
歳を取ったなあと思う。
昨夜、こういう遊びのおしまいに
ある雑誌読者の集まりのパーティーに行って来た。
雑誌の名は「昭和40年男」という。
ご存じの人もいるだろう。
1965年生まれの世代に特化した
ワンテーママガジンである。
私は彼らの6才上だ。
だから、48、9才の後輩たちの「同窓会」を横で
見させてもらっていた年上である。
「50になりたくねえなあー」
40代の終わりの彼らの本音も聞いていた。
いま、輝いている50代はいない。
昔はサラリーマンなら仕上げの10年弱を、駆け抜けていた。
私が子供の頃に見た、SL蒸気機関車が、引退を前にして力強く線路の上を
走り抜ける姿を重ねられたものである。
今は、生きているだけである。
生きることは本来、楽しくなければいけない。
10歳以上上の、昭和20年代前半の人々の50代と何が変わってしまったのだろう。
包まれている空気が全然違う。
定年後の約束や褒美もうんと少ない。
寿命が延びたと勝手に言われて、5年くらいお預けの間、いやいや働かないと
生きてはいけないとすら、言われている。
ライフ、人生について、
うんとスケールダウンしないと、ポスト団塊世代は生きてはいけなくなる。
まだ会社に残って、勤めている人は給料生活が先細りになり、
これほど無情なことは無いだろう。
アツく、ものごとを語ったり、次の夢を見ることも見ることも難しい。
それを判っていて挑戦した私も、そろそろ考え方を変えて行こうと思っている。
50代後半、何が出来るのか。前の世代の背中だけでは、夢は見られない。
友達仲間とクルマのサークル、音楽バンド、そういったものも残っているが
そろそろ時代が変わって行くように思われる。
最大の損失は何だろう。
デフレ時代の洗礼のように、自信を持てなくなることの勇気だろうか。
書いている文章が、しょぼくならないように、無理矢理、進軍ラッパを吹かねば
ならないと、何度も考えてみたが、それは出来ない。
あまりにも、1950年代前半までと、60年以降に生まれた人とでは、この大事な
10年くらいの人生の過ごし方が、変わってしまっているのである。
その時間に何も考えずに生きられるのと、考えが変わるくらい辛い現実が
待っているのとでは、違い過ぎるし、反乱も出来ない。
もっと上の世代から「嫌なら(この国を)出て行きなさい!」とまで、言われている
ようなものなのである。
そんな現実の風の中で、僕は5年間いろいろな挑戦をした。
やり足りないと言われれば、反論もできない。
加齢と、肩にかかる介護の負担と、収入源の中で、飛び出せる世界も考えた。
果実は見つからなかった。
ライフランナーの先頭を走り、現象や流行に目を向けずに、25年以上前から
旧車とかオリジナルな価値観をクリエートして来た僕でも、やっぱり苦しいなあ
この年代は、というのが感想だ。
10歳前後年上の先輩らから「お前どうしちゃったの?」と言われても
答えようは変わらない。あなたたちの時代と、違うんだ。それが言えない。
自分たちの責任のように、それがひとつの世間の空気にしてしまっているからだ。
僕らは若い頃から「責任世代」とか、やたらと責任という言葉を聞かされ続けて
きた。無責任という類義語を面白がった時代もあるが、それは真綿で首を絞める
例えだったのだろう。
学校の宿題も責任、免許を取り運転し出したのも、みんなやるから一種の責任、
受験、就職に、一斉に走り出さされたのも、生きて来た年代の責任、
なんてね。
その責任時代はとうとう自己責任といって、詰め腹を切る世の中と、追い詰められる
のも自分が悪いからと言う、ノイローゼ社会にまで、至ってしまった。
いや私は、まだ精神気分がましになった方なので、ここに悲観的すぎないように
書ける程度の力は残っている方だと思う。
結局は、踊らされ続けて、見続けた夢は何だったのだろうということだ。
空を見上げて、宇宙へ飛ぶロケットを見て、国土に建設される、新幹線と高速道路。
都会へ都会へと、就職や大学進学に出て行き、豊かさを追い求め、消費を追い掛け
家の中に増えて行った家財にリア充を満喫した。
平行して異性と交際したり、家族や家庭を作ったり、束の間の人間らしい時間に
俺は生きていると感じたり、それはみんな疑似幸せ装置の中であった。
音楽コンサートに行って熱く共鳴して、夜が明けたディスコの帰りに心地よさを
感じたりも、みんな幸せになりたいと強く願ってきたから出来たのだろう。
てなことを、考えてみたが、やっぱりこれ以上のことは出来ない。
上の世代から「80まで生きなきゃ」と言われることの重さ、重苦しさは
どうしようもない。
わっと、世の中が変わってしまうことは、あり得ない。
考えただけで、危険思想の罪になる。
この国は1000兆円の借金で回っている。その債務保証は高齢者が持っている
莫大な資産価値のあるものが、抵当物件なのかもしれない。
そしてどんどん、高齢化と平均年齢が上昇し、人口も減少して、下の世代の
負担が増えて行く。
本当にそれでいいのだろうか。
高齢者は75歳を過ぎると、健康保険が1割になると喜ぶ。
自分の親がそうなると、子供が喜んでいる。やれやれ楽になったと。
残りの9割はタダになったのではない。
その他の人たちで、分担して負担しているだけなのである。
私の親でさえ長期入院しているし、その面倒を見ていた親族も今は入院だ。
しんどい人は病院へ。高額な医療費は、保険に年金が賄っている。
生き銭、死に銭と言えば、後の方であろう。
頑張れば、もっと負担の軽い特養と自宅療養で不可能でないが、お金があるから
それができる。
お金があるから、無い人のことや、入院したくても空きがないから待っている人の
ことは想像もできない。私たちもしんどいから、何も言わないで下さい。
私たちは悪いことをしている人たちではありません、である。
これからの僕らの生きられるゾーンは、もっと狭い。
その狭き間から、光を照らすのが、僕の仕事なんだろうと思う。
社会福祉でもない。篤志家でもないが、責任に代えて貢献が良いのか。
在野の若い人たちにもっと光を当てたい。それはずっと続けて来て、今の
ライフワークになりつつある。
ただし収入が伴わないと、生きて行けない。
社会貢献は儲からないものだし、巧妙なレトリックを駆使する人も見て来た。
私はひとまず、勤めに戻り、ブログを書き続けるかは、今後の生活時間次第で
判らない。
ただ今が暑い季節だということだけは、窓に溢れる蝉時雨で、わかっている。