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kotaroのブログ一覧

2021年02月08日 イイね!

無題

無題













コロナの社会になり1年が過ぎた。
61歳の私も未体験なことが、初めて起きて、一応罹患はしていないが、
奇妙な気持ちで今を生きている。






2年目の今は、元々一人で自動車に乗り、出かける習性が、続いており、
地方におればどうってことない、日常なんだが、何だか張り合いが出ない。

原因を分析すれば、地方は活気が乏しい。
それを盛り上げ役の仕事で行って見たが、コロナに対する予想以上の反応と、
あと自動車社会が、外車や趣味車、旧車に乗って、エンジョイしている人が
皆無に等しい。

私が850クーペに乗ろうと、シトロエンベルランゴに手を出そうと、
それって何?みたいで、ちょっと田舎に来過ぎたのだと思う。

私は遊び人だし、堅気の遊び人気質を守って楽しく生きて来たが、
その程度の遊び人の、ちょうど良さや適当さを理解してくれる友人も
出来なかった。
いい加減は良い加減でなく、放埒にとられるだけである。

こいつは、外国に行って無理をしているような気持ちになるのである。

それで今、いろいろとこの後のことを考えている。
私にとり住み良い場所とは何だろうか。

ふる里九州を41年間離れて、いろんな生活や遊びに取り組んで来た。
私は真面目な遊び人だから、汚れたり嘘をついたり、人を裏切らないで
遊んで生きることに、楽しんできた。



近年は古い写真を見返すことも多い。
私は楽しい雰囲気を、オーラに持ち、華やかな部分もあるので、自分で思って
いた以上に女性にモテてきたということも、改めて気が付いた。

私はあと10年生きたら良いけど、10年は好きなことをやって、活き活きと
生きていたい。

クルマも新車に興味は無いし、降りる時が来たら降りようと思う。

地方は死ぬ数年前まで、軽トラは要ると思う。

私はなんちゃって農業はできるけれど、農民には成れないと思う。
地方では、まだ古い生活風習に遵守してもらわねば、困ると言った
感覚が如実に強い。

話では知っていて、地元も脱皮出来なくて困っているけれど、75以上の
人が多いから、ないがしろにできないのである。

都会で働いていた頃の、上司らは79−80歳になり始めたが、彼らは開明的だ。

地方の中で都会的な暮らしをしていたもうすぐ93になる叔母も、進歩的で
今でも楽な交際が続いている。

そういった皮膚感覚の差は、昔より広がっているのである。

えー!と思うだろう。時代も進展してネットの時代なのに。

実はネットは好きなものしか見ないから、地方の人は、壁を作っているのである。


昔はこの街から、東京行き、大阪行きの直通列車が毎日出ていたので、
実は昔の方がリアルな東京、大阪を知り、行き来する人口も一定いたのである。

今はブルートレインが無くなり、中流が地方から皆無になり
憧れる話題を求めることをしない。

県庁所在地の民放を見るのが一番、開けた話題程度なのである。




あと20歳若ければ、20年待つだろうと思う。
だが私は一昨年還暦になっているし、現実はシビアに見る方である。

還暦後をのびのび楽しめたら、物資の不足はかこつことはしない。

今、一番思うことは、私のふる里は、なんだろうなあということである。

クルマに乗っている幸せな時間かもしれない。
Posted at 2021/02/08 21:55:29 | コメント(1) | トラックバック(0) | オンザカー | クルマ
2021年02月01日 イイね!

旧車指南

旧車指南













苦労はしているが、私はいつの時代にも新しい取組みをしている。

最近こんなことがあった。

若い人からクルマを購入検討しているので相談に乗って欲しいという。

昨年の暮れくらいからの話で、一度流れてやっと実現した。

少し遠い所から2時間かけて来てくれた。

あって見るともう旧車生活歴もあり、次の購入予定が
私の愛車の親戚のような車種だ。



それよりも、その人物が私の息子より若い年齢に驚いた。

でも自分は今の愛車に27歳から乗り始めているので、そう変わらない。

好きなものって、たぶん仕事より続くんじゃないかなあ。

いろんな話題の話をして、肯定的に受け止めてあげた。

私の2時間くらいの内容と印象は通じたんじゃないかと思う。

それで、私も行き詰まっている現状を、少しずつ開けて来ている
感じもしている。

そして若い人から「旧車道場」みたいな相談を受けたり、することで
私も徐々に調子を取り戻そうとしている気がする。


私にとり、クルマはたかが乗りものの一つだが、それと共に歩んだ
長い時間は気がつくと、本の一冊は書けるくらいの内容になっている。

とにかく出会いはたくさんあり、友人と先生、いろんな人脈が広がり
ネットを通じて海外の人とのやりとりも多い。





そして近年は同世代の長い付き合いの友人らが、リタイア前の年になった
代わりに、若い人から声をかけられることが増えて来た。

何も驚くことは少ないが、それでも僕らの世代のクルマ好き人口に
較べると、世代マイノリティーであることは間違いない。

都会の若者はクルマ、免許すら必要を感じない世代だ。

それと親御さんがカーキチかと聞くと、違うと言うので私と同じ
境遇かもしれない。


そうか、それでも古いクルマが好きで、個体を探すか海外から
引っ張って来たいくらい。そして似た車種に乗るおじさんがいたので
いろいろ聞きたかったらしい。

私はそういうことで、今は地方に来て第2、第3の人生をスタート
しかけたばかりで、もがいていた。

得意なことを聞かれれば、いくらでも能力を発揮出来るのに
向こうに「合わせろ、合わせろ」ばかり迫られて、困窮していた。


その壁を今回は少し破った。そして余裕ができたから、昨年来の
問い合わせ相談に乗ってみて、助言はできたと思う。


こんな感じでこれからの人生が、次第に前途が拓けて行ければなあ
と思った。


Posted at 2021/02/01 05:35:27 | コメント(0) | トラックバック(0) | つれづれ日記 | クルマ
2021年02月01日 イイね!

普通に乗れる旧車

もうすぐ35年目ですが、よくここまで乗れたものだと思います。
Posted at 2021/02/01 05:02:53 | コメント(0) | クルマレビュー
2021年01月22日 イイね!

SNSの衰退を考える

昨年の秋の後半にあるSNSを大幅に縮小した。

今ネットに流れる話題の多くが、楽しい話題よりも暗い世相である。

そういう内容が、増幅されてしまうと、産み出すものは、だんだんおかしく
なってくる。


今回のアメリカと言う世界の超大国が、末期的な政権交代になったこと。
これはSNSが産み出した「現実」だったのだろう。

実に内容が人類の未来を暗示しているのではないか。

もう私はSNSは要らないと思う。

ネットの未来は、25年前に、阪神の震災の翌年くらいに、これからは
インターネットが要ると思い、私は手を染めてスタートした。

そしてホームページの時代、ブログの時代と変わり、その間に
新聞と雑誌、テレビは影響力が小さくなった。

SNSが歴史で10年ちょっとであるが、次のネット空間が生まれずに
どんどん尖っておかしな様相に近年はなっていった。


トランプ大統領の誕生と4年間のアメリカ。
この滑稽な存在が、最後は自分が、合衆国の大統領なのか、
ネットの一部SNSの権力者なのか、

判らなくなって来ていると思う。


いま、SNSは見つめ直してほんとうに要るものなのだろうか。

社会はすごく狭隘で、考え方も共通項が成り立たない。

そんな時代に、コロナウイルスが、タイミングをはかったように
流行して、世界は情報の恐怖にさらされている。

果たして本当に、今の世に、SNSはどの程度要るものだろうか。
Posted at 2021/01/22 06:01:14 | コメント(2) | トラックバック(0) | 日記
2021年01月17日 イイね!

震災の日を迎えて

震災の日を迎えてあの日の夕暮れの1コマ

寒い日だった。
国道171号線門戸厄神 阪急高架越えが落下していた。

数年後に古老から、ここは池地だったから地盤が弱かっただろうと
教えられた。




疎開先のひとつ、兵庫県指折りのマンモス校 甲東小学校の校庭で自動車生活する
避難者風景。
人気進学エリアでもあり、裕福な家庭が多い。自宅が壊れて疎開の人々も神戸の
長田とかと異なりジャガーとか、ボルボが目立ち、不謹慎だが、「うっ」




疎開先の校庭に夏くらいまでいた初代チェリー
ワンオーナーで乗られる初老くらいの持ち主と思うが、このクルマが被災地で
天井を落下物で凹ましたのを見た時は心が痛んだが、数日後は避難に使用して
こうやって眺められることに安堵した。
たぶん、震災後は手放されたと思うが、奇跡のチェリーには生き残って欲しかった。



12月に神戸市の昔住んだ地区を回っていたときに見つけた、路上に捨てられ
この後で処分されたフィアットリトモ
この頃は、震災後に次々クルマを買いだして、救い出せなかった
愛惜の残った「忘れられない巡り逢い」の1台である。



震災から2ヶ月くらい経ち、仕事も就いていたので、ある休日に昔住んでいた
芦屋に行ってみた。ネットが今日のように普及する目前だったから、震災の
切り取られた日常は少ないが、実は芦屋はとても悲惨だった。
華やかな高級住宅地といっても、戦前からの古い家が多く、その分底地さらえ
みたいになった。こんなふうに放置された高級車たちを見て、もちろん胸が痛んだ。



これも芦屋である。道路は芦屋とは思えない状態で、絶対信じてもらえないが
芦屋川で河川敷生活する世帯も多かった。混雑する物資運搬や、復旧資材の
荷運車に混じり、古いベンツが「生きていますよ」と走る姿を見ては、この
町の復活を願ってやまなかった。今では過去は綺麗に塗りつぶされて見ることは
できない。



これは震災で大阪府の藤井寺に疎開中に、子供と散歩中に見つけたシトロエンCX。
メッキバンパー2400時代の珍しいレッド。9万と走り込んでいたが、プラ部品の
やれもなく、極上のコンデションだったので、欲しくて狂いそうだった。

四畳半に間借りさせてもらっている被災者一家の主人が、なんぼクルマ好きでも
周囲(親きょうだい)が許さないだろうと涙を飲んで見送った。

しかし「震災で生き残ったのだ。これからは好きに生きるぞ」と100日後
西宮に復帰してから、その年は2台のフランス車に手を出して、2年後は
ローバーP6といつも好きなクルマに、行ける時は行くようになった。

職もあり稼いでいたことも大きい。
やがて震災を忘れる頃から、親の早い呆けとか、不幸が次々我が家に来た。
震災の日がくるたび、自分自身の生き方を反省される方もいるが、私は
良いも悪いもなく、軽めの肯定感を持っていないとその後の26年間に
起こったことを乗り越えられなかったと思う。

今日の日に、あらためて思います。
Posted at 2021/01/17 10:23:06 | コメント(0) | トラックバック(0) | 回顧録 | クルマ

プロフィール

「やっぱり。言わんこっちゃない。「トヨタ、センチュリーを独立ブランドに クーペ開発でラグジュアリー市場拡大」https://x.com/i/trending/1977788758218219921
何シテル?   10/14 09:32
車は殆ど処分して、1971年登録のフィアット850クーペに 1987年以来、乗り続けています。 住居は昭和4年築の、古い日本家屋に、現状で住んでいます。
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