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kotaroのブログ一覧

2014年09月06日 イイね!

秋(飽き)のこないデザインって、なんだろう

秋(飽き)のこないデザインって、なんだろう今日は休みなので家にいます。

長い間、家にいてばかりの時期が続いて
私の心と体は、何かおかしかったの
でしょうか。

最近当たり前(スタンダード)とは、
何だろうか、よく考えさせられます。



昔は基準の多い制約の中で、ものごとが上手く完結していたと思います。
クルマのデザインの中で、嘗て最大の制約が、ヘッドライトが丸いことでした。

2個か4個の丸いライトを、どう配するかが、デザイナーの最大の見せどころ。
中には思い切って角形や変型の長い丸もありました。
有名なフォードタウナスなんかが、そうですね。



ところで現在の自動車のデザインを見ていると、往年の成功したモデルの
ある部分を、なぞって、それを計算したデザインに当て嵌めたものが多いよう
です。特に外国車にそれを思います。

こういう時代の流れの中で、「判りやすい」が、ヒットの法則になります。
しかし深い意味やメッセージを持たせる余裕は、なくなりました。

1990年頃を転換点にして、世界は変わったと言うことは、何度も書きました。
その頃から、国際社会は、お国別から一極集中へ変わって行きます。

世界中の人が同じものを嗜好し、消費する流れになりました。
のんびりやりたかったら、個人商店でもやってろ、の空気です。

個人商店も変わって行っていますよね。
珈琲の飲める喫茶店が、スターバックスの登場以降、パソコン会社の
出したiPodの最も似合う居場所に変わりました。

デザインは、一本の道だと思うのですが、私の感覚は古いのでしょう。
新しいものを見て、強く感じたり感激することが、減りました。

その代わり時折古い物をみて、考えることがあります。
このアメ車を品川区の路地で、この夏に見たときも、おっ、と
声を上げそうになりました。



久しぶりに、カッコいいなあアメ車って、と思ったこと。
今が遠い未来の2014年でも、1970年頃の造形が、素敵に思われました。

今走り回っている、そこら中のもの(クルマ)が、40年後に通じるでしょうか。
私はもうとっくにその頃にいません。
最近つくづく、儚さを感じるこの頃です。

さて、気の弱い話はやめておきます。
デザインは、人の生き方や働き方に似ており、規則のある方が
良いのではないか。最近そう思うことがあります。

私は今やっと仕事に出るようになりました。
勤め先は隠しておきますが、長年私を育ててくれた分野への恩返しで
輸入車に関わる、縁の下の力になろうと思います。

そういう長い時間で見て来た自分がここにあり、最後に何が出来るのだろう。

ほんとうを言うと、かなり人生は苦しくなりました。
精神は疲弊して、ぼろぼろの境遇の中で、それでも考えることが好きです。
昨夜は休みの前の日だったので、久しぶりに酔っぱらいました。
そして翌日に残った酒の中で、やっぱり何か書こうと思います。

切れ味のある文が書けない日は苦しい。
今の時代は、すかっと晴れない天気のようで、自分の後半人生も同様です。
でも、何か力のある話や、感動を求めている自分が居ます。

デザインについて、もう少し踏み込みたいのですが、明日は戸外に出て
何か発見できるように、祈っております。

Posted at 2014/09/06 14:13:38 | コメント(4) | オンザカー | クルマ
2014年09月05日 イイね!

真夜中に思う

真夜中に思う私は、やめジャーナリストである。
もう今の状況で、何を語れるのか。
おこがましいような気分だが、少しは読んでいただける
同志の方もおられるので、筆をふるうことにしている。

みんな怒ったりしなくなってきた。
諦めが早く、物わかりがよくなり、一見道理のようで、
疑義や疑問を抱くことはかっこ悪い。そんな世の中に
なってきた。


いつもマスコミのことを否定的に捉える人がいる。
社会構造のうち、今まで見えなかったことが、ネットという装置を使って
リフレクトさせると、いろんなことが、入って来るようになる。
そこで「そうだったのか」、「だまされていた」と感じる人は多い。

特に独占的な報道の仕事で、多くの収入を得ていたことは
時代がこのようになると怨嗟の対象になりやすい。
うすうす感じていた私は、いろんな考えがあり、ある時に会社を辞めた。

その後の当ても無く、今を生きており、暮らしは随分厳しくなった。
ひなた(生活の良い条件のところ)に居て、社会や正義を語ることは、
いつくらいから、言い難くなったのだろう。

それでも一日数本の原稿を書いて、高い収入にあずかっている人々は
編集委員などと呼ばれて、まだまだ世の中にいてる。
私はそうなれなかったので、勝ち組なんて、言葉とは無縁の人生になった。
今はそれより、一歩世の中から引退して、後ろから社会を眺めて
こういうところなどに記事を書いている。

命運というのは運命と似ているが、これからどうなるのかについて
書いて行く。


時代を眺めて考える時に、その時のキーワードがある。
例えば10年前の2000年代は、2001年の9.11があり、
遠い対岸のアメリカで、歴史に残る大事件が起きて、日本も否が応でも
イスラム社会のことを、考えざるを得なくなった。
それと北朝鮮の日本人拉致が、正式に歴史として判明した。

小泉時代は激動の時代であったが、5年間よく続投したものと思う。
今の政治権力者は、内閣を先日ようやく改造した。
10年前に戻ったようなスタッフの登用に、ようやく本音が見えて来た。

それから民主党のことを、厳しく批判する人はまだ残っているが、
健全な政治というのは、与党の動きを見張る対抗力が必要なのだが、
今の時代には無い。
それがこういう時代、空気になったことの原因の一つであることは、
判っている。

地震と津波が東日本を襲い、原発という日本が抱えていたタブーが破損した。
その時に誰が政権に立っていても、悪い結果は起きていたであろう。

市民運動あがりの政治好きが、前任からバトンタッチされて、ああいう
結果になり、日本は世界の笑い者になった。わずか3年前の話だが、
その時の現場責任者の吉田調書が、今ようやく情報公開されて、
東日本が吹っ飛ぶ寸前のクライシスだったことが、活字になった。



ところで、社会の情勢や空気と言うものは、別に今に始まったことでなく、
いつの世でも醸成されるものである。

朝日新聞というエスタブリッシュなカンパニーがある。
今は随分、影響力が下がった。
会社側にも、原因はあるが、そのことは、今回は目を瞑る。

どうしても、現政権には、前回の登板時の恨みがあるらしく、悉(ことごと)く
朝日新聞を押さえ込もうとして、掣肘を加えていることが、よくわかる。

そのことは誰でも知っているだろう。
野球のゲームに例えるのは、不謹慎だが、勝つチームのことだけを
見ているのは楽である。
日本人国民は、大多数が巨人ファンだと言うと異論があるが、それが
何となくの安心感につながるようなやり方が、与党政治だ。

戦後、1950年代後半から現代に至るまで、日本の社会構造の軸は
「巨人ファン」的な安定志向だった。

幻想と言うものを信じ込まされて、それが偶然成功モデルになる。
そうしたら大多数の人はそれを「真実」だと思う。
戦後の1958年頃から、ヒーローが登場して、巨人軍は日本の歴史の一部に
なり得た。
長島と王だけでなく、漫画の主人公やピンクレディーのヒットソングまで
大衆文化はうまく回転したのである。

今で言うと、それが“洗脳”教育に近いことは、判るが、当時は産業の一端
でもあったのである。
私は1977年に高校3年だった。
当時の九州に、栄光球団の「成れの果て」が残っており、
そこから、正しい野球史のことを学ぼうと、古い雑誌をめくって行った。

つまり野党のことも知らないと、政権与党の実在は、分からない。
口を開けて国民が、幸福と言う餌を撒いてくれるのを待つ時代は、遠ざかった。

ところが今の時代のお爺ちゃんお婆ちゃんは、今でも巨人と自民が好き
なのである。
ここが悩ましいことの最大の原因だ。

野党にやらしたら「ほら、『それみたことか』じゃないですか。あの鳩山、
菅、野田のときの政治」。
というのが、今の自民党を支持している人の気分だ。

嫌いなものは仕方ない。代案も無いときはどうすれば良いのだろうか。
それが権力監視のジャーナリズムの仕事だったのであるが、彼らも
長い間、良い給料を貰っていたので、実はかなり錆びていた。

今はフリージャーナリストの佐々木敏尚が、警鐘を書いていたので、
私もいつまでも会社に居続けることは、良くないと思うようになった。
わたしはそのことが退社の理由の大きな原因である。

しかし匹近な話題で申し訳ないが、我家はその後困窮した。
といってもどの程度のことなのか。
5年経ち、暮らしに精いっぱいな私に、妻から最後通牒が突きつけられて
いる。
そのことで、気落ちしても仕方がない。
私はブログに真実を書くことで、気を吐くしかないではないか。

女の人はすべて金だけなのだろうか、そんなことは無いと思いたい。
本論に戻ろう。





今の時代は、悪いニュースを見たくないと言う心理を逆手に取り
情報がコントロールされて、例えば権力者やお金持ちを守ろうとしている。

もう随分前から、長者番付をヤメてしまい、大阪府や東京都、日本一の
お金持ちが誰か、判らなくしてしまった。

庶民に必要の無い情報を流さぬ。個人情報令の施行も、その後ろ盾であろう。
そのことで、必要のない危険、誘拐とか強盗のことを理由にして、金持ちは
のびのびと、反対に誰にも判らぬように資産形成するようになった。
オブリジェ(義務)なき猟金活動があからさまになってきた。

また、政治も監視が弱まり、国民不在のハンドリングが可能になりかけている。
ざっと、こういうことなのであり、そこから時代の命運を考えてもらいたい。

実は昨日の記事を書きかけた段階では、「黒子のバスケット」事件の
ことを取り上げようと考えかけた。
社会の不平等を口にする主犯の主張が、長い口頭記述になったのが
読むことが出来、あまりにも痛々しいかった。

しかし彼は30代で、すべてを世の中のせいにしてしまった。
まだ私の齢まで20年あるのに、という感想も残った。

誰もが「成功者」にならなくても、目指さなくても良いではないか。
私はそうならなかった、なれなかったのか判らぬが、ここに自由に
書いている。

私の言いたいことは、そこなのである。
国民すべての幸福を、生活保護の法律みたいな基準思考でなく、
相対的な価値観の時代に移行していくには、何が必要なのだろうか。

遊びや趣味に、人生を投影できる人はまだ、生きる楽しみを見つけられる
方だと思っている。
今の社会について、何も起きぬから平和で安全なのだ、と考えるのは
危うい。
実は今年は起きているのである。マレーシア航空の2機の事件から
ウクライナとロシアの問題、そして世界情勢は、日本をどう見ているのか。

年末までの4ヶ月にまだ、かなり情勢はひっくり返ると思う。
やっぱり政治は新陳代謝しないといけないし、野党という言葉以外にも
何かは必要である。
きょうはこのあたりで筆を置く。
Posted at 2014/09/05 02:36:42 | コメント(2) | トラックバック(0) | 思うこと | クルマ
2014年09月04日 イイね!

社会の命運

社会の命運今の時代は、実は大変な時代で
そのことを伝えるべき、レポーター(報道人)が
無感覚になり、当座はとりあえず生きているだけで
ほんとうのことは何も伝えないように、
なっているのではないか。

これは私の単なる嗅覚のようなものである。




日本はいま、世界の中で孤立を深めている。
証拠を列挙しないと説得力が無いが、以前に較べると、情報の遮断や
統制が巧妙になり、一見何も変わっていないように見えるのが
一番怪しいと思う。

クルマと社会なんて、空気と水みたいに思っているが、その辺も
どんどん、流れて行って、個人レベルで、どうのこうの思ったり、意見したり、
好き勝手なことをすることが、皆目不可能になりかけている。

みんな「決められたレール」の上を走って下さいよ。
それ以外のことをしちゃ、だめですから。

一体いつくらいから、世の中はこんなふうになったのだろう。

恐らくは日本ではバブル、世界では社会主義圏の崩壊した1990年代後半
以降に、世の中は一見自由で、実は自由でなくなってきた。

ヨーロッパも、個人の自由が確立できた世界であったが、今の時代は
むしろ後退に向かっている。
それは金融資本主義だけでなく、緩やかなヨーロッパの退潮から
始まっている。

特に壮大なユーロの実験をしたときから、ヨーロッパの人々は
一見、大いなる希望の元に、多国籍国家連邦から、一極経済の弊害に
取り込まれてしまった。

大きく衰退したのが、サルコジ以降の大物の居ないフランスである。
ドイツはヨーロッパ商店の盟主となった。

今後もこの傾向は続き、ロンドンのある英国以外は、イニシャティブを
持てなくなるだろう。
これは北浜の証券取引所が無くなった大阪に似ている。
形(かたち)上は残っているが、大証はもう店仕舞いして、大阪は空洞になった。



もうグローバルが、当たり前になり、だれもグローバルがどうのこうの
言わなくなった。
この当たり前という先入観の形成が、実は戦争でも政治でも、一番てっとり
早く、世の中をまとめて行くのに利用される。

原発が壊れて、広い汚染が起きて、日本の中に住めない場所があることは
今や「常識」で、これを何とかしようと言うことは、すぐに無理であることも
みんな知っているから、マスコミも多くの人も、口をつぐんでしまった。

技術、論理的にこれをひっくり返すことは至難であるからである。

集団的合意というのは、日本がムラ社会に戻りつつあることを指している。
急速に広がって行く不自由について、後半を書いてみたい。
きょうの仕事が終わってから、余裕があれば、続きを書いてみます。
Posted at 2014/09/04 04:43:54 | コメント(2) | トラックバック(0) | 思うこと | クルマ
2014年09月01日 イイね!

盛況御礼

昨日のびわ湖バレイオフ、
朝が13台、あとから1台来られたので参加は全部で14台、
久々の10台超えになりました。

最近クルマ感覚が、少し判りにくくなり、僕はクルマを降りる日は
そう遠くないような気持ちもしています。

倅に峠越えの運転の仕方を教えたり、あとは本日の参加者の中にも、
左ハンのMT車を乗りこなしたい女性も居たように、そういう人に運転の
楽しさを伝授したら、役割は卒業かな、とも思います。

遠く愛知県からは、長いお付き合いのイタフラ車交流の御夫妻に
来て頂き、ほんとうにありがとうございました。
その左ハン、ミッション車難なくの女性ドライバーさま、長年乗る
ルーテシア1.4を最近MTに換装されて、とても良かったです。

今年の夏、天候が不順で一度も泳ぎに行きませんでしたが、もう暦と季節が
過ぎて行き短い夏でした。

その最後の日を来て頂いた仲間たちと、十分楽しめ思い残すことは無いです。

僕に取り今度の秋は、長い夏の時代が終わって、人生のこれからの秋、
その到来を強く意識するシーズンが来るようです。

そんな中で束の間の、久闊を叙せられて、ほんとうに嬉しかったです。
またこれからも皆さま、お付き合いのほどを、
しばらくよろしくお願いいたします。

kotaro
Posted at 2014/09/01 04:16:46 | コメント(1) | トラックバック(1) | オンザカー | クルマ
2014年08月29日 イイね!

帰って来た75TS

75が車検から帰ってきました。
久々にFRアルファのセダンを転がしながら
幸せをかみしめています。

僕は大病や怪我はしませんでしたが、この5年、会社を早期退職、
家族と同居解消、孤独との闘い、加齢することの悩み、
再就職での混乱、介護問題の中での親族との対立、
失職中の失意の連続と、波瀾万丈な人生を歩んできました。

今は長年愛した850クーペも長期の修理にかけており、前途が見えません。
やっと先週より、肉体労働の伴う仕事を見つけて、働きに出て
くたくたな日々の中で、きょうの夕暮れ、紺色アルファセダンを運転しました。

親子でやる修理工場の家族らに、kotaroさんのケチぶりと、
アルファの賞味期限切れ寸前なテーストを、笑ってもらいながら
温かく見守ってもらっています。

人生の伴走する伴侶は、クルマが一面では一番良いときがあります。
自分の考えと思いを託せるからです。

今度の日曜には、20年近く続けている、びわ湖バレイのオフ会を
また開催します。
その日に着ていくドレスがないと、寂しい。

くたびれたドレスですが、僕の紺色アルファセダンは
どのタキシードより、
似合うような、そんな気がいたします。


Posted at 2014/08/29 02:10:37 | コメント(7) | トラックバック(0) | オンザカー | クルマ

プロフィール

「やっぱり。言わんこっちゃない。「トヨタ、センチュリーを独立ブランドに クーペ開発でラグジュアリー市場拡大」https://x.com/i/trending/1977788758218219921
何シテル?   10/14 09:32
車は殆ど処分して、1971年登録のフィアット850クーペに 1987年以来、乗り続けています。 住居は昭和4年築の、古い日本家屋に、現状で住んでいます。
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