2010年春の休刊から、もう2年になります。
雑誌NAVIが、二玄社というカーグラフィックを出している
出版社から創刊されたのは、1984年の初夏でした。
私が大学を出た翌年のことです。
実はここは書道関係の書籍が主な仕事の、地味な専業の
出版社だったのですが、1960年代前半の自動車雑誌がわずか
だった頃に、いろんな経緯からカーグラフィックを引き受ける
ことになりました。
それから20年が経ち、めきめきカーグラフィックは分厚い雑誌に
なりました。
広告がいっぱい付いたからです。
昔は編集と広告の仕事は、コミュニケーションのリレーションでも
水と油の、“階層分離”した仕事で、マスの仕事に入社しても
全く別部門に配属されたものでした。
今はどうなんだろうなあと、僕は思います。
ネットや、ウェブという仕事で、厳密な線引きや、「この情報は
『紐付き』(お金が後ろについている、作為的な情報であること)
だから、一般取材記事とは、扱いを別にしなくては」という
厳密な区別、もっというと弁別を行う必要や、僕らの頃のような
仕事のジレンマは、それ程無いのではないでしょうか。
1980年代の前半は、とにかく広告の踊った時代でした。
糸井重里や林真理子らの才能はコピーライターというカタカナ
職業への憧れとなり、電通とか博報堂といった名前だけ聞いたら
何の会社?という企業が、一番カッコ良い仕事のように、もて
囃されました。
この時代を駆け抜けた、同期の戦士たちとは、機会があれば
語ってみたいものです。僕は編集だけが、ジャーナリズムとも
思いませんし、優れた人はどんな仕事の中からでも、その本質が
見抜けていると思います。
さて、NAVIという雑誌は、カーグラフィック編集部の中でも、
小林彰太郎という抜きん出た才能の次に、優れた編集資質のある
大川悠を中心にして創刊されました。
高島鎮雄というディレッタントのお手本もおられますが、何か新しい
ものを創るなら、大川だろうなという、見解だったのだと思います。
それと、これだけCG本体に附いて来る広告が多いのは
きっと新しいウオンツが、自動車そのものの産業以外にあるの
だろうと、鋭い感覚の人たちは、読んでいました。
それが80年代の「何か生まれて来る」流れだったと思います。
2010年の春に、NAVIは突然休刊しました。事実上は廃刊で、また
時代が変われば、出すであろうかというのは、ファン心理です。
なぜNAVIは、まだ売れているのに、止めたのだろうか。
結構固定読者や、かつてのNAVI信奉者から、いろんな声も
出ましたし、ショックだったという反応も多いと思います。
実際の元編集部員であった
小沢コージの手記を丁寧によむと
大川の跡を継いだ鈴木正文編集長時代のことが「事件」として
特にウイキなどでは書かれていますが、僕はマスコミでは当たり前
の出来事だと思います。あのフランスの核実験に対してフランス車
でデモをやるというハシャギは、殆どノリ、思い付きレベルに近いの
ですが(私もやりたかった^^;)、2012年の今から見ると、どうしても
醒めてしまうの感は否めません。
あの時の編集部員が二つに分かれたという事件(後で知りましたが)、
やっぱり居づらくなったのか、鈴木編集長が部下と新潮社のENGINE
創刊に行ってしまったことなどが、雑誌の活力を弱らせてしまったと
いう意見も、よく見掛けます。
しかし92年頃の湾岸戦争の時には、田中康夫らは、作家連盟として
「反対」の意思表示をしていました。その直後の鈴木の行動は、
「あり」じゃなかったかなあ、と僕は思うのです。
元アカとか、その辺の殴り書き(ウイキ)は、感情がこもっていますので
僕はウイキを読んで、プルプル来る人はアホやと思っています。
右や左のバイアスの話はやめましょう。
しかし凡庸な人ばかりが、次々と編集子(エディター)になって、
雑誌は面白くなくなりました。大川、鈴木時代の遺産で喰ってるなあ
というのは、僕ら読者にも判っていたし、徳大寺さんも「仕事だから」
と出て来ているが、編集部、編集室の空気(テンション)が下がってくると
惰性でやっているのも、疲れて来ます。
よく10年持ったなあと、僕は反対に思いました。
雑誌は創りたいから作る、作りたい人がいるから、出すのであって
90年代のバブル(懐収入の増加)で、高価な生活を維持する為に
媒体(いやな言葉ですが広告用語です。いまは「メディア」といいます)
を出し続けるというのは、知らしたいことがあって、本をつくるのとは
全く逆で、まさに本末転倒です。
今の日本が退屈で、面白くなくなったのは、贅沢な生活を維持する為に
働くのが、「当たり前」になってしまったからなのでは、ないでしょうか。
さて、ここからが、新しい(笑)、僕の独自論です。
NAVIはなぜ、止めてしまったのか。もう少しリニューアルすれば
何とか続いたのではないか、という現実論的な意見に反論しましょう。
あれは、廃刊休刊でなく、「解散」なんです。バンドやセッションと同じ。
つまり、その昔の「はっぴいえんど」や「ティンパンアレー」と同じように
考えてみてください。
細野や大滝に当たるのが、鈴木や大川氏であって、小沢コージのような
若い才能も、顔を出しております。
古くは松本葉が、初期の大貫妙子のようにいてましたが、松本は
3代目編集長の小川文夫の姉妹の友達ではなかったかな。
外部のスタッフ、寄稿者というのは、セッションのひとりひとりのプレーヤーです。
楽器の代わりの才能を持つ。
その辺のところを理解出来なく、サラリーマン的や、ネットの文字だけを見て
判断する人たちが、あまりにもつまらない解釈をし過ぎています。これは
現代の弊害です。頭だけでもの事を考えていては駄目です。日本のいちばん
行き詰まっている原因の一つでしょう。
もっともっと、もの事は、遊び感覚的に捉えないと、良いものは生まれません。
NAVIはね、良い音を出していたバンドだったのです。
「ええ感じ」というのは白熱のセッションがヒートアップして、お金を払って
見に行った観衆も場の空気に包まれて、このライブっていくらだっけ?というのを
忘れさせるような、恍惚感のときを指すのです。
だから、もうこの辺で、止めようか、という「天の声」は痛いくらい判りました。
カッコ悪くなっちゃうくらいなら、解散した方が「伝説」になる。
そんな感じの幕引きだったなあ、と僕は感じたのでした。
ちくしょう、なんて東京的な発想なんだ! 当時の僕は舌を打ちました。
あれから2年が経ちます。もう皆、NAVIのことなど、あったことすら忘れているでしょう。
それで良いのです。
自動車に乗ること自体が、どういじっても「クール」になりにくいなら
ゴリゴリの特化した趣味や、知識オタクに走るのも一つですが、
私も「エンスー」という言葉に感じられた、本来の義のエンスージアストを
揶揄った80年代的な諧謔感、上滑りな快走感が好きでした。
この感覚、今の20代、30代前半の方には、チョット判りにくいかもしれません。
僕のブログを読みながら、面白いコメントをいただければ、幸いです。