山陽新聞が何とか事業にしろ!とスーパーカーを
持って来て、なんかやっているようです。
それはチビッコのアトラクションならいざ知らず。ヒストリックカーを
大掛かりに連ねて走る意味は、まだ美作の地では、文化に至って
いないのだろうと思われます。

失礼かもしれませんが、辛い意見と言うのはこういうものなのです。
近接した香川県にかかる、小豆島のヴィンテージイベントの存在が
昨年まであり、これも田舎のエゴ剥き出し合いのひとつでした。
調整が出来ないから、勝手に春に同じような趣旨のイベントが
バッティングする。大阪出発点のラフェスタ・プリマヴェーラという
イベントも、神戸時代のポンテの翌週でした。
これって両方出ている人は2週連続の精神的自慰ですよね。



1999から2008までのポンテペルレは、一つの時代を創りました。
後半はかなり自主開催色が強く、神戸市とJTBが離れていきました。
でも私は後半を評価しています。

2008年頃からの混乱にうんざりしていた私は、昨年から米子に
遊びに行くことに決めました。
春先には以前は神戸の「ちっちゃいくるま」などの国産小排気量の
イベントがあったのですが、フィアットフェスタも6月に代わり、
春の「番組」が無くなったと言うことが大きいです。



昨年は、鳥取で海側に出てしまい、そこから西の海に沈む夕陽を
追いかけながら、ひたすら倉吉、大山の山麓、米子と走り抜きました。



そして親しくなった旧友の家に泊めてもらい、歓待を受けました。
今年は開催時期も4月になり、桜の見られる季節が重なりました。
あの時の岡山県下のコースが、ちょうどその時期であったことを
思い出させてくれます。




そうして迎えた15日当日朝、米子の町にある旧米子市庁舎と
現在使われていない、村野藤吾という建築家の作品である
公会堂を見て来ました。





昭和初期の旧市庁舎は、その頃の町の勢いと、少し気負った国威
掲揚の背伸び感が感じられ、反対に、にっこりしてしまいます。
戦後昭和30年代前半の公会堂には、村野藤吾という一流建築家に
依頼した市民の「あすなろ」感が詰まっており、何とかこの建築を
再生して欲しいと思いました。しかし耐震基準や、老朽化の問題は
明るい時間に初めてみて、はっきり感じました。
取り壊して造り変える以上の費用がかかっても、この建築が残される
価値はあるかもしれませんが、建築家はボランティアではありません。
安藤忠雄級の建築家に全面改装を発注できないと、このユニークな
表現主義の建物は、生き返らないと思います。
それだけに負担はどうするか。チボリをつぶしてしまった倉敷市と
米子は、格の似た、准県庁所在地級の町なのです。



会場に着きました。旗が崎地区にある米子自動車学校は
公会堂と同じ時期の昭和30年代の前半に設立されたそうです。
国道9号線が舗装化され、山陰の動脈が完備されました。

昭和36年には、山陰本線に特急「まつかぜ」が走り始めます。
米子は鉄道管理局のある町になりました。山陰線東半分を担当する福知山とともに
中部と西部は米鉄が責任を持ち、特急を走らせられるだけの「市」に昇格したのです。
市内の後藤駅横には、真新しい「まつかぜ」用のキハ80系や急行用58系を
整備出来る後藤工場が近代化され、「まつかぜ」には食堂車も連結されました。
高校を卒業する地元の女性は、食堂車のウェィトレスとして働くことを夢見、
工業高校、高専の生徒らは、後藤工で新しい時代のディーゼルカーを整備したい
と勉強に励みます。
1本の特急列車というスジが走り出すことで、東京や大阪という都会に出て行ける
という直接の影響だけでなく、雇用から町のプライド上昇まで、夢の広がる幸せな
時代でした。僕の好きな鉄道の物語は、こういった人文科学的な歴史性なのです。

反対にいま、一番足りないものは、夢であり、希望であり、プライドであります。
特急列車に何かがあってはならないと、管理局長も、駅長も、保線区員、工場の
技術者も、食堂車の女性従業員も「自分の職場」では、責任を持って働きます。
働くことが、ぼやけた目的性の行為に墜ちたために、日本は原発事故をはじめ
のたうち回っているのではないでしょうか。



おりしも昭和40年ころには、全国を“巡業し”テレビ放映のありがたさを知らしめた
NHKテレビの「ふるさとの歌祭り」が米子から中継されたのを見た記憶があります。
きっとあの会場は完成して数年の、米子市公会堂だったのでしょう。
宮田輝のファンだった少年は、「よなご」という地名をその時から覚えて、
家に何時も置いてあった時刻表で、その位置を確認したものです。

あと、大山山麓の母里や法勝寺方面まで出ていた、法勝寺電鉄が昭和42年頃に
ひっそりと消えて行きます。法勝寺電鉄は晩年、米子発祥の日ノ丸自動車の
鉄道部門でした。
鳥取には、大阪と複本社制を敷く日本交通と日ノ丸自動車という名前だけ聞いたら、
どこの会社かというような、壮大な名前のバス会社が2社あります。
イベント会場の鳥取自動車学校も、バス運転手の需要も設立目的の一つで、特に鳥取は
高速道発達以前から、ロングラン路線の運行には意欲的で、鉄道の好敵手であったこと
(今も)ということを、付け加えておきます。

ところでこういった、地方都市での旧車のイベントに、本当に相応しいのは、
懐かしい昭和の時代の国産車なのかもしれません。
しかし、これが難しいもので、都会だとびっくりされる、パブリカやスバル360に
しても、地方だと「ほんのちょっと前まで、ゴロゴロ見掛けた」ということで
イベントのアトラクションにならないのかもしれません。

では何を持って来るのがよいか。
岡山が単純にスーパーカーというのなら、山陰鳥取の意地で、渋めの外国車を
集めてくる。偶然こうなったのかと考えさせられました。



実はこういったエキゾチィックな外国車趣味は、一旦都会に出て行き
また故郷に戻って来た、昭和40年代生まれくらいの人たちの共通項なのでは
ないかと思うのです。
「山陰にあるアルファ全部が来ている(笑)」といった関係者のコメント
だけではなく、元々地方出身者である私の外国車趣味も、大学生でいた京都から
始まっています。

そんな中に秘めた情熱とでも言いましょうか。抑えた渋めの通好みというのは、
最初の章に書いた、主催中心人物の方の趣味、ベータトレヴィ好きというあたりに
実に反映していると思うのです。
裏日本という言葉が差別的と言いますが、私は禁欲的な快楽主義とでもいうような
松江の松平不昧公を出したような、山陰的な渋い通好みの枯山水が好きです。

ちょっと長くなった項でしたが、以上のような分析が私の山陰研究であります。
また何か感じることがありましたら、感想をお聞かせ頂くと、幸いです。


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Posted at 2012/04/18 03:29:31

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この記事へのコメント

2012年4月18日 8:05
「コレクションというのは、胸を張って自慢できる物でなければ意味がなく、汚い手を使って手に入れ、隠し持たなければいけないような物は輝いていない」…と言うのはとある漫画の受け売りですが、趣味に対するスタンスも一つの物を極める人、集める事に喜びを感じる人など十人十色で難しいですねσ(^_^;

確かにトヨタ2000GTやらディーノやらストラトスやら“凄い”“カッコいい”と感じる車はいっぱいありますが、本当に“欲しい”と思った車に最初から乗れた自分は幸せなのかもしれません(ポンコツですけど)
コメントへの返答
2012年4月18日 12:41
ヨタハチのよさって何でしょう。
僕は実世代の少し下ですが、少年時代に最も好きであったクルマのひとつです。

トヨタが、世界に出て行こうとする時に、2つのスポーツカーを創りました。2000GTとスポーツ800と。ここだと思います。

2000GTは、ヨーロピアン調のジャガーEtypeやフェラーリに準えられますが、その視線は彼らが成功していたアメリカでの評価でしょう。

反対にS800は、量産車のコンポーネンツを用いたけれど、本格的なスポーツに使えるベターハーフ。
後のAW11やフィアットで言うX1/9の思想です。
セリカGTの時代に存在したTE27の存在も近いですね。AE86や現在の86スポーツは近いけれど、どっちかというとKP47や61の方が、運転した時に「これだ」と思うかもしれません。

まだまだこれからいろんなクルマを勉強してみてください。ビックリするようなことはたくさんありますから。
水平対向2気筒のドイツ車や、二輪もですね(^^


2012年4月19日 7:12
渾身のご考察、大変興味深く読ませて頂きました。

> 趣味と言うのは・・・人の心や、身に付いた人徳のようなものを少しずつ豊かにして行く。そんなものではないでしょうか。
⇒ まことにもって仰る通りだと思います。
もっとも、「他人に判り難いものばかり目が向くという趣味」と、自分の信条である「マイノリティへの共感・メジャーなものへの懐疑」は、今に至るも自分の中で、どっちがニワトリかタマゴか分らないのですが・・・。

> 僕の好きな鉄道の物語は、こういった人文科学的な歴史性なのです。
⇒ 鉄道趣味の素晴らしさを1言で表現できるkotaro様のご才能、まことに羨ましい限りです・・・。
  鉄道趣味というのは、「モノ」「旅・旅人」「流通・社会」「歴史」 といったものを包括する含蓄のあるものだと思うのですが、「モノ」にのみ意識をエスカレートさせる輩は、危険行為をして電車を止めたりゴミをポイ捨てしたりと社会性が欠如していくように思います・・・。

> 働くことが、ぼやけた目的性の行為に墜ちたために、日本は原発事故をはじめのたうち回っているのではないでしょうか
⇒ 今日のご考察は、凄く重いですね・・・。これ以上、下手なコメントは出来ません(汗)。

(村野)建築については、そのうち自分でも何か書いてみたいと思います。

まずは、長旅お疲れ様でした!

コメントへの返答
2012年4月20日 4:38
私の独白みたいな文章に、お付き合いいただき、感謝いたします。

山陰の旅というのは「越えて行く」旅なので、私のように山陽側の瀬戸内海がルーツの人間には、険しい峠や、山道の間に、一瞬ほっとするような山里を見つけると、その町の何百年もの歴史について、ぐるぐると頭を回転させながら、考えることが、実に楽しいのです。

数年前に、岡山県の山間部にある津山と言う町に発作的に泊まり、タワーホテルの上層階からみた、ミニチュアパノラマのような、津山駅と機関区構内に、見惚れました。
そして街中で入った小料理屋の板前と会話。「この街は、岡山の海沿いや、畠で取れた野菜と、山陰の魚の両方が食べられる」という言葉に、感銘を受けました。
この町から平沼騏一郎も赳夫も、B’zの稲葉さんも出ているのです。

また町にあった古いジャズバーに、60年代の格子グリルのJBLを見つけ、そんな時代から、ここにはジャズ文化があったのだと、深くウイスキーの味が滲みました。

男の旅は浪漫でありたい。
その為に旧い車を駆り、伝統や歴史に付いて、想いを巡らせながら、来し方の道に残った痕跡をひとつひとつ剥がして行くという作業。
頭の中に入っている知識と家にある書物群、でも現地に行って実地に見るだけでなく、人の懐に飛び込んで“インタビュー”しないと、その町の空気と言うのは、わかりません。

これからも空気感のある文章を書いて行くために、精進しようと思います。
2012年4月19日 23:02
数年前、初めて米子に家族で出掛ける機会を得ました。
その時に、「何と豊かで風光明媚な所だろう」と妻共々感銘を受けました。その印象は三回目の今回も変わっていません。

この居心地の良さの理由の一片が分かって来た気がします。

相変わらず博識ですね。後藤工場が米子だったと初めて知りました。集煙装置しか知らなかった…
コメントへの返答
2012年4月20日 4:55
遊となつめが、あおいちゃんくらいの年の頃、サマーキャンプで行った大山を妻が気に入り、私とミクリも揃って家族で翌年夏に2泊の旅をしました。

私と長女が朝から先発し、青春18で姫路ー津山ー新見回りで米子に出て、レンタカーを借りる。学習塾の終わった長男と残りの2人が「スーパーはくと」で神戸から倉吉まで乗り、各停乗り継ぎ後、大山口の清々しい風景のホームに降り立ちました。

そこで家族全員を拾って、桝水原のキャンプ場へ。山遊びに飽きたら、境港や美保関に遊びに行き海で泳ぐ。路端で打っている干物のするめを買って炙ったり、夜は温泉に入りに行ったり、最後は植田正治の写真美術館に行き、レンタカーを返し長旅は終わりました。帰りは余部鉄橋回りです。

旅の名プロデューサーでしょう。
ぜひご参考に!


2012年4月23日 1:05
丁寧な米子の地の解説付きで
地元民として興味深く読ませて頂きました。

>道を究めんとすれば、最初モノに行き着きます。
>モノが手に入れたければ、等価交換という方法か
>カネによって入手するしかない。
>よく、すごく頑張っている人のお話を聞く機会があります。

このあたりの話 非常に感銘を受けました。
私も 欲しいけど若くて金が無く手が出せない。
でも いつか手に入れる日のために
話だけでも聞いておこう と
心なしか昔から務めていた気がします。

今回 イベントやってて気が付いたというか
私は 車そのものも大好きですが
その背景にある 異国の文化を知る手掛かりや
苦労して飼っているオーナー=人が好きなんだなぁ
と思いました。

そういう意味で 現代車オーナーでは
エピソード的に物足らないのかも知れません(汗)

また 米子のその当時の活気や気質は
誇れるものがあったと思います。
私が子供の頃の商店街での「土曜夜市」は
毎週末が お祭り状態で 賑やかなものでした。

今は 震災がれきの受入やメガソーラー頼みの
他人のお金を目当てにする情けない街へと変貌し
情けない限りです。

あと イベントで 地味目の欧州車が多いのは
私がそういった知人が多いためであって
狙ったものではありません(笑)

派手なスーパーカーは 山陰には少なく
他の地区から遠征で米子に来られるよりは
もっと目立って大事にしてくれるイベントへ
足が向くから仕方がないかなぁ と思っています。

色々なイベントへ参加経験のあるkotaroさんが
米子の常連として 毎年のように来て下さるのなら
これ以上ない賞賛として受け止めておきます(笑)
コメントへの返答
2012年4月25日 10:46
米子っ子のlancistaさんから、今回の記事にいただいた最後のコメントは、総評だと思って、応対しております。

冒頭に書いた趣味の道に対する精神は、僕の生き方であり、メジャーになれない(ならない、笑)所以であります。
僕はこれなんです。会社でも怒られました。
バーのマスターにも管理職になれない人は、本当のジャーナリスト?と、仲の良かった人だけに、譲れませんでした。

嫁さんに「アンタは日本人じゃない!」と呆れ果て切れる寸前に出た本音。これは最高のお誉めと思って胸にしまっています。
そんな私の変人ぶりを陰ながら支えてくれる大事な友人たちや、家族には感謝しています。

こんな趣味のやり方で良いのでしょうか。
生き方までどんどん隘路に入ってしまい。
でもあの時にポンテに出なかったら、この出会いももう少し違ったものになっていたかもしれません。

山陰の人たちに対する交情は、日本海に出るという目的や、遠い記憶をより戻すようなノスタルジーを感じながら、想いを馳せております。
意外とよい人たち、良いイベントが多いです。
三朝のフレンチカーのイベント以前には、シトロエンクラブの数名がラジウムまつりのキュリー夫人にちなんでフランス車を走らせました。

息子が生まれた歳に、出雲ドームでミーティングがあると聞いて西宮の家を出たら、交通事故に遭遇。結局「やくも」で松江に向かいました。
BXが廃車になった時の旅です。

それでも山陰の国の女神様たち、伯耆や出雲の神様たちは、僕のことを忘れていないので、こういった楽しい旅が一生出来る物だと感謝しております。

鉄道旅の懐かしい印象は、最新投稿後半に、追記いたしました。

>毎年のようにきていただけるか?

それはボクの懐のサイフ次第(笑)で、あとlancistaさんの粘り強い交渉術と実行力だけだと
思いますよ(^^;
ぶーちゃんという畠はもう、耕せていますからね。


プロフィール

「やっぱり。言わんこっちゃない。「トヨタ、センチュリーを独立ブランドに クーペ開発でラグジュアリー市場拡大」https://x.com/i/trending/1977788758218219921
何シテル?   10/14 09:32
車は殆ど処分して、1971年登録のフィアット850クーペに 1987年以来、乗り続けています。 住居は昭和4年築の、古い日本家屋に、現状で住んでいます。
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