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kotaroのブログ一覧

2022年10月14日 イイね!

陰と陽

陰と陽こんな話はブログだから書けるのだが
個人の頭の中の概念である。

前回も書いたが、日本がうまくいかなくなり長い。
私は家の中に旧い本が膨大にある。それと今はネットの一部が図書館の
ように面白い資料が目に触れられるようになった。
そうやって63歳の私が50年強のことを思い出しながら、昔のことを
振り返ったりしながら、遺したいことを書いている。

日本は明治5年まで太陰暦であった。
今でも旧暦という言葉を聞くが、明治の初めの諸制度改革の中で
一番現在に影響を残している、引きずっているのが実はこの暦制でないかと
近年考えるようになった。

旧暦はいつから使っているかというと、かなり古い。
奈良や平安の頃からではと思う。
歴法が日本に来たのは大陸から渡ってきたのであり、仏教と同じように
この島国の隅まで広まった。
中国と朝鮮半島は日本の国内文化に大きく影響を与えているが、広い中国の
奥地はユーラシアという大陸で繋がり、古代より人の行き来が行われて
様々な文物が日本に到来した。
暦法はおそらくペルシャあたりで始まって、イスラムの文化を形づくった。
シルクロードの紀行が昭和50年前後に空前の大ブームになったことを覚えている。

その旧暦とイスラムの文化は月や星の動きが、いろんなものに影響を
与えているという考えで、田んぼの稲作から女性の生理を月経と言うのまで
あらゆる文化に根強く影響を与えていて、イスラム教の世界は宗教と言うよりも
生活文化なのだと私は思う時がある。
で、きょうは何を書こうというのかというと、
明治5年にイスラム風の社会風習であった太陰暦をやめて日本は太陽暦になった。
そのことで、日本は西洋社会に入った。
西側ヨーロッパの生活風習をまねて、50年遅れで日本は産業革命に突入
したのである。

宗教のキリスト教は禁教で無くなり、日本は信仰自由の国になった。
江戸初期になぜキリスト教を禁教にしたかというと、日本の生活風習が
一変してしまうことを統治者は怖れたのである。
しかし江戸幕府は倒されて明治維新が始まり、日本は西洋風の社会を一気に
導入して、明治、大正、昭和と驀進して、経済大国になれた。
しかし平成の時代に日本はたくさんの欠点が露わになり令和の今も藻がいている。
それは日本式の社会実現が上手く行かなくなり、八方塞がりの理由が判らない
からだと思う。

ということで、明治の初めにキリスト教世界の価値観を是とした社会改革が
今では非キリスト教世界の成長や拡大で、日本式がうまくいかないのではと見る。
今更こよみを太陰暦に戻すのは無理だが、今の日本でいっぱい起きている問題の
解決に、この陰暦スケールな考え方を持って来れないか、時々思っている。

続きます。
Posted at 2022/10/14 07:22:33 | トラックバック(0) | 思うこと | 日記
2022年10月13日 イイね!

最近の世の中は

最近の世の中は最近の世の中は本当に判らない、分りにくいものになっている。
同じことをいつも言ってきた訳でもないが、何と言うのか
方法論が確立出来ないうちに次の時代が来て、新しいと思っていたものが
淘汰されていると思う。

CDが1980年代の前半に出て、90年代2000年代と時代の音楽の音源として
確立してレコードが古い不便なものになり、代替わりしたと思っていたら
ついに音楽は配信がメインになり、録音パッケージは不要になると一気に
CDが廃れてしまった。その一方でアナログで聴くレコードの人気は高い。

メディア(媒体)というのは情報のパッケージングで、それを再生することで
拡散したり、共有できるという性格のものだった。

音楽はこの他にもカセットテープやMDミニディスクなどいろいろな方式が
開発されて商品化されて、時代をいくつも作って来たが、いま、音楽産業は
アーチストや歌手が儲からない時代になり、特に高額な宣伝費用をかけて
売り出すこともなくなった。
大掛かりで大袈裟な「流行」が作り出されていた頃が実に懐かしい。


カメラという機械も、フィルムの時代を含む銀塩方式は150年前後続いて
写真芸術論まで高まったが、2000年代から外観を似せた「デジタルカメラ」
装置が出て来て、10数年でフィルム写真を駆逐した。
ところが携帯電話がスマートフォンになり、デジカメはほぼ不要になった。

今は似た状況で、アナログのカメラは人気が根強いが、デジカメの行方は
実に不透明である。
しかし昔のカメラはフィルムが必要で、さらに現像や焼き付けがプロセスとして
伴うのだが、経費(コスト)がうんと高価になったので、足踏み状態だと
思う。

自動車はガソリンと軽油で走らせてきたが、電気動力を使った自動車の
進化が非常に迷いが多くて未だに交じった方式が採用されている。
電気一本でいけない理由も様々だが、すごく世の中が慎重になり、さらに
水素エネルギーなども登場したが、10ー15年で決定打になっていない。

これらの世の中の変化を見ていて一番感じるのは、人類の迷いだと思う。
以前のように世界が広く感じられた時代は、先進国から進歩的な技術を
取り入れて、30年くらいの時間で今は後進国と呼ばないが、遅れた辺境の
土地までに伝わって行った。

ところが中国のような大きな国が、技術革新を大きなパイで享受して
一気に成長を遂げ出したあたりで、スケールメリットの方が目立ち出して
技術革新は先進国のお家芸でなくなった。
日本がいま低迷して、その状態から長く抜け出せないのは、英米のような
先進国を手本に出来た時代が、過ぎ去り、中国に抜かれた辺りから
「分からなく」なっているのである。

「わからない」時代とはその辺のことも実に大きいと思う。

日本が得意だったのは1964年の東海道新幹線の成功が大きく、
これによって国内経済にスピード感が出て、そこから1980年代の
ウオークマンや、ゲーム機器、そして液晶のテレビ群までが絶頂期だと思う。

もちろん日本のメーカーが作る自動車も高品質になり、世界中に走り出す
ようになったことは記憶に新しい。
今、日本と言う国と、国民である日本人が迷ったり低迷し続けているのは
少子化と高齢社会に原因が全て有るように言ったり、あまつさえ中国が
気に入らないと言った感情論を持ち出して来るが、それは外れている。

21世紀に入って四分の一経つのに、後戻りしたり、世界で起きている
読めない流れに、日本も大きく巻き込まれてしまったと思う。

端的な例ではオリンピックでこれだけ汚職が有りましたとか、元首相が
特定の宗教団体と繋がっていた、同類の政治家が多くいるということの
問題性は無いと言わないが、社会が前に向かって疾走出来ていた時代なら、
警察や検察に任せておく事項だと思う。
そこに日本の経済や技術革新の力まで吸い取られているみたいで、実に
勿体ない時間の使い方と思うが、先が見えてないことの方が影響が大きい。

技術と感情論は峻別すべきものだが、今は国中が風邪をひいたように迷いの
中にあり、これに3年間のコロナウイルスのことで、非科学と科学の分離が
逆に昔の一体になっていた時代のようになっている。

私は本当に自分でも何を信じていいのか判らないし、うっかりと物を言うのも
言いにくい時代になっていると感じる。
だからそういう時代に、希望や夢のある話は本当にしにくいし、
みんな大きなことを語ろうとせずに、半歩一歩下がって歩くような感じだ。

元気な人は少ないし、高齢者の多さで、場所に居ないような感じと
その高齢者が無理やり「活力」を出せば社会は動くようなことを言っている
ところもある。
私もかなりゾーンは近いのだが、これで良いのだろうかと毎日悩む。

私の考えは、若い人から枷を外して自由に研究や、開発をさせていく。
枷になっているのがお金の問題なら、そこは政治が解決しないと明るい
未来は無い。
自動車にしても、昔のように若い人が自由に乗って、興味を持ち
新しい乗り物を開発したいという流れを作って行かないといけない。

厳罰主義とか、すぐ死刑を持ち出したり、一番嫌なのは、若い人が未来に
絶望するような状況は一日でも早く無くすべきである。
そうして、「自由に好きなことしても良いんだ」という気持ちが芽生えたら
年寄りは余計な口を挟まずに、引退した所から眺めるくらいでいい。
何か世の中の流れが変わっていかないと、今の状況の前の見えなさからは
少しもトンネルの先は出られないと思う。


Posted at 2022/10/13 05:56:16 | トラックバック(0) | つれづれ日記 | クルマ
2022年09月26日 イイね!

このところの思い

このところの思い今年で63歳になった私は、1台の自動車を中古で買って、36年乗っている。

27歳の頃から社会と自動車の社会をずっと見て来て、いろいろなことを考えて来た。
今日は結論から急いでクルマに未来が無いとか、そんなことは言いたく無い。

自動車を持つことや、運転することが楽しかったのは、白洲次郎のような特権階級にいる人以外は、1960年代が黎明期で、発展したのが1970ー80年代だと思う。

今、クルマを運転しているベテランは、この時代に免許をとって、自動車に乗り始めたと思う。

自動車が楽しかった、輝いていた時代はおそらく90年代頃までで、そこから現在の2020年代までは、過去の延長線上にビジネス目的の”未来”が、無理やりこしらえられていた。

私たちは90年代以降、あんまり大きな進化はなく、パソコンと携帯電話がスマートフォンになったくらいで、今も内燃エンジンの自動車に多くの人が乗っている。

1950年代から10年単位で比較したら、社会と生活の変化は、80年代くらいまで、すごい段差があったが、庶民はそれに応じられてきたから、面白い。
この中には明治生まれの人もいたのである。

今は、衰退する時代で、象徴的なのが、紙の自動車の趣味雑誌は15年前の何分の一残っているのだろう。

もうそういうことを考えると、ネットは紙の雑誌に代わったというよりも、人間の思考や行動が、自分から行動することが、かなり減り、受け身な考えや行動が大きく広がった。

話は横にずれるが、今の未来に民衆は国会とか、議員とか、選挙は要らないと内心思っているような気がする。国が殺さずに国民を飼ってくれるなら、それで良いって人もかなり居るような気がするのである。

その代り労働の奉仕と税金は納めるから。という王権神授説から議会民主の時代を経て、その間に市民革命があるのだが、何か元に戻りつつあると感じる。

そんな未来を「ディストピア」と呼ぶ人も一方で居る。

ディストピアはユートピアの反対か。

しかし自由って21世紀になりすごく判りにくくなった。

自由は制限されることで一見快適な社会が来たからである。


自動車を個人が所有して、自由に使える。のが20世紀の発明の中で最大限の自由を実現した発明だと思う。

自動車に対する民衆の憧れは、近代産業をゆりおこして、ここまで来れた。

しかし今後のよく管理された未来社会にパーソナルな自動車は、本当に要るのか。

たまに事故が起きると、今日は社会的な非難が40年前の比ではなくなった。

そのためにシートベルトから始まり、安全装置はありとあらゆるジャンルになり、クルマは安全になったが、まだ「事故ゼロ」には到って居ない。


こういう未来がやがてくると皆がぼんやり思うようになった時代に、
私のような1970年代の骨董品を路上で使い続けることは
いつまで出来るのであろうか。

ある日突然「法律が変わりました」「個人が以前のような「メーカー車」に乗り続けることはできません」になるようなことが、この10年以内くらいに来るのでは、ないだろうか。






Posted at 2022/09/26 06:28:47 | トラックバック(0) | クルマ
2022年08月22日 イイね!

タルボサンバの思い出

タルボサンバの思い出随分昔に、日本に正規輸入されたフランスの小型車
タルボサンバ・カブリオレを見つけて10年ちょっと乗っていた。
写真でこのクルマの佳さを偲んでみよう。









タルボブランドは、1980年代初頭に、旧シムカを買収した、クライスラーフランスが行き詰まり、ヨーロッパから撤退。それをプジョー・シトロエンが引継ぎ、シムカの名前を引継がずに、懐かしいタルボ(ット)の名跡を復活させた。
それもほんの数年でプジョーブランドに統合されて、マトラとタルボは消えた。

旧マトラの工場で作られたのはルノーのエスパス、それから変則的に309のネーミングになったプジョー309は、本来最後のタルボになる予定だった。



これはヨーロッパの雑誌に出ていたタルボサンバ・カブリオレの広告で1982年の「MOTOR」より。当時学生時代だったが、私のハートはズギュンと真ん中を撃たれて、いつか乗りたいと夢に見た。そして1995年に乗れたから夢は叶えるものである。



現代のインターネットより
これはクローズドボディのタルボサンバラリー
1990年代までフランスの草ラリーで活躍していた。



こっちは兄弟車のプジョー104XS
これとマスク以外の内容は近いが、104が先に出て、シトロエンLNが弟。
タルボサンバが末っ子の3兄弟車である。
Posted at 2022/08/22 04:59:02 | トラックバック(0) | 思うこと | クルマ
2022年07月04日 イイね!

クルマと子育て

クルマと子育て先週の28日、関東にいる一番下の娘が25歳を迎えた。

普段書かないテーマだと思う。
今日は古いクルマに乗りながら、子育て等の家庭生活を
両立出来るかに、ついて考えてみよう。




私が40数年前にクルマに乗り始めた時代は、趣味車と普段車は、未分化の
時代であった。
しかし、若い人は新車のクーペを買い、その狭いリアシートに
家族や子どもを乗せているのは、普通の風景であった。

昭和40年代は、全幅が1300しかないような360ccの軽自動車に
大人が4人乗っているのが普通の日本の風景であった。



私はギリギリ、その狭い規格の軽自動車時代を知っているので、昭和62年に
フィアット850に出あって「小さいなあ」とは思ったが、実用に使うのに
何も不満は無く、そこから始まったクルマ人生で、結婚をして
子どもが平成時代に3人産まれて、子育てや移動を、小さな車でこなしてきた。



趣味のクルマ中心だと、家族車と、足クルマは欲しいと思う。

我家では、長男は言わなかったが、妹が二人出来て、育って来ると
「なんでうちには普通の車が無いの?」という素朴な疑問が出るようになった。




女の子はずけずけと聞くから、他所は他所、「ウチはワンボックスのラルゴとか
あんなミニバンは乗らないよ」、って私は好きでないから、乗らなかった。

私が昭和34年生まれで、青春期はまだセダンとクーペの時代であった。

日本にシビック、海外にゴルフが登場して、FFの2BOXハッチ付きの時代に
なり、それが便利で、お洒落な人気を博すようになった頃に、ファミリアが
空前のヒットになった。その時代は大学生だったと思う。




クルマと生活は、妥協と、ツッパリの間の、”凌ぎ合い”だとよく思う。

お金がいくらでもあれば、何にでも乗れるが、それはあんまり面白いものでない。


私はFF2ボックス車も、オペルカデット、フィアットリトモの2台だけで
ほとんど乗っていないが、今は農作業の往復に貰い物車のアルトに乗るから
パワステ車ならもっと乗ったかもしれない。



しかしクルマってなんだろう。良く考えるが、「男の勲章」みたいなものかも
しれないし、それって、他の性別からみて、アホみたいな「俺自慢」なんだろう。




今の若い子から見て、クルマは一周回ってきて、またオモロい存在に、なりつつある。

最近の雑誌の特集が「自動車」である。
自動車雑誌の特集はつまらない。

上のリンク先の「casa blutes」の自動車特集は、よくぞここまでスタイル本位で
自動車をチョイスしてくれた。
現行車でなくオール過去車で、「今でも乗れるイイクルマ」を紹介するように
なってきたことに、『時代が私に追い付いた』ようで、とても嬉しく思う。

つまり、クルマは80−90年代にピーク期を迎えて、00−10年代に
一気に”ダサイ”乗りものになった。
そしてデカいRVが道路を占領して、乗っているのは小さな人間一人もよく見る
光景になった。
しかし、傍目に見ても佳い風景ではなく、クルマ離れが若い世代に一気に進んだ。



自動車メーカはそのことに気付いて、無視を続けている。
ならば、小さいクルマで、コンパクトでカッコイイライフスタイルで生きたい。
肯定的なライフを追い求めれば、自分だけでなく自分以外にも目が行き
優しい気分になれる。

子どもをつくり、育てるのに、何も馬鹿みたいなアルファードサイズは要らない
のである。



私は一番上の子どもの時はBX、2番目の時は後継者で131セダン、3番目が産まれた
夏は850一台で産科の送り迎えをした。

妊娠から出産。その後の子どもの成長、いろいろな場面でクルマは必要だった。



真夏の家族旅行も小さいクルマでバカンス気分でよく出掛けた。

これから後の時代、ガソリン車はいつまで使えるか判らないが、
ライフスタイルに趣味性のクオリティーが高い要素は、もっと需要が高まる。

先の雑誌のように「スタイルの好いクルマ」で若い内から満足度にこだわる人は
結婚して、子どもが出来たからと言って、ワンボクスに乗り換えること無く
私のような一貫した音楽を聴くように人生を送ると思う。

子育てに、意味のないスペース(荷物運び)ワゴンは要らない。

子育てのとっくに終わったもうすぐ63歳になる男の感想である。



Posted at 2022/07/04 16:12:03 | トラックバック(0) | 思うこと | クルマ

プロフィール

「ビッグモーターから残クレアルファードまで http://cvw.jp/b/176891/48584333/
何シテル?   08/06 05:00
車は殆ど処分して、1971年登録のフィアット850クーペに 1987年以来、乗り続けています。 住居は昭和4年築の、古い日本家屋に、現状で住んでいます。
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