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kotaroのブログ一覧

2023年08月07日 イイね!

近代建築写真展のお知らせ

近代建築写真展のお知らせいつも自動車の記事を読んでいただきありがとうございます。

今回は自動車ではなく、初の個人で写した写真展のご案内です。




1987年8月のある日、私が撮影した中之島から淀屋橋〜道修町〜北浜の近代建築の写真展を開催いたします。
大半の建物が建て替わったり消え、大変懐かしい「昭和の大阪中心部」の写真を一挙に公開いたします。

会場は天満橋のカフェsot coffee roasterの壁面を使って展示、入場は無料ですがカフェなので1ドリンクのオーダーをお願いいたします。



会場ではフォトブックの販売の他に、印画紙に引き伸ばした写真は販売いたします。
展示終了後にお引き取りもしくは発送させていただきますのでどうかよろしくお願いいたします。

皆様のお越しをお待ちしております。

Posted at 2023/08/07 07:02:13 | トラックバック(0) | ニュース
2023年08月03日 イイね!

自動車の業界という魔窟

自動車の業界という魔窟世間は普段、自動車の業界の構造なんて全く興味を失っていた。
ところが中古車大手の裏側を覗いてみると、信じ難いことがたくさん転がっていた。

ええっ、俺たちはあんなものを信じて乗っていたのか。そんなものだろう。



自動車の世界は30年以上前にピークアウトして、今要るのは産業用と
乗り合いのバスと、お金に余裕のある人のタクシー

それ以外はリースかレンタカー。

ヘンな趣味の人が乗るような、お笑い芸人のアイコンみたいな古いクルマ。

それだけで十分である。


だから儲かる訳が無いのが、新旧の自動車販売。

ホームセンターで適当な電動式ヴィークルを売り、
それを自分で勝手に乗って事故さえ起こさなければ、
無保険、無車検運転のクルド人だって、
田舎の公務員みたいに「俺たちが正しい」と主張しているほうが、
日本人が一番弱い『生産性で勝っている!』になると
私は思うのだが。

日本は法治国家だからそうはいかない。

しかしあらゆる規制と罰金と税金で成り立って、この安倍チャン的素晴らしい
日本は、どうしようもなく不便な国だから成長しないし生産性がすごく低い。



まあ、あの田舎から出て来た矢沢永吉的な”成り上がり”好きの
ビッグな自分に酔っているワンマンおやじの店があそこまで大きくなれたのは

たぶん、入れ知恵と癒着している、同じ業界の別働隊がいて、
そこがお金の小槌の打ち方を教えたんだろう。

小槌の代わりにゴルフボールを靴下にいれて打てば保険入る。
保険は保険のお店に任せればいい。

そんなんがどんどんと明らかになっていき、和歌山のカレー事件の
林真須美一家みたいに保険で大きな家が建ったり
(私はカレー事件はクロだと言ってないのでそこんとこはヨロシク)

ちょっと前の日本中でよくあったような生命保険で”稼ぐ”ような発想が
損保と自動車業界で、いつの間にかシャブ漬け構造になったとして
おかしくない。

それを一般人が気付かなかっただけである。




それと今回の事件(あきらかに脱法の犯罪)の経過で普通の人も、
政治家と国会も考えた方が良い。

30年前からほとんど壊れなくなった日本車に車検が要るのか。
壊れたら消費者が判断して買い替えるか、修理工場に私のように、自分で
持って行けば良い。

そんな自主性がユーザーに育たなかったのは、私はくだらない日本の新車
ディーラーのお客さんの対応が間違っていて、丸抱えして、まるで何も
出来ない無能力の子供みたいな育て方をする、”教育”が間違っていると
40年前から私は言っていた。

車検制度は要らない。

運転免許証は届け出制で適性審査のみ。

自動車学校は廃業転換して、エクササイズのジムみたいに慣れない内に通うだけでいい。

事故の処理と損害賠償は自動車が速度が落ちない限り必要で、それは制度を
時代に合った物にすれば良いだけ。

ピーク時の交通事故の被害に比べていまはずっと少ないのになぜ損保企業が
成長するのかおかしいと思わないのか。


時代の流れとか、淘汰とか、反対にスピードアップして行くべき業務の処理が

今でも40年前のレベルでは、そりゃあ新興国の中国に追い抜かれていく。

自動車をいつまで産業の柱にするのだろう。

自動車が要らないという人は、交通機関の発達した場所に棲んで文句も負担も無い。

でも断っておくが私は個人の能力として自動車が好きだから、
どこへでも行ける個人ツールとして自動車を使う。


これをやめてしまうと、能力が3割くらい減少するのではないか。

都市生活者はそこで生活が完結するが、地方や田舎の自然も旅と移動の楽しさも
あまり知らない。

最初に戻ると、儲からない筈の縮小産業で、妙に急成長するには
なにかカラクリがあっただけである。


これを機会に時代遅れも甚だしい分野の一掃を願う。

最後に言っておくと日本式の自動車ディーラーは全く意味がないので
業態変換した商売をスタートさせ、コストコみたいなやり方にすべて
変わるべきだと思っている。

道路に出て見送りも要らない。

あれがあるから、歩道の樹に枯草剤を散布して枯らすのが「正しい」に
なったのである。

あれは早急にやめろ。見ていて気分が悪い。

Posted at 2023/08/03 03:50:50 | トラックバック(0) | 論考 | クルマ
2023年07月08日 イイね!

原付無双

原付無双カブに乗り出して二月くらいになります。
今回思い切って整備に出してフロントタイヤとチェーン交換をしました。
飛ばしてると下回りのガチャガチャ音が大きくて、恐々で乗っていました。
うんとまともになってきた感じです。
カブは自動車の渋滞が苦手で、余程でないと停止中の自動車の左を抜けて前に出ることはしません。

その代わり自転車で抜けていたような幅の道に標識がない限り入っていけるので、抜けられないならターンして戻ればよく、幅3mくらいの道も見通しが良いなら気持ちよく走れます。

自動車に比べるとガソリンの消費が僅かです。
もう次期に電動式になる予想もありますが、まだ可愛い内燃機関を回しながら走る喜びを持てる時間がありそう。それに比べると自動車でガソリンを消費するのは気が引ける値段になりました。

任意保険も入っています。
そして自動車時代は悩みの駐車場代ですが、長屋の軒の下で濡れずに停められるので、助かっています。



このように、60代以降の乏しい収入では、私はやがて原付一本かなとも思い始めました。

まだ850は持っていますが、あれはもうヴィンテージなコレクションで必要な時に出して来て走らせれば良いのではと思います。

軽自動車もありましたが、息子が引っ越して持って行ったので、今はありません。


バイクは中型まで免許を持っていますが返納しても良いくらい。
まあ70ccのカブなら乗っても良いかなと思う程度です。


雨の日はほぼ乗りませんが、夏はまだ乗れる感じです。

若い頃はおっさんの乗り物とバカに仕掛けていた風防付きのスーパーカブですが、案外スーツ・ジャケットで運転しても様になるのに気づきました。

これは私がジジイになってきたので、よれよれの服装は余計かっこ悪く、今の季節でも運転中は長袖の襟付きシャツを外側に着て乗っています。


そんなに毎日は乗りません。5キロ先に借りている農園に行くのに一番原付が便利です。
大きな自動車で貸し農園に来てる高齢者は野暮だなあと思うようになりました。
SDGsに逆行してるみたいで。


後はバイトをしている隣の市まで2、3駅の距離ですが、これも原付で通えるので、通勤が楽になり、帰りにスーパーで買い物にもよく行きます。

とにかく怪我をしたらいけないので、気持ちを焦らないように、努めていますし、片道10キロ以上の遠乗りはしていません。

暑い夏になりましたが、ヘルメットの下に薄い帽子を被ってる方が涼しいようです。

以上が近況です。少し離れた所にある銭湯に行くのにも重宝しています。











Posted at 2023/07/08 05:13:38 | トラックバック(0) | オンザカー | クルマ
2023年06月19日 イイね!

日本に今モータージャーナリズムはあるか

日本に今モータージャーナリズムはあるか自分のとっている廉価な新聞が7月で休刊になる。
この後は4000円以上する一般のセット紙は取らないと思う。

自動車の雑誌はネットの進展でほんとうに買わなくなった。
しかし理由はつまらなくなったことの方が大きいと思う。

過去に10数年に渡り、日本の自動車雑誌ジャーナリズムの変転や推移
そして衰退したことを見たままに書いてきた。
自分が新聞業界に30年近くいた頃から、考えていたことも書いている。


よく、ネットは新聞や雑誌に代替できるか、のような論調を見かける。
それはデジタルのカメラが、フィルムのカメラにとって代わったような論調だと思う。

私は長短がどんなメディアにもあると思う。紙のメディアには、電気も要らない。
持ち運びができる。電車の中でも読めるが3大利点と思ってる。
だから無くなってほしくはないし、革命児が現れて雑誌を再び面白いツールに
して欲しいといつも思う。

ところでネットの長所は多いのと大きい部分があるから進展したが、足りない部分もある。それは新聞や雑誌にあったジャーナリズムの性質で、とても薄くなった。

私がこのような所に主張とも付かない考察的な記事を書くのは、自分でも足りなくなったジャーナリスティックなことを言いたいだけである。



今や全く見かけなくなったモータージャーナリストという肩書きだが
以前は通用したと思う。
日本の場合は戦後に登場して60年代に故小林彰太郎がカーグラフィックを創刊して、苦心して成功したことで、モータースポーツと、一般の商業的な自動車産業の成長があったから、この分野に脚光が当たり80年代のピークを迎えるのである。

今が2023年だから20年くらいが華のあった時代だ。
90年代も、もう少し誇張すれば2000年代まではまだ良かったのかもしれない。
しかし1990年代後半に携帯電話とパソコンが普及し始めて、メディアの産業は大きく地図が変わった。もうそれからボチ30年経つ。

だからネットのSNSと、このブログという古い方法くらいが自動車の情報の露出に
なっている程度で、雑誌時代の影響を考えるとすっかり小さな盲腸か、縮んだ
男の象徴みたいに、このジャンルはなってしまった。



ネット社会になって元気になったのは、初期はやたらと怪しい情報を探してくる
検索自称上手なタイプや、ネットの怪情報を自説のように振り回すネト愛国主義ふう
ジャンキーフード系みたいな奴とか、私はそれなんやねんと、笑いまくっていたピエロたちだ。
流石にそれをまたネット利用で取り締まる人が出て、今は全く面白い人も見かけない。

そういう土壌の背景で、雑誌とかつくる側の現場の士気は年々低下していき
生活やお金のためにやってる「これ」なんだろうに落ちていった。

そんなのがキツかったのが2010年代で、雑誌も次々消えていった。
まあ雑誌って、前に書いたが音楽の演奏みたいなノリで、一発勝負な所がある。

ネットは繰り返し見(ら)れるからYouTubeみたいな感じだと、あまりクール
ではなく、どちらかというとカッコイイという感覚は二の次だ。

硬派であれ軟派であれ、ジャーナリズムというのは違う所にある芯の通った
考え方や筋論だと思う。
それが雑誌の末期には、お金の力に屈服しすぎてぐちゃぐちゃになった。
しかしネットはそこからフリーに近いと思う。





しがらみや商業的な忖度が薄くなったのに、ネットでのジャーナリズムは弱い。
無理に打ち出すと”ゲンロン”サイトみたいになるからだ。
そうなるとネットに向かないのはイデオロギー色であり、読まれるより
避ける人が増える、と思われるからかもしれない。

またネットは個人の楽しみ中心だから、SNSのようなまとめて束にする
やり方の方が発達する理由も判る。
発信や傍受の仕方がすっかり変わり、新聞雑誌時代のような一方通行で情報を
受け止める性質の時代でなくなった。
 
Posted at 2023/06/19 08:59:12 | トラックバック(0) | オンザカー | クルマ
2023年06月13日 イイね!

続き、アナザーサイドで見るこの30年間(ポリコレ考)

続き、アナザーサイドで見るこの30年間(ポリコレ考)ポリコレという概念世界がある。
ポリティカル(政治的)
コレクトネス(正しさ)の
外来発想なんだけれど、
日本語のいい訳(やく)がない。

しかしこの30年間で日本が大きく変わったのは、
物質で無い精神分野と社会空気で、それに30年
振り回されて来て、
今の日本になったように思える。



きのうの記事の中で言い足りなかった部分を書くと、放埒で自由を愛していた人々の中にいつから他人を監視すような心理が生まれて行ったのか。
それは元から在ったのかもしれない。

一方でこの令和5年の世の中で、うまくアップデートできないものも残っている。
例えば今でも大阪駅のような駅前で「辺野古基地建設反対」とか「原発再稼働反対」というプラカードを掲げた人たちがいる。
ちらっと見るが多くの人が私より上の高齢者で、おそらくは学生運動の1960ー70年代に影響を受けたカルチャーを未だに守り続けているように思える。
もちろんそれなりに社会を動かして来た歴史も知っているし、私は敵対する立場の保守反動な人間ではない。



正しさっていうのに昔の人は弱かった。
勧善懲悪の水戸黄門的ドラマが笑われ出したのは1980年代に入ってからだと思う。

それが現代の「ネタバレ」などに繋がっていると思う。
で、正しさのカタチが無惨に現れると、体育の体罰みたいな「先生は愛を持って
お前らを殴る」みたいなことが罷り通り信じ込まれる。



悩ましいポリコレが日本の中に現れて来ておそらく30年。なのに一寸も改善できずにもがき苦しむ。それは正しさは一種の無敵だからだ。

ポリコレは卒業できるのか。21世紀になって長いが、私はいつかは出られると思う。
しかしポリコレは世の中に入って来て一方の側面では社会の標準的な配慮や考慮の指針となっています。
例えば女性と男性の言い方を分けていたことを止める。看護婦が看護師になり、女優という言い方はなくなり俳優に一本化する。例えばコメディエンヌというフランス語?が在ったのだがコメディアンだけになったのだろうか。
スチュワーデスという呼び名がキャビンアテンダントになったような例もある。

これと一緒にされる性的な同性婚の問題は、リトマス紙のように主観の判定に使われるから意識的に遠ざかっている人の方が賢いように思われてしまう。



社会はポリコレの縁に立っていてどちら側に落ちるかで人は分けられる。
分けられると困るから立場が鮮明な方が良いのか、迷っていて悩ましい人も多い。
さすがに近年は分けられる方向でなく、煙たい人の遠ざけ方に近い。
特に上の世代で「私が正しいから正しいに決まってる」型の論調はもう今の時代には通用しない。
でもちょっと前までその破調な論調は、随分大きな面積を占めていた。
なぜそうなっていったのかはこのクルマのサイトから遠ざかるから書かない。
おそらく男性の、大事にされて育ったような環境から醸成される稚気な部分。
桃太郎やむかし話の主人公が活躍するシーンにあるのでは無いだろうか。



最後に力づくを、意識するが自動車の世界はこれにどんだけ苦しめられたのか。

社会のスマート化、快適化の一方で、捨て去ったライトな部分は大きかったと思う。
自動車造りから今は自由な発想が全く無くなってしまったのは、マーケティングの弊害も少しあるが、働く人間と乗る人間、ユーザーにもこの考え方が浸透し、最初から変なことはしなくなった。
普段考えもしないことを考えていくことが、自動車に限らず、未来の開拓だと思っている。

90年代からの30年間でこれだけ社会の意味と空気が変わっていく一方で、変われずに板挟みや苦しんでいることも多い。
私はそんなアングルに光を当てながらまだ書いていこうと思う。





Posted at 2023/06/13 15:47:50 | トラックバック(0) | オンザカー | クルマ

プロフィール

「ビッグモーターから残クレアルファードまで http://cvw.jp/b/176891/48584333/
何シテル?   08/06 05:00
車は殆ど処分して、1971年登録のフィアット850クーペに 1987年以来、乗り続けています。 住居は昭和4年築の、古い日本家屋に、現状で住んでいます。
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