
日産の合併騒動からホンダとの破談となりあれよあれよのうちに年度末の3月である。
日本の国内の景気がさっぱりになって長い。従来メディアはタワマンや人の集中する東京の話題ばかり書いて誤魔化して来たが、今、昔は交通の拠点だった国鉄時代にデパートが建ったような駅前に行くと、地方の衰退は現実を通り越して住む人が、未来に絶望したくなるほど、寂れきっている。
そういった現実は2000年からの四半世紀の間に顕著になった、現在の国土の姿なのである。
日本の舵取りの失敗は、政治と行政の二重構造的に計画がうまくいかなかったことが長い。
私は今年66歳になるが、30代だった1990年代にバブル経済の過熱が途切れて、そこからポッカリと日本の未来にブラックホールが出来て広がったように記憶する。
その90年代の10年に子供を3人作って育てた。
本題と違う話だが、少子化社会はなんとなく空気で予想したが、私は父親より子供の数が多い。これはある頃から生涯賃金は父親に負けるだろうから、子供の数くらい勝っても面白いとやってみた。
老後の今は年金でも全く負けて、とても貧乏だが、息子が時どき心配して、釣りで釣った魚を片手に遊びに来てくれる。それでも子供がいないよりいいやと自分を慰めている。
90年代途中からは日本がバブル経済の反省と言って、不良債権の存在を目の敵にし、バブル時代に乱脈経営だった企業潰しを奔走した。これは今に至る自己責任の発想で、そのときに日本を代表するような山一證券や、長銀、日債銀といった国の政策で作った金融機関も潰した。今から考えると日産のような状態と異なるが、金融経済が乱高下したのは、1985年のプラザ合意を日本政府が受け入れて、為替が暴騰して日本に大量のマネーが流入して、日本企業の時価評価額が軒並み世界のトップにいきなりなった。
競争力がついていない時代にいきなりそんな「現象」が起きて、ネットもまだ無いような時代に、国も国民も現実を理解できず、お金が湯水のようにあるので、会社の経費で高級輸入車を買いまくったような伝説が一人歩きしただけである。
それが一部の人や会社が踊ったバブルの正体である。
バブル退治と当時は言われ、本来は「退治」するような化け物ではなく、経済の急性病への対処が解っていなかった。
そのバブルがいきなり弾けたのでなく、1995年1月、関西の神戸で関東大震災以来の大地震が起きて、国民は「何かが終わった」ような気持ちになった。
同じ年の春先の今頃にオウム真理教が地下鉄で毒物テロを行った。これは流行作家の村上春樹が「アンダーグラウンド」という小説を書き、人々の心の中に急速に未来に対する不安が黒雲のように広がって行ったのである。ちょうど30年前の春はとても不安な日本の春であった。
そして1997年後半になると企業経済の破綻が顕著になり、北海道の拓銀や、山一證券などが、救済しきれなくなり潰れて行ったが、庶民の人々は、平家物語のように栄華の終わった企業は「自業自得」と感じていたのではなかったか。
所で私は個人的な見解であるが、日本の経済が段階的に悪くなった主因は、消費税制度の段階的導入の結果で、その結果が、これほど大きいのは、日本人の国民性と真逆だからと、ずっと考えている。
まずバブルが崩壊目前のピーク、1989年は平成元年に4月から3%の消費税が加算された。
この話をするとすぐに昔は高額な買い物に物品税が付いていたじゃないかと反論される。しかし庶民や国民は、昭和の時代は高度成長期が終わった昭和50年代でも、旺盛な消費意欲があり、要らないものでも新製品に敏感に反応して、国内経済は成長の一途だった。石油ショックが1973(昭和48)年秋にあった。
自動車の値段もガソリン価格も1975(昭和50)年までに大幅に上昇したが、日本の自動車産業は魅力的な新車を開発して、1981年のトヨタソアラの登場で高級車市場のブームが起きて、黄金時代が始まる。
消費税の税率改定、アップは第2弾が1997年4月であった。
山一倒産、北拓の消滅は今に至る北海道の経済の運命を暗示したのであるが、消費税を春に上げると秋の頃から資金繰りに苦しむ企業が表面化して、97年は金融恐慌の年と言われる。私も新聞社時代の暗鬱な記憶が残っている。
ここで日産の危機と苦悩に付いて再録すれば、”コストカッター”、ゴーンが来たのは日産の業績の急速に悪化した後の1999年春である。
日産を大甘で救済すれば良いという記事を書くのが真意でないので、順を追って説明すれば、日産は1960年代、70年代、トヨタに比肩できる会社であった。
特に北米輸出で大きく売上を伸ばして、日本の商社マンのように、日産はイメージ戦略でも国際ラリーでブルーバード、フェアレディZが活躍して「技術の日産」という企業イメージも定着した。
しかし日産は民業ながらここまで大きくなったトヨタとは対照的な、組合トップが天皇と呼ばれたり、社内の抗争が本業の製品開発に影響しやすい、アキレス腱の多い会社であった。
魅力的な商品が生まれると息を吹き返す。これは自動車に限らず、1億人の国民を抱える国内市場でものが売れると、大きく儲けを伸ばすことができる、大国の長所でもある。今の中国が羨ましいのは、10倍の市場で、制限付き国家でありながら、消費をコントロールできたから、あっという間に日本を追い抜けた。これはアンチの人も解ると思う。
日本が景気が悪くなったのは、国内消費経済の動向に冷水を浴びせ続けた消費税の改定である。3%が5%になった1997年に金融恐慌が起きた。今から見るとたった2%の上昇でも国民は「ノー」と言って財布の口を固く閉ざした。
5%ショックの記憶は強烈で、その後の総理内閣は消費税アップは封印した。
しかし2回も消費税をアップしてしまったのは、安倍一強と言われた第2期安倍晋三時代である。2014年と2019年に引き上げを行なっている。
総理の支持率の高さに税率を決める国の中の財務省が、上手に一体化を演じて5年間で2度も消費税を上げた結果は、財務省解体デモまで起きるような今の社会状況と冷え込んだ消費経済である。
財務省を「解体」したって何も良いことはないが、この消費税と一緒になって国民負担の増えた、保険料や年金等の色々な問題は、みんな地下で繋がっており、問題の本質は、政府が官僚をコントロールしているように見えるのだが、どうしたらこの重苦しい空気を変えられるかである。
「官邸主導」で安倍政権時代は、目覚ましい国際的なプレゼンスを成し遂げたという言論や評価は多い。
しかしそれは参謀の存在とシナリオを書いたのを演じ切ったように私は見る。
消費税は安倍政権以前から始まっているのだし、それを廃止や別税にすることは勇気がなかったら、上げる方をことある度に言ってくる官僚の意見に耳を貸したまでである。
2度消費税を上げた総理は泉下の人になった。
戦前なら例があったが、戦後総理経験者が狙撃で死んだ例は初だと思う。
そして2020年代は半ばになって、沈み切った国内の国民消費力は、重税の前にただ喘ぎ、ものが売れない時代はまだ当分続きそうである。
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思うこと | クルマ
Posted at
2025/03/24 03:27:53