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kotaroのブログ一覧

2014年09月01日 イイね!

盛況御礼

昨日のびわ湖バレイオフ、
朝が13台、あとから1台来られたので参加は全部で14台、
久々の10台超えになりました。

最近クルマ感覚が、少し判りにくくなり、僕はクルマを降りる日は
そう遠くないような気持ちもしています。

倅に峠越えの運転の仕方を教えたり、あとは本日の参加者の中にも、
左ハンのMT車を乗りこなしたい女性も居たように、そういう人に運転の
楽しさを伝授したら、役割は卒業かな、とも思います。

遠く愛知県からは、長いお付き合いのイタフラ車交流の御夫妻に
来て頂き、ほんとうにありがとうございました。
その左ハン、ミッション車難なくの女性ドライバーさま、長年乗る
ルーテシア1.4を最近MTに換装されて、とても良かったです。

今年の夏、天候が不順で一度も泳ぎに行きませんでしたが、もう暦と季節が
過ぎて行き短い夏でした。

その最後の日を来て頂いた仲間たちと、十分楽しめ思い残すことは無いです。

僕に取り今度の秋は、長い夏の時代が終わって、人生のこれからの秋、
その到来を強く意識するシーズンが来るようです。

そんな中で束の間の、久闊を叙せられて、ほんとうに嬉しかったです。
またこれからも皆さま、お付き合いのほどを、
しばらくよろしくお願いいたします。

kotaro
Posted at 2014/09/01 04:16:46 | コメント(1) | トラックバック(1) | オンザカー | クルマ
2014年08月29日 イイね!

帰って来た75TS

75が車検から帰ってきました。
久々にFRアルファのセダンを転がしながら
幸せをかみしめています。

僕は大病や怪我はしませんでしたが、この5年、会社を早期退職、
家族と同居解消、孤独との闘い、加齢することの悩み、
再就職での混乱、介護問題の中での親族との対立、
失職中の失意の連続と、波瀾万丈な人生を歩んできました。

今は長年愛した850クーペも長期の修理にかけており、前途が見えません。
やっと先週より、肉体労働の伴う仕事を見つけて、働きに出て
くたくたな日々の中で、きょうの夕暮れ、紺色アルファセダンを運転しました。

親子でやる修理工場の家族らに、kotaroさんのケチぶりと、
アルファの賞味期限切れ寸前なテーストを、笑ってもらいながら
温かく見守ってもらっています。

人生の伴走する伴侶は、クルマが一面では一番良いときがあります。
自分の考えと思いを託せるからです。

今度の日曜には、20年近く続けている、びわ湖バレイのオフ会を
また開催します。
その日に着ていくドレスがないと、寂しい。

くたびれたドレスですが、僕の紺色アルファセダンは
どのタキシードより、
似合うような、そんな気がいたします。


Posted at 2014/08/29 02:10:37 | コメント(7) | トラックバック(0) | オンザカー | クルマ
2014年08月11日 イイね!

クルマの時代

クルマの時代2010年から、このサイトに記事を書かせてもらっている。
それまでこういったクルマユーザーを多数抱える自動車
ブログの集まりというのは、あまり無かったと思う。
この4年の間に、いろんな意味でクルマ社会の風向きは
大きく変わり、昔のように、予想もつかないようなワクワク
することがめっきり無くなって来たと思う。

そう、きょうはクルマの時代は終わったのか、について考える。

日本のモータリゼーションは1960年代後半から点火して
70年代に一度排ガス規制と石油ショックで、盛り上がりを欠いたが
大方80年代と90年代はまだ、「自動車の世紀」の真ん中であったと思う。

その空気は2000年の10年間も引き続き漂っていた。
それと日本は世界史にも例のない高齢化の進んだ富んだ先進国である。
この国に何か、活力を与えようと様々な取り組みがなされている。
しかし期待と反対に空気は淀むばかりである。

自動車社会は老人社会と、様相は違うが、日本のそれは先進国の
ある意味一番進化してしまった、面白くないシーンが日常を占める。
ハイブリッド車と、軽自動車と、ミニバン、あと高級輸入車の富裕層。
その4つに特化している。

よくいえば非常に近未来的だが、皮肉に言えば一番面白くない未来図だ。
あたかも、人類は自動車に未来を見られなくなったかのように。


このみんカラ以外の歴史はよく覚えているが、ここに書き始めた頃は
あちこちのユーザー間で積極的な交流が多かった。

その頃一番元気だったのは、スーパーカー乗りの方達であったと記憶する。




一番誇らしげに得意な愛車の写真と、その日常は、人生の成功を自分に褒美
するようで、まばゆかった。

その人たちが姿を消して行ったのが、2011年以降で、大なり小なり
東日本大地震という出来事があったことも大きい。
2000年代までは昭和と90年代の余韻があった。好きなことを肯定でき、
女の人が強かった良い時代だ。

日本の3.11は、価値観を変えたと言われる。私は西日本なので1995.1.17の
時の方が衝撃であったが、少し考えてみよう。

阪神の時は、まだ90年代であったので、私は亡くなった人に追悼することは
積極的に好きなことをやる。出来なかった無念を晴らす意味で、と考えた。

ところが2010年代はすべてのジ・エンドになってしまった。
もう、クルマや乱痴気で、魂は報われないだろうという観念が強い。

私はそこまでで、大体のやりたいことをやってしまった。
変わったクルマを探し出し、まだ話題にならない内から、カーライフをクリエート
して、ファッション+ライフスタイルを演出して、アバタもエクボ、
多少壊れていても、さらりと乗りこなすことを、流儀としていた。

これからの時代に、マイナーな変わったクルマを探し出して乗ることは
場面の空気が違う。
その難しさって、長く乗っていると、判ると思う。

何が変わったのだろう。お金の通用する価値も違って来ている。

少し前のロ・ハス的な考え方、これは仕組まれた概念だったが、もっと
下って、個々人の生活概念がずっと、ニュートラルで突飛なものを
遠慮するようになってきた。奇抜を避けるのである。

今や私でさえ、借りた農地で野菜を作り畑を耕している。その近くに
「オンザガレージ」、この方が格好いいのである。

できれば古いレインジローバーで、カントリーとアーバンを往復する。
時にはシティに、スーツを着て登場する場面も欲しいが、もうタキシードで
パーティーは、お呼びが無くなって来ている。




ガソリンの今年からの高騰も、自動車離れを追撃している。
きょう、久しぶりにフィルム写真のDPEを引き取りに行って来た。
外国製のカラーフィルムだが、36コマ撮りで1700円した。

昔は同時プリントで1000円くらい以下だったので倍になったが、綺麗な
紙やき写真は美しい。仕方ないかなと思ったが納得した。
それに較べると、ガソリン代も灯油代も、1年前から120%以上の値上がりは痛い。

物価が上がっても、働き手の手取りが増えると、結果はオーライで経済は
成長する。
日本と諸国が、なぜ2度の石油ショックを乗り越えたかの、最大の原因だ。

ところが今は、世界中で高齢化が進み、足をひっぱっている。
若者の給料が上がらないことの背景にもなっているだろう。

介護のような仕事が増えると、原資は増えないのだから、いきおい労働の
しんどさは増えても給料は上がらない。国が言っても、上げられる分野は
限られている。

そういう背景の中で、クルマというのは、欲望や願望をストレートに
反射してくれる夢の対象じゃないと、若い人ほど思っている。

動けば良いだけのクルマなんて。中高年は、あからさまに弱い欲の彼らを
見て、感情を奮い立てるように言うが、もうエモーションの時代ではないのだろう。

クルマはこれから飽きられる、諦められるものだろうか。

まだ路上を走る仕事車は、圧倒的に多い。
これらが使うガソリンが、安定価格であったから、趣味車も乗れていた。

健康保険と同じで、たまに高額保険を使う高齢者は、病気に滅多にならない
若い人らの後納分で生きられていることに、もっと感謝すべきである。
最近の私の持論だ。

仕事車のガソリンエンジンは、経済サイクルを超えれば他の動力源に変わる。
その時がクルマの全体のターニングポイントである。


さあ残り時間は、見えて来た。



そこまでに待てるものと待てないものがある。

今乗っておいて良かったと思えるものは、10年後は残っていない可能性は
ゼロでないが、環境が変わるし、人間の生きている世界が、通り過ぎるだろう。

これは可能性の広い特に若い世代よりも、これから収入が減り、暮らしも頭
打ちになる人たちほど、影響が大きい。

可変性のある領域が少ないからである。
その中で、何をやって行くのかは、個々人の考え方だ。
しかし若い頃の夢を、歳を取ってから叶えるというような、お目出たい話は
クルマに限って言えば、あんまりないのじゃないか。



このみんカラサイトで、スーパーカー乗りの人々の自慢話が2、3年で急速に
減って来たことの理由はそれである。
20代後半や30代で出来ている人は、昔から別だ。
ちょっとだけ、庶民が、束の間の夢を見られた時間があった。
それは需要、供給、それと経済サイクルの、タイミングがあった時である。

そうだなあ、僕が10年以上前に930ポルシェを99万で買おうか迷った頃である。
出物は何台かあった。

現実と夢との関係は、追って追われて、追い抜かれることもある。
でも、考えることを柔らかくして、今はどういうことが、面白いのか。
常に見ていると良い。

まあ、どうしようもないかもしれないが、軽自動車は今の時点で、
ニッポン的な幸福追求の、具現化モデルに一番近いのだろうか。

この辺りで脱稿して早朝から出掛けます。

Posted at 2014/08/11 09:14:54 | コメント(3) | トラックバック(0) | オンザカー | クルマ
2014年08月03日 イイね!

ひとつの終わりに

ひとつの終わりに歳を取ったなあと思う。
昨夜、こういう遊びのおしまいに
ある雑誌読者の集まりのパーティーに行って来た。
雑誌の名は「昭和40年男」という。
ご存じの人もいるだろう。
1965年生まれの世代に特化した
ワンテーママガジンである。

私は彼らの6才上だ。
だから、48、9才の後輩たちの「同窓会」を横で
見させてもらっていた年上である。

「50になりたくねえなあー」
40代の終わりの彼らの本音も聞いていた。
いま、輝いている50代はいない。

昔はサラリーマンなら仕上げの10年弱を、駆け抜けていた。
私が子供の頃に見た、SL蒸気機関車が、引退を前にして力強く線路の上を
走り抜ける姿を重ねられたものである。
今は、生きているだけである。

生きることは本来、楽しくなければいけない。
10歳以上上の、昭和20年代前半の人々の50代と何が変わってしまったのだろう。
包まれている空気が全然違う。
定年後の約束や褒美もうんと少ない。
寿命が延びたと勝手に言われて、5年くらいお預けの間、いやいや働かないと
生きてはいけないとすら、言われている。

ライフ、人生について、
うんとスケールダウンしないと、ポスト団塊世代は生きてはいけなくなる。
まだ会社に残って、勤めている人は給料生活が先細りになり、
これほど無情なことは無いだろう。

アツく、ものごとを語ったり、次の夢を見ることも見ることも難しい。
それを判っていて挑戦した私も、そろそろ考え方を変えて行こうと思っている。
50代後半、何が出来るのか。前の世代の背中だけでは、夢は見られない。

友達仲間とクルマのサークル、音楽バンド、そういったものも残っているが
そろそろ時代が変わって行くように思われる。

最大の損失は何だろう。
デフレ時代の洗礼のように、自信を持てなくなることの勇気だろうか。
書いている文章が、しょぼくならないように、無理矢理、進軍ラッパを吹かねば
ならないと、何度も考えてみたが、それは出来ない。

あまりにも、1950年代前半までと、60年以降に生まれた人とでは、この大事な
10年くらいの人生の過ごし方が、変わってしまっているのである。
その時間に何も考えずに生きられるのと、考えが変わるくらい辛い現実が
待っているのとでは、違い過ぎるし、反乱も出来ない。

もっと上の世代から「嫌なら(この国を)出て行きなさい!」とまで、言われている
ようなものなのである。


そんな現実の風の中で、僕は5年間いろいろな挑戦をした。
やり足りないと言われれば、反論もできない。
加齢と、肩にかかる介護の負担と、収入源の中で、飛び出せる世界も考えた。
果実は見つからなかった。

ライフランナーの先頭を走り、現象や流行に目を向けずに、25年以上前から
旧車とかオリジナルな価値観をクリエートして来た僕でも、やっぱり苦しいなあ
この年代は、というのが感想だ。
10歳前後年上の先輩らから「お前どうしちゃったの?」と言われても
答えようは変わらない。あなたたちの時代と、違うんだ。それが言えない。
自分たちの責任のように、それがひとつの世間の空気にしてしまっているからだ。




僕らは若い頃から「責任世代」とか、やたらと責任という言葉を聞かされ続けて
きた。無責任という類義語を面白がった時代もあるが、それは真綿で首を絞める
例えだったのだろう。

学校の宿題も責任、免許を取り運転し出したのも、みんなやるから一種の責任、
受験、就職に、一斉に走り出さされたのも、生きて来た年代の責任、
なんてね。

その責任時代はとうとう自己責任といって、詰め腹を切る世の中と、追い詰められる
のも自分が悪いからと言う、ノイローゼ社会にまで、至ってしまった。
いや私は、まだ精神気分がましになった方なので、ここに悲観的すぎないように
書ける程度の力は残っている方だと思う。


結局は、踊らされ続けて、見続けた夢は何だったのだろうということだ。

空を見上げて、宇宙へ飛ぶロケットを見て、国土に建設される、新幹線と高速道路。
都会へ都会へと、就職や大学進学に出て行き、豊かさを追い求め、消費を追い掛け
家の中に増えて行った家財にリア充を満喫した。

平行して異性と交際したり、家族や家庭を作ったり、束の間の人間らしい時間に
俺は生きていると感じたり、それはみんな疑似幸せ装置の中であった。
音楽コンサートに行って熱く共鳴して、夜が明けたディスコの帰りに心地よさを
感じたりも、みんな幸せになりたいと強く願ってきたから出来たのだろう。


てなことを、考えてみたが、やっぱりこれ以上のことは出来ない。
上の世代から「80まで生きなきゃ」と言われることの重さ、重苦しさは
どうしようもない。
わっと、世の中が変わってしまうことは、あり得ない。

考えただけで、危険思想の罪になる。
この国は1000兆円の借金で回っている。その債務保証は高齢者が持っている
莫大な資産価値のあるものが、抵当物件なのかもしれない。
そしてどんどん、高齢化と平均年齢が上昇し、人口も減少して、下の世代の
負担が増えて行く。

本当にそれでいいのだろうか。
高齢者は75歳を過ぎると、健康保険が1割になると喜ぶ。
自分の親がそうなると、子供が喜んでいる。やれやれ楽になったと。
残りの9割はタダになったのではない。
その他の人たちで、分担して負担しているだけなのである。

私の親でさえ長期入院しているし、その面倒を見ていた親族も今は入院だ。
しんどい人は病院へ。高額な医療費は、保険に年金が賄っている。
生き銭、死に銭と言えば、後の方であろう。
頑張れば、もっと負担の軽い特養と自宅療養で不可能でないが、お金があるから
それができる。

お金があるから、無い人のことや、入院したくても空きがないから待っている人の
ことは想像もできない。私たちもしんどいから、何も言わないで下さい。
私たちは悪いことをしている人たちではありません、である。



これからの僕らの生きられるゾーンは、もっと狭い。
その狭き間から、光を照らすのが、僕の仕事なんだろうと思う。
社会福祉でもない。篤志家でもないが、責任に代えて貢献が良いのか。

在野の若い人たちにもっと光を当てたい。それはずっと続けて来て、今の
ライフワークになりつつある。
ただし収入が伴わないと、生きて行けない。
社会貢献は儲からないものだし、巧妙なレトリックを駆使する人も見て来た。
私はひとまず、勤めに戻り、ブログを書き続けるかは、今後の生活時間次第で
判らない。

ただ今が暑い季節だということだけは、窓に溢れる蝉時雨で、わかっている。


Posted at 2014/08/03 07:26:59 | コメント(1) | トラックバック(0) | オンザカー | クルマ
2014年07月24日 イイね!

on the move

on the move私の住む町周辺には、
毎日ジェットの発着音がよく聴こえる。

ジェットのノイズは、緊張感を伴う
甲高い空気の悲鳴である。
その悲鳴を最高の都会的サウンドに仕立てた
1枚のアルバムを、お教えしよう。


このタイトルは、1978年に天才型キーボードプレーヤーの深町純が、
単身NYに乗り込んで、自らの構想を体現化した有名な、今となっては
知る人ぞ知る、1枚の渾身の作品のタイトルに重ねる。



スティーブ・ガッド(ds)、マイケル・ブレッカー(ts)ら、当時の新進気鋭の
ミュージシャンらを脇に従え一歩も引かない深町の演奏力。

リチャード・ティー(key)やマイク・マイニエリ(vb)の大御所らを味方にして
1977年から78年にかけて練り上げられた、音の結晶である。



この名曲は当時の深夜放送、オールナイト・ニッポンの番組合間曲で
よく掛かっていたので、ノイズまじりの音源に耳を充てて
誰の何という曲だろうと、好奇心だけが立っていたことだけを思い出す。

(ヒット)チャートも関係なかったけれど、当時の音楽業界は知っていた、
すごい快挙の作品、いや金字塔だった。
私も大学に入り、この音源を見つけて、当然(中古だが)購入した。



私のこの秋のテーマは、「変化」である。
今の米大統領が、就任した時みたいに、「change」と言わずに、
“on the move”と、いう言葉でいこうと思う。




この所暑さが厳しい。

今日はクルマの集まりに行って来るが、1ヶ月後の8月最終日曜日の31日、
恒例のびわ湖バレイ駐車場で、夏休み最後のホリデーを見送る
納涼ミーティングを開催いたします。

暑くて記事更新のペースが落ちていますが、75のエアコンを修理したので、
きょうは何とか一日元気に乗り切ろうと思います。

それではいってきます。



Posted at 2014/07/24 04:38:52 | コメント(1) | トラックバック(0) | オンザカー | クルマ

プロフィール

「やっぱり。言わんこっちゃない。「トヨタ、センチュリーを独立ブランドに クーペ開発でラグジュアリー市場拡大」https://x.com/i/trending/1977788758218219921
何シテル?   10/14 09:32
車は殆ど処分して、1971年登録のフィアット850クーペに 1987年以来、乗り続けています。 住居は昭和4年築の、古い日本家屋に、現状で住んでいます。
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